第二節 ダヴィードたちのお茶会
「この地に眠る魂たちよ。あなた方の安らぎの地を騒音で満たしたこと、どうかお赦しください。あなた方が主の御許で安らぎと共にあらんことを……」
ミロスラヴの弟ニカノールは、兄妹の中でも殊に敬虔な信徒であった。死者の眠る地で騒動を起こしたことは、責任や原因の所在に関わらず彼の胸を痛めるには十分だった。少しでも死者に寄り添い、己の心の平穏を取り戻すため、彼は祈った。祈りの言葉を連ねた後、死者の安寧を願う鎮魂歌を歌いながら、祈りを込めた魔力を空間に放った。
聖墓は空間が広くも音が響きやすいようだ。
優しい声色の鎮魂歌が響き渡る中、それを邪魔しないほどの小声で、2人のダヴィードは互いの知識と記憶を共有していた。
「ーーで、前にミロスラヴに会って帰る時に通ったのが『聖墓』なんだが……」
「同時に私たちが聖墓に居るということは、この聖墓は『どこの』ものか分からない、ということか」
ミロスラヴの推察が自分のものと一致していることを首肯で伝える。
「ま、この世界の『せんせい』が迎えに来てくれるのを待つとしようぜ」
「『先生』……そうか、そうだね」
2人のダヴィードが何やら納得して和やかな雰囲気を醸し出す一方、2人の間で完全に固まり沈黙しているミロスラヴの妹エリザヴェータ。そんな彼女に助け船を出したのは、歌い終わって3人に合流したニカノールだった。
「兄上。リーザは完っっ全に理解が追いついてないぞ……」
「ニカ。お祈りはもういいのかい?」
「鎮魂に『もう』も『終わり』も無いさ。それより、今の状況を把握しないと今度はオレたちが祈られる側になると思って。そのための最低限の礼は尽くした」
「そうか。すまないね」
弟に満足に祈る時間を与えてやれない申し訳なさから、ミロスラヴは目を伏せる。
「ここが噂に聞く聖墓ってことは分かるんだ。だがーー」
聖なる魔力に包まれた空間、ゴーレム兵に刻まれた聖者セイロスの紋章、立ち並ぶ石櫃、これらを統合して出した結論は、ニカノールにとってさしたる問題ではなかった。今は別の問題を解決させたかった。兄の横に立つ、来歴の不明な謎の青年についてだ。青年はニカノールに対して敵意のない純粋な興味の視線を向けていた。
「俺はダヴィード。ダヴィード=アリスタフ=ドミニクだ」
ニカノールからの視線を受けて、謎の青年はその本名を明かす。
「ドミニク……?」
意外な家の名前が出され、ニカノールは訝しぶ。一方、ミロスラヴは新たな情報とそれを知らなかった事実に驚嘆の声を上げる。
「そう言えば家名を聞いていなかったね。ドミニクなのか」
「まあ今となっては便宜上使わせてもらってるって感じだがな。あ、俺のことはアリスタフと呼んでくれ」
堂々と本名、呼び名を伝え、これ以上知らないことでもあるか? と言いたげに、アリスタフは微笑した。
「ええと……、兄上は、この方がどなたか知っているのか?」
「え? 今本人が言ったとおりアリスタフ……ダヴィード=アリスタフーー」
「そうではなくて」
ややズレた兄の主張を少し焦った様子で遮ってしまう。文武それぞれの師をして熟達の域と評せしめるほどの聡さのあるミロスラヴだが、妙なところで鈍い節がある。ため息を吐く弟を、ミロスラヴはきょとんとした様子で見つめる。その視線から目を逸らし、今度はニカノールがアリスタフを見つめる。
「アリスタフとやら。何故アラドヴァルが使える?」
緊迫した目線は、詰るようなそれになる。2人のダヴィードは、どこから説明したものかと顔を見合わせる。
ニカノールの知るフォドラにおいて、ブレーダッドの紋章は傍系のそれが突然現れる場合を除けば、王家の者である証だ。現在の統治者の血を継ぐ者という意味での王家は自分たち兄妹3人だけだ。傍系についても、そのような存在は確認されていない上、青年の年齢を上下に幅を取って仮定しても産まれているはずがない。また、今ですら吟遊詩人にその糧を生み出す逸話を作り続けている両親が、父王が婚姻外の子を成したとも考えにくい。
