第三節 「せんせい」
国王はこの世界のフォドラの時空と事情を話し始めた。現在は、大陸暦(旧帝国暦)の1191年、天馬の節。かつてフォドラを襲った戦乱は、セイロス聖教会とその騎士団を主体とした新生軍が帝国を打倒することで終結した。その後、新生軍の将であり炎の紋章と天帝の剣を持つ指導者ベレトのもと、戦乱によって荒れ果て、政治形態が崩壊した旧王国・旧同盟をもまとめて、フォドラ統一王刻が誕生したそうだ。聞くに、大まかな時系列は三兄妹が生まれた世界と似ているようだった。
誕生からおよそ5年経ち、フォドラ内の統治も安定した頃合いである。今後はフォドラの外にも目を向けて、主にパルミラとの国交樹立に向けて準備を進めているそうだ。しかし、ここで問題が発生しているらしい。
リーガン領とエドマンド領の間にある豊かだが深い森に、方向感覚を狂わせ、遭難やら迂回やらを発生させる領域があるらしい。地図上で領域を把握し、結界らしきものが張られていること、その魔力の痕跡などは判明したが、まず近づくことから難航するために手の付けようがない。森に眠る鉱脈や木資源の入手、パルミラとの交易に向けた行商路開拓などを考えている国としては、何としても解決させたい謎だと言う。
一方、誰も近づけない領域と言っても、そこに入ることのできる人間がいた。こともあろうに、国王その人である。王は静かに森の様子を見て回ったが、森は魔獣の巣となっており、中には大型かつ巨大な魔力を持つものもいた。討伐しようにも1人では太刀打ちできそうもなかったようだ。
国王が森に入れた理由だが、王は炎の紋章の持ち主であり、およそ全ての紋章の代替ができるとされている。とすると、その領域に入るには特定の紋章を持つ人間が必要ではないか、と理由付けができる。そこで、確認できる紋章持ちたちを片っ端から向かわせたが、誰も彼も同じ。大紋章でも小紋章でも関係が無かった。
確認できる分は試し尽くして、さてどうするかと思案しているうちに、女神に聖墓に向かうように言われた気がしてやって来た、という。この時、国王が女神の真名を言いかけたのは、全員が首を傾げて聞かなかったことにした。
国王は問うた。君たちは紋章を持つか、持つならば何の紋章か、と。
「オレはブレーダッドの小紋章でーー」
「あたしはその大紋章です」
「私はモーリスの小紋章です」
王国の3人が答えると、ブレーダッドの名に驚く一方、モーリスの名を呟いて国王は首を傾げた。聞いたことがない、といった様子だった。モーリスを知らないのだろうと判断したミロスラヴが説明をする。
「かつてフォドラを救ったとされる英雄は、12人いたのです。解放王ネメシス、フォドラの十傑、そして抹消された英雄モーリス。モーリスは英雄の遺産を手にしたまま、紋章石に取り込まれ魔獣となりました。そのため、モーリス自身は英雄としての名を消され、モーリスの紋章は獣の紋章と呼ばれ蔑まれ、最近まで世間では表に出てこないものでした」
この目で見た英雄の遺産や伝承史料を。この耳で聞いた父母らの話を。吟遊詩人の唄う物語のようにすらすらと、その紋章を宿すミロスラヴは語る。国王は、最近は表に出ているのか、と現実感のある部分に質問をぶつけた。
「はい。私たちの世界では、彷徨えし獣となったモーリスを父上たちが討伐し、人の骨とモーリスが持っていた英雄の遺産を回収しました」
そう言って、ミロスラヴは鞘からブルトガングを引き抜いた。論より証拠と言わんばかりに、力を込めて紋章石を赤く光らせ、英雄の遺産であることを証明する。
「モーリスは獣ではなくなり、モーリスの持っていた魔剣ブルトガングは先の戦争で人を助け、モーリスの紋章を宿す王妃が人々を癒したのでーー今ではモーリスも十傑の仲間として認識されつつありますね」
ミロスラヴの説明にありがとう、と礼を言い、国王は考え込む。もしかしてーーと小さく呟いてその先は言わなかった。国王の意を汲み取り、ミロスラヴは首肯した。
「モーリスはエドマンド領南方にある森で1000年もの長い間、殺戮の衝動に苦しんでいたそうです。先生ーー失礼、陛下の話と我々が呼ばれた理由を併せて考えるに、森にいる魔獣たちの頭領はモーリスで間違いないかと」
では、モーリスが結界を張って侵入者を防いでいるのだろうか、という疑問については、そのような情報を持たぬ故に結論は出なかった。
「とにかく、その森にある結界のような何かは、モーリスの紋章を持つ兄上なら入れるってことか」
