第一節 デアドラの街にて
3–1 デアドラの街にて
一行は国王率いる作戦部隊と共に大修道院を出立し、数日後の昼前に旧同盟領の都市デアドラへ足を踏み入れた。
国王のデアドラ慰問、部隊の兵士たちの士気向上のために、本日はデアドラに留まり、翌日に件の森へ向かう手筈となった。
兵士たちはデアドラの街に隣接する野営地にて宿泊、国王周辺の人員とダヴィードたちはデアドラ領主の客用宿泊施設にお邪魔することになった。
野営地を好むニカノールは兵士たちと共にいたいと要望を唱えてみたが、儚くも兄の笑顔にかき消されてしまった。
「確かにもったいないくらいの手厚い歓待だが、それは私たちが国賓扱いだからだ。権利を行使しないことは、義務を履行しないことに等しい。つまり、礼を失するようなことはしてはいけない」
なおも引き下がろうとしたニカノールに、ミロスラヴは釘を刺す。寝床があるだけでもありがたいのに、壁と天井があり、夜警まで付けてくれるほどの優待っぷりである。清貧を好むファーガスの王子たちとほぼ平民出のアリスタフは正直なところ、戸惑っていた。
「お兄様、あたしたちのお部屋はあちらとその向かいですって」
「ありがとう。行こうか」
割り振られた部屋を聞いてきたリーザが道案内をする。海が見える方と街が見える方とで分かれるわね、とリーザは楽しそうにしている。
「……?」
部屋を覗くと、客用の立派な寝台が二つずつ。部屋は二つ。一行は四人。簡単な数合わせに、アリスタフは首を傾げる。
アリスタフはミロスラヴに目線を配る。ミロスラヴはハッとして、その瞬間からあらゆる手あらゆる可能性を巡らせた。
「ニカ」
要求を蹴った時以上の笑顔を向けて、ニカノールの肩に手を置く。
「兄上?」
得体の知れない何かを感じ取り、じりじりと後ずさるニカノール。
「兵士の皆さんと交流してきなさい。ただし、くれぐれも身分は明かさないように。そして、朝一番に戻って来てほしい」
「えっ嬉しいけど何で……」
「頼む」
有無を言わせぬ気迫に、ニカノールはただただ頷くしかなかった。
ミロスラヴが部屋割りを考えに考えた結果である。いくら兄妹とはいえ王侯貴族にあたる自分たちが男女で一晩明かす訳にはいかず、アリスタフと同じはもってのほか。かといって立派な寝台を動かそうにも手間が掛かる上、見つかったら間が悪い。そうは言ってもこれ以上部屋をくださいと頼むのも、他に宿を取るのも、先程自らが述べた礼を失するに値しそうだった。
そこで「うちの弟は野営が好きなんです。すみません」を伝えれば、全て丸く収まる。心配ではあるが、ニカノールの要望も叶えてやれる。アリスタフが床や椅子で眠れると豪語していたが、明日に備えて休養は摂るべきである。
要するに、ミロスラヴも焦って混乱していたのだ。そんなこんなで、一行の部屋割りは無事決まったのであった。
デアドラの到着は昼頃で、一行は領主に挨拶をした後、デアドラの街に繰り出した。子どもの頃の一時期、エドマンド領の中心部で暮らしていたアリスタフは、デアドラの街にも親しかった。
「俺が暮らし始める二年前の時間軸だから、あるとは思うけど……」
時空が異なる世界でも、同じ店が見つかるかどうか、アリスタフは懸念していた。
「キジの揚げ焼きデアドラ風って、大修道院の食堂でも出て来ると思うんだけどさ、本場の味はもっと美味いんだよ!」
曰く、揚げ焼き料理は肉に乾酪(チーズ)を挟むのが定番だが、その店は乾酪に加えてパルミラから流通する香辛料を用いており、揚げ油と肉の脂が乾酪に絡んで旨味を出し、そこに香辛料の刺激と風味が口いっぱいに広がるそのお味たるや、デアドラの名を冠する名物料理に相応しいとのこと。
アリスタフの熱弁を聞いた兄妹たちも、どんなものかと気になってそわそわとし始める。店は雰囲気は違えども無事に存在した。一行は名物料理を注文し、楽しく食事を共にした。
「――やっぱし、結界が交易路に掛かっちゃってるからかな……」
アリスタフが熱弁した乾酪と香辛料の組み合わせは、流通路の関係で現在品切れ。代わりに香りの強い香草が混ぜ込まれていた。それはそれで爽やかな風味がして美味しいが、知っている味を紹介できずにアリスタフは少し落ち込む。
「まあまあ。これからその元凶を叩くと思えば闘志が湧くじゃないか」
