元明訓高校監督徳川の肝煎りで唐突に始まった、各校のクリーンナップを集めた仮想明訓打線との対決。墨谷の三投手は明訓打線を模した強打者五人を相手に投げ切ることを目標とし、打者は一回ごとに変わる各校のエースピッチャーを相手にするというものだったが、さすがにかつて明訓を苦しめたライバル校の主力級だけあり、その勝負は苛烈を極めていた。
土門・影丸に犬飼知三郎を投手に加えての二巡目。
一巡目の様子を見ていた徳川から出されたのは全打席バントの指示。
どういう意味だと疑問を抱きながらも、渋々従う墨谷ナインだったが、その結果はお世辞にも上出来とはいえなかった。各々が一流の投手であり、バント処理もお手の物の彼等にとって、あらかじめ来ると分かっているバントほど楽なものはない。影丸にはフライに打ち取られ、土門にはタマの球威に押され、知三郎には上手く躱された。
「べらんめえ! なんてザマじゃい。バントのひとつも満足にできねえで、ヒットなんざできる訳ねえだろうがよ!」
「た、確かに」
徳川の怒声に、谷口は納得する。
徳川が墨高に特訓をつけるようになって二週間。練習の中心に置いたのは基礎であるバント、守備練習である。いかに相手が各校のエースといえども、決める所は決め、強打者の打球といえども捕るべき所は捕る。基本を疎かにしていては、勝ちは転がってこない、というのがその理屈だった。
ましてや、相手はあの明訓なのだ。絶対に負けると思われた試合をひっくり返し、幾度も逆転劇を収めてきた彼ら相手に小さな綻びも見せられよう筈がない。
「ふん。そう簡単に決められてたまるかよ」
不敵な笑みを浮かべていた影丸だが、回が進むにつれ、その表情は段々と険しくなっていくこととなる。
対明訓を念頭にこれまで特訓を重ねてきた墨谷は徐々に影丸・土門・犬飼知三郎のタマを捉え初めていたが、一方の墨谷投手陣は明訓を模した強力打線の前に終始押され続けていた。
打席に入ったフォアマンに対し、井口は吹き出る汗を袖口で拭った。
秋になり涼しい日が続く中、今日はまるで夏日のような陽気だ。
(だが、それだけじゃない)
目の前に立つ長身の外国人打者を井口は睨みつける。
「黒い弾丸」ハリー・フォアマン。
クリーンハイスクールの主砲として活躍した彼は、関東大会ではあの山田と本塁打数を競い、里中相手に一試合三本塁打を放った程の強打者である。それほどの大砲を迎えることこれで三度。一打席目は強烈なライナーを放たれ、谷口がキャッチ。二打席目は甘く入ったインシュートをホームラン。過去二打席の強烈な打撃の印象に、いつも強気な井口もさすがに慎重にならざるを得なかった。
(まずここよ)
一球目、インコース高めへのストレート。
「ボール!」
(さすがに乗ってはこねえか)
「ズイブントオツカレダナ」
他人事のように言うフォアマンに、倉橋はむっつりとした表情を返す。
(何言ってんだか)
入れ替わり立ち代わりピッチャーが交代し、既に三巡目。フォアマンは八度目の打席になる。
それだというのに、まるで平気な顔をしているのはどういうことだ。
(お前等化け物と一緒にするんじゃねえ)
相手は各チームの強打者を集めた打線だ。
いかにして抑えるかとバッテリーは神経を使い、その疲労感は並大抵のものではない。
二球目、真ん中高めに釣り玉のストレートを投げるも、フォアマンは手を出さない。
「ボール!」
(タマが走ってないからかどうも見られちまうな)
試合ならばいっそのこと敬遠はどうかと提案する場面ではあるが、これは練習だ。
胸を貸してくれる相手がいる以上、挑み続けなければ意味がない。
(お次はこいつでどうだ)
倉橋のサインに井口は首を振った。
自慢のシュートは影丸に上手く合わされたばかりだ。
(だが、ストレートは見切られているぞ)
一塁に走者がいる想定で、セットポジションで投げる井口だが、打ち込まれている焦りからか判断が鈍る。
(ここはアウトコースにストレートで)
(外はいいが、シュートじゃねえのかよ)
不安がよぎる倉橋だが、これも一つの経験かとそのまま投げさせる。
「くっ!」
ビシュッ!!
「まずい!」
カキーン!!