「ニカ。こんなことをいきなり言われても、荒唐無稽だと信じてもらえないかもしれない……」
ミロスラヴは目を伏せたまま、そんな前置きから話し始める。
「アリスタフは、異世界の存在なんだ。異世界の父上と母上の、たった1人の愛息子だ」
「はあ……?」
兄の言葉を聞いたニカノールの表情と台詞は、案の定といったところだった。
実のところ、ミロスラヴもまたアリスタフについてはあまり知らない。分かるのは、異世界の存在であること。本人の言動から、異世界の両親は亡くなっていること、アリスタフには兄弟がいないこと、士官学校では級長を務めていたこと、槍術と理学が得意なこと。それくらいしか分からない。ドミニクという家名も、つい先程知ったほどだ。
なぜミロスラヴがアリスタフを知っているか。それは、遡ること3年前。「ダヴィード=ミロスラヴ=ブレーダッド」と「ダヴィード=アリスタフ=ドミニク」は、各人が士官学校に在籍していた頃に一度だけ出会っている。ミロスラヴにとって大陸暦1206年、アリスタフにとって帝国暦1200年のことだった。ミロスラヴの生まれ育った世界は、帝国の争覇を撃ち破り戦争を終結させたファーガス神聖王国がフォドラを治めていた。一方のアリスタフは、その帝国が争覇を成し遂げた世界、旧体制を解体し新たな価値観に生まれ変わりつつあるフォドラで生きていた。
ひょんなことからアリスタフがミロスラヴの世界に迷い込み、2人は級長を示す蒼のマントを介して出会い、ミロスラヴが自分の両親や家族についての話をするのをアリスタフが嬉しそうに聞く、という不思議なお茶会を開いた。
その際、アリスタフは自分が来た世界のことも、己の両親の名も、名字も、紋章のことも、何も語ることはなかった。しかし、ミロスラヴはアリスタフの言動や雰囲気、宿しているであろう紋章の特徴から、「異世界の両親の子」であることは察していた。お茶会の閉会宣言をしたのは通りすがりの大司教殿で、アリスタフを連行して行ったことからも、女神様が遣わした数奇な出会いだと思うことにした。数奇な出会いだからこそ、異世界の存在に納得することができたのだ。
ミロスラヴは、「ダヴィード=アリスタフ」と名乗る人物にはもう二度と会えないと思っていた。
しかしながら3年の時を経て、アリスタフは目の前に現れた。同じ3年の年月を経た姿で。
ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッドとその妻マリアンヌの子。その肩書きだけならば3人の兄妹と同じだ。しかし、アリスタフの両親はアドラステア帝国の大陸統一に伴った戦乱で命を落としている。母は、アリスタフが1歳半の時、父は、3歳になったその節に戦死した。三兄妹からすれば、完全に異なる世界の出来事である。
そういう訳で、アリスタフは自分の世界の歴史や人間関係、自身の経歴を簡単に説明した。
歴史については帝国による争覇への道のり、その道中における共通して知る人物の安否、その後の帝国の新体制や価値観について。経歴については、戦後、帝国からも旧王国諸侯からも干渉されないようにと、乳母の親友アネットによってドミニク家に保護されたために、ドミニクの家名を使っていることを。
「簡単な説明」の中の、数多の信じられない事象を聞きながら、ニカノールはアリスタフを観察する。戦闘中の身のこなしは歴戦の猛者のそれであり、兄とと雰囲気が近いことから、年齢は自分よりも上から兄と同じくらい。そう仮定すると、年齢のわりに童顔だ。大きな瞳は兄や妹、そして父と同じ色をしている。髪の色も、白の中の青さは母の色と同系色である。童顔と評した顔立ちも、何となく母に似ている気がする。そして何よりも、先の戦闘で見せたブレーダッドの紋章石との適合反応。間違いなくブレーダッド家に連なる存在である。そして、その血が誰に由来するか、時間で辻褄が合わなければ空間で辻褄を合わせる。「異世界の両親の子」という肩書きならば、うなずけないこともない。