「この香草……ファーガスの名産の……。うん、よく馴染んでいて美味しいぜ」
「あらっ。そう言えば、温室でドゥドゥーが香草の一画を作っていたわね。それと同種のやつかしら?」
「たぶんなー」
「今度作ってもらいましょ」
「おう」
比べるもののない下の兄弟たちは、純粋に味の感想と料理の得意な父の従者の姿を思い浮かべてほのぼのしていた。
「……香草も美味いことを知った、それは喜ばしい。でもあの刺激が恋しい……」
アリスタフを元気付けつつ、何気ないおしゃべりをして昼の時間を過ごす一行。一部の装飾品を除いて一般のそれを身に着けている彼らは、若い旅人たちが道の途中で立ち寄っただけに見える。
士官学校での食事やお忍びで城下町に行くことで庶民の味や暮らしぶりを経験している、とは言っても、彼らの肩書きは変えられない。王族であることを認知されてもされていなくても、形容しがたく走る緊張感はどこへ行っても拭うことはできなかった。だが、今ここにいる彼らはただの若者だった。
昼食を終え、デアドラの街でも武具の類を見たいミロスラヴと装飾品の類を見て回りたいエリザヴェータとで意見が割れたが、分かれればよくない?というニカノールの冷静な指摘によって、一行は国王の招集を受けている夕暮れまで二手に分かれることになった。
異世界かつ十数年前とはいえ町並みはそこまで変わらないことから、訪問経験のあるミロスラヴはニカノールと武具の店へと足早に去って行った。
一方、初めて見るデアドラ市街の露店街を、きらきらした瞳で見渡すのはエリザヴェータ。エドマンド領への道すがら訪れたことはあっても、馬車からあまり離れられず、王族扱いもされている状態で、露店など見て回ることなどできなかったのだ。
「市民が買う食材、旅行者向けの調理品、土産品、武器や呪いのお店も少しあるのね……そして……流通路の交差点ならではの、多文化な装飾品たち! 素敵ね! 一日中見ていられそうだわ!」
露店に並ぶは、只今エリザヴェータが述べた通りの物品である。旧レスター諸侯同盟の盟主リーガン家お抱えの領都デアドラは、同盟の文化の中心地、そしてフォドラ内外の文化の交流地点でもある。ここに集まるは物だけではなく、それに伴う人、金、情報などなど、多岐に亘るのである。
中でもエリザヴェータは装飾品に目を輝かせている。あちらこちらと見て回り、耳飾りや首飾り、指輪、髪飾り……とどんなものにも飛びついた。
ある指輪に対し、少し古い意匠だけど味があっていいわね、の一言に、流行最先端の品だよお嬢ちゃんと商人は苦笑いしていた。
「紋章意匠芸術はまだ栄えるには早い、か。特にセイロス教が覇権を持つ世界だと……」
装飾品の中に聖セイロスの紋章が彫り込まれた指輪を見て、アリスタフは何となしに呟いた。
「紋章意匠? なあに、それ」
「ええと。ちょっと歩きながら話すよ」
立ち止まって露天商らに聞かれては、この世界の美術史を改ざんしかねない。と、えも言われぬ不安感から、アリスタフは露店街を抜けつつ話し始めた。
アリスタフの世界では、紋章主義や貴族主義は崩壊し、また、魔道具の発明により紋章は身近な存在となっている。
そこで登場した流行が「各紋章に意味や暗示を与えた紋章意匠芸術」である。
そもそもこの流行は、血に由来する同種の紋章持ち同士はどことなく似た性格性質を帯びているのではないか、という仮説が一因となっている。仮説は立証こそされていないが、任意の紋章を身に纏う気軽さが後押しし、占いや民間止まりのお呪いに普及。そして現在は、紋章に与えられた意味などを身に着けたり、贈り物に込めたり、装飾品の意匠に用いたりと、芸術分野にも影響を与えている、とのことだ。
あくまで紋章の重要性が薄くなった世界だからできていることで、紋章が主より授かりしものと捉えられている世界では畏れ多くてなかなか流行らないだろうと述べた。実際、アリスタフの世界の流行も、セイロス教への信仰心が比較的に根強かった頃の影響力は弱かったらしい。最初は四聖人の紋章が比較的受け入れやすかったため、そこから間口が拡がった、と聞いている。
「聖セスリーンの紋章持ちが比較的多くて、与えられた意味が『恋』とかそういう若い連中が好きそうな内容で――」
