ダヴィード異伝   作:二味つゆり

14 / 15
4−6 嵐を救う①

 俺はある家の前にいた。周囲は森で霧靄に包まれて遠くまでは見えないが、近くに小川が流れていることは音で分かる。家の壁に沿って、割った薪が集積されている。少し離れた所に小さな納屋。冬が近いからか、煙突からは灰色の煙がたなびいていた。近隣に村があるような雰囲気ではない。そのため山の管理小屋や小領主の避暑地のような立地と佇まいだが、いやに生活感のある家だった。

 そして、目の前の家は、実際に見たことはないが、知っている。

 

 俺は届けに来たのだ。真実と、それを失わせた事実を──。

 

〜〜〜

 俺が意識を取り戻したのは、ミロスラヴの方のダヴィードが目を覚ましてすぐだったらしい。

 気絶していた俺は、はたと気が付くと、重苦しい鼠色の雲はあれど荒れ狂う風雨が消え去った空を見ていた。

「アリスタフさん!」

 空を遮るように視界に割り込んで来たのは、ニカノールとミロスラヴの方のダヴィード。二人は俺を見て心底ほっとしたような表情を見せる。

「時折脈が止まっていたので……心配しました」

 半身を起き上げた俺に、立ち上がらないようにとニカノールは制しながら説明してくれた。

「脈……」

 そう言われて、俺は自分の心臓あたりを手で押さえた。どくんどくんと普段通りの規則正しい脈打ちを感じる。

 

 俺の心臓は少し特殊である。

 特徴的なのは、この世界の先生のように紋章石が心臓部分にあること。ただ、紋章石が心臓の代わりとなった先生とは異なる。俺の身体の中の紋章石はあくまで心臓の動きを補佐し、心臓は紋章石の力を常に使い続けている。言わば一心同体の関係であるということだ。俺の心臓が止まれば紋章石は力を失う。逆に、紋章石が力を失っても、俺の心臓は動き続ける。もちろん、それ以前の力に劣りはするけれど。

 これは、かつて心臓が動かなくなった俺に組み込まれた応急処置の名残だ。心臓が普通に動くようになった今、紋章石は心臓のお供として俺の体力を支えてくれている。

 ところで、紋章石は女神の眷属の心臓だった、とされている。俺の紋章石は嵐竜と呼ばれた眷属の元心臓らしい。嵐竜どのの影響もあってか、俺は相手の持つ紋章が何となく分かる。紋章が分かるというよりは紋章特有の雰囲気を感じる。その雰囲気の類似から、相手の紋章を推察できるといった具合だ。

 便利ではあるが、時折困ることもある。たとえば、聖墓でこの世界のせんせいに会った時。彼は神祖の心臓を持っているようで、この神祖を真の主としていた嵐竜どのが、主に会えた喜びやら何やらで俺の気持ちそっちのけで心臓をばくばく言わせていた。俺の世界の師の心臓は人間のそれなので、なかなか体験しない動悸に焦ったものだ。

 そして、ブルトガングが三振りあるこの現場は、自分のそっくりさんに会ったようなものだから、驚き動揺し、自分の力で自分を叩き壊す感覚に悲しんでいた。

 脈が云々というのは、おそらく、紋章石がそこに倒れている獣へ力を貸そうと俺の心臓の支配下から抜けようとして、心臓は脈打つどころでなくて、しばし動けなかった……といったところだろう。

 目の前の獣からは、力を感じない。俺の心臓は失敗したようだ。

 

 つと、遠くから声がした。

「ダーヴァ兄様~~!!」

 エリザヴェータの声だった。結界の気配が消え、周囲から喧噪も聞こえてきた。控えの作戦部隊が突入し始めて、他の魔獣の討伐を始めたのだろう。エリザヴェータは結界の破壊に成功したのだ。

