コミケのために執筆を続けていますが、本当に締め切りぎりぎりなためいけるかどうか分かりません。
ぱんぱんと手を叩き、気合を入れながら打席に入った丸井はいきなりバントの構えを見せる。
「おいおい。後アウトは五十三だぜ。バント失敗で無駄にすることはなかろうに」
「球道の言う通りじゃん。まだ振り回した方が当たる確率があるぜ」
「うるせえ」
えーじの挑発を受けながらも、丸井はバントの構えを解かない。
「いいのか? そんなら球道。サインは一つじゃん」
「ほいよ」
(ミットの位置は……、真ん中だと? どこまで舐めてやがるんだ!)
かっかする丸井だが、すぐにそれは間違いだったと気づく。
ビシュッ!
ドシィ!
一球目、ど真ん中へのストレート。
バントを狙いにいった丸井だったが、バットに掠りもせず焦る。
(な、なんなんだ、あのタマは)
丸井は徳川発案のバント特訓を思い出す。
墨谷二中時代の谷口キャプテン時代にやった対青葉戦に向けてのホームベースまでの距離三分の一の特訓。イガラシが対江田川の井口対策にした十五メートルの距離からの近藤の速球を打つ特訓。それらを上回るかのように徳川が言いつけたのは、六分の一の距離からのバント特訓だ。その上速球だけでなく、立ち位置を変え、あらゆるタイミング、球種に対応できるようにと連日墨谷の三人の投手を相手に練習を続けた。
「ええか。プロでもバッティングが悪くなったらひたすらバント練習じゃ。なぜかって? 当てることもできずに打つことができるかよ。当てることをただひたすら体に染みこませろ!」
そうして特訓した結果、墨谷ナインは速球に目が慣れ、バッティングそのものも向上した。
河川敷での特訓でも影丸、土門、犬飼知三郎の三人に対し、当てることができたのはその成果と言える。
だが、目の前の球道の速球はそんな次元の物とは違う。
ストレートの伸びが今まで出会ってきた投手とは桁違いだ。
(ボールが浮き上がってくるぜ。これが、青田の怪童、中西球道か)
何とか食らいつこうとする丸井だが、伸びる速球の前にバントをすることすらできず三振。
「当てることさえもできないのかよ」
「だが、次はミートの上手いイガラシだぜ」
(期待されている所悪いが、どうしたものかな)
二度三度と素振りをすると、イガラシは打席に入り、キャッチャーミット寄りに構える。
「へえ。そいつで当てようってか」
速球を狙うのなら投手から一番遠いバッターボックスの奥に立つのは効果的だ。
だが。
(その程度で打てるほどおれのタマは甘くないぜ!)
ビシュッ!
ブン!
ドシィ!!
「くっ!!」
バットを短く持ち、当てようとしているにも関わらず、ボールはその上を通っていく。
(なんて、タマの伸びだ。丸井さんがバントに失敗する訳だ)
自らも投手であるイガラシにとって、球道のストレートの伸びは信じがたいものだ。
(普通の投手の速球とは次元が違う)
いくら直球と言っても、重力がある限り、ボールは緩やかに弧を描いて落ちている。だが、中にはその落ち方が極端に少なく、本当に真っすぐに見えるタマが存在する。所謂伸びがあるタマというのがそれだが、球道のはそれに加えて速さと切れも加わっている。
(同じ投手として嫉妬するのもバカらしくなるほどだな、こいつは)
徳川が超一流と言うのも分かる。これほどの投手はプロでもなかなかお目にかかることはないだろう。
(あれをしてみるか)
このままではじり貧だとイガラシはバッターボックスの右端いっぱいに構える。
「最初から降参か?」
えーじが言葉をかけるが、イガラシは構わないと気にする素振りはない。
「一打席分ただでもらったぜ」
果たしてど真ん中に構えるえーじに対し、イガラシはまるで打つ気を見せない。
(大事な打席だろうによ)
戸惑いながら投げる球道だったが、インコースに外れてボール。
続く三球目もボールとなり、えーじはタイムをかけた。
「なんだよ、みっともない。あれくらいでタイムをかけるなよ」
「みっともないのはどっちじゃん。甲子園と同じ見え見えの策に引っかかって」
「甲子園?」
