ころころと転がるボールを側にいた山田がとりに向かう。
と、校門の方からやってきた二人組のうち、猿顔をした少年がそれをキャッチし、投げてよこした。
「ああ、すまない」
「あの・・・」
ぺこりと頭を下げて行こうとする山田を、もう一人の団子鼻の少年が呼び止めた。
「何か?」
目の前にいる人物を見て、丸井はぐっと胃袋を掴まれたような気になった。
山田太郎。通称ドカベン。
高校野球屈指の強豪明訓高校の四番として君臨し、数多のライバル達を退けてこの夏の甲子園を優勝した立役者。
今後誰にも破られぬであろう通算打率7割5分は、甲子園を目指した丸井達からすれば別次元の人間の記録と言えた。
「丸井さん!」
隣からイガラシが肘で丸井をつつく。
「そ、そうだ。岩鬼さんにお願いがあるんですが、案内をしてもらえませんか」
「岩鬼に?今ちょうどイライラしている所だからどうかなあ」
中学時代からの付き合いである山田は岩鬼のその日の機嫌が手に取るように分かる。今話しかけるのはあまり得策ではない。
だが。
「そこを何とかお願いします」
切羽詰まった表情を見せる二人にそれ以上は何も言えず、山田はとりあえずベンチへと二人を案内した。
「あれ。岩鬼。打つのは止めたのか」
散々打席に立ち好き勝手打っていた岩鬼の姿はなく、今は殿馬が軽快な音を響かせている。
「ふん。わいのようなスーパースターがいつまでもサナギのように調子が狂う奴の相手をしていられるかい。プロでのスタートに響くわい」
「あれ、山田。その二人はどうしたんだ?」
里中が山田の後ろにいる丸井とイガラシに目を向けた。
「ああ。岩鬼に用があるらしいんだ。聞いてやってくれないか」
「なんや、ファンかい。学校にまで押しかけてくるとは困ったもんやな。まあ、わいのファンならそれぐらいの熱はあって当然やが」
「よく言うぜ。いつも里中のファンが押しかける度に追い払っているじゃないか」
微笑の突っ込みにも岩鬼は動じない。
「
「どう考えてもお前が一番うるさいんだがな・・・」
「じゃかあしゃい!三流はだまっとれ。それで、その見る目があるファンがわいに何の用事や?」
丸井が引退する3年生のための引退試合の相手をして欲しいと告げると、途端に岩鬼の表情が曇った。
「なんやて?引退する3年のためにわいらに相手して欲しいやと?そんなの無理に決まっとるやろうが」
「ど、どうして!」
丸井が食い下がるが、岩鬼は取り付く島もない。
「日本中にわいらとやりたい学校がどれだけあると思っとるんや。大平のおっさんから聞いた話じゃあちこちから電話がかかってきてパンク状態という話やぞ。お前らばっかり贔屓する訳にはいかんちゅう話じゃ」
「そこを何とかお願いします」
イガラシが夏の大会の事情を話す。夏の予選、谷原に勝ったにもかかわらず決勝に進めなかったこと。そのキャプテンである谷口が誰よりも無念を感じているであろうこと。
「東東京代表と言うと、一球さんのいる巨人学園と当たっていたってことか」
「関係ないわい。真田の一の字なら、甲子園でわいらが倒してやっとる。それですかっとしたやろ」
「そういうことじゃないづら。飽くまでも戦えなかったのが悔いだと、そういう話づらよ」
打ち終わった殿馬が話に合流する。
「それじゃ、ちょっと投げてくるか」
肩をぐるぐると回し、里中がマウンドへと向かう。
「じゃあ、俺も」
「いや、山田はいいよ。目黒、頼めるか」
「はい」
全国有数の強豪校である明訓は岩鬼が一年の時に起こした暴力事件のせいで大量の退部者を出しており、部員数が極端に少ない事で有名だった。
その上、レギュラーがほぼ固定されており、山田の他に控えの捕手として微笑がいる以上、一年生の出番はなく少しでも次年度へ向けて鍛えてやりたいというのが里中の本音である。
「なあ、岩鬼。どうせ引退試合をしたいと言っていたんだから、別に受けてもいいじゃないか。スーパースターならファンに夢をあげることも大事だろう」
二人の話を聞いた山田はひどく同情的だった。
「わかっとらんな。ファンというのは依怙贔屓を嫌うんや。わいぐらいのスターになると、どんな相手にでも真剣に平等に接するちゅうんが当たり前のこっちゃ」
「そこを何とか」
「お願いします」
頭を下げる丸井はそれでも足りないのかと思ったか、遂には土下座までして頼み込み、イガラシもそれに続いた。
「おいおい、よせよ。たかが試合だろう。そんなみっともないことをする必要はないじゃないか」
微笑が場の雰囲気を変えようというが、二人は動じない。
岩鬼はじっと口に咥えた葉っぱを揺らし、二人の様子を見つめるばかりだ。
「谷口さんはオレの恩人なんだ。野球が大好きで、指が曲がってたってマウンドに立つような人なんだ。そんなあの人が人一倍練習して、努力して、なのに甲子園に出られなかった。オレはそれが悔しくて悔しくてならないんだ」
「気持ちは分かるが、それは全国どこでも起きてることだぜ、お二人さん」
「黙っとれ、にやけ!」
現実を突きつける微笑に岩鬼の怒声が響く。
「谷口さんのことだ。きっと少しすれば、また野球をしてくれるとは思う。でも、オレは、オレたちは谷口さんと一日でも多く野球がしたくて墨谷に入ったんだ。あの人と一緒に甲子園で戦いたくて入ったんだ。その夢は叶わなかったけど、明訓と戦うと言えば!」
「お前らのキャプテンの、その谷口ゆう男が乗ってくる可能性があるちゅうことかい。わいらを出汁に使うとはいい度胸や」
ぎろりと睨む岩鬼の眼光に一瞬怯むも、ぐっと拳を握り、丸井とイガラシはそれを見返す。
「岩鬼。引き受けてやってもいいんじゃないか。こうまでして頼んでるんだ」
「やかましいわい、やーまだ。どうするかはわいが決める。
「いつまでこの高校に居座るつもりづら」
「やかましいわい、とんま!明訓野球部が無くなるまでや!!」
なかなか頷こうとしない岩鬼にイガラシが痺れを切らす。
「何が男岩鬼だよ・・・」
「なんやて!?」
「お、おい。イガラシ、止めろ」
「男だったらここまで聞いたんだ。一肌ぬいでくれたっていいじゃないか!!それを、それを!!」
激高し、なおもいい募ろうとするイガラシを丸井が必死に止める。
「・・・・・」
しばし考え込んだ岩鬼はバットを持つと、マウンドの里中にどくように言った。
「おい、
「なんだ、おい。ようやく肩が温まってきたとこなんだが」
「お前らどっちでもええ。そんなに言うんならチャンスをやるわい。一本勝負や。わいを打ち取ったら試合をしたるわい」