──リーザ! 頼む、お前だけが頼りなんだ!
さっきまであたしを硬直させていたナニカは、アリスタフさんの言葉で爆ぜ散った。
あたしは突き動かされるように天馬に飛び乗って空を駆けた。木々の高さギリギリを飛び、弓砲台を備える砦か、魔力を帯びた拝石を探す。
霧は晴れたけれど、嵐の激しさで視界は相変わらず絶不調。ニカ兄様たちの分析によると、モーリスと拝石にそれほどの距離は無いはずだから、そろそろ見つかると思うけれど──
遠雷が聞こえる。そろそろ見つけて降りないと、この子が避雷針になってしまう。
危惧しているうちに、弓砲台の砦を見つけた。途中で拝石が見つけられなかったから、森の木々の中に在るんだわ。
あたしは天馬に砦で待機するようお願いし、アラドヴァルを手にしてまっすぐ南方へ駆けた。馬十頭から十五頭分ほど……、ってあたしにも分かりやすく説明してくれたんですもの。すぐに見つけてみせるわ!
一、二、三……十を数える前に、光を放つ乳白色の巨石を見つけた。ニカ兄様が寝っ転がっても余裕で余るほどの大きな円形の石。高さ、つまり厚みも、あたしの膝くらいはある。魔道に疎いあたしでも、あれが多大な魔力を持っていることは分かる。
石に向かって一直線に走るあたしに、不穏な影が二つ近づく。
「……ッ!」
あたしは跳んで後退。あたしのいた所には、毒液が撒き散らされていた。
「ギャオオッ!」
「グルル……ッ、ガア!」
魔獣が二匹現れて、あたしの道を阻む。命令があるのか本能的に拝石を守っているのか、明らかにあたしに敵意を向けている。強い獣を見た後だからそこまで怖くないけれど、やはり二匹もいると圧が凄い。
迂回しようにも二匹分の道のりは長い。嵐で視界も悪いから巨石を見失ったり、他の魔獣に見つかる可能性もある。かと言って、二匹の間を突破するのは、足元が悪いせいでかなり無理がある。天馬に手伝ってもらっていいが、結局迂回するのと同じだ。
だったら……!
「あたしの邪魔しないで!」
アラドヴァルで横薙ぎ一閃。あたしの中の血が、アラドヴァルに力を与え、アラドヴァルはその破壊力を顕現する。二匹の目を潰すような軌道は、二匹の混乱状態をもたらした。
「…………え……?」
アラドヴァル、いや、英雄の遺産は恐ろしい武器だと思う。ただの槍ならここまでならなかっただろう。魔獣の顔はほとんど潰れている。武術師範に敵わないこの細腕が、ここまでの惨劇を生む。生んでしまう。お父様が、遺産の使い方はお兄様たちと一緒に学びなさいと仰った意味が、魔獣の骨と肉を砕く感覚と共に伝わってくる。一歩間違えば、砕かれる骨や肉はあたし自身やあたしの大切な仲間たちかもしれないからだ。
「ごめんね……すぐ楽にしてあげるから……」
魔獣であれ人であれ、命を奪うに、変わりはない。だが、終わらない激痛に苦しませたままにするのはあんまりだ。だから、終わらせる。
あたしは魔獣たちの額にある紋章部分をかち割り、その命の灯火を消した。
「……グルッ……」
「……ガ…………」
「…………。……お兄様……ッ!」
思うことがないことはないけれど、今は急がなくてはならない。間に合わなければ、お兄様にも同じことをしなければならなくなる。お兄様の顔を潰す? お兄様に潰される? 今度はその恐怖が、あたしを動かしていた。
あたしは拝石まで辿り着いた。あの魔獣たち以外に気配はない。拝石は白靄のような魔力を放出し続けている。時折脈打つように魔力らしきものが急に飛び出ていく時もあるが、その理由は分からない。とにかく、やらなきゃ。
本来なら、結界を解除する魔法を掛けるのが安全かつ確実かもしれない。けれど、そんな神業はあたしにはできない。安全ではないかもしれないけれど、ある意味確実なのは、大変全くもって不徳で悪徳で無礼で不敬、それこそアクマの所業だけど、この石を破壊すること!
よし!
「ええええ────っい!」
掛け声と共にアラドヴァルを振るう。
轟音。そして激痛。
「あああああっ?!」
靄を裂き、石を叩く手応えは確かにあった。同時に、あたしの腕を起点に、身体全体に激痛が走る。ただの反動じゃない。まるで天馬から落ちて地に叩き付けられたみたい。骨や肉を痛めつける明らかな「破壊」の痛みだ。
アラドヴァルに身体を預けて何とか立つ。拝石には、先の攻撃によりヒビが入っている。拝石が色の通りの岩と仮定すると、あたしの身体は、そのヒビが入るか入らないかくらいの痛みを感じている。
いつかニカ兄様が言っていた。魔力を帯びるモノには、受けた攻撃の半分の力を返す能力を持つものがあると。結界とか紋章石とか、そういう人知の力を超えたものを相手にしているのだから、この拝石もそうなのかもしれない。
たとえ相手が石だとしても、力を使ってナニカを破壊せんとするのは、あたしだ。力の矛先が石でも魔獣でも人でも、あたしは力がもたらすものを知らなくてはならない。痛みはそれを教えるかのようだ。
たとえば、この石を壊したら、さっきの男女の平穏を壊すことになるかもしれない。あたしが直接手を下さずとも、あたしの力で彼らの世界は綻びる。
「……………」
じゃあやらないのか、と言われたら、そうじゃない。あたしにも大切なものがある。守りたい人がいる。
「……お兄様…………」
ブルトガングに呑まれそうになったお兄様を、あたしは確かに見たでしょう。お兄様が魔獣になる可能性の元凶は、あたしが壊すしかない! あたしはアラドヴァルを天に掲げた。
……掲げた槍は、静かに地に下りてしまう。
その前にあたしの身体が痛みに負けたら? あたしのもたらす力に、あたしが耐えきれなかったら?