ここまで話して、アレこれは異世界の人間のエリザヴェータに話しても大丈夫だろうか?と首を捻るアリスタフだったが、楽しそうに聴く彼女の笑顔を無駄にするのは野暮だよな、と訊かれたことには答えることにした。
「素敵ね。人が、自分の目標に向かってガンバローって気持ちとか、相手へ想う心を紋章に委ねた、って感じかしら?」
「おー、そうそう。今はそういう感じで使われているかな」
「花言葉みたいなものかしら。……うーん、でも確かに、ブレーダッドの紋章を持つあたしが、たとえばセイロス様の紋章を身に纏うのは畏れ多いわね」
逆に、王家たるブレーダッド家の象徴とも言える紋章をおいそれと身に着ける人間もなかなかいないだろう。
つと、エリザヴェータがブレーダッドの紋章にはどんな意味があるのか訊ねた。
「ああ。聞いて驚け……『力』なんだぜ」
アリスタフの期待通り、エリザヴェータは頭を抱えた。
「そのまんまじゃない!」
「ハッハッハッ。もちろん、物理的な力という意味もあるけど、何かを為し遂げようとする強さっていう意味合いの方が強いから安心してくれよ」
二人は露店街を抜け、海を臨む湾港近くに来ていた。丁度、日傘を備えた机と椅子のある茶屋があったため、海を見ながら話を続けることになった。
「じゃあ、お母様やお兄様の、モーリスの紋章はどうかしら?」
「おう。こっちだとまだまだモーリスの名前は普及していなくて獣の紋章って呼ばれがちだけど……そのせいもあってか意味は「悪魔」で総称されているかな」
モーリスの名前が未だ獣扱いなのは心が痛むが、エリザヴェータは耳慣れぬ単語に首を傾げる。
「そう言えば、あの時は聞きそびれてしまったんだけれど『アクマ』って何かしら?」
アリスタフは目を丸くする。そう言えば、この世界の両親の行いを「悪魔の所業」と言った時、異世界とはいえ二人を貶すな! などと非難されると思いきや、流されてしまっていた。悪魔、についての言及はセイロス教の教典の中にないのだろう。アリスタフ自身、紋章に割り振られた意味を読み解く中で、民間伝承などから単語を拾ったに過ぎない。
「……概念みたいなものなんだけどな、分かりやすく言うと『邪なるもの』『人を悪い方向へ導くもの』……かな? ある地域の伝承では、神を否定するもの、とかなんとか……」
アリスタフは獣の紋章に与えられてしまった意味、伝承を伝える。それを聞いたエリザヴェータは口をへの字に曲げてわなわなと震えている。どうした、と思わず声を掛ける。
「異世界とはいえ……ッ、お母様やお兄様、アリスタフさんの紋章が悪く言われているのは……ッ、どこに怒りをぶつけていいのか分かんないわ……!」
家族想いでお人好しの少女は、眉唾な迷信で形作られた風評に共に怒ってくれる。アリスタフは一周回って笑ってしまった。
「何で笑うのよぉ!」
「ハハハッ。いやいや、色々言いたいことはあるんだけど、兄妹揃って良いヤツらばっかだなと思って」
笑ってしまった非礼を詫びる代わりに、アリスタフは少女の嘆きを失わせる情報を伝える。
――意匠芸術の話は続きがある。占いや装飾に使われるようになると、意味に幅を持たせたくなる。そこで、紋章を逆向きにすることで、逆あるいは異なる方向へ意味が変わるようになる、としたのが最近の主流である。
アクマの意味するところは「欲望、誘惑、拘束、停滞」など。だから逆転すると「打開、覚醒、原点、…」などの意味を持つのだ。
「だから、悪い意味だけじゃないんだ。それに、物事には均整が必要だから、悪い役も必要だし。あと……、モーリスの紋章自体が珍しいからあんまり不吉な目で見られないんだよ」
「そうなの?」
「おう。人によっては『邪なる力を借りてでも為し遂げたいことがある……!』ってモーリスの紋章を身に着ける人もいるぜ」
「何事も受け取り方次第、ってことかしら」
アリスタフは頷き、エリザヴェータは聡いな、と教師のように褒めてみせる。その笑みは、どことなく両親のどちらにも似ていた。両親のどちらにも褒められたような気がして、そしてアリスタフに褒められたことで、エリザヴェータは頬を少し染める。
目の前の少女の心持ちはさて置いてしまって、アリスタフはあっ、と声を上げる。
「悪い、内容が内容だから露店街から離れちまったんだが。戻るか?」