だが。辻褄と理解と納得は別のところにあるのだ。
「オレたちを、理解の、範疇から、置いて、いかないでくれ!」
あれからずっと沈黙したままのエリザヴェータを揺さぶって、混乱をその身で表現するニカノール。エリザヴェータはなおも動かない。弟らの訴えを、兄は苦笑いで受け止める。
「うーん。ニカの賢さなら大丈夫だろう思って。リーザはそのうち順応するさ」
「えぇ……」
返す言葉も淀む弟をよそに、兄は言い忘れていた、と呟く。
「推測だが、この聖墓も私たちのいたフォドラとは違う世界の可能性が高い」
「情報が多い!」
どんどん増えていく情報に対して、思わず飛び出た悲鳴が響きやすい構造の空間を持つ聖墓内にこだまする。
「ここは異世界のガルグ=マクの地下で、この世界の『せんせい』が迎えに来るまで待たなければならない。ちなみにアリスタフは異世界の、それも帝国が王国と教会を倒した世界の父上と母上の子。私が士官学校に在籍していた頃、一度だけ会ったことがある。アラドヴァルが使えるのは、父上からブレーダッドの小紋章を受け継いだからだ。以上。……まとめると短いものだね」
ミロスラヴ自身としては簡潔にまとめられて満足したようで、うんうんと頷いている。ニカノールはその横で頭を抱えつつ、「得体の知らない人物」から「異世界の両親の子」という見方を変えればさらに得体の知れない人物について、疑問と共に言葉の刃を口にする。
「王国があの帝国に負けたことも信じられないが……。アリスタフさん、なぜ貴方は『死ななかった』んだ?」
痛烈な言葉を浴びせた実感はある。この「死なない」は、単に運良く生き存えたという意味ではない。だが、自身が「ファーガス神聖王国の第二王子」という肩書きにただ胡坐をかいている訳ではないからこそ、同じ王族としての心持ちが気になったのだ。
なぜ殉じなかったのか。何を目的として今は生きているのか。ニカノールの中に浮かぶいくつもの予想が、答えを待っている。
「……1186年孤月の節、帝国軍が王都侵攻の動きを見せた時に、ゴーティエ辺境伯領へ疎開したから──……」
きっと相手の望む答えはそれではないだろうと思いつつ、戦禍に巻き込まれなかった理由を述べる。ニカノールは厳しい目線をアリスタフに向ける。アリスタフは別の答えを続ける。
「終戦時には3歳になったばっかの子どもだったし、自刃せよと言う人が現れる前に、アンに──アネットに保護されたから、色々分かるようになった頃にはもう帝国の支配下で、王国がどうのこうの言う世界じゃなくなってたよ。だから殉じても意味はない。今はただ、フォドラの外交官として、北部方面の調停のために働いているよ」
「……帝国に屈したってことか?」
「ニカ! 言葉を慎め!」
「だってよ、兄上! 王国が帝国に負けただなんて……、レア様が殺されて……、父上も母上もいない世界だなんて……」
2人のやり取りを見て、いかに帝国の印象が悪いか分かった。大陸全土を巻き込む戦乱を呼べば、民は嘆き、大地は泣く。だからこそ、それを終結せしめた王は救国王と呼ばれるのだろう。救国と呼ばれるほどに、帝国の所業は相対的に悪くなっていく。それを感じ取った。
とはいえ、自分にとっては仕えている国でもある。悪く言われて何も思わない訳がない。しかし、それを口にするほど幼くもない。だからこそ、冷静に、客観的に説明を加える。
「……確かに俺はブレーダッド家唯一の嫡子だった。はじめこそ旧王国諸侯の一部がガキの俺を旗頭に、って動いていたらしいけれど、そういう動きは粛せ……減っていって。まあ何とか王国からも帝国からも殺されずに済んで。そんでもって、紋章主義や貴族主義のない世界で育ったから、亡国再興とかは考えていないんだよ」
「じゃあ、せめて仇は……?! あんたの世界では、父上も母上も……こ、殺されて……」
「…………ふう……」
アリスタフにとっては、何十何百と聞かれ言わされてきた質問である。異世界に来てまで同じことを説明しなければならないのか、と少し自嘲気味にため息を吐いた。
