IFもうひとつの約束 〜もし1年生だけで全国を目指すことになったら〜 作:勘解由小路龍之介五郎左衛門十兵衛
「あら、藤井先生。理事長室に用ですか?」
私が理事長室に入ろうとすると、年配の教師に声をかけられた。
「ええ。ゴールデンウィークに合宿を行う予定でして、合宿施設の使用許可をいただこうと……」
「ああ、野球部の」
教師は顔をひそめる。
「藤井先生には面倒を押し付けてしまって悪いわね。けど、そこまで本気で頑張らなくてもいいのよ」
「それは、どういう……」
「もう
その言い草に、私はカチンと来た。
野球部の練習に合流してまだ一週間とちょっと。だけど彼女たちがどれほど真剣に、創意工夫しながら努力しているかは伝わってきた。
「お言葉ですが……。確かに今の野球部は昔の野球部とは変わってしまいました。でも、それは悪い意味ではなく、良い意味の変化です」
今の野球部は、確かに側から見ると真剣味に欠けるかもしれない。
あんなにへらへら笑いながら楽しそうに練習するなんて、私の現役時代にはあり得なかった。そんな舐めたことをすれば、死ぬまでグラウンドを走らされた。水だって自由に飲めなかった。理不尽な理由で怒られることもあった。そんな辛くてキツい日々を乗り越えて、私たちは強くなった。
私だって……最初、彼女たちを見たときは落胆した。
新任の教師として母校に赴任して、野球部を立て直そうと意気込んでいた時に出会ったのが、腑抜けたお遊びみたいなあの野球部だった。
そのとき私は他の教師と同様に、彼女たちを見放した。
もう、私たちがいた頃の野球部はないのだと。今の野球部は真剣に勝つために野球をやってるんじゃなくて、青春の1ページとして和気藹々と楽しむために野球をやってるだけなんだと。
だから、私は練習に一切の口出しをしなかった。
だけど、やはり野球部のことは気になって、練習には毎日顔を出した。そして、彼女たちの笑顔に溢れながらも真剣な練習を見て、彼女たちのリーダー格である川口芳乃さんの理論を聞いて、私は目から鱗が落ちた。こんな野球があるのか、こんな野球があっていいのか、と感動した。
私は彼女たちのためになりたいと思い、高校時代のツテを使ってなんとか強豪・柳大川越と練習試合を組んだ。そして彼女たちは、3対7とスコア上は完敗だったものの、それ以上の可能性を感じさせる勝負をしてみせた。
私たちの時代の野球が間違っていた……とは思わない。あの血と汗と涙の日々が、埼玉四強時代の強い野球部を作ったのは事実だ。だけど、私たちが積み上げてきたその伝統が、あの暴力事件を引き起こしたのも事実。
だったら、私たちは変わるべきだ。
過去の栄光に縋るのではなく、未来の繁栄を掴みとるため。
「生まれ変わった新越谷高校野球部は、きっと強くなります。この学校の汚点どころか、日本の高校野球の希望になれるくらいに」
「……そう。頑張ってね」
年配の教師は、気まずそうに去って行った。
あの教師が特別、野球部に悪い感情を持っている訳じゃないだろう。恐らく、この学校の教師たちはみんな、野球部に対して悪い印象を持っているはずだ。そしてそれは、他校の人たちや、高校野球ファンも同様だろう。
その悪評価を覆すために私たちがやるべきことはただ一つ。勝つことだ。勝って、新生新越谷高校野球部の価値を証明することだ。
そのために私ができることはなんでもやろう。
私はそう決意し、理事長室の扉を開けた。
***
ゴールデンウィーク初日。
普段なら、どこにお出かけしようか、誰と一緒に遊ぼうか頭を悩ませるところだけど、私たちにそんな暇はない。
ゴールデンウィークは学校の宿泊施設に泊まり込み、みっちり合宿を行うのだ。
この合宿のテーマは『打撃力超強化』。あと、『エース詠深ちゃんの超強化』。
さて、どの班から見に行こうか。
私は悩んだ末、ピッチャーの練習を見に行くことにした。
「あら、芳乃。こっちを見に来たのね」
私がブルペンに行くと、息吹ちゃんが声をかけてきた。
「うん。息吹ちゃんはどお? 練習の調子は」
「芳乃に言われた通り、フォームのチェックをしてるわよ」