「それと、持つ紋章が異なるとはいえ母上の血を宿すお前たちも入れる可能性が高い」
わざわざ主から啓示があったくらいだから、意味のない召喚などあってほしくない。弟と妹が危険な目に遭うかもしれないのだから、尚更。ミロスラヴはそう願っていた。
国王は、君たちの両親は何者なのか尋ねた。モーリスの血、ということでまずは母親のことが気になったようだ。
「もし私たちの世界と同じ年に教師を務められていたならば、恐らく『金鹿の学級』にマリアンヌ=フォン=エドマンドという、大人しい生徒がいたかと思います。覚えておいでですか?」
国王は頷く。担当学級の生徒ではなかったが、あの頃は大人しすぎてかえって気になる存在だった、と話す。そして、何か紋章を持っているような気がしていたが、と言って、ミロスラヴたちの反応を待った。
「はい。母上は当時、モーリスの……、獣の紋章を所持していることを秘匿していました。恐らくこの世界でもそうだったはずです」
ミロスラヴの説明に、国王はふむ、と頷いて頭の中の情報を整理した。兄のモーリスの紋章は母親から継いだもの。では弟と妹のブレーダッドの紋章は父親からーーと、整理した上で目の前の青年たちに目をやると、驚愕の事実にぶち当たる。
「私たちは、王国が帝国を打倒し、レア様の跡にべレス様が大司教となられた世界の生まれ。国王の名はディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッド。その妃は、マリアンヌ殿下。フォドラ屈指の弁論家としても名を馳せ、王と共にフォドラの治世を歩まれる方です」
国王は異世界の歴史や自分の分身のことも気になったが、それよりもディミトリと結ばれ王国の統治をするマリアンヌの転換ぶりに驚いた。確かに、卒業が近づくにつれ明るくなっていったようだし、近年はエドマンド辺境伯のもとで領内経営や弁論を学んでいることは風の噂で耳にしてはいた。だが、そこまで変わるものなのかと驚嘆した。
「あ、そう言えばオレたちの世界は大陸暦1210年。この世界のおよそ20年後なので……まあ、そこは一つ参考までに」
驚くあまり化石状態になっている国王に向け、ニカノールが補足するが、それはそれで驚愕の事実であり、国王の頭はより混乱の渦に飲み込まれていった。
聖墓の静かな空気が降りてきた。沈黙を包み、思慮には熟成を、談話には温もりを与える。
「1191年……。確かに、ニカやリーザはまだ産まれる前だね」
これ以上情報を与えるのは無益と判断し、国王の考えがまとまる、もとい国王が状況を飲み込めるまで、ミロスラヴとその仲間たちは雑談することを決め込んだ。
「俺は8つの年だな〜義叔父上の鬼シゴキが始まる頃かあ。懐かしいやら恐ろしいやら……」
「ドミニク家でのことだよね? とても気になる」
「ギュスタヴの実家だから王家の教育ともちょっと被っているかもな。ドミニク式訓練法?」
ドミニク式訓練法、の言葉に、アリスタフとミロスラヴは互いに鋭い視線を交差させた。しばらくの沈黙の後、アリスタフが静かに口火を切った。
「……秋口の夜中に」
「野山へ投げ出された!」
アリスタフが上の句を言うと、ミロスラヴは自身の受難を下の句として返す。やや嬉々として。
「重装兵の鎧を」
「着込んで外周!」
今度はニカノールが返す。馬上の高さすら苦手な彼は、馬術や飛行術の代わりに重装兵の訓練を何倍もしたものだった。
「荷馬車は乗るもの載せるものではないーー」
まるで誰かの口ぶりを真似するかのように、低い声で台詞めいた言葉回しをするアリスタフ。
「背負って運ぶものだー!」
今度は兄も弟も、全く同時に返答した。もはや笑っている。まさか自分たちと同じような地獄の訓練法をこなした人物がいるとは思わなかったため、様々な感情を超えて喜びが真っ先に顔を出したのだ。
男連中が楽しそうに合言葉を言い合う様子を、色んな意味で悔しそうに見上げるのはエリザヴェータ。何やら不服のようだ。
「あたし、まだやってないわ!」
「リーザはもう少し体が大きくなってからでないと負担になるからまださせられないよ」
仲間はずれにしたい訳ではないこと、今までそのような訓練をしてこなかったのは末妹だからではないことを、その微笑みと共に伝えるミロスラヴ。最も、彼らにとっても成長期に該当する期間に行うものではないのだが……。長兄が今後も何かと理由を付けて妹にだけは理不尽な訓練をさせまいと思惑を働かせていることは、その微笑みを見ただけでは分かるまい。
