冬コミの原稿は大変なことになっております。
作者報告に上げる予定ですが、全540ページと頭がおかしい内容です。
校正作業中修羅場です。
突破口を掴んだかのように思われた球道との対決だったが、倉橋以降はファールにするのが精一杯で、誰一人ヒットにすることができず、墨谷ナインは一様に焦りの表情を浮かべていた。
「おいおい。冗談じゃねえぜ」
「このままだと明訓との試合が」
「何のために練習してきたのか分からなくなるぞ」
弱気の虫が首をもたげてくるのも無理からぬこと。
中西球道は甲子園であの明訓を相手どり三十奪三振を記録した男だ。
その剛腕に偽りはなく、如何にタイミングの取り方が分かったと言っても、容易に前に飛ばすことができない。
「一点取れたらなんて厳しいルールに頷かなきゃよかったぜ。ヒットが四本続くなんてあり得るか、あいつから」
「あり得るかどうかじゃなくて、やらなきゃならないだけですよ」
横井の泣き言に、イガラシは反応する。例え相手が二学年上の上級生であっても、言うべきところは言うところは中学時代よりまるで変わらない。
「半田、どうだ、見てて」
スコアブック片手に頭を悩ませていた半田に、丸井は尋ねた。
「今の所の投球の内訳はストレートが九割にハーフが一割です。コースは内外低め高めと使ってますが」
「いっそのことハーフは見逃すってのはありかもな。さすがに中西・大池のバッテリーは駆け引きが上手い。タイミングを絶妙にずらされているかんな」
「打つタイミングについては分かっているな」
谷口の話に皆が耳を傾ける。
「グラブから手を離した時だろ。本当なんかよ、それ」
自らが凡退したために半信半疑の横井だが、倉橋は太鼓判を押した。
「間違いないと思うぜ。これまでなら当たりもしなかった」
「れ」
ズッコケる横井に、皆が笑顔を見せ、緊張がほぐれる。
「いいか、ニー三のタイミングだ。一を入れると遅くなって間に合わないぞ」
「相手は三人です。バントも絡めていくべきでは?」
イガラシは隙あらばバントヒットを狙うべきだと提案する。
「よし。イガラシの言う通り、出られれば何でもいい。一球一球しつこく食い下がっていこう。墨谷のお得意の粘りを見せていこうじゃねえか!」
丸井の檄に部員は力強く応と答えた。
一方の青田バッテリーは、気合を入れる墨谷の面々をよそに、淡々と投球練習を行っていた。
「随分と長いな。待ちくたびれちまうぜ」
文句をいうえーじだが、通常の試合と異なり、攻撃の際に休むことができぬため、球数が増えてきた球道からすればむしろありがたい。
相手からすればこれまで準備してきた明訓との練習試合の権利を横から取られそうになっているのだ。必死になって当然だろう。球道としても、結花の件が無ければこのような勝負に同意してはいない。
(あの時もう少し早めに明訓に行っていればな)
ボールを投げながら思い出すのは、巨人学園の一球と出会った明訓への訪問。
後一日、いや半日早く出向いて入ればこのように面倒くさいことにはなっていなかったかもしれない。
(弱ったことにおれは連中が嫌いになれない)
相手が自身のことを鼻に賭けたり、こちらのことを侮辱したりするような連中ならいくらでも闘志が沸き立つし、そうした連中から試合の権利を奪っても、やってやったと思うだけだ。
だが、墨谷は違う。球道に対し、悪態をつく訳でもなく、己の実力を過信している訳でもない。
純粋に努力し、明訓に挑もうと健気に特訓に励んできたのが球道には手に取るように分かる。
二巡目、ユニフォームをだぶつかせて死球を狙ったり、逆打席に入ったりと墨谷ナインは様々な手で球道を攻略しようとした。その真面目さ必死さは結花のためにと一心不乱に投げる球道の心に迷いを生じさせていた。
北海道、福岡、千葉と日本各地で野球をしてきた球道は各地で多くの野球仲間を作ってきた。
彼等の多くが純粋に野球を楽しみ、ひたむきに練習に取り組んでいた。どぐされ青田と呼ばれてバカにされながらも、ただひたすら特訓に励んだ今のチームメイトとてまた同じ。
だからこそ、悩む。このまま彼等から試合の権利を奪っていいものかと。
世間からどう思われようと構わないと腹をくくってここまでやって来たつもりだった。
だが、懸命にバットを振る墨谷ナインの姿にその覚悟がぐらつくのを自覚していた。
対明訓のために彼らがここまでしてきた努力。
それを自分勝手な希望でふいにしてよいものなのか。
(おやじ。どうりゃいいんだ、おれは)
野球を心から愛する球道だからこそ出た迷い。
その迷いは、彼の投球ペースを崩すこととなる。
「いいか、島田。この回何としてもストレートを当ててくれ」
「任せてください」
そう言いながらも過去五打席、全く歯が立たなかった記憶が脳裏によぎる。
(中西のタマは普通の速球のつもりじゃダメだ)
快速球の上をいく、剛速球。通常のタイミングの取り方では、バットの振りが間に合わない。
「球道、締めていけよ」
才蔵の一言に軽く頷き、振りかぶる球道。
ガバアアア!
(グラブから手が離れてから……)
ビシュッ!
(ニー三!)
バットを振らず、タイミングを測ることだけに集中する。
ドシィ!