「……まず前提が──」
「ニカノーロヴィチお兄様」
アリスタフの発言すらも押しとどめ、咎める口調で重たい空気を切り裂いたのは、先程からずっと黙り込んでいたエリザヴェータであった。
「はじめにダヴィードお兄様は仰ったわ。アリスタフさんは異なる世界から来たと。だとすれば生まれも、育ちも、信念も価値観も、葛藤も赦しも、あたしたちとは違う。今すぐに必要な情報として、ニカ兄様の質問に答えは要らないと思うわ」
エリザヴェータは自身の髪留めを取り去り、アリスタフに見せた。緑青色の輝石が銀枠に囲まれた美しい装飾品であり、彼女の母から譲り受けたものだ。
それは、アリスタフの後頭部で彼の纏めた髪を留める装飾品と同じものだった。思わず手を後ろにやり、それが抜き取られたものではなく、同一空間に2つ存在しているものだということを確かめる。アリスタフ自身は、今この時までこれが母の形見であることを知らなかった。いつの間にか所持していて、それは乳母メルセデスの形見かその親友アネットからの贈り物だと思っていたからだ。だが、異世界の王族を名乗る者が同一と思われる物品を持っていたことで、自ずと生母のものと理解した。
「あたしも理解が追いつかないけれど、アリスタフさんはどこかの世界のお父様とお母様の子ども。あたしたちに似た存在。何よりも、味方。それだけ分かればじゅうぶんよ」
「リーザ……」
呆けた様子で妹の名を呼ぶニカノール。エリザヴェータは、刺々しい哀しみが覆う2人の空間を、笑みと言動で破ってみせた。ニカノールはかぶりを振って絞り出すように言う。
「分かってる。分かってるけど、王家の人間が、異世界とは言え王家が途絶えたと聞かされて何も思わないわけにはいかなかった訳で……ごめんなさい」
「いや、謝ることはない。弟くんの言い分は最もだ。それに、異世界の……って言われて納得できないのも正常だ。疑ったり詰ったりするのは、俺を信じたいから、ってことだと思うよ。疑念を取り去って、仲間になろうとしてくれたんだろう?」
「……!」
自分すらも言語化できていなかったアリスタフへの疑念は、妹の助けもあり、当の本人により結論づけられた。そうだ、仲間になる以上は味方であってほしい。敵ーー兄や妹に危害を加える可能性のある者は排除しなければならなかった。自分の中の強い信念が棘を持って相手に向かっていたことを自覚した。
「そうは言っても、先の非礼は詫びさせてください」
自分に信念があるように、相手にももちろん信念がある。それを侮辱しかねない言動をしたのだ。自戒も込めて、ニカノールは深く頭を下げた。
「分かった。謝罪を受けよう。許す。理由はさっき言った通りだ」
向けられる好奇や悪意には慣れている。それに、相手の背景を知っているからこそ、相手の言動に疑問は無く、怒りもまた無いのだ。その背景理解の助けには、ミロスラヴの存在が大きいことは言うまでもない。とは言え、謝罪を無碍にして相手の悔悟の機会を奪うのは野暮の極みだ。アリスタフはニカノールの謝意を素直に受け取った。
「それと、妹を助けてくれてありがとうございました」
「それについては、私からも。心からの感謝を……アリスタフ」
今まで弟たちのやり取りを黙って見守っていたミロスラヴも礼を述べる。少々照れ臭くなったアリスタフは、いいってことよ、とはにかんだ。
「まあ、色々話したいのは山々なんだが、とりあえずはここがどこの世界で、なぜ呼ばれて、どうすれば帰れるか、力を合わせようぜ」
改めて仲間になったアリスタフの言葉に、三兄妹は力強く頷いた。
「では、アリスタフ。君が以前に聖墓を通った時、先生はいつ頃現れたんだい?」
「あー、あの時は既に師が待っていたから……。今回の待ち時間は読めんな」
渋い顔をしたアリスタフの返答に、ミロスラヴも苦笑する。
「いつまでも来なくて、餓えてしまったら困るな」
「あたしたち、昼餉の前だったから……」
「そう言われると、腹減って来たな」
