「きひひひひ。面白い事をぬかしてくれるぜ。明訓を倒すなんてよ」
突如現れた徳川に、ノック練習をしていた墨高ナインは唖然とする。
徳川は、バットを持つ松川にどくように言うと、自らバッターボックスに立った。
「え? な、なんです」
「ノックをしてやろうと思うてのう」
動揺する松川。それはそうだろう。
いきなり現れた人間が、バット片手にノックを始めると言うのだから、戸惑って当然だ。
ところが、徳川は一切意に介さない。
「べらんめえ! 明訓を相手にしようって大言をほざいている連中がこの程度でおたつくない! どんなものか、この徳川家康が見てやろうってんじゃねえか!」
その言葉を聞き、ナインがあっと驚き、彼の正体に気づく。
徳川家康と言えば、高校野球界では知らぬ者のいないビッグネームだ。
今や高校野球の代名詞とも言える常勝明訓の基礎を作り上げた名伯楽であり、クリーンハイスクール、信濃川、室戸学習塾。異なる高校を率いて、己の鍛え上げた最強明訓に土をつけるべく、三度その前に立ちはだかった打倒明訓の鬼。
そんな彼が、墨谷の前に突然姿を現そうとは。
「どうしたい。打倒明訓を謳うんなら、わしのノックくらいはお茶の子サイサイで受けてくれにゃあ困るぜ!」
とんとんとバットで肩を叩きながら、墨高ナインをまるで品定めでもするかのように徳川は見回す。
「お、おい」
「どうなってんだ・・・・・・」
皆が顔を見合わせる中。
「お願いします」
いち早く声を掛けたのは、マウンドに立った谷口。その顔を見た瞬間、徳川はにやりと笑い、ぶっとバットに酒を吹きかけた。
「へえ、こいつは。ちいとはやりそうな面構えじゃねえか。うれしうれし」
カキィ!!
上がった打球はセカンド方向。ショートにいた横井がとると、徳川から叱責が飛んだ。
「ドアホが!! ピッチャーへのボールじゃ!!」
「い、今のが?」
「で、でたらめだ」
口々に文句を言う墨高ナインだが、徳川は動じない。
「当たり前のノックなんぞ捕れてなんぼのもんじゃい! そんなもんをのんびり受けていて、明訓を倒せると思ってるんか!!」
「な、成程・・・・・。も、もういっちょ!!」
「言われんでもいくわい!!」
カキィ!!
今度はサード方向。
追いかけようとした谷口のグローブがわずかに届かない。
「このど下手くそ! もっと早く動かんかい!!」
「ぐっ!」
目の前にある籠に入ったボールを指差し、不敵に笑う徳川。
「ウフフフ、まだまだタマはぎょうさんあるで。慌てるな」
カキィ!!
「くっ!!」
ファースト方向。グローブの先をかすめるが捕れない。
「こののろま野郎! そんな有様で打倒明訓だと!? 出直しやがれ!!」
鋭い打球と共に浴びせられる罵倒。
だが、
「まだまだ!」
ミットを叩く谷口の姿に満足そうに頷くと、徳川はノックのスピードを加速していく。
カキィ!!
「べらんめえ! ボテボテのゴロやぜ! 滑り込んで捕りやがれ!」
カキィ!!
「動き出しが遅い!! そんなんで山田の打球に追いつけると思ってやがるのか!」
カキィ!!
「ド下手くそ! そんな程度のフライも捕れんのか!」
河川敷にノックの音が響く。
「す、すげえ・・・・・・」
明訓高校を鍛え上げた徳川のノックは、さすがに猛練習で鳴る墨高ナインをも唖然とさせる激しさだった。
(なんちゅう奴じゃ)
ノックを続けながら、徳川は内心舌を巻いていた。
酔いどれノックの名の通り、どこに行くかわからぬ徳川のノックは、またノックされる側を右に左にふらふらとふり、酔っぱらいのように潰すというものだった。初めて受けた相手はその多くがその場に倒れ伏し、みっともなくもどす。あまりの苛烈さに15人いた明訓の新入部員は山田と岩鬼、里中の3名になってしまったほどだ。
それなのに。
目の前でノックを受けている男はどうだろう。初めの方こそ、従来のノックとは大きく異なる徳川のノックに驚いていたようだが、懸命にボールを追い、段々とコツを掴んできている。
元から余程鍛え上げていなければこうはいかない。
(50は超えているってえのに、全く闘志が衰えちゃいねえ)
むしろ、もっともっととこちらへ要求する有様だ。
「キヒヒヒ。そうこなくちゃ面白くねえ」
むしろ嬉しそうに徳川はぺっぺっと手に唾を吐くと、さらに強烈なノックを谷口にお見舞いする。
カキィ!!
バシッ!
見事に追いつきキャッチした谷口に、周囲から歓声が上がる。
続けて二球、三球。泥だらけになりながらも、球をキャッチする谷口の姿に、墨高ナインは目が離せない。
「やるやないか。墨谷の! 名前は何て言うんじゃ!」
「谷口です! 谷口タカオ!」
「よ~し、谷口。こいつで終いや!!」
カキィ!!
ふらふらと上がった打球はキャッチャー前。
谷口はつんのめりそうになりながらも、ボールめがけて一目散にダッシュする。
「くわっ!!」
ズザーッ!!
飛び込んでのダイビングキャッチ。
見事に掴んでみせた谷口に、徳川は破顔一笑。谷口の肩を叩く。
「よし、お前は抜けろ!」
「は、はい・・・・・・」
ボロボロになりながら、マウンドを降りる。
「さあ、次は誰が来るんじゃ? 谷口で終いか?」
「な、何なんだありゃ・・・・・・」
徳川のあまりの猛ノックに呆然とする田所。
その横で、丸井とイガラシはグローブを手に気合を入れる。
「よーし。次は俺が」
「いや、丸井さん。俺が先に・・・・・・」
「お、お前ら・・・・・・」
目を覆いたくなるような凄まじさを前に、それでも闘志を燃やす二人に田所は開いた口が塞がらなかった。