 迎えに行ってやりたいが、心身ともにボロボロの俺たちは、待つしかできなかった。

 それにしても、あの女性──もとい、この世界の母上は結界の消滅を阻止しようとはせず、あろうことか獣を「殺さないで」と言っていたことは疑問に残る。また、モーリスと思しき獣も、自分を取り込んだ英雄の遺産を、それも二振りも見て何も反応を示さなかったのも、不思議なことである。

「彷徨えし獣は、普通の魔獣より少し大きかったそうだけど……」

 俺の考えを読んでいたかのように、ダヴィードは呟いた。

「普通の魔獣……より、何なら少し小さいくらいに見える、オレには……」

「……」

 ニカノールの返事に、俺たちは黙り込んだ。真実は、俺たちの想像を超えるもので、それを俺たちは乗り越えられるだろうか──そんな胸騒ぎがした。俺の勘か、嵐竜どのの警告かは、知らん。

「お兄様!」

 無事な兄を見つけたエリザヴェータは、天馬を連れてこちらへ駆け寄ろうとしていた。

 その時だった。獣がその身体を風化させ始めた。

 身を覆う黒い物質はさあっと粉となり、風に乗って消え去って行く。

「──!」

 座り込んでいた俺は、真っ先に「核」になった「それ」を見た。瞬間、エリザヴェータに魔力で作った軽い衝撃波を放つ。本来は牽制に使う、殺傷性のないものだ。

「ダヴィード! リーザに何をするんだ!」

 ミロスラヴの方のダヴィードが俺を批難するが、説明している時間が無い。

 立ち上がってエリザヴェータの元へ向かおうとする俺は、ニカノールに制止されて動けなかった。代わりに、ニカノールは妹の元へ駆け、彼女の顔を自分の背中に押さえ付け、後ろ手で彼女を拘束した。

「ニカ兄様? なにするの?」

「…………」

 批難と困惑の声を、ニカノールは無視して飲み込んだ。彼は、俺の意を汲んでくれたのか、エリザヴェータに残酷な現実を見せるのを阻止したのだ。

 一方のダヴィードは、獣が残したものを見て、しばし絶句していた。

「──“結界はいくらでも壊して良いが、殺さないで、私たちのためにも”──」

 あの女性の言葉を掻い摘まんで復唱するダヴィード。俺たちは、彼女の言葉の真意をこの目で確かに見た。

「私は、異世界に来て、助けを呼ぶ声に導かれ、ここまで来た。得たものも多い。だが」

 

 獣の居た所には、一振りのブルトガングと、一人の小さな子ども……三、四才くらいの男の子が横たわっていた。

 

 その身に命が宿っていないことは、その子の土気色の肌が語っていた。獣の中で生きていたその子は、獣の動きが止まった時点で──。

「私は、私は……私は人を……子どもを……! この世界の『ダヴィード』を! 私を! こ、ころし、殺してしまった…………この手で!」

 恐らく、ダヴィード=ミロスラヴは人殺しの経験はないだろう。……あったとしても、大義を掲げた賊討伐くらいだろうか。

 喩え人が獣となり、もう人の姿に戻してやれない、助けられないモノになっていたとしても。戦士や騎士でもない、罪もない、まして小さな子どもの命を奪ったこと、そして何より──この世界の母上の子ども、つまり同じ「ダヴィード」をこの手にかけた彼の絶望は、同じダヴィードの俺とて、計り知れない。