露店街を見て回る、というもともとの目的が達成できていないことに気付いたアリスタフは、急いで席を立とうとする。エリザヴェータはそれを制止した。
「ううん。おもしろいお話を伺えて良かったわ。それを聞いた後だと、どうしても紋章意匠の何かが欲しくなってしまいそうだもの」
もとの世界に戻る時に置いていかなくてはならないため、そもそも買い物が目的ではなかった。好奇心を満たすために歩いたのだから、エリザヴェータは満足だった。
「それよりも、今聴いたお話を書き留めたいわ。それで、早めにお屋敷に戻ってみんなを待つのも悪くないかなあ、って」
「それもそうだな! じゃあ、屋敷で俺の知る範囲での意味を教えるよ」
「ありがとう、アリスタフさん!」
エリザヴェータは快活に笑い、アリスタフと共に領主の館への帰途を進むことにした。
向けられた笑顔を反芻し、アリスタフは何やら懐かしい気持ちがしていた。
「なあ。エリザヴェータはどちらかと言うと母君似……でいいよな?」
「え? そうね、同性だし髪の色も同じだし、お母様に似てるってよく言われるわ」
大好きな母に似ていると言われる誇らしさから、微笑みを絶やさずにいる。そんな笑顔を、アリスタフはじっと観察している。
「そっか。母上が笑うとそんな感じなのか」
「アリスタフさん……」
少し寂しそうに笑って、もう会えぬ母の面影を追う青年に、同情の気持ちが洩れる。
「あ、でも母上ってお淑やかな方だって聞くからちょっと違うか」
寂しそうな表情を見せたと思ったら、からっと笑って茶化してみせるアリスタフに、エリザヴェータは頬を膨らませる。
「ちょっと! お祖父様もお母様の少女時代を思い出すっておっしゃるわよ。それに――……ふふっ」
脈略なく笑うエリザヴェータに、アリスタフは何か思い出したのか、とつられて笑いながら問いかける。
「うふふ。ええ。お父様とお母様はね、とっても仲良しなんだけど、ごくたまに夫婦喧嘩をなさるのね」
「吟遊詩人に糧を与えて二十幾年……なのに?」
いつかニカノールが言っていた夫婦の仲の良さを表す詩人たちの言葉を復唱すると、エリザヴェータは頷いた。
「あたしが髪を初めて二つ縛りにした日のこと、お父様があたしを見て『マリアンヌがその髪型をするならそんな感じなのか……』って仰ったの。二つ縛りはね、お母様のご親友の髪型と同じで、お母様は纏め髪が多かったから、お父様からしたら新鮮だったんでしょうね」
くすくすと笑うエリザヴェータに、その後続く母君の行動が気になって仕方ないアリスタフは続きを急かす。
「子どものあたしたちには分からなかったんだけど、お母様は拗ねちゃったらしくてね。お父様と二人になった時に『リーザは確かに可愛らしい愛娘です。でも、私には無理だったんです……!』って言ったらしいの。お母様は昔、引っ込み思案な性格だったらしいから、派手な髪型は出来なかったんでしょうね。上手く言えないけれど、お父様の期待に添えなかったこと、これからも添えないことが悔しくて、ちょっと拗ねちゃったみたい。ふふ。侍女から聞いたの。お母様の乙女な部分が見られて良かったわ」
目の前の少女からは、彼女を包む家族への愛が溢れて見える。アリスタフは微笑ましい気持ちがする一方、話の中の母親の心中を探りきれないでいた。
「乙女心は分からんなあ……。要するに、父君も母君も、エリザヴェータが可愛いことで空回っちゃったんだな?」
「か、かわっ……あたし?」
予想外の地点から褒め言葉が飛んできて、エリザヴェータは動揺を見せる。それに気付いているのかいないのか、アリスタフは自分の推察を述べていく。
「父君は可愛い娘の中に愛する妻の少女時代を思い浮かべてしまい……、母君は可愛い娘の中に自分はいないんだよ、というか何だその妄想は~って照れちゃったのかな~って」
場面を想像し、考え得る両人の考え。エリザヴェータが感じたよりも的確な言葉が場面を捉えている。
「アリスタフさん……」
「え、なに?」
「誰よりも乙女心が分かって、誰よりも鈍いのね……」
褒め言葉が向けられていなかった肩透かし感から、エリザヴェータは低い声で言う。
「俺?」
「ええ」
「えぇ……」
褒められたんだか貶されたんだかよく分からないままに、ただただ異世界の両親の微笑ましい話題を得るに留まるアリスタフであった。