山田を凌駕すると言われるフォアマンの怪力に打球は高々と空に上がり、文句なしのホームランとなる。
「うっ……」
渾身のストレートを打ち込まれた井口は肩で息をしながら、己の掌を見た。
びっしりとかいた汗が緊張感を物語る。普段の練習でもこの程度は投げ込んでいる。だが、密度が段違いだ。いまだかつて経験したことのないプレッシャーに、井口は思わず身震いした。
(ここまでなんか、明訓は)
決して手を抜いている訳ではない。夏の東東京大会でも、先日の巨人学園戦でも自分なりに投げられたという手ごたえはあった。それなのにここまで打たれるなんて。
「このドアホが! もう少し頭を使わんかい。フォアマンのリーチなら十分にそこは届く。多少のボール球だって振って来るわい! ストレートばっかり投げおって! 相手を見てもっと攻め方を考えんか!」
「は、はい」
「上手さではフォアマンより山田が上じゃぞ!」
「ザンネンダガ、ソノトオリダ」
徳川の発言を否定しないフォアマンの態度に、墨谷ナインは愕然とした。
「オレハ、ナカニシヲウテテナイ」
今夏の千葉県予選大会。浦安の怪童中西球道擁する青田の前に、フォアマン・影丸の二人は凡打の山を築いた。超高校級と称されるその右腕から繰り出される剛速球はクリーン・ハイスクールナインの心胆寒からしめたが、山田はその中西からホームランを二本も打っているのだ。
(そもそもこの仮想明訓。本物に劣らずとも勝らずという設定じゃからな)
各校の選り抜きを集めた夢のような打線といえども、決して本家明訓に勝るとは言えない。
(それほど、それほどあの山田は大きい)
高校野球史上最強の打者と謳われるドカベン山田太郎。いかに多くの名投手たちが彼に挑み、敗れ去ってきたことか。一年生時よりその成長を見続けてきた徳川にとって、その攻略が如何に難しいか言うまでもなかった。
「しっかし、よく打つぜ、まったくよ」
外野を守りながら、戸室は思わず独り言を口にする。
各校の主砲が揃っているとはいえ、自チームのエースがこうもポンポンと川の中に放り込まれるとは思ってもみなかった。
「戸室さん!」
島田の声掛けにはっと戸室は我に帰る。またも外野へと飛んできたボールは己の頭上を越えていく。
(やれやれ。とんでもねえな)
慌ててそれを追いかけながら、目指す明訓という頂の高さに戸室は身震いした。
五番谷津に対し、投手谷口。
(さすがに捕手だけあってよく見やがるぜ)
そのずんぐりむっくりとした体形に似合わぬ器用なバッティングに倉橋はどうしたものかと頭を悩ませる。コースを丹念につく投球でツーストライクと追い込むも、きわどいタマをファールで粘られ、中々打ち取れない。
(こいつも一つミスると一発があるからな)
(ああ)
フライも満足に捕れないと揶揄されていた谷津だが、土門との出会いと山田達との交流を経て大いに成長している。甲子園まで明訓に付きまとい、徹底的に山田を研究し、対明訓戦では意識して山田のリードに読み勝つまでになった。
(山田さんなら初顔合わせであっても早々にバッテリーの特徴を掴み、相手の配球を読む)
仮想明訓との言葉に、谷津もまた意識して山田ならどうするかと考え、ここまでの打席に臨み、二つのホームランを放っていた。
既にツーストライク。
(自分ならここは真ん中もしくはアウトコース高めに投げて空振りをとる)
土門の球威ならタマの速さに打者は思わず手が出ることだろう。
倉橋の構えは外角低め。
一球様子見ということも考えられるだろう。
(でも落としてくるんじゃないかな)
先程からの谷口の攻め方を見ていると、決めダマはフォークボールだ。
(ストライクからボールになるフォーク。そんな所じゃないかな)
(よし、こいつでどうだ)
(む、よかろう)
倉橋の要求は巨人学園の対真田一球戦で見せたスクリュー気味のフォーク。
だが。
スポッ!!
クッ!!
カキーン!!
握りが弱くなり変化が甘くなったところを谷津に痛打される。
「く!」
「落差の無いフォークは格好の餌食ですよ」
落ちないフォークはただのゆるいストレート。打者からすればこれ以上打ちやすいタマはない。
(た、確かに)
たった一つの失投が試合を左右することになる。
慎重に一球一球を投げていくべきだろう。
ボールの縫い目に指を合わせながら、谷口は二度三度と握りを確かめた。