「う、う、う……うあああああああああ!」

 曇天の下、ダヴィードの号哭が響いて止まなかった。

 

~~~

 

 俺の腕の中には、モーリスと思われていた魔獣から出てきた男の子──ダヴィード君の亡骸が収まっていた。彼からは、懐かしい匂い、特にラヴァンドラの香りがする。

 あの時の夢は、およそ予知夢の類だったのではないかとすら思う。予知夢の可能性を否定するフォドラから来た俺がそう思うほどに。

 俺がこの家に来ることは、最初から決まっていたかのようだった。

 だから、あの時と同じように、立ち上る煙をぼんやりと見ていた。

「ダヴィードおにいちゃん?」

 ふと、足下から小さな声がした。見ると、何とも可愛らしい幼女が俺を見上げていた。柔らかそうな黄金の髪を持つその子は、透き通る碧眼を宝石のようにくりくりとさせてこちらを見つめている。お人形さんみたいに愛らしいその姿、と表現してもまるで問題ないほどの子であった。おそらく、この男の子の妹にあたる子だろう。

 この子を見ていると、ミロスラヴが弟と妹を何かと甘やかしている理由が、何となく分かる気がしてくる。大変可愛らしい妹だ。命に懸けても守りたいと思ってしまうくらい。いつまでも見つめていたい。

 彼女は俺の返答を待っているのか、じっと俺の目を見て離しはしないが、続きを話してもくれなかった。

 しばらく無言で見つめ合っていた。この幼子にいきなり兄の亡骸を見せたくなくて、俺は屈まなかった。

「おかあさん、おとうさん。ダヴィードおにいちゃんがかえってきた!」

 彼女は踵を返して裏口と思われる部分から家の中へと入って行った。

 その直後、玄関が勢い良く開かれ、中からは女性が飛び出てきた。先程と装いは違うが、獣の前に立ち塞がった女性だ。

 彼女は、こちらを見るや否や、麗しいお顔は今にも泣きそうな表情へと変貌し、そのまま“俺ごと”抱き締めた。絶望の中から小さな希望を拾った彼女にとって、俺は何にあたるのか、分からなくて、震えがした。

「もう二度と、目にすることすらできないと思っていたわ……“ダヴィード”……」

 俺の名前は、俺のために呼ばれなかった。俺と彼女の腕の中にあるダヴィード君に対して使われたんだ。

 ……獣の身体が風化する前から、そう、もともと、予感はあったんだ。あの時、謎の騎士が俺たちの名を呼んだ時、いやに優しく切なかった。妻を助けた者に向けたにしては、やけに哀しみを帯びていたから。あれは、自分の息子に対して発した言葉だったのだ。

「会いたかった……」

 母親の言葉は、心の底からの言葉は、魂の抜けた亡骸だとしても子に掛けられる言葉は、温情と寂寥が混ざって俺の心を揺さぶって狂わせた。

 うん、俺もだよ、母上。

 母というものがよく分からない俺にとって、その眼差しその温もりは物語の中の幻想だ。包み込まれる温もり、掛けられる愛のことば。印象は記憶の残滓に残っているが、実感はとても覚えていない。だから、幻と同じだ。

 俺だって、会いたいよ。会いたかったよ。会いたかった、って言ってほしかったよ。目の前にお互いがいるのに、どうして俺にはそう言ってくれないんだよ。理由は分かっている。だから、俺は身を硬直させて、ただの添え木になった。

 添え木の視界は自由だった。そのため、玄関口から現れたその人にもすぐに気が付き、目も合った。

「ダヴィード……?」

 金の髪、隻眼の碧。黒の鎧。謎の騎士が兜を取り去った姿がそこにあった。ダヴィード君の父親だった。

 母親が顔を上げ、うなずいた。父親は無言で近づき、やはり“俺ごと”、優しく二人を包み込んだ。

「ありがとう。ダヴィード。帰ってきてくれて」

 母親が泣きながら子に声をかける。涙は幾筋も流れ、ダヴィード君の顔を濡らしていく。彼の帰還を待ち望みながらも叶わぬ夢と思っていた母親は、何度も礼を言っていた。命が絶たれたことを嘆くよりも、こうして亡骸となっても帰ってきてくれた喜びを、夫と共に表していた。

