眠りこける少年。
指を甘噛みながらくぅくぅと穏やかな表情で寝息を立てる姿は愛らしく、その無防備さは庇護欲を掻き立てられる。
硬く清潔な白亜の廊下のど真ん中で保護者の姿もなく一人で眠っているという、見る者に愛しさより困惑を与えかねない状況だが。
「・・・どうしたものでしょうか」
表情を変えずに顎に指を当て呟く少女。
菖蒲色の髪は肩に届かない程度、しかし片目が隠れるほどに伸びた前髪の奥、眼鏡の向こうにある薄い菫色の瞳は眠りこける少年の姿を映していた。
「資料でしか見たことのない男性…その上、外見から察するに児童に分類されるほどの幼い年齢」
「…しかし、男性の児童など世界的に希少な存在。少なくともこのカルデアには在籍していないはず…」
少女の困惑は表情からは読み取り難い。思案を呟き続ける様は事情を知らない第三者からは奇異な行いに見えるだろう。
「これ以上考察を続けたところで事態は進展しませんね」
推測を重ねる事を中断し、行動を起こすことにした少女は少年に歩み寄り、眠りこける少年の意識を覚醒させるべく肩を揺すりながら声をかける。
「起きてください、先輩。適切な寝具を使用しない睡眠は身体の成長を妨げてしまいかねません」
ゆさゆさと体を揺さぶられる少年は僅かに眉を顰めるが瞼は開かれず、熟睡し続ける。
「…とても深く熟睡されています、紛う事なきノンレム睡眠の真っ最中ですね」
乱暴に扱ってよいものか、しかしこのまま固い床で眠らせ続けるのも身体に悪い。とりあえず移動させるべく抱えるか、もし目を覚ましたら、そも、男性に対しての正しい扱いは、と逡巡する少女の傍らから白い影が通り過ぎ、少年の顔に覆いかぶさる。
「フォーウ!」
「あっ、フォウさん!だめですよ、先輩の顔に乗っては」
白い毛並みの栗鼠のような小動物が少年の顔面に乗り、小さな前足でてしてしと顔を叩く。
余人には小さな衝撃だが少年の意識を覚醒させるには十分な刺激だったらしく、ゆっくりと瞼が持ち上げられていく。
「______?」
「フォウさん。あまり強引な起こし方は望ましくありません」
「フォーウ、キャウ」
「…フォウさんが起こしてくれて助かったのも事実ですが。おはようございます先輩」
ゆっくりと上体を起こした少年はいまだ意識が覚醒しきっていないのか、虚ろ気な瞳を半ばまで開かれた瞼の隙間から覗かせながら辺りを見回している。
「このような場所で眠っていると身体を痛めてしまいますよ先輩、それとも固い床でなければ眠れない性質なのでしょうか?」
「_______?」
「ここは何処、ですか?ここは廊下です。正確には職員の私室と医務室、管制室を繋ぐ通路ですね」
「_____……」
「…よく分からない、ですか。すみません、私の説明力が不足していたようです。どうすれば先輩の理解を得られるのか…」
話しているうちに意識は覚醒したものの、自身の置かれている状況を理解できていないのか首を傾げる少年。
そんな少年の心中を察せず、明後日の方向の説明をする少女。
混沌とした平和な空気の中、困惑した顔の二人の耳に低い女性の声が響く。
「やあ、こんなところに居たのか立香君。それにマシュも」
「レフ教授」
「随分捜したよ、廊下に居たとは部屋を捜しても見つからないわけだ」
困ったような笑みを浮かべ、こちらに近づいてくる深緑のコートを纏った女性。
少女とも面識があるのか気さくに声をかけてくる。
「先輩を捜していたのですか、教授」
「うん、少しいいかいマシュ」
「?、はい」
近くへ来るようマシュを小さく手招きするレフ。
どうやらマシュにだけ向けられたものらしく、その目は立香を写していない。
聞かれては困る内容なのか、ほんの少しだけバツの悪そうな表情をしている。
「…実は彼なんだけどね」
手違いで彼がカルデアに来てしまった事を掻い摘んで説明する。
説明を聞き終えたマシュは納得したような腑に落ちないような何とも言えない複雑な表情を浮かべる。
「状況は把握しましたが、そんな事が…しかし本当にドクターはそこまでの失態を?」
「私も俄かに信じ難いとは思うのだけどね。しかしそうでもなければ彼がここに居る説明がつかない」
少年は2人からの視線を受けてキョトンとした顔で首を傾げるばかり。
「しかし彼も全く何も把握していないわけでは無いと思うのだが、様子から察するに事態を理解していなのかな?」
「私も詳しくはわかりません、先輩は何故か廊下で熟睡なさっていました」
「廊下で?…あぁ、もしや入館時の戦闘シミュレーションの影響かな。あれは慣れていないと脳にくる」
曲がりなりにもマスター候補生として呼ばれた彼も入館時にサーヴァント戦闘のシミュレーションを体験していた。
五感で感じ取る情報のほぼ全てを直接脳に叩き込まれる感覚は慣れるまでに多大な疲労感を齎す。