戦闘で警鐘を鳴らして昂っていた神経が正常に戻ると、今度は腹の虫を鳴らす。しょぼくれた顔をする面々に、したり顔でアリスタフはあるものを掲げてみせた。
「ダヴィード君のお茶会携行品が役に立つな!」
見れば、横は片手剣ほどの長さ、径はアリスタフの腰ほどの包みが高々と掲げられている。ぽかんとする三兄妹をよそに、アリスタフは包みを開け、中から木製の椀、鉄製の茶器、茶葉、そして菓子の包みを取り出した。
「俺はある紋章学者と打ち合わせをするために修道院に来ていたんだが、紋章学を極めんとする者ってだいたい甘いものが好きだからさ。で、いい案が思いつく部屋の外でもお茶会ができるように、って、割れない木製と鉄製の茶器を手に入れたわけだ」
椀が鉄製だと熱いし重いし錆びるから、湯沸かし用の茶器以外は木製を選んだんだ、と呑気に解説しつつ、敷き布に茶器を並べ、日持ちしやすい焼き菓子を並べていく。
「まだ2人の紹介も聞いてないし、な?」
そう言われてみれば紹介し損ねていた、と反省する生真面目なミロスラヴ。聖墓で飲食って罰当たりじゃないか、と信徒ならではの懸念を抱くニカノール。おいしそうなお菓子だから早く食べたいわ、と目の前の誘惑に夢中になっているエリザヴェータ。三者三様の思惑が渦巻く中、アリスタフは人数分の敷き布が無いので外套を着用しているミロスラヴとニカノールと自分はそれを敷くように命じ、紺色の敷き布をエリザヴェータに渡した。
「あら、お水はお持ちでないの?」
敷き布を受け取りながら、並べられた道具類の中に重要な水分を保管しておくものがないことを指摘する。
「いい質問だぜ、お嬢さん」
ニヤリと笑い、ニカノールに視線を向ける。
「弟くん、ファイアーは撃てるか?」
「ああ、もちろん」
ファイアーと言えば初級黒魔法のひとつである。理学に明るい彼はもちろん習得済みである。
「助かる。ーーじゃあ、行くぜ」
アリスタフは自身の前に小さな魔法陣を組み、己の魔力を通していく。組み込まれた命令式によって魔力は風の性質を帯び、大気中の水分を集めて一塊の氷を作り上げた。ニカノールはその魔法をフィンブルであると予想するが、自分で首を傾げる。
本来の風の上級魔法フィンブルは、もっと巨大な氷で敵を包み、一定時間経過で氷ごと破壊する魔法である。しかし、アリスタフの展開したフィンブルは一握ほどの大きさで、何も包まず、そして破裂しない。いまだ宙を浮いている。最も、黒魔法の中で地を這うのは風属性から派生した氷魔法のブリザーとフィンブルと相場が決まっている中、浮く氷というのは異端そのものであった。
アリスタフは左手で陣に魔力を送りつつ、右手で木の器をひっくり返して氷の上方に配置する。氷の下には、同じように茶器がおいてある。
「じゃ、ファイアーよろしく! 俺に当てないでくれよ」
「ええ……。はい……」
あまり見たことのない理学の論理展開に困惑しつつも、ニカノールは氷に向かってファイアーを放った。
蒸発した水分、落ちたり溶けたりした水分は木の器に集まり、必要な水が揃った。それを鉄製の茶器に入れ、ファイアーで湧かす。茶葉の包みを入れ、ほどよく蒸らす。セイロスティーの出来上がりである。
「はい、どーぞ!」
「木の器って風情があるわね。いただきます!」
「魔法、ってまさに魔法だね……? いただきます」
「聖墓の空気から精製した聖なる水……。主よ、守護聖人セイロスの名に免じて飲食をお許しください。心していただきます。……うまい」
各位がそれぞれお茶や菓子を口にし、空腹や渇きを満たす。重要な遺跡機構の中での、何とも不思議なお茶会が始まった。
はじめに、ニカノールとエリザヴェータが名と身分を名乗り、ミロスラヴも改めて名乗った。士官学校卒業後、正式に王位継承権を得て、父王の補佐官を勤めていることが伝えられた。一方のアリスタフは、先ほど伝えた北方方面の外務官として働いている以外の情報は伝えなかった。帝国に苦しめられた事実が歴史として残る者たちに、帝国に仕えている自分の仕事内容を伝えるのは気が引けたからだ。