そう言って、息吹ちゃんは打席に三脚で立たせたタブレットを指さす。
息吹ちゃんには、バッターの目線となる位置にタブレットを設置し、タオルを用いたシャドーピッチングを録画したものを確認しながら、相手バッターから見て打ちづらいフォームを追求して貰っている。いわゆる、出所の見づらいフォームというやつだ。
息吹ちゃんには、これを左右の両バッターぶんやって貰い、それぞれ最適なフォームを投げ分けてもらう予定だ。
まあ、これは器用な息吹ちゃんにしかできないことだよね。普通のピッチャーは、バッターによってフォームを投げ分けるなんて無理だろうし。
……まあ、息吹ちゃんは問題ないかな。なんだかんだ、ほっといても期待以上の成果を出してくれるし。
問題は、ヨミちゃんだろう。
ヨミちゃんは珠姫ちゃんを座らせて、投げ込みの練習をしている。
ストレートの投げ込み。悪くはないけど、ずば抜けて良くもない。普通のストレートだ。
続けて、カーブ。こちらは半端ないキレと、常軌を逸した変化量がある。まさに、魔球。
今のヨミちゃんの持ち球はこの二球種。
カーブはプロでもなかなか投げれないような一級品だけど、コントロールがアバウトな上に、曲がり過ぎてストライクを取りづらい。それ故に、先日の柳大戦ではカウントを取りに行ったストレートを狙い打たれてしまった。
解決策はいくつかある。
そのうち、最も分かりやすくて、効果的な方法は――――
「ねえ、ヨミちゃん。あの球の他に、何か変化球を覚えるつもりはないの?」
私が訊くと、ヨミちゃんは首を傾げる。
「他の変化球……? 考えたこともなかったよ。あの球さえあればいいと思ってたから」
「柳大との練習試合で分かったと思うけど、真っ直ぐとあの球だけで夏の大会を勝ち抜くのってかなり難しいよ」
「芳乃ちゃんの言う通り。あと一つ二つ変化球を覚えてくれないと」
「ぅ……うん……」
珠姫ちゃんに言われて、ヨミちゃんは躊躇うように頷く。
やっぱり、ヨミちゃんはあの球に相当な思い入れがあるみたいだ。
ヨミちゃんが中学で野球に絶望し、そして高校で希望となった球。ヨミちゃんの野球人生を支えてきた、ヨミちゃんの野球選手としての軸。
やはりヨミちゃんの理想は、ストレートとカーブだけで抑えるピッチャーなんだろう。
無理だ……とは、言わない。昔はそういうプロも少なくなかった。だけど、最近ではそんなピッチャーは絶滅危惧種だ。それは、バッターの技術が進化して二球種だけで抑えるのが難しくなったのも理由の一つだけど、単純に沢山の変化球があったほうが楽に抑えられるからだ。
ストレートとカーブだけで戦うなんて、わざわざそんな縛りプレイみたいなことをするのは、愚か者のすることだろう。
でも……ヨミちゃんは気持ちで投げるタイプのピッチャー。
ここで小手先の変化球に逃げるより、あえて過酷な道を進ませ、奮起を促したほうが結果的にいいかもしれない。
うん……ダメならその時、変化球を覚えたらいいだけだ。今は挑戦してみよう。
「ヨミちゃん」
「わ、分かってるよ。スライダーでもフォークでも、頑張って覚えるよ」
「いや、ヨミちゃんにはストレートとあの球だけでこの夏を戦ってもらおうと思うんだ」
「え……いいの?」
ヨミちゃんが期待と動揺が半分ずつになった瞳で、私を見る。
「うん。その代わり、変化球を覚えるよりもずっと難しくて、辛い道を歩むことになるよ。こっちがどんなにピンチでも、相手がどんな強打者でも、変化球で逃げることができなくなる。相手に狙われていることを分かったうえで、それでもストレートを投げなきゃいけない場面がやってくる。どんな状況でも一歩も引かない……ヨミちゃんにその覚悟はある?」
「う……うん! 私、もう絶対に逃げないよ! 野球からも、恐怖からも……全部に打ち勝ってみせる!」
「分かった。私はヨミちゃんを信じる。ストレートとあの球だけで抑えるピッチングを身につけよう」
私が言うと、ヨミちゃんは覚悟を決めた目で頷く。
この目を見て、私は確信した。
ストレートとカーブだけで戦うという選択は間違いじゃない。