「ストライク!」
徳川のコールに動じずベンチを見ながら頷く島田。
それを見て、何事かとえーじは首を傾げた。
(た、確かにタイミングはピッタリだ)
二球目。
ど真ん中のストレートを空振り。
「島田、ボール二個分だぞ!」
丸井からの助言に、そんなに下だったかと島田はバットを振って軌道を修正する。
(まだ、下を叩いているのか)
タイミングは合っていても、当たらないのは頭の中で思い描いているバットの軌道と実際にずれがあるからだ。回転数が多く伸びるタマはそのずれを起こしやすい。
(よし、こんなものか)
静かに構える島田に対しての三球目。
ビシュッ!
「うっ!」
チッ!
掠った打球はえーじのキャッチャーマスクを掠め、ネットに突き刺さる。
「あ、当たった……」
周囲のどよめき以上に当てた島田自身が驚いている。
あの剛速球をまさか当てることができるなんて。
「おっ。生意気に当てやがった」
(当たるということはいけるかもしれない)
ちらりと島田はマウンドの球道、一塁の才蔵を確認する。
(才蔵は本来の守備位置じゃない。一か八かだ)
続く四球目。
コースはど真ん中のストレート。
これに対し、島田。腰を低く落としバントを敢行。
コン。
「何っ!」
三塁線に見事に転がるゴロとなり、意表を突かれた球道は慌てて一塁の才蔵に投げるも、俊足の島田が勝る。
「セーフ!」
「バントとはせこい」
「へ。まぐれとは怖いもんだな」
強気の態度を崩さぬ球道だったが、えーじは訝し気に墨谷ベンチを見る。
(タイミングが合ってきているのか)
五巡目までの墨谷は主軸を打つイガラシ・谷口・倉橋以外ストレートに全くタイミングが合っておらず、バントすらミスする有様だった。それがこの回はどうだ。
(こいつは締めてかからないと痛い目みるじゃん)
「ナイスバント!」
迎える墨谷ナインにヘルメットをとると、島田は谷口の方に向いた。
「もう少し球数を投げさせられればよかったんですが」
「いや、あれしかないだろう。少しでもおかしな態度を見せると大池は勘づく」
「だが、これで用心させちまったな。バントがやりづらくなったぜ」
と横井。
「悪い事ばかりでもあるまい。自慢の速球を当てられたんだ。これ以降は配球が読みやすくなるだろうぜ」
倉橋が口を挟む。
「そうだ。上手くタイミングを合わせれば当てられる筈だ。よく見ていこうぜ」
谷口の号令一下、気合を入れて丸井・イガラシを除く全員がベンチから立ち上がり再び素振りを始めた。
「おいおい、またかい。健気よのう」
才蔵は苦笑する。
その台詞に、球道は何を言っているんだばかりに眉を顰めた。
(健気? どこがだ。後一巡。追い詰められている連中とは思えねえ)
丸井への第一球を投げた後、えーじも顔を青くする。
(素振りのタイミングが合ってきているじゃん!)
たかが五打席。明訓を大いに苦しませた球道のタマを見ただけなのにどうしてこうもタイミングを合わせられるのか。
これは不味いと球道にその事実を伝えるが、当の本人は一向にそのことを気にしない。
「そうは言ってもストレートばかりじゃ打たれるじゃん。変化球も混ぜないと」
「おれにとってはぬく外すも変化球だと言っただろうが」
「奴ら直球にタイミングを合わせてきている。ここはおれの言う事を聞くじゃん」
「合わせたきゃ合わせてやりゃいい。前に飛ばしゃしない」
強情な球道に、えーじは頭を掻きむしりながら、守備位置に戻る。
(丸井、ストレートだ)
ストレートを打ての合図に丸井はうなずく。
(島田にストレートを当てられたかんな)
かの大捕手野村克也氏は著書の中でピッチャーとは別な人種だと語っている。ストレートを打たれたら、敢えてストレートを投げたがる。他のタマであれば打ち取れるのにそれをしない。捕手なかせの理解できない者達。その意味では球道は生粋のピッチャー人と言える。
丸井に対する二球目は読み通りストレート。
「どんぴしゃ!」
キィン!
「うっ!」
ふらふらと上がったタマは球道の頭上を越えて、二塁方向へと転がり、丸井は慌てて一塁へと走る。
「ヒット!」
「いいぞ、丸井!」
やんややんやと盛り上がる墨谷ベンチをよそに、えーじはマウンドへ向かう。
「どうした球道。何を悩んでいるじゃん」
「おれが悩む? 何をだよ」
「連中がこれまで必死になって練習してきた明訓との試合を横からかっさらおうとしていることについてじゃん」
図星を指されながらも、球道は必死に平静を装う。
「向こうから持ち掛けてきた話に乗っただけだぜ、おれは」
「それならいいが、中途半端に投げるのは覚悟をもって挑んできている奴らに失礼じゃんよ」
「けっ。好き勝手ぬかしやがって」
小声で戻っていくえーじの後ろ姿に球道は毒づくが、
(分かっているさ、それくらい)
迷いを振り切るかのように、バンとグラブに勢いよくボールを叩きつけ、己を鼓舞する。
だが。
続くイガラシへの三球目。
高めにきたストレートを上手く合わされ三塁線に運ぶヒットを放たれる。
「ナイス、イガラシ!」
「イケるイケる!」
三連打と盛り上がる墨谷ベンチをよそに、
「くそっ!」
連打にイラついた球道はがっがとプレート付近を足で踏み鳴らした。