秋口とは思えぬ暑い日差しがマウンドに降り注ぐ。
『四番、サード谷口くん、四番、サード谷口くん』
「よし」
谷口の名前がコールされるや、墨高側から割れんばかりの声援が飛ぶ。
「頼むぞ、谷口!!」
「一発放り込んでやれ!」
一方の巨人学園側からもそれに負けじと声を枯らして応援の声が響く。
「一球さん、頼むぞ!」
「ここは抑えてけ!!」
興奮の坩堝と化した両軍の観客たち。
それを煽るかのように、場内に熱の籠ったアナウンスが響いた。
『さあ、大変なことになりました。試合も中盤、6回の裏にきてこの試合の山場が訪れました。墨谷高校、ツーアウトながら、ランナー、一三塁。一打勝ち越しのチャンスに打席には四番の谷口くん。巨人学園真田くん、ここを抑えて墨谷の流れを断ち切ることができるか!』
盛り上げようとする放送を聞き、徳川はくひひと皮肉な笑みを浮かべる。
「そりゃ外野は勝負を期待するじゃろうが、塁が空いてるでな」
「敬遠!? いや、さすがにそれは」
あり得ないと言おうとして、田所は言葉を呑みこんだ。
甲子園での対明訓戦でも勝つためには躊躇なく一球は敬遠の策を選んだ。そこには武士の誇りのためならば何を犠牲にしても構わないという考えは存在しない。武士の誇りでさえも勘定に入れ、勝利を狙いに行くと言う冷徹な現実主義者の姿がある。
一球目、インコース高めにストレート。
「む」
谷口、バットを動かさず。
「ボール!!」
「ほれ」
と徳川。
「いやいや、まだ初球だし」
二球目、インコ―ス低め、ぎりぎりのところへストレート。
これもボールとなり、場内がざわつく。
「ま、まさか天下の巨人学園が敬遠なんざ・・・・・・」
「勝ちだけを考えたら当然のことじゃ。勝負に卑怯もくそもあるかい」
徳川の迫力に田所は黙る。
さすがに異なる高校で甲子園に出ること三度の名将が言う事は重みが違う。
「じゃが、一球はよくてもナインはどうかな」
『二球、際どい所にボールが続きます。谷口くん、ボールを見極めてバットを振りません』
「タイム、タイム!!」
初球から二球続けてボールが先行した段階でキャッチャーの九郎がタイムを要求し、内野陣と文六が集まる。
「どうした、九郎」
「どうしたもこうしたもないだ~よ、一球さん。ボールばっかり」
影武者山田になるために口調に気を付けている九郎だが、ところどころ素で口癖が出てしまう。
「谷口よりもこの後の倉橋の方が打ち取りやすい。当然の策だろ」
納得できない、とう~と唸り声を上げる、九郎。
「おいおい、九郎。どうした。墨谷に勝つためにはそれが最善じゃないか」
「つまらん!」
「何?」
「つまらんだ~よ、一球さん!」
「九郎・・・・・・」
どうやって説得しようかと頭を悩ませる一球。
間に入ったのは長い付き合いになる文六だ。
「一球さん、これは練習試合だぜ? 甲子園の明訓戦じゃないんだ」
「文六・・・・・・」
「俺たちのことだったら気にしないでくれ。甲子園に行って明訓と戦えたんだしな」
郷の言葉に文六が頷く。
「そうさ。だから、ここは一球さんの好きなようにしてくれ」
「ああ。逃げて何が東東京代表だよ」
「みんな・・・・・」
目を瞑り、ぺこりと頭を下げる一球の肩をぽんと叩くと、九郎は守備位置に戻っていく。
ぐっと拳を握るや、一球は顔を上げた。
「よし、勝負だ、谷口!!」
びりびりと辺りを震わす声で宣言する一球に、会場にどよめきが起きる。
『なんと、二球ボールを続けた後、真田くんいきなりの勝負宣言。何としてもここで打ち取ると言う意思の表れか! 谷口くん、ここは大きく息を吐き、打席に入ります』
三球目。
(プレートの前、ストレート!)
キィン!!
「ファール!」
続いて四球目、五球目。同じくストレートをファール。
『三球続けてストレートをファール! 谷口くん、ここは粘ります』
六球目。
(プレートの上、変化球!)
ビシュッ!!
ククッ!!
低めに落ちるシンカー。
(丸井!!)
(よし、呉は変化球が苦手だ!)
三塁の丸井が後逸を期待し、動きかけるが、
「こうするだ~よ!」
ビシィッ!!