今まで『投げられるだけで幸せ』という感じでどこか真剣さ足りなかったヨミちゃんに、明確な決意の輝きを感じた。
……これなら、どんな苦しい状況でも決して後ろを向かない、みんなを引っ張る真のエースになれる。
「じゃあ、まずはフォームの改善をしよっか」
私がそう提案すると、側で見ていた珠姫ちゃんが慌てる。
「フォ、フォームを? 大丈夫なの、芳乃ちゃん! 息吹ちゃんは例外として、普通はピッチャーのフォームを変えるのってすごくリスキーなんだよ?」
「分かってるよ。でも、今のままじゃダメだって、珠姫ちゃんも気づいてるんじゃないの?」
「それは……」
珠姫ちゃんは気まずそうにヨミちゃんを見る、
「ヨミちゃんのストレートはほとんど肩から上の力だけで投げてる状態なんだよ。そのままのフォームじゃ速い球は投げにくいし、無理に速い球を投げようとすれば肩の故障に繋がる。ストレートの威力を上げるには、どのみちフォームの改善が必要不可欠なんだよ」
「そっかぁ……フォームについてはあんまり考えたことなかったなぁ。なんとなく投げやすいフォームで投げてたよ」
「うん、そうなんだよね。普通の人が投げやすいフォームで投げようとしたら、自然とヨミちゃんみたいな上半身主体のフォームになっちゃうんだ。全身の力を使って投げるのは、普段の生活にはない不自然な動きだから。けど、私に任せてくれたら大丈夫だよ! 肩や肘の普段が少なくて、なおかつ球速の出しやすいフォームは既に解析済みだから!」
「か、解析……?」
ヨミちゃんが首を傾げる。
そこに、息吹ちゃんが補足説明をしてくれる。
「芳乃はパソコンで物理シミュレーションを使って、独自にバッティングやピッチングのフォームを研究してるのよ。私のバッティングフォームも、部分的にだけどその研究の成果が反映されてるわ」
「えー、物理シミュレーション! すごーい!」
「最初は息吹ちゃんの育成に役に立てばいいかなーと思って軽い気持ちで勉強し始めたんだけど、これがなかなか奥深くてハマっちゃったんだー。目的を計算するためにどういう計算方法をすればいいかとか、どういう条件を満たしたらいいかとか、いろいろ考えるのが面白くって!」
「……はいはい。あんたの物理シミュレーションオタク話はそれくらいにしときなさいよ。日が暮れるわ」
私がせっかく物理シミュレーションの素晴らしさを語っていたのに、息吹ちゃんに遮られる。
「じゃあ、早速、ストレート強化のための特別メニューやってみよっかー!」
「特別メニュー? なにそれ、凄そう!」
ヨミちゃんがキラキラした目で私を見つめる。
「その特別メニューとは……」
「その特別メニューとはー?」
「……遠投だよ!」
「遠投!!……え? 遠投?」
ヨミちゃんがポカーンとする。
「え、特別メニューってそんな普通の練習なの?」
「ヨミちゃん、遠投を舐めちゃいけないよー。私が見た感じ、ヨミちゃんはあんまり遠投の経験がないんじゃないかな?」
私が訊くと、ヨミちゃんは首を傾げる。
「うーん……確かに。中学時代は最初からピッチャーだったし、練習相手もいなかったし、言われてみたらあんまりやったことないかも……」
「遠投は身体全体を使って投げる練習に最適なんだよ! まあ、遠投すると変なクセが付きやすいから、遠投を嫌うピッチャーもいるんだけど、その点はフォームが崩れないように私が横で見てるから安心してよ!」
「うん、分かった」
「じゃあ、外野に行こっか! あ、息吹ちゃんも一緒に来てー! ヨミちゃんのお手本やってもらうから! 珠姫ちゃんはA班に合流して打撃練習ね」
「分かったわ」「了解」
そう言うわけで、私は息吹ちゃんとヨミちゃんと一緒に外野まで移動する。
その道中、息吹ちゃんに話しかけられた。
「でも芳乃。理想的な投手のフォームは物理シミュレーションでわかってるんでしょ? だったら、遠投なんてしないでそのフォームを教えたらいいだけなんじゃないの?」
「フォームを説明しただけで直ぐに投げれるようになるのは息吹ちゃんくらいだよ。普通のピッチャーはまず体で感覚を覚えないと、理論通りに投げれないよ」