「良かった、また会えて、本当によかった……」

「ああ……」

 二人の涙を拭いながら、父親も震えていた。

 俺の心は、愛と慈しみを以て寄り添うふたりを見て、喜びと悲しみを爆発させていた。心臓がばくばく言うほどに、喜怒哀楽含むありとあらゆる感情が飛び回って、どれが俺の気持ちか分からなくなっていた。言葉に出来ない心を、涙がスウっと頬を駆けて行った。

 どうせ気付かれぬ涙だと思っていたが、何故か母親が俺を見ていた。俺はひどく驚いた。

「貴方も、ダヴィードの身体を傷付けないように……風化させないように斃してくれたのね……ありがとう……」

 魔獣化していたとはいえ、ダヴィード君の命を絶ったのは俺なのに、怒ることも取り乱すこともせず、俺に礼を言った。覚悟が決まっていたのかもしれない。

「……は、い……」

 モーリスと違って魔獣化から年月が経っていないこと、あの結界が媒介になることでダヴィード君自体の魔獣化は大方解けていたこと──、色々説明したかったが、何よりも存在を認識されたことが無上の喜びすぎて、上手に言葉が出なかった。これでもエドマンドのおやっさんに師事しているから、剣より舌で戦う方が多かったのに、おかしいな。

「私が剣を厳重に保管していれば、この子は……──」

 母親は子の亡骸に目を落とす。涙が尽きたのか、声は震えておらず明瞭に、だか昏く聞こえる。

 この顔、この声。俺は知っている。大切なものを守り切れなくて悲しみ、悔いる人のものだ。俺は、両親たちのことを語る人の大半がこのような表情を見せることを、知っている。

「大きくなるまで愛してあげられなくて……ごめんね……」

 この言葉に、俺はぴしゃりと頬を引っぱたかれた。

「幸せにしてやれなくて、すまない……」

 父親の言葉にもまた、引っぱたかれた。

 今まで、もしも母上と父上がまだ存命なら、と想像することはあった。だが、死にゆく時のお二方が、どんなお心持ちだったかは、分からなかった。

「あの」

 俺の口に流暢さが戻る。ただし、戻ったのは流暢さだけで、論理性はまだどこかで遊説中だ。

「俺は物心つく前に両親が亡くなっていまして……、お二人とは逆の状態です。小さい頃に亡くなってしまったから、俺はお二人のことをほとんど思い出せないんですけど」

 目の前の二人と俺の両親を「お二人」と混ぜごっちゃにして話してしまっているため、生死に関して大変な矛盾が起きて、話がヘンになっている。だが、そこはその矛盾を以て二人を勇気付けたい己が我が儘を貫くことにした。

「大きくなって振り返ってみると、俺は両親からたくさん愛されていたんだなあって実感するんです。お二人が亡くなった後も俺が生き延びられるように、手を尽くしてくださった跡が、たくさん、たくさん見つかるんです」

 本人たちに自覚はなくても結果として、二人の子どもだから、という理由で守ってもらったこともある。それは、お二人の人脈・人柄ゆえだ。お二人が俺を手放さなければならなくなって、俺一人になったとしても生きていけるように。

「それを見つけられるのは、記憶ですら曖昧な両親から受けた愛を、確かに知っているから、なんです。分からない頃から分かっていたから、分かるんです。愛されていた、幸せだった、幸せだ、愛されているんだ、って」

 俺は、生きている。

 戦後間もなく、疎開先のゴーティエ領へアネットがすっ飛んで来て、「道連れになんてさせない」ーって泣きながら俺をドミニク領へ連れて行ってくれた。アンはメーチェの代わりを務めてくれたのかもしれないが、メーチェが俺の乳母になってくれた発端は両親だ。謎の組織に誘拐された時に助けてくれた人は、両親の知人だと聞いた。ある旧王国諸侯が俺に気付いた時、政治利用されたくなくて転がり込んだ先のエドマンドのおやっさんは、きっと危険だと分かっていながら「押しかけ弟子」と称して何年も傍に置いてくれた。俺を通して、お二人の姿を見たかったのだろう。