その症状に苛まれているなら意識が混濁していても不思議はないだろうとレフは推測する。
「初めまして、立香君。私はレフ・ライノールという」
「_________」
(ふむ、女性に対し嫌悪感や忌避感を見せるでもなく、傲岸不遜な態度でもなく、飽くまで対等な人として接する…彼はどのような環境で育ってきたのか)
藤丸立香の女性への接し方は非常に珍しいものだった。
世の男性は大抵女性を軽視し、酷ければ奴隷のように、使い捨ての道具のように扱うものも居る。度が過ぎれば自身とて危ういことは理解しているものが大半だが、中にはそれすら解さない愚か者も居るほどだ。
そんな中、彼の女性への接し方は女性同士が接しあう時のように普遍的であり、だからこそ異常と言える。
(まぁ、こちらとしてはその方が助かるし、わざわざ詮索する必要もないか)
「______?」
「あぁすまない、話をするにせよこんな廊下よりきちんと部屋の中の方が良いね。立香君、もう自分で歩けるかい?」
「______!」
ようやく意識がはっきりした少年は自分の足で立ち上がる。
「元気たっぷりなようで何よりだ、では私に着いてきてくれたまえ」
「あの、教授。先輩はこれからどうされるのですか?」
「本来なら今頃他のメンバーと一緒に説明会に向かっている頃だが、彼がここにいる事自体が手違いだからね。然るべき手続きを済ませた後、家に送り返さなければ」
「説明会…教授、それに私も同席しても問題ないでしょうか」
「問題ないとは思うが、君を一人にしているのを所長に見られると怒られるだろうなぁ…」
「その、であれば先輩と一緒に参加する事は可能ですか?」
「…流石にそれは少し厳しいかな、彼はもう今回のレイシフト計画に関わる人間では無いからね」
「…そう、ですか。そうですよね」
俯き、落胆した様子のマシュに違和感を覚えるレフ。
有り体に言ってしまえばらしくないのだ。レフの知る限りマシュという少女は感情の機微に疎く、殆ど自己表現をしない。カルデアと言う閉塞した組織、その中でも極めて特殊な環境で育った彼女は他者と触れ合う機会に恵まれなかった。そのため表現する自己が殆ど培われなかった。そんな彼女が藤丸立香に固執している、その事実に少なくない驚きを覚えていた。
(初めて目の当たりにした男性に興味を抱いたか?)
「あっ!良かった〜、立香君、ここに居たんだね」
「ロマニ、医務室で待っていたのでは?」
「いやぁそのつもりだったんだけどね、お目付役を任されながらただ待っているだけなのが落ち着かないというか、居た堪れないというか…」
「それで入れ違いになったらどうするつもりだったのかね、まったく…」
軽薄そうな安堵したような笑みを浮かべて歩いてくるロマ二。
迎えるレフの顔にも呆れたような笑みが浮かんでいる。
「先輩から目を離してしまっていたのではお目付役失格ですよ、ドクター」
「たはは…手厳しいなぁマシュ、いや、否定できないんだけどね」
「______」
「やぁ立香君、だめじゃないか、勝手にフラフラと部屋を出て行っちゃ」
「______……」
「え、自分でもいつの間に部屋を出て行ったか覚えていない?だ、大丈夫なのかいそれ!?さっきバイタルをチェックした時は問題なかったはずなのに…!?」
「落ち着きたまえロマニ。彼は入館時の戦闘シミュレーションを受けていたようだ」
「あ、あぁそう言うことか…びっくりした。身体は何とも無いかい立香君」
「______!」
「何事もないようで本当に良かったよ、もしこれ以上何かあったら所長のカミナリだけじゃ済まないところだった…」
「自業自得です、ドクター」
「うぐ、今日のマシュは一段と手厳しい…」
立香の無事と取り返しのつかない事態を避けられた事による安堵の表情。
立香の体調の異変を驚く表情。
責めるような視線に晒され叱られた子供のような表情を浮かべるロマニ。
ころころと表情の変わる様は正しく子供のそれだ。
「まぁ、無事が確認できたのだから良しとしておこう。ロマニ、彼を医務室で見ていてやってくれ。保護が必要なのは勿論、念のためもう一度バイタルチェックを受けさせておいた方が良いだろう」
「そうだね、じゃあ行こうか立香君」
立香の手を引き歩き出すロマニ。
その姿に形容し難い感情を覚えたマシュは思わず声をかけていた。
「どうか気をつけて、先輩」
「______!」
「では行こうかマシュ。もう説明会は始まっているだろうし急がなくては」
「はい、教授」
満面の笑みと共に返された感謝の言葉。喜ばしい筈の言葉に寂しさ以上の落胆を胸に覚えるマシュ。
自分でもその感情を不思議に思いながら立香に手を振っていた。
「……考えてみれば、立香君を見ておくという名目でサボ…げふんげふん、休憩できるチャンスなのでは?」
「______!」
「わー!ごめんなさい!ちゃんと仕事しますぅ!」