秋晴れのする午後。
「たのもーう」
明訓高校の合宿寮の玄関から響く大きな声に、貴重な睡眠を邪魔された岩鬼は怒りの声を上げた。
「なんや、なんや。出入りかい。今は夜や。三度の飯より喧嘩好きなわいやがな。時と場所を考えてから来んかい!」
「お、よぉおめえよぉ。食うだけ食って昼寝したことも忘れるなんておめでたいにもほどがあるづらぜ」
「なんやと、とんま!」
「お情けでここに置いてもらっているのによぉ。いい気なもんづら」
「やかましい! それはお前も同じことやんけ!!」
本来ならば夏の大会終了と共に彼ら3年生は退寮となり、各々の自宅へと帰っていくのが通例だ。それが異なるのは、今秋のドラフトの目玉となる彼らを手元に置いておいた方が管理しやすいとの理事長自らの判断だったが、実際には学校の功労者とも言うべき彼らの複雑な家庭環境に少しでも配慮しようという温情もそこには含まれていた。
揉める二人の側を通り抜けていくのは新キャプテンとなった高代だ。
「わっ!?」
「なんや、タカ。どうしたんや・・・・・・って、なんやて!?」
あくびをしながら部屋から出てきた岩鬼は、やってきた来訪者に思わずぽかんとした。
「おい、どうした岩鬼」
岩鬼の声に釣られ、食堂からやってきた里中と山田もその異様な光景に愕然とする。
「さ、真田一球・・・・・・」
玄関先にいたのは巨人学園の真田一球と呉九郎。
「やあやあ、明訓の諸君。その節はどうも」
笑顔で挨拶をする一球だが、一同の目は隣の九郎から目を離せない。
「何や、それは」
九郎が抱えているのは彼の倍近くはあろうかという大きな猪だ。
「これ? お土産だ~よ」
そう言うと、どすんと九郎は抱えていた猪を下ろした。
「と、とにかく食堂へ」
山田は二人を食堂へと案内する。
座った瞬間、開口一番岩鬼は怒りを爆発させた。
「あんなもん持ってきおって。一体何の嫌がらせや!」
「とんでもない。いい猪がとれたんでね。おすそ分けに来たんだ」
「二人で食べるには量が多いだ~よ」
「とれたて、あんなもんが町中でほいほいとれてたまるかい」
「もちろん山の中でさ。実家に戻るついでにね」
三人の会話を聞きながら、食堂の寮母はぞ~っと冷や汗を流す。
(ちょっと待って。あれ、私が解体するの?)
「第一どうやって食べろっていうんや。ここで解体する気かい! 少しは人様の迷惑っちゅうもんを考えんかい!」
(そうよ、岩鬼くんの言う通りよ。持って帰って!!)
「庭先を貸してもらえればそこでちょちょいとするんだけどね」
「一球さんは手際がいいからあっという間だ~よ」
「そういうことを言っとるんやないわい、あほんだら。もういい、お前らそれを持って帰れ!!」
(いいわ、岩鬼くん!! 今度秋刀魚を大盛りにしちゃう!)