 アンは俺の紋章を隠す方法として、魔法を教えてくれた。魔力の量が少ないことを補うために、戦場で魔法が使えなくならないようにと、一緒に魔法効率化に取り組んでくれた。俺が食い扶持を稼ぐために就いた外交官の立場も、ゴーティエ家の方々が後押ししてくれたおかげもある。スレン族との抗争で殺されかけた時は、ドゥドゥーがくれたダスカー模様の外套が命を救ってくれた。

 両親がくれた出来事たちは、走馬灯のように駆け巡る。一つ一つ取り出しては説明して……、もういいかな、冒険譚並に長くなってしまう。

 俺が今さっき知ったのは、両親の想い。「大きくなるまで愛してあげられなくてごめんなさい」。

 父上も母上も、俺を愛してくれていた。同時に、国を治め、愛していた。国を背負うことで俺を愛し続けらない可能性を憂慮していたことくらい、とっくに気付くべきだった。

「子も、親も、同じ想いです。大きくなれるように愛してくれてありがとう……この根源は、生まれた時からずっと続く両親の愛。俺はそう思う。だから、ダヴィード君も……、事故のことは残念だけど……、それまでは、幸せな時間を過ごしていたことは間違いないと思います。それは、どうか否定しないでください」

 殺した張本人が子を亡くしたばかりの親御さんにする話じゃないような気がするけれど、俺の我が儘で、もういない俺の両親の代わりに聴いてもらいたかった。

「……ありがとう、少し、救われる想いだわ」

 母親は再び流れた涙を拭って、口角をおそらく無理矢理に上げた。上げてくれた。

「君の名前を訊いてもいいか?」

「へェ?」

 父親から突然の質問に、俺は上ずった変な声を出してしまった。

「弟か妹かは分からないけれど、赤ちゃんがいるんです」

 母親は、悲しみを見せながらも腹を撫でた。まだ膨らんでいないが、懐妊していることが判明しているのだろう。

「もし男の子なら、君の名前を参考に付けたい」

 …………そんな名誉なことがあるのだろうか、ダヴィード君の命を奪ってしまった俺が、新しい命の名前になって良いのか。

 ともすると、命を奪ったことよりその身体を守り連れてきた恩が勝っているのか……?

「アリスタフ」

 逆だ。

「……ダヴィード、です。本当です」

 二人は驚いた様子で俺を見つめる。俺は証拠として、腰に備えてある短剣の柄を見せて、自分の名前が彫り込まれていることを見てもらう。

「……ねえ」

 短剣を戻している俺に、母親が声をかける。

「もし、貴方が良ければ……この子たちのダヴィードに……兄になってくれないかしら……?」

「……え?」

 この子たち、というのはお腹の子とさっきの女の子のことだろう。兄になる、ということは、お二人の息子になるのとほぼ同じ意味だ。

「貴方は天涯孤独の身で、私たちはダヴィードを失ってしまった……。いなくなったダヴィードの代わりだなんて言いません。でも、こんな偶然……主が遣わした出会いのようで」

 母上は、まるで聖句を宣べるように美しい声で話している。それは正しいことだと主張せんとばかりに。父上も、これと言って反対する様子はない。

「…………」

 俺が望めば、両親の愛を、弟妹たちへの慈しみを、手に入れることができる。

「思うのだが……、お前は別の世界から来た人間ではないか?」

 現実離れした話を好みそうにない父上が、突然そう切り出した。母上からなら隠せそうだった動揺も、意外な人物からの指摘によって崩されてしまった。

「もしかすると、異世界の俺たちの子どもなのかもしれないな」

 何でそこまで分かるんだ、と思ったが、俺も二人の紋章の雰囲気が分かるから、両親だと確信したのだった。父上め、同じ紋章の雰囲気を察したのかもしれない。

