※前話若干加筆修正いたしました。(話の本筋には変化はありません。)
午後一時から始まった巨人学園と墨谷の練習試合。
先ほどまで頭上に輝いていた太陽は西に移動し、容赦なくグラウンドに照り付けていた。
両校の応援団が天に届けと声を張り上げ、巨人学園の吹奏楽部員たちはここが聞かせどころだと割れんばかりの爆音を響かせる。
集まった両校の観客もまた然り。時折汗を拭いながらも、共にここが甲子園かと見紛うばかりの懸命な声援を送った。
「いけ~真田!! 一発かまして勝ち越しだ!!」
「一球さん、打ってええ!!」
「谷口、ここは一発抑えてけ!!」
「負けるな、墨高!! ここが踏ん張りどころだぞ!!」
『倉橋くん、立ちません。何と強打者真田くんを迎えて、ここは勝負です、墨谷バッテリー。これは6回裏の巨人学園と攻守逆の立場となりました。勝ちを考える上では頷けませんが、高校野球です。正々堂々にこだわるのもまた一つの姿です!』
「おいおい、大丈夫かよ」
不安そうにグラウンドを見つめる田所に、徳川がこれみよがしに徳利をぐいとやってみせた。
「べらんめえ! お前よりよっぽど後輩共の方が現実をご存知だぜ! ええか。小利口な連中ならここは敬遠じゃ。だがのう、こいつは練習試合。例え負けたとて痛くも痒くもないわい」
「し、しかし・・・・・・・」
「一球クラスの打者と闘えることなど滅多にない。ましてや打倒明訓を目指しとるんじゃろう、願ってもない相手やないか」
「たしかにそうだが・・・・・・」
「それとも、お前さん」
ぐびりと喉をうるおし、徳川は田所を睨んだ。
「ここでこの一球を敬遠するような連中が、打倒明訓を本当にできるなどと、このわしを前にして言うつもりかね」
「うっ・・・・・・」
クリーンハイスクール、信濃川、東郷学園、室戸学習塾。異なる高校を指揮し、打倒明訓を誓った勝負の鬼。名将徳川家康の眼光のあまりの鋭さに、田所は黙るしかなかった。
「よーし、ここは一発狙うとするかい」
軽口を叩きながら打席に入ってきた一球に思わず倉橋が顔をしかめる。
それに対しにこりと笑った一球は、一転してマウンドの谷口に向かい、強い眼差しを向け,
言った。
「聞けば、明訓との戦を控えておられるとのこと。巨人学園、真田一球。その道の先達として、一手御指南仕る。この一球を抑えられずして、明訓に挑む資格があるとは思うな!」
(な・・・・・。)
まるで時代劇を思わせる芝居がかった台詞。だが、その言葉通り、一騎討ちを挑む武士を思わせる迫力を漂わせる一球に、さすがの倉橋もごくりと唾を呑みこんだ。
(も、物が違う。)
これが素の真田一球なのか。
東実や専修館、谷原。東東京の並みいる強豪校のスラッガーたちを相手にしてきた彼をして、別格だと思わせる、その圧倒的なまでの存在感。
既に3回対戦し、二安打。打ち取った一回にしても谷口のファインプレーに阻まれただけであり、実質墨谷の投手陣は一球を抑え切れていない。
(こいつをどうにかする前にまず釘を刺しとかねえと。)
倉橋は再び谷口に落ち着くようジェスチャアで指示を出す。
今の一球の一言は確実に谷口をいつも以上にかっかさせることだろう。
「お、おう」
肩をぐるぐると回す谷口。本人に緊張しているという意識はないらしい。
(どうにも真田を意識してんのか、この回タマが若干上ずっているんだよな。)
だが、調子が悪いという訳ではない。事実、不運なエラーがあったにせよ、文六に投じた球は十分に勢いがあった。
「いざ、尋常に、勝負!!」
びりびりと空気を震わせる一球の大喝に、背中に滴ったのは冷や汗か。
小刻みに息を吐きながら、倉橋がサインを出す。
(とりあえず、ここでどうよ。)
(うむ。)
『さあ、強打者真田くんに対して、谷口くん、どう攻めていくか。注目の一球目、投げた!!』
ビシュッ!!
『インコース高めだ!!』
(おいおい、こいつは!)
先ほどまでと打って変わったそのストレートの伸びに思わず倉橋が目を見張る。
だが。
キィン!!
『振っていったーーー。ボールはレフトへ高々と上がったーー。いや、ラインを超えた! ファールファール! 惜しくもファールです!!』
(谷口、お前ってやつは・・・・・・。)
これまでの3人の打者への投球は何だったのか。
目の覚めるような勢いの谷口のストレートに倉橋は驚きを禁じ得ない。
そして。
(あれをあそこまで運ぶかよ。)
それをあっさりと打ち返す一球の打撃センスにも倉橋は舌を巻く。
二球目。またもインコース。今度は真ん中から落ちるシュート。
(このシュートもいつもより切れがいいぜ!)
しかし。
キィン!!