あたしは一族の中で最もブレーダッドの紋章の力が強い。こともあろうに、お父様よりも。理由は単純。大紋章だからだ。
けれど、あたし自身は……、あたしの心身は、最も弱い。強大な力を持つ自覚が無い。力を扱う覚悟が無い。矛盾した力と器だから。ちぐはぐで、あべこべよ。いつまでも守られていたくないなんて言って、本当はずっとみんなの腕の中で守られていたいんだわ。
……自分に腹が立つ。自分の甘さ、弱さに。持て余す程の力を持ちながら、それを扱う覚悟を持てない自分に。お兄様を救えないあたしに。
身体はまだ痛む。半ばあたし自身がもたらした痛みが消えない。たぶん、あたしがこの痛みを受け入れていないから。
戦う意思が、ここで割れてしまいそう。怖い。実戦は初めてでも、お兄様たちがいたから怖くなかった。優しくて強いダーヴァ兄様。賢くて強かなニカ兄様。世界は違えども先生。そして「あたしたちみたいな」アリスタフさん。みんながいたから、怖くなかった。
ニカ兄様とは、どっちがダーヴァ兄様の力になれるか、なんて軽口を叩いていたけれど、ニカ兄様の方がずっとずっと先を歩いていたんだ。大紋章なんて、驕りだ。飾りだ。言い訳だ。
いくら作戦でも、基本は後詰めでモーリス戦は主力ではなかった。ああ、その真の意味が分かる。今こそあたししか動けないのに、戦士になれていないもの。
相手はただの石なのに。石だからかしら。ひとりぼっちのあたしは、怖くて刃すら向けられない。
風雨があたしの身体を叩く。寒気がする。震えが止まらない。やらなきゃ。痛い。怖い。心細い。
雷鳴がこの辺りまで来ている。怖い。お兄様が魔獣になるのが怖い。でも、あたしの身体がバラバラになるのも怖い。痛い、怖い、弱い……。
頬に熱い涙が走る。その涙は、柔らかい何かが舐めるように触れて拭う。
「あら……?」
気付けば、天馬があたしの所まで来ており、鼻先をあたしの顔に寄せたのだ。
あたしはダーヴァ兄様ほどではないけれど、天馬だけなら気持ちが何となく分かる。
──あなたなら大丈夫──
この子は、怖じ気づくあたしに、勇気をくれた。
「そうよね。結局どっちも怖いのなら、やってみる、くらいの気持ちじゃなくちゃね!」
──リーザ! 頼む、お前だけが頼りなんだ!
お兄様ではないお兄様の声が、あたしの中で反響する。もう一人の「あたしたち」の声が、あたしに温かい気持ちをくれる。
あたしは天馬の力を借りて近くの木のてっぺんまで昇った。
雷鳴がすぐそこまで来ている。
風が強く吹いている。雨が顔を濡らす。あたしは唾を飲み込む。
左腕は木を掴み、右腕でアラドヴァルを天に掲げる。あたしの中のブレーダッドの大紋章の力が、紋章石に伝わり、アラドヴァルは仄かに光る。
瞬間──、アラドヴァルが光った。正しくは、雷がアラドヴァル目掛けて飛んできた。その光だ。光った時には、あたしも雷を受けている。でも、そんなの関係ないの! どうせこの後も受ける痛みなのだから!
「あ゙ああああああ!!!」
拝石が受けた力の半分を返すなら──返す能力を使えないほどに叩き割ればいい!!!
お父様、お母様。お兄様。女神様。あたしに力を──!
あたしは木から飛び下りながら、アラドヴァルの矛先に弧を描かせ、同時に戦技「無惨」を発動させた。どのような物質にも、どのような命にも、等しく届く破壊の力。もたらす結果は、その名の通り、無惨。
突風が吹き、あたしの滞空時間を延ばす。空にいる間、あたしは最も美しく弧を描き、槍に紋章の力を与え続け、槍と拝石が一直線上に並んだ瞬間、アラドヴァルを投げ飛ばした。
弧を描いたアラドヴァルは遠心力によって威力を増し、雷によって力を高め、あたしの投擲によって無惨はより深く刺さった。
「…………けほっ……」
あたしは雷に打たれた。でも、結局のところ雷撃はアラドヴァルに流れ、あたしに留まらなかったからあたしは命どころか身体すら無事だった。
そして読み通り、拝石も一撃で壊れたため、反撃を受けなかった。嵐を味方につけなかったら、あたしの身体かアラドヴァルか、あるいはどちらも壊れていたかもしれない。
「いつまでも、守られてばかりのあたしじゃない、わ……」
嵐を纏った攻撃、最大出力の無惨、疲労の蓄積、緊張の途切れにより──、あたしは天馬に寄りかかって少し意識を飛ばしてしまった。
でも──これで────。
「お兄様……ダヴィード、さん……」
雷鳴が遠く聞こえたのは、実際遠かったからか、あたしの意識が遠ざかっていたからかは──分からない。