「じゃあ、私たちの子どもと言っても過言ではない……」

 確かに、世界が異なっていても血の情報としては、間違いなくお二人の子だ。だから結界を通ることができた。それが証明してくれる。

「ダヴィード。私を抱き締めてくれますか? 私はこの子を抱いているから、あなたから」

 言われるがままに、ダヴィード君を抱く母上を抱き締めた。なんだか逆な気もするけれど、それは、俺が大きくなれた証でもある。嬉しくて、切なくて、涙がぽろりと転がっていった。

 そして、俺の上から、父上が全部覆うように俺たちを抱き締めた。そして、三人で顔を付き合わせて、泣いて、笑った。

「ダヴィード、ダヴィード……」

 母上が俺の名前を呼んでいる。愛おしそうに。父上も俺を見つめている。隻眼の分、倍の愛情を込めて。

 親を失った俺、子を失った両親。逆の立場の俺たちだから、逆に親子揃うことができた。

 嬉しい。あまりの嬉しさに、胸が爆発──しそうにない。心臓の鼓動を感じないから。

「…………?」

 疑問に首を捻るも、かつて師も心臓が動いていなかったと言うし、この世界の先生も動いていないと言っていた。どっかの世界の女版先生も動いていないらしい。

 何より、俺は、生きている。幸せだと感じている。だから、嬉しすぎて逆に心臓が止まるくらいが丁度良いと思う!

「ダヴィード!」

 またこの声だ。さっきから、ここには入って来られない人間の声が名前を呼ぶ。頭の中から響き、更には空間のあちこちからぼわぼわと聞こえてくる。確かに俺はダヴィードだが、ダヴィードは二人も要らない。だから俺が求められたんだよ。

「ダヴィード!!」

 まだ聞こえる。さっきよりも大きな声で聞こえてくる。いつもは明瞭で爽やかな声が、焦ってその名を呼ぶ。

 だが、俺にとってどうでもいいその声は、お二人が俺を呼ぶ声にかき消されていく。ありがたい。俺は過去を振り切って、未来に生きるんだ!

「おとうさん、おかあさん。ダヴィードおにいちゃんは?」

 妹が兄を求めてやって来た。彼女からでは、ダヴィード君だった彼の姿は見えないのだろう。

「ダヴィードはね、少し離れている間にぐんぐん大きくなって、戻ってきたのよ」

 母上がそう紹介してくれた。本当は逆なんだ。時間の流れを無視して大きくなったんじゃない。大きいダヴィードが時を遡っただけだ。

 ああ、幸せだ。俺は望んでも手に入らないと知っていたから、願うことすらなかった現実が目の前にある。両親。きょうだい。ずっとここで生きていたい!

「ダヴィード!! 逆だろう!」

 一方、必死に俺を呼ぶ声が響く。いい加減、家族との団欒に集中したい。そもそも、さっきから逆、逆、逆だ、ってうるさい。何が逆だと言うんだ。

 逆なのは俺の心臓だけ──

 

 

 瞬間。

 

 全部が逆さになった。血液が逆流し、頭は地へ、足は天へ投げ飛ばされた。景色が、父上の眼帯を中心に、左回りに渦巻いて意味を成さなくなる。

 

 

。だり戻逆て全アア

 

全部逆なのは、俺の存在意義を示すための手がかりに過ぎない。

 

!いたいにここ、ダヤイ

 

お前は──俺は知っているはずだ。

 

 

 

。うろ戻

 

目の前の両親の愛を拒むのか?

 

。いなゃじここは所場きべるいの俺

 

 

 ──あの子に話したなあ。最近流行りの紋章象徴芸術。紋章を持っているかどうかは関係なくて、紋章の意匠を身に纏うことで、紋章が象徴する意味を身に着ける、ってヤツ。

 獣の紋章──モーリスの紋章の主な意味は「欲望、誘惑、拘束」など。

 

 ──この紋章に負の意味を与えられたことに憤る彼女に、象徴芸術の話には続きがあると伝えた。

 それぞれの紋章を逆向きにすると、逆あるいは異なる方向へ意味合いが変わる、ということを。

 

 

 

 ──あれ。いつかの記憶が蘇る。