はてなと考えた球道の脳裏に明訓との試合での里中の姿が思い浮かぶ。頭部の負傷を隠しながらプレイを続けていた里中が、何としても塁に出ようと考えたのが打つ気なしと見せかけての四球狙いの策だ。ストライクをいつでもとれる状況になった球道は思わず力み、ボールを連発して結局里中を塁に出すことになった。
「随分とセコイ手を真似るじゃないか」
「それだけ相手も必死ってことじゃん。用心してかかった方がいい」
「へいへい。えーじ様の言う通りにしますよっと」
四球目。剛速球がくると思ったイガラシが目の当たりにしたのはキャッチボール投法でストライクをとる球道の姿。
「なっ!」
「プロに向けてのいい肩慣らしになるぜ」
ぷらぷらと手を振って見せる球道に、イガラシはちっと舌打ちする。
(さすがに二番煎じは通用しないか。中西がかっかしてくれればもうけものだったんだが)
仕方がないとバットを短く持って、打席で構えるも。
ビシュッ!
ドシィ!!
ブン!
その黄金の右腕から放たれる閃光のような剛速球の前に振り遅れ、無念の三振となる。
「くそっ!」
思わずバットを叩きつけそうになるのをぐっとこらえ、イガラシは次の谷口に駆け寄った。
「大分タマがホップしてきます。予想以上です」
「分かった」
片手を上げてそれに応じた谷口は、ゆっくりと息を吐くとマウンドの球道から視線を動かさない。
(こいつが、一球の言っていた男かい)
対墨谷との勝負が決まるや、球道は一球に連絡をとった。明訓に赴いた際に一球が言っていた巨人学園対墨谷の練習試合の結果を聞き、己の気を引き締めるためである。
「墨谷は強いよ」
そう、一球は断言した。結果的に二対二の同点であったが、勝ちきれなかったという。奇策を繰り出すも不発に終わり、虎の子として習得した変化球も合わされた。対明訓に向けて相当研究していると言うのが一球の見立てだった。
「中でも、キャプテンの谷口には気を付けた方がいい」
「谷口? どんな奴なんだ」
聞いたことが無い名だと聞き返す。
「中学から野球をやっていた球道くんなら聞いたことがあるんじゃないかい。墨谷二中で、あの青葉学院を倒した男さ」
「なんだと!」
その話は球道も覚えている。当時全国中学野球選手権大会を四連覇していた王者青葉学院。その青葉を無名の墨谷二中が激戦の末破ったというニュースは、球道の胸を沸き立たせた。当初はただ絶対的な横綱を小兵が倒したことによる判官びいきのような感情だったが、再戦をするきっかけとなった地区大会での青葉学院監督の非道を知るに及び、よくやったと快哉を叫んだものである。その墨谷二中のキャプテンが谷口だと言う。
「どうしてそんな連中が無名のままでいる?」
「さあ。噂によると怪我をして再起不能と言われていたらしい」
聞かなければよかったと後悔する球道に、一球は続けて言った。
「とにかくあの山田とは別な意味で大きい男だ。侮ると痛い目をみるよ」
(へっ。上等じゃねえか。相手にとって不足なしだぜ)
球道は打席の谷口を一瞥すると、右手を上げてボールの握りを見せた。
「なんだと……」
球道の予告投球に墨谷ベンチは絶句し、えーじと才蔵の青田組も驚く。
甲子園での明訓戦。あの山田との初対決がそうだった。
(でも、それは山田だからじゃん)
一度来れば十分と言っていた甲子園に再び出ることになったのは、ドカベン山田の存在があったからだ。その山田と同じ扱いをする相手がいようとは。
(あの墨谷の四番。そこまでの打者なのかよ)
「まさか、予告とはよ」
ネクストバッターズサークルで、倉橋は信じられないといった顔をした。
予告投球など、投手の自己満足以外の何物でもない。
自らのタマに絶対的な自信を持っていなければできず、捕手としてはその投手の思い上がりを上手くコントロールするべきだ。だが、えーじにはそうした態度が見られない。
(とりあえずバットに当てるのが先決だ)
球道からの予告投球宣言にも、谷口は動じない。ストレートが来ると分かっているのなら、それ
に合わせてこちらも工夫するだけだ。
イガラシと同じようにバッターボックスの奥に立った谷口は、さらにバットを寝かせた上に、短く持つ。
「おいおい。仮にも四番だろうがよ」
横井が口を挟むも、
「そんな事よりヒットすることの方が大事でしょうが」
イガラシに制され、それもそうかと目をそらす。
「短く持っていれば当てられるかもってか?」
ガバアアア!
