野球狂の詩、おすすめです。特に私が好きなのは、長島茂雄を目指して長島茂雄になろうとした男長島太郎の話『俺は長島だ!』と、御年53歳。引退を飾るべく控えなしで登板。9回688球、53失点の球聖岩田鉄五郎の『ズタズタ18番』です
明訓の寮から久々に長屋に戻って来た山田を、祖父は笑顔で出迎えた。
「そうか、引退試合をな」
調子のよさそうな祖父の様子に山田はホッとする。
「うん。どうも引退した3年生のために一肌脱いだみたいだよ」
「そいつはまた・・・・・・。何とか都合をつけて行くとするか」
祖父の笑顔に山田もつられて笑う。
「しかし、その墨谷という高校は聞いたことがないが」
「なんでも一球さんたちと当たる予定だったそうだよ。部員の怪我が元で辞退したとか」
「成程のう。太郎、その墨谷とやら。ひょっとするとただの記念試合のつもりじゃないかもしれんぞ」
「えっ!?」
「お前達と戦っていい思い出を作りたいなんて気持ちじゃったら、わざわざ一月も間を空ける筈あるまい」
「・・・・・・」
「あっ、また来た」
友達と長屋の前で遊んでいたサチ子は、歩いてくる二人組の男を見て、呟いた。
以前会ったのは、神奈川県予選決勝の白新戦。スタンドで応援する自分達に声を掛けてきたのを覚えている。
「また来たて。お嬢ちゃん、そんな野良猫やあるまいし」
小太りの男、東京メッツ監督の五利はやれやれと苦笑する。
「あほ。猫なんて可愛いガラかい。サッちゃん。おじいちゃんは家かい?」
べちんと五利にツッコミを入れる長身の男は東京メッツが誇る野球界の至宝。よれよれ18番こと岩田鉄五郎その人だ。
「うん。おにいちゃんと話している」
「ほお。山田がいるんかい。 こいつは好都合やな、五利よ」
上機嫌になる鉄五郎とは対称的に、微妙な表情をする五利。
「なあ、鉄っつあん。やっぱり考え直さん? どうしてもピッチャーは必要やで」
「その話は夏の大会で結論が出ているやないか。山田を入れての6点打線。こいつで少しぐらいピッチャーが打たれても平気よ」
「点を取るのも大事やが、相手に取られにゃ負けることはあらへんやないか」
「べらんめえ! 負けないことを意識して何が野球よ。攻撃こそ最大の防御じゃ。10点取られても11点返しゃいいのよ」
「とても50点近く打たれたお人の言葉とは思えんわ」
「何やて?」
口論を繰り返す二人の脇を、サチ子が猛スピードで駆け抜けていく。
「おじいちゃん、おにいちゃん。お客さん! 東京メッツ!」
「東京メッツじゃと?」
「ま、まさか・・・・・・」
外に出てきた山田は、予想通りの二人組を見付けて、驚いた。
「い、岩田さん・・・・・・」
「おお、山田。甲子園以来じゃな、元気にしとったか?」
「五利監督まで・・・・・・」
無言でぺこりと五利は頭を下げる。
「と、とにかく、太郎。上がっていただけ」
「うん。座布団座布団」
てきぱきと掃き掃除をし、座布団を山田が用意し、サチ子ははたきをもってあちこち叩く。
大きなくしゃみをする五利の横で、鉄五郎は気遣いはいらないと手を振った。
「いや、おかいまいなく。それより、今後の話がしたい。山田、ロッテ以外じゃと大学進学という話じゃが、うちの一位指名は変わらんのでそのつもりでいてくれ」
「て、鉄っつあん!」
「岩田さん、すでに報道されている通りです。いくらおっしゃられても・・・・・・。貴重なドラフトの枠を潰すことはありますまい」
固い表情で、山田の祖父は言い、五利もそれに賛同する。
「ほら、鉄っつあん。言った通りやないか。山田はもうロッテ一本と決めてるんやさかい、無理強いは返って迷惑やで。他の選手を取りに行こうや。中西とか、不知火とか」
「じゃかあしゃい! 山田さん。無駄かどうかは我々の方が決めることです」
鉄五郎は山田の方を向くと、ずばりと気になったことを尋ねる。
「なあ、山田。ちょうどええ機会だから聞くんやが、ほんまにお前は昔からのロッテファンなんか?」
40年近い現役生活を送る岩田鉄五郎の老いてますます盛んなその眼光は、さすがに山田をも圧倒するものだったが、山田は顔色一つ変えずに頷く。
「ええ」
「そうか・・・・・・」
ちらりと室内を見渡した鉄五郎は、手入れ途中のミットを見付けて笑顔になる。
「随分と手入れされとるやないか。プロを見据えて練習しとるんか」
「それもありますが、今度引退試合をやることになりまして」
「な、何やて引退試合?」
聞いたこともない言葉に五利が反応する。プロならいざ知らず高校生で引退試合とはどういう訳か。
山田が経緯を話すと、鉄五郎は頑張れよとだけ伝えて立ち上がった。
「それじゃ、失礼」
「お構いもせず・・・・・・」
「いやいや。また伺います」
長屋を出てから、さっさと歩き出す鉄五郎に後から来た五利が慌てて追い付く。
「どないしたんや、鉄っつあん。そないに急いで」
「五利よ。記者連中の言っとったことは本当やな。山田のロッテ逆指名。臭うで」
「どういうこっちゃ。ロッテファンやと本人も言うとったやろ」
「ファンなのに、部屋にあるのは早稲田のペナントだけやぞ? 怪しいやないか」
「そらそういうこともあるんやないか」
「それだけやない。わしがロッテファンかどうか確認した時、珍しく動揺してたで。いくら平静を装ってもこの道40年のわしの目は誤魔化せん」
「ほ、ホンマかい、その話」
「ああ。確か山田のスクープを飛ばしたのは東京日日やったな。山井辺りを突いてみるのもええかもしれんで」
東京日日スポーツの山井なら交流がある。何かの折にそれとなく話が聞けそうだ。
「確かに何か裏がありそうやな」
頷いた五利はタクシーを呼びながら、そう言えばと思い出す。
「山田達が引退試合なんて知られたらことやな。甲子園にあんだけ人を集めた連中やさかい」
「相手の墨谷ちゅうところは確か猛練習が祟って準決勝に出られなかったとこやで」
「よく知ってるな、鉄っつあん」
「新聞の地方欄にでかでかと載っとったからな。それにしても、この時期に、しかも明訓相手に引退試合を挑むとはな」
皮肉っぽく笑う鉄五郎に対し、五利はまあまあとそれを諫める。
「記念試合のつもりやろ。高校時代のよい思い出やないか」
「あほ。猛練習が原因で出られんかったところが、王者明訓相手に秋季大会前のこの時期にわざわざ勝負を挑むかいな。単なる引退試合な訳ないやろうが」
「ど、どういうこっちゃ・・・・・・」
「倒すつもりよ、明訓を・・・・・・」
「そなあほな! 地区大会も勝ち上がってないところがかいな。無謀や! 相手はあの土佐丸や青田を倒した最強明訓やで?」
驚きに目を丸くする五利に対し、愉快そうに鉄五郎は笑い声を上げた。
「べらんめえ! だから面白いんじゃねえか。墨谷高校との引退試合、こいつは見に行く価値があるぜ。ええ、五利よ」