『打った――――。今度は三塁線!! 火の出るような当たりーーーー。ですが、これもファール、ファールです!! 徹底してインコースを攻めてきます、墨谷バッテリー』
(こ、これも当てて来るのかよ。)
さらに三球目四球目と打者の苦手とされる懐を狙ってストレートを投げるも、いずれもファールにされ、困ったと肩をすくめる倉橋に谷口がサインを出す。
(頼むぞ、倉橋。)
(OKよ。)
五球目。内に構えた倉橋だが、投球モーションに入ったと同時にすっと外角に移動。そこへ谷口がストレートを投げ込むも、
「ボール!!」
一球に簡単に見透かされ、タマを見送られる。
(けっ。甲子園での対真田の山田のリードを真似してみたが。そうは問屋が卸さねえか)
「ふう」
軽く息を吐きながら、こんこんとバットで肩を叩く一球。
(確かに練習試合だがよ。ここでその面はどうなんだ。)
そのあまりの涼し気な表情に、ボールの土を拭いながら倉橋は焦る。
(度胸があるなんてもんじゃねえぞ、全く。)
一点差を追う緊迫したゲームだ。
野球は九回ツーアウトから、は確かに野球の格言だが、実際に試合の勝敗がかかるような場面で打者にかかる重圧は普段の打席の比ではない。
(こいつのこの精神力はなんなんだ。)
倉橋が戸惑うのも無理からぬことであった。
かつて巨人学園にライバルとして立ちはだかった『剛球戦闘機』こと神宮大付属の五味連次郎が今この場にいれば、甲子園と同じようなことを呟いたことだろう。
「真田の精神力は、山田をはるかに上回る」「墨谷の少年たちでは及びもつかぬ強力なものだぜ」と。
『さあ~~大変なことになりました。ここまで谷口くんが投じた球数、実に十一球!! カウントツーツーから真田くん、ファールでの驚異的な粘り!! これは六回裏のお返しか。たまらず捕手の倉橋くんがマウンドへ向かいます』
「全くここまでやるとは予想外だぜ。」
「ああ。いいところを突いているとは思うんだが」
はあはあと息を荒げる谷口の肩を倉橋が叩く。
「お前の調子は悪くない。相手がすごいだけさ」
いや。悪くないどころか、今の谷口は倉橋が知る限り、過去最高の出来と言ってもいい。
事実ここまでの谷口は一球相手に一度たりとも投げ損なっていない。全身全霊、全球全力で投げ込んでいるにも関わらず、ファールにされ打ち取れないのだ。
「どうも敵さん、本当に一発を狙っているようだぜ」
これまでの打撃から倉橋が推測する。
谷口の調子から、容易に打てないと言うのもあるだろうが、それと同じく一発を狙うために失投を待っている節がある。
「ここはぎりぎりを攻めて、結果歩かせても誰も文句は言わないぜ」
「そうか。なら、厳しい所を攻めて打ち取るしかないな」
「おい、谷口」
「頼むぞ、倉橋」
「・・・・・・」
『作戦会議は済んだか。倉橋くんが戻ります。それにしても、甲子園でも活躍した好打者真田くんに対し、墨谷高校谷口くん、一歩も引けを取りません。これぞ、幻の東東京大会準決勝にふさわしい名勝負です!』
「ふん。外野は気楽でいいわい。明訓に挑むためにこの一球は避けて通れん相手というだけのことよ」
「で、でも。ここまできたらさすがに歩かせてもいいんじゃ?」
田所の言葉に、徳川はぴくりと反応する。
「お前さん、捕手だったじゃろう」
「え!? ど、どうして分かるんすか」
「そりゃあ分かるわい。捕手はグラウンドの中では監督よ。全体を見て冷静に判断するのが仕事じゃからな。その判断は間違ってはおらんぜ。」
「だ、だったら」
「なぜ勝負をするのか、か? 仕方あるめえ。投手とはそういうもんよ。わしも何度痛い目に遭わされたか分からん」
徳川は言葉を切り、マウンドの谷口を見つめた。
「この勝負、どちらに軍配が上がるかは、お前さんの後輩がどこまで粘るかにかかっておるわい」
「谷口がどこまで粘るか?」
田所ははてなと頭を捻る。
(あいつが粘り負けたと言えるのは明善くらいか? でもそれだってな。)
優勝候補の専修館を激戦の末くだし、策なく挑んだシード校明善との試合。
予想外に目的を達成し、どこかチームの空気が弛緩する中、一方的に墨谷は敗れ去った。
(だが、ただ負けてはいない筈だぜ。)
小兵ながら屈せず、最後の最後まで諦めず持ち前の粘りで食い下がった墨谷ナイン。その経験があるからこそ、秋季大会でのシード権獲得。今夏の谷原との激戦につながったと言えるだろう。
田所は自分も選手として参加した東実との激戦を思い出す。プロ注目のエース中尾を擁する東実は名門校として遺憾ない実力を発揮していた。墨谷の練習の様子から最初から一軍を投入した監督の判断は的確で、当時の墨谷との戦力差は考えられぬほどであった。
(それを覆したのが、そこにいる男さ。)
強豪東実との試合に初めは戦う前から勝負を投げていた墨高野球部員。田所さえも進路を理由にしゃかりきになる谷口を諫めたものだ。だが、東実の練習を見せようともその飽くなき勝負への執念は消えず、遂には部員全員を巻き込んで東実との激戦を繰り広げることとなった。
「ことこうだと決めた時の谷口はしつっこいぜ、真田一球さんよ」