「まあリーザはあんなことしなくてもじゅ──ーぶん過ぎるくらいの馬鹿ぢかーーーー兄上痛いイタイ!ーー筋肉へ効率的に力を伝達できているようだから、まあやらんでもいいんじゃないか?」
「違うの。その何かをやり切った! ドミニク式と言えばコレ! みたいな一体感をね、兄様たちとやりたいの……! アリスタフさんもいるし……みんなで、ね?」
どうやら意図せずとはいえ仲間はずれになってしまったことが寂しかったようだ。漢気迸る熱情への共感と、兄たちを慕う純粋な気持ち、そして母譲りの必殺上目遣いに、ミロスラヴの胸は穿たれた。
「……国王陛下からの要求に対し、返礼として野山を一日貸し切りにしてもらおう。一日中ドミニク式訓練大会だ!」
「兄上?!」
「ダーヴァ兄様、大好き!」
「ナンダコレ」
混沌を極める三兄妹への状況を素直かつ問題なく吐き出せる言葉を選んだら、アリスタフの発言はやたらとぎこちなくなってしまった。
自分にも兄弟がいたらこうも盲目的に溺愛しただろうか。母の胎内には子どもがいたかもしれない、なんてたらればの噂に揺らいだ時期を思い出す。だが、そんな「もしも」など目の前の現実に即していなければ無用なものだ。たとえば、両親がまだ生きていたらーーなどと考えても、事実いないのだから、現状を飲み込み未来を切り拓こうと、アリスタフは割り切って生きてきた。
「……フフ」
ただ、恣意的に「もしも」を手繰り寄せて望みを叶えて良いのなら、もう1人のダヴィードと同じ世界を望んだかもしれない。と、詩的で感傷的な自分に、気付いたら微笑んでいた。
「アリスタフ。他人事のようにしているようだが、君も参加するんだぞ」
「……分かってるよ……」
こうして、異世界からはるばるやってきた一行が閑話を繰り広げているうちに、国王の方は考えをまとめたようだった。
国王の意見ならび発言は端的なものだった。「謎の解明に協力してほしい」。協力の範囲は明示されなかった。自分たちの裁量で決めて良いということだ。
三兄妹の代表者であるミロスラヴは沈黙ののち、答える。
「どの時空にいようとも、助けを求むる声があらば応える。それがブレーダッド家の考え方」
長兄の意見に、弟も妹も同意見だと頷く。しかし、ただ、とミロスラヴは付け加える。
「甚だ僭越ながら個人的な付与条件があります。私ーーダヴィード=ミロスラヴ=ブレーダッドーーの弟と妹の身の安全が確保されるのであれば、です」
その条件に、こちらの力の可能な限り答える、と国王は約束した。これで三兄妹の意思は確認した。自然とアリスタフの方へ視線が移される。
「俺も、未知な力に自分の力が拮抗できるってなら、やりますよ」
本音を言えば、両親から貰い受け、多くの命に守られたこの身は、できることなら自分の世界でのみ働かせたい。だが、同じダヴィードがやると言って、自分はやらないと言うのは不義理なものだと思ったのだ。理性でなく情に流された、と言えばそうなるが、そのような「感情」だの「絆」だのに巡り会えることもそうそう無いと思い、流されることにしたのだ。
4人分の返答を受け、国王はありがとう、と礼を言った。一国の王は易々と頭を下げるものではない。それを理解している面々は、事の重大さを改めて受け入れた。
ふと、国王はアリスタフを見つめ、君はどちらかの紋章を持っているか尋ねた。
「俺の『血』はーー」
「あたしたちと同じブレーダッドの紋章、ですよね、アリスタフさん!」
先の戦闘で見事にアラドヴァルを使いこなした様子を思い出しながら、きらきらした瞳でエリザヴェータが確認する。
「あ、ああ」
アリスタフはやや歯切れの悪い返事をしたが、それより国王はアリスタフと3人の関係性が気になるようだった。3人は兄妹のようだが、アリスタフは違うようで、ブレーダッドの紋章が共通しているなら親戚か何かか、と。だが、それだとモーリスの紋章の因子が結界を突破することに矛盾する、と指摘する。
「同じ両親を持つ異界の存在です」
迷いを断つようにミロスラヴははっきりと答えた。何となく、彼の存在を
ミロスラヴの返答に対して国王はそうか、と頷き、色んな世界から連れて来たんだな、とひとりごちた。
こうして、国王と4人は聖墓を出て地上へ向かい、具体的な話し合いを進めることになった。