見せつけるように、球道は大きく振りかぶると、
「おれのタマを見くびるなよ!」
雄叫びを上げながら、烈火のごとく投げ込んだ。
ビシュッ!!
ブン!
ドシィ!!
捕球したえーじの身体が一瞬ふわりと浮き上がったかのように見えた球道のストレートの威力に、谷口はタイムをかけて深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。
(な、なんてタマだ)
額を拭い、呼吸を整える。早いタイミングでバットを振ったつもりだが捉えられない。
そして、何より驚くのがそのタマの伸びだ。イガラシとの対決を見て、高めにバットを振っていったのにも関わらず、球道のタマはその上を通り過ぎた。
(ネクストで見るのとは大違いだ)
これまで球道は一貫してストレートしか投げていない。
球種が分かっているのに捉えられないのだ。
(これが、超一流……)
この中西球道からあの山田はホームランを打ち、明訓は勝った。
挑む頂の高さに谷口は身震いしながらも、興奮するのを止められない。
第二球。球道、再びのストレート。
(は、速い……)
ホップしてくる速球にまたもバットが回る。タイミングをとろうにも、気づいた時にはミットにボールが収まっている。
三球目。
ど真ん中のストレート。
ブン!
「くそっ!」
墨谷ベンチからはああとため息が漏れ、球道はよっしゃと気合を入れる。
強振し、飛んだヘルメットを谷口は倉橋から受け取った。
「ああ、すまん」
「どうだ、打てそうか」
「分からない」
(打てないじゃなくて、分からないねえ……)
谷口の返答に、倉橋は苦笑する。
(こんなとんでもねえのを間近で見せられているってのに)
どうして無理だの打てないだのと口にしないのか。
(それが、あいつの強さかもしれねえな)
改めて谷口の凄さに気づき、自らもそれに見習うべく倉橋は打席に入った。
(こんなものか)
ベンチに去る谷口の後ろ姿を見ながら球道は余裕の笑みを浮かべていた
いくら中学の時に有名であったとしても、高校に入ればまた話は別だ。甲子園に出場できていない時点でその程度ということだろう。
自分のタマに驚き、さぞベンチで青い顔をしているだろう。横目でちらりと見た球道は予想外の光景に呆気にとられた。
(何だと……)
ベンチに戻ったかと思われた谷口はバットを持ったまま、ベンチ脇に陣取るや、やおら素振りを始めたのだ。
あの明訓ですら球道の豪速球を見た後は、声を失いその速さにどよめいていた。それなのに目の前の男はどうだろう。口々に喚く者達を尻目に一人黙々とバットを振り続けているではないか。
(三球三振だってのに、まるで動じていやがらねえ)
淡々と素振りを繰り返す谷口の姿に、球道は一種異様なものを感じる。
これまで己に打ち取られた者の多くはその速球に恐れおののき下を向いていた。打ち取られてすぐに素振りを始める者など見たことがない。
(な、なんなんだ。あいつは)
「球道!」
魅入られたように谷口の方をじっと見て動かない球道に対し、えーじが慌てて声を掛けた。
「まず目の前の相手に集中するじゃんよ」
「あ、ああ。そうだな」
頭を振り、次打者の倉橋に視線を合わせると、球道は大きく振りかぶった。