「そういうものかしら……」
息吹ちゃんは納得しきれない様子で首を傾げる。
妹である私が言うのも身内贔屓みたいであれだけど、息吹ちゃんは体の動きをコントロールすることに関しては天才的だからなぁ。目も良いし、運動神経も良いし、本当、小柄な体格以外は欠点がない。凡人の苦労は分からないのだろう。
……まあ、ヨミちゃんも結構天才だけどね。凡人はいくら猛特訓したからってあんな暴力的なカーブ投げれないし。
そんな会話をしながら、私たちは外野に移動する。
まずは10メートルくらい離れて軽いキャッチボールをして貰う。
「じゃあ息吹ちゃん。ヨミちゃんにお手本をやってあげて」
「はいはい。出どころが見づらいやつじゃなくて、普通のフォームでいいのよね?」
「うん。あのフォームはヨミちゃんには難しいと思うし。それにヨミちゃんは下手な小細工をするよりも、パワーで押すピッチングの方があってると思うからね」
「分かったわ」
そうして、キャッチボールを始め、少しずつ距離を離していき、最終的には50メートルくらい離れたところで止まる。外野手の遠投ならもうちょっと離れるべきなんだろうけど、今回はあくまでフォーム矯正用の練習だからね。
遠投でキャッチボールし合う二人を見ながら、私はヨミちゃんにアドバイスを送る。
「ヨミちゃん、右肩が下がってるよ! 息吹ちゃんみたいに真っ直ぐ投げて! 山なりのボールじゃなくて、直線的なボールで相手に届くように!」
「あんまり力んじゃダメだよ! 身体全身の連動と、腕のスナップで投げるイメージで!」
「今のボールはワンバンになっちゃったけど良かったよ! もっと身体を大きく使って投げてみて!」
………。
……………………。
そうして投げ込むこと1時間。
ヨミちゃんの遠投は見違えるほど良くなった。
低く抑えた弾丸のような球。あれをマウンドから投げたら、きっと凄い威力になるだろう。
私はバッティング練習していた珠姫ちゃんをブルペンに呼び戻し、ヨミちゃんの球を受けて貰うことにした。
「いくよー、珠姫ちゃん! 生まれ変わった私のストレートを捕れるものなら捕って……みなさーい!」
パシーン!!
ヨミちゃんの前口上も虚しく、珠姫ちゃんはアッサリとヨミちゃんのストレートを捕る。だけど、その表情は驚愕に染まっていた。
「凄い……今までより全然速くなってる。それに、見違えるほど伸びてくるよ」
「ほんとー!?」
「ヨミちゃんは元々ポテンシャルは高かったからね。少し身体の使い方を覚えたら、それだけで県内トップレベルの速球派になれる才能はあったんだよ」
「ありがとう芳乃ちゃん! 私、この速球でどんな強打者もバンバン抑えてみせるよ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶヨミちゃん。
あれ? 何勘違いしてるんだろう?
「ヨミちゃん。ヨミちゃんの強化はまだ始まってすらないよ?」
「……え?」
「今はただ、身体の使い方を覚えてもらっただけ。理想的なフォームを覚えるのはこれからだよ? あと、それを習得するためには下半身の筋肉が全然足りないから、特別に筋トレのメニューも作らないとね。筋肉痛で一歩も歩けなくなるくらい下半身を徹底的にいじめようね?」
そう言うと、私は最大限のスマイルを見せる。
「本当の地獄の特訓はこれからだよ?」
「ひぇーーーーっ!!!!」
その悲鳴は、職員室で書類仕事をしていた藤井先生にも聞こえたとか。
原作ではツーシーム、カットボール、そして彼女本来のストレートである全力ストレートを覚えることで投球に幅を持たせたヨミちゃんですが、今作ではストレートとカーブを強化し二球種で抑える力投系ピッチャーを目指して貰います。
あと芳乃には後付けで物理シミュレーションを覚えて貰いました。
本作の主人公の片割れである芳乃ですが、もう一方の息吹と比べてパッとしないのでチート設定を上乗せしました。
中学生がスポーツサイエンスで役立つレベルの技術を独学で習得できるかと言われたらたぶんムリですが、まあフィクションなので……。