やがて、理学に明るいニカノールが、アリスタフが先程見せた不思議なフィンブルについて質問したところから、2人の理学談義が始まってしまった。魔力の少ない自分が一線で戦えるようになるために、魔法陣に組み込む式を一部変更していることや予め陣を魔石に覚えさせておくことなど、アリスタフによる理学講座に、きらきらと目を輝かせてニカノールは聞いた。
ふと、何らかの変異を感じたアリスタフは話すのをやめ、理学の話について行けず白目を剥きかけているミロスラヴの肩を揺らす。
「ミロスラヴ、起きてくれ。ーー『せんせい』のお出ましだ」
アリスタフは聖墓の入口にある巨大な扉が開かれるのをじっと見つめている。開閉において轟音が伴ってもよいほどに巨大な扉が、音もなく開きゆく。その代わり、周辺の砂塵が舞い、魔石の光を反射してきらめく。
「後のことは……頼んだよ……」
今にも召されんとばかりに力なく声を発するミロスラヴ。アリスタフは彼の頬を数回ぺちぺちと叩く。
「駄目だ。なんか、俺、動悸が止まらなくて……、こんなこと初めてなんだ。ミロスラヴに交渉役を任せたい」
仲間の不調を聞いてもなお呆けていられるほど、ミロスラヴは無責任な人間ではなかった。今までの様子が嘘のように刮目し、アリスタフに視線を向ける。
「……大丈夫かい?」
「……そっちこそ」
皮肉めいた言動をする余裕はあるようだが、額には冷や汗が浮かんでいる。
「まだ会ってもいないのに、心臓がうるさい……」
「ニカ。レストを」
言動からして、聖墓に彼の人が現れたことによってもたらされたことを自覚しているようだ。ミロスラヴはアリスタフを一瞥して弟に指示を出した後、扉の砂塵の中の人影に注視する。
ニカノールはすぐさま身体の異常を取り除く白魔法レストを展開する。身体がその動悸を異常なものだと認識していれば、動悸は治まるはずである。
「恋煩いかしら。先生は美しい方だから……あら?」
砂塵は落ち、人影に色彩を与える。風薫る空のような翡翠色の髪と瞳を持ち、金と白を基調とした聖職者の出立ち。中でも高貴な立場であることを、外套の裏地の紫が教えてくれる。すらりとした頭身の中に鍛えられた筋肉を感じる。淡白ながら端正な顔立ちは、4人の姿を認めてやや驚いた表情見せた。この世界の凶星、「せんせい」と呼ばれる人物である。
一方の三兄妹は、自分たちの知る先生と大きく異なる点があるため、ぽかんとしている。
「ええと、大司教猊下の御兄弟であらせられるお方、でしょうか」
口火を切ったのはミロスラヴ。質問の中の可能性は、首を横に振られることによって棄却された。
自分はフォドラ統一国家元首のベレトであり、兄弟はいない、と付け加えられた。
「国王陛下……なのですか?」
エリザヴェータの質問には、首は縦に振られた。その意味は、三兄妹たちにとってはアリスタフの存在並みに衝撃的であった。
「……どことなくべレス先生に似ているような……」
目の前の人物の肩書きに驚きつつも、アリスタフにレストを掛けながらニカノールはぼんやりと呟いた。ニカノールの呟いたべレス、の言葉に国王は首を傾げる。
「……言っただろ。異世界に来た、って」
レストが効いてきたのか、呼吸を整えながらアリスタフは言い放った。
「俺の世界の師は、深い海みたいな青い髪だった……」
それらの言葉で、ミロスラヴは得心がいったようだった。
「私たちは異世界から来た者です。『壊刃』ジェラルトの一人息子ーーベレト殿。『べレス』とは、私たちの世界の壊刃ジェラルトの一人娘にして、現在はセイロス聖教会の大司教猊下でございます。『天帝の剣』を操る、と言えばもう間違いはありませんか?」
国王は胸に手を当て、しばし考え込んだ後、理解した、と頷いてくれた。その返答を受け、ミロスラヴは質問を切り込んだ。
「さて、教えていただいてもよろしいでしょうか。私たちがこの世界に呼ばれた意味を」
彼の碧眼は、真実を見極めんと澄み切った光を帯びていた。