『なんと、呉くん、敢えてミットを使わず体に当てて捕球!! 切れ味するどいシンカーを後ろに逸らすまいと気迫のプレーだ!!』
「くっ!」
九郎の気合に、慌てて塁に戻る丸井。
「ファール!!」
『これまたファール!! これで10球連続ファールです! 打たせない真田くん、打ち取らせない谷口くん。何という意地と意地のぶつかり合いだ。これが練習試合などとは信じられません!』
(しかしとんでもねえ野郎だ。)
一塁からじっと一球を見ながら、イガラシは舌を巻く。
(あれだけ投げてて全く疲れが見えねえ。)
マウンド上、ふうと大きく息を吐き、ぱたぱたと仰ぐ一球。
打席では、二度三度と素振りを繰り返す谷口。
(さすがだ。失投がない。)
谷口は土壇場にきての一球の強さに舌を巻く。
ストレート主体の組み立てだというのに、そのストレートが打てない。
(来るのが分かっていて打てないとは。)
さすがに甲子園で明訓を苦しめただけのことはある。
滴り落ちる汗をユニフォームの袖で拭いながら、谷口は一球を見据える。
(ここまでやるとは。)
一方の一球も内心驚きを隠せない。
甲子園まで含めてここまで粘られたことはない。
気力を振り絞り投げているにも関わらず、打ち取れない。
どこまでも食らいつき、何としてもヒットにしようという執念をも感じる。
(この執拗な粘り。まさしく墨谷というチームそのものだ。)
巨人学園と同じく弱者の立場であった墨谷。
彼らは常に自分達よりも強い相手と戦ってきた。
東実、専修館、谷原。並みいる都下の強豪たちを苦しめてきたのが、この粘りだ。
(だが、それは俺たちも同じだ。)
三球士を欠いた状態での甲子園出場。
いかに超高校級の一球がいるとはいえ、その道は平坦では無かった。
素人同然の仲間たちと共に諦めず励まし合って戦ったのだ。
静かに振りかぶって、11球目。高めから真ん中へと入るカーブ。
ビシュッ!!
ククッ!!
カキィ!!
「ファール!!」
(これもファール・・・・・・。俺のモーションに何かあるのか。)
球種に合わせたかのような谷口のバッティングに、じっとタマを見つめながら、一球は考える。
(試してみるしかないな。)
(気づいたか?)
谷口は打席を外し、じっと一球の様子を見る。
(次で何とか打たないと。)
ぎゅっとバットを谷口は強く握る。
せっかく半田が見つけた攻略への糸口だが、一球は勘が鋭い。この回急に当たり出した墨高に対し、違和感を感じていることだろう。
(とにかく、ストレートで様子を見る。)
『12球目、真田くん、振りかぶって』
(プレートの前!! ストレート!!)
ビシュッ!!
『投げた!!』
「くおっ!!」
谷口、気迫の籠ったストレートに負けまいと渾身の力を込めてバットを振り切る。
カキィ!!
「うっ!」
『打った~~~!! 外角高めに来た球を谷口くん、ライトにもっていった~~~~。ライト文六くん、バックするも間に合わない!! 丸井くん、生還! 一対一の同点でさらにイガラシくん、二塁から三塁へ廻る!! 』
「文六!!」
『あっと、ピッチャーの真田くん、何とライト付近まで快足を飛ばしてやってきているぞ。イガラシくん、三塁でストップ、しない、しないぞ! これは暴走か!!』
「ここで止まっているようじゃ明訓にはとても勝てない!!」
はあはあと息を切らせて本塁へと向かうイガラシに対し、文六からのタマを受ける一球。
「九郎!! ミットを下に構えろ!!」
大きな声で言い、弓のように腕をしならせる。
「ぬおおおおおお!!」
『真田くん、吠えて外野から矢のようなバックホーム!!』
バシィ!!
『九郎くん、タッチだ!! イガラシくん、下から入る!!』
ザザーーッ!!
ドシィ!!
ミットに寸分の狂いもなく収まる一球からの送球。果敢に頭から本塁へと突入するイガラシ。
『イガラシくんの手がベースにふれたか、それとも呉くんの足がブロックしているのか!!』
砂煙が止んだ本塁上。
タッチをかいくぐりイガラシの右手がふれているのを確認し、主審が大きくコールする。
「セーフセーフ!!」
『なんと、セーフ、セーフだ~~!! 真田くんの弾丸のような送球も、イガラシくんの手が入っていました!! 墨谷高校、この回なんと一気に逆転!! 谷口くん、二点タイムリーヒット!!』