 暗い地下で、泣いていた俺を助けてくれた誰かの声。

 

「──あれは逆向きになって、あなたの心臓の一部になった──。──全部知って、ここまで来てくれたら……嬉しく思うわ──」

 

 いつかの記憶──。

 あの声に導かれて、俺は、無知を切り裂いて進んで来た!

 

 

 

 

俺は何を期待されたの?

  。ータスクッリト

 

 モーリスの紋章、逆向きの主な意味。「覚醒、打開……」そして、俺に与えられた意味は「凶星」。

 俺は、知ることを拒まない。停滞を拒む。目の前のものが全てだと思い込まない。客観的視点に立つ。

 それまで是とされたものを打破する。1の中に0を見出す。

 悲しくても、進む!

 感情を排して世界に必要な変革をもたらす凶星(トリックスター)なのだから。

 

 

 

?のなシロボマは親両の前の目

 

うん。

 

?のいなくし悲

 

ううん。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 心臓が脈打つ。正しい方向に、血を送る。

 雷の轟音が俺の怠惰を叱るように鳴り響く。目覚ましに丁度いい。

 景色が右回りに回転して、正しい位置に戻る。足は地にあり、頭も……地にあった。眼前に広がるのは泥の海であることを、僅かに開いた口がその味を知らしめて教えてくれた。

「大好きな味にどっぷり浸かるのも悪くはないが……生憎こちらはそれを否定し続けているんでね……!」

 唾に混ぜて泥と悪態を吐き捨てる。大変行儀が悪いが仕方ない。嵐が唾の成分を有耶無耶にしてくれると思うので許していただきたい。

 紋章石が空っぽのブルトガングを再び握り、立ち上がる。少しふらつくが、問題は無い。

「アリスタフ! 良かった。中から魔獣になるとか聞いたから心配したよ」

 心の底からほっとした様子でミロスラヴが俺の顔を覗き込む。かなり狼狽したのだろう、顔色が悪い。物腰穏やかを貫く彼が、このような場合どう狼狽したか見たかったかもしれない。

 モーリスの身体はまだ風化していない。記憶と違う。幻覚の類を見せられていたのだろう。はて、どこから俺は倒れたのだろう。

「脈が止まってたんですけど……」

 青い顔をするニカノールとその報告に、幻覚の時と似ている。俺はこれ幸いとにやりと笑う。続きを促す。

「結界による最後の攻撃を受けた時にアリスタフさんは倒れた。脈というか心臓かな──は、ずっと止まってた訳じゃないですけど、止まる度に兄上が叫んで……」

「まったく。いつもなら君が私たちを救うのに、立場が逆なのだから」

 ダヴィードと呼んでいたのは、長く呼ばれた名の方が君が反応してくれそうだったから、とのことだった。結果として戻って来られたのもミロスラヴのダヴィードの声かけのおかげなので、よく分からない理不尽な言われようは一応受け取ることにした。

「なあ、結界は最後の標的を俺にした……?」

「ああ。アリスタフさんへの攻撃の後は何も起きていない。結界の気配もないし、リーザがうまくやってくれたんだろう」

「なるほど。ありがたいね」

 大事なのは事実。確かに結界の崩壊を感じる。それらを確認すると、俺はダヴィード君がいるであろう獣の身体に近づく。

「……いけるかも。二人とも、手伝ってほしい」

 俺は始める。俺が凶星だからこそできることを。凶星だからこそ、やらなければならないことを。

 




嵐を斃す②より。獣の最後の呻き
「ゴガア…ガ…ゥ」=「おかあ…さ…ん」
他にも、「オギャア」と泣いたり、母と同じ髪の色の人間を抱きとめようと腕を伸ばしたりしています。


次(翌日)の投稿で物語は概ね終結します。
エピローグは別途用意。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。