「仕方がない。それじゃあ後で肉だけ持ってくるよ」
残念そうにする一球に、岩鬼はさらにイラつく。
「最初からそうせえ! 常識ってもんがないんか」
「へえ~。ハッパに常識を説かれる日が来るなんて思わなかったづら」
「何やて!」
「それで、一球さん。今日はまたどうして」
山田の問いに、一球は頷くと、本題を切り出した。
「今度引退試合をするという墨谷だけれど、臨時で指導者を迎えたらしくてね」
「秋季大会前にか。まあ、よくある話だな」
里中が呟く。
夏の大会の責任をとり、監督が交代するのは彼ら自身が味わったことだ。
「それが何か?」
「ああ。その人物のことを君たちはよく知っている」
「俺たちがよく知っているだって?」
「ま、まさか・・・・・・」
一球の言う人物に思い当たり、山田はごくりと唾を呑み込んだ。
明訓5人衆の引退試合。高校最後の試合。
この価値ある試合にあの男が顔を出さない訳が無い。
今夏の甲子園、室戸学習塾との戦いでケリはついたと言っていた。
だが、明訓に土をつけることを願ってやまないあの人ならば前言撤回も十分あり得ることだ。
明訓を初の甲子園優勝に導いた名伯楽にしながら、打倒明訓に挑み続けた勝負の鬼。
元明訓高校監督。徳川家康。
「徳じいが墨谷に肩入れしとるやと!? あの老いぼれ。どれだけわいらのことが好きやねん」
「だが、まあ納得だな。徳川さんの性格ならやりそうだ」
素直に納得した里中とは異なり、岩鬼は憤慨する。
「甲子園の室戸戦の後に打倒明訓の旅は終わった、そう言うてたやないか。仏の顔も三度までやで、ほんま。ええ加減にせんかい」
「お、よぉ、おめえ。難しい言葉を使ったつもりでいると数も数えられねえのかととんだ恥をかくづらぜ」
「どういうことや、とんま」
「徳川がよ、打倒明訓を掲げるのは五回目づら」
「何やと!?」
「クリーンハイスクール、信濃川、室戸学習塾、ああ、そうか。東郷学園もか」
指を折りながら微笑が確認し、ぐぎぎぎと悔しがる岩鬼に殿馬が駄目押しする。
「もうすでに三度はとっくに超えているづらよ! バカめ!」
「でもまさか徳川さんが出て来るとはなあ。俺たちとの練習試合のためだけの監督か? よく墨谷もそれでよしとしたもんだ。なあ、山田」
墨谷との練習試合を記念試合と捉えていた里中だったが、固い表情を浮かべる山田に思わず口をつぐんだ。
「それほどの男がいたんだよ。徳川さんの目に叶う男が」
「何だと」
「その通り。今日僕たちが来たのは忠告のためさ」
「忠告だって?」
眉をしかめる里中を山田がまあまあととりなす。
「墨谷と先日練習試合をしたんだがね。二対二の同点で勝ちきれなかった」
「一球さんが二点も取られただって?」
山田の驚きに周囲も同調する。甲子園、明訓は巨人学園に勝つことはできたが、好投手である一球の前に凡打を築き一点しかとることができなかった。山田が本調子ならば結果は違っていたかもしれないが他の明訓4人衆がことごとく打ち取られたのは確かである。
「そのチームに徳川さんが合流するというのか」
先ほどまでとは打って変わり、里中は表情を引き締める。
クリーンハイスクールや東郷学園では影丸や小林を中心の野球を。
目立ったエースのいない信濃川では相手の隙をつく野球を。
そして室戸学習塾では犬飼を中心とした守りの野球を。
異なる高校で異なる野球を展開してきた徳川だけに、どんな野球をしてくるか予想もできない。
「油断をしていると足元をすくわれるよ。墨谷は強い」
淡々と語る一球だが、それゆえその言葉には重みがあった。
「相手が誰やろうと男岩鬼には関係ないわい! 正々堂々受けて立つまでよ!」
「さすがに闘う男は違うな、岩鬼」
「何や、分かっているやないか、球の字。夕飯でも食ってくか?」
ぽんと上機嫌に一球の肩を叩く岩鬼の後ろで勢いよく首を振る寮母。
(止めて! 猪をさばかなきゃいけなくなるじゃない! 秋刀魚大盛りなし!)
寮母の方を見ながら一球はにっこり微笑み、首を振る。
「いや、止しておこう。持って帰って猪をさばかないと」
「せっかく持ってきたのに残念だ~よ」
「わざわざありがとう、一球さん」
玄関先まで見送りに来た山田に一球は頷いた。
「高校野球最後の試合、どうか悔いのないようにして欲しい」
「ああ、期待に沿うよう頑張るよ」
「それじゃあ健闘を祈る」
去っていく一球たちの背を見ながら、山田は祖父の言ったことを思い出していた。
(ただの記念の練習試合のつもりじゃない。じっちゃんの言っていた通りだった。)
まさしく明訓に高校生活最後の試合で土をつけるために。
墨谷は巨人学園と練習試合をし、徳川を臨時の指導者に迎えたに違いない。
(東東京代表墨谷高校。一体どんな相手なんだ・・・・・。)
自分達の甘さを噛み締めながら、山田は墨谷の情報をどうやったら得られるかと頭を巡らせた。