この話は、嵐を孕むの番外編でもあります……。(後日移設予定)
蒼月は後日談、紅花は前日譚です。
この節でもだいたい語られますがあらすじ(ほぼまとめ)を記載します。
蒼月あらすじ→
日夜問わず大聖堂でひとりごちるディミトリを心配して声をかけるマリアンヌ。仲間である貴方を助けたいと言うマリアンヌに、ディミトリは暴力を振るった。
紅花あらすじ→
士官学校時代、青獅子の学級の担任だったハンネマンに見出され、金鹿の学級から移籍したマリアンヌは、級長のディミトリと惹かれあう。
争覇の時代が始まり、ガルグ=マク大修道院を追われたセイロス聖教会を保護したファーガス神聖王国。国王に即位したディミトリのもとへと、マリアンヌは領地を出奔する。(聖教会とともに彷徨えし獣を討伐する)
第一子(ダヴィード=アリスタフ)が生まれた1年半後、謎の兵団に襲われた村を救うためにマリアンヌは出兵する。しかし、右腕を切り落とされ、ブルトガングにはめ込まれたモーリスの紋章石を奪われてしまう。空っぽのブルトガングと右腕の無い王妃の亡骸を見て、国王は復讐を改めて誓う。
夕刻に再集結した一行は、国王と作戦前夜の打ち合わせを行った。アリスタフの提唱した戦略を採ることになった。結界がモーリスの紋章石から力を奪っている間に少数精鋭で撃破、その後、結界を解呪もしくは破壊し、控えの作戦部隊が残る魔獣を一掃する手筈となった。基本的にアリスタフとミロスラヴが前衛、ニカノールは中衛で回復や援護、エリザヴェータは上空から周囲の警戒や牽制を行う。国王は後衛に控えるようにと、ミロスラヴがその陣容を推した。国王陛下自らが手を下すのは流石に畏れ多いので、と同じ王族だからこそ、ミロスラヴは頑として譲らなかった。
夕餉を馳走になった後、ニカノールが「オレ ヤエイチ イク」、ミロスラヴが「コラ カッテナコト スルナ」と噴飯ものの茶番劇を繰り広げ、作戦通り領主に非礼を詫びていた。アリスタフは先に客室へ向かい、そのやり取りを思い返しては寝具を叩いて大笑いしていたとかなんとか……。
さて、同室のミロスラヴ戻ってきたところでアリスタフは正気を取り戻しかけたが、やはりあの棒読みの演技は駄目だろう、と笑いの渦に呑まれていった。
「仕方ないだろう。何だかんだ言って、僕もニカも嘘を吐くのが苦手なんだよ」
いつまでも笑われて流石に羞恥心を煽られたのか、顔を紅くしてミロスラヴは口を尖らせる。
真面目な王子様の意外な表情が窺えて、アリスタフは別の意味でにやにやした。
ひとしきり笑った後、急に真面目な顔をしてアリスタフは切り出す。
「なあ……、聞かねーの?」
「何を?」
「…………」
アリスタフは黙り込んだまま、何か思いつめたような顔で考え込んでいた。どこにも遣れない気持ちを持て余した様子の彼に、ミロスラヴは明るい声を掛ける。
「そりゃあ、君に聞きたいことなんて、それこそ尽きぬほどあるさ」
「そうなの?」
「その中でも君が“聞かれたい”ことは、こっちで勝手に理由を作り上げて納得した訳だけど……本当のこと、当てようか?」
しばしの沈黙を肯定と捉え、では前置きから、と言ってからミロスラヴは語り始めた。
「学生時代に我々がガルグ=マクで会った時からね、不思議だったんだ。紋章を宿していることは分かるし、諸々突き詰めて考えたら異界の両親の子だって分かったから。でもーー僕と同じ紋章も、父上たちと同じ紋章の雰囲気も、どちらも感じたから。とても不思議だった」
懐かしい思い出話に、二人はその時のことを思い出していた。暖かくて、不思議な気持ちがする。一方、紋章について、そこまで観察されていたことに、アリスタフは内心驚いていた。
「そして、先日の聖墓での戦いの時。ブルトガングが僕の魔力以上の力を発揮したのは、単に相手の魔防が低かったからではない。君の紋章の力も作用していたんじゃないかな」
冷静になって思い返してみれば、自分の魔力量だけでゴーレム兵の装甲に攻撃以上の切り口ができるとは考えにくい状況ではあった。
「それについては……分からない」
常に冷静に思考し、自分についての余計な情報を落とさないように発言しているはずのアリスタフが、無自覚なのか実質答えのような発言をしたことに、心許された気持ちと意外な面が見られて嬉しい気持ちとがして、ミロスラヴは微笑する。
「話が飛ぶが、かの女帝エーデルガルトの紋章石改造武器には、モーリスの紋章石が使われていたらしい。同じ紋様の紋章石は複数あるとされているから、特段驚くような話ではない。だが、君の世界の母上は『先生』が目覚めるよりも前に戦死されていて、君の世界のブルトガングには紋章石が無い。恐らく、その紋章石は女帝の武器に使われた後、次代を担う期待からーー」
ゆうるりと人差し指を宙で廻らせた後、その指でアリスタフの心臓部分を指し示した。
「魔術か何かで移動されーー今は君の胸の中に在る。比喩じゃなくてね」
「だから、君の『血』はもともとブレーダッドの小紋章を、君の『肉体』は新たにモーリスの大紋章を持っている。ーーどうだろう、私の妄想は」
先日述べた内容と帰着点が同じであった。それについては、語彙が無くてすまないねと苦笑していた。
「……今すぐ王子を辞めて寓話作家か吟遊詩人を目指した方がいいな」
半分本気、半分冗談でアリスタフは呟く。それほどに、分かり易く、優しい言葉たちだった。ミロスラヴは笑って誤魔化す。
「いやいや。このくらいの詩吟は、王侯貴族としての嗜みの一つだよ。私は次代の王だから詩人では役不足かな」
もちろん人々の日々に癒しをもたらす吟遊詩人たちの生業を卑下している訳ではない。彼は、次期国王としての自覚がしかと芽生えているのだ。詩吟で暮らそうという気持ちにはならない。
「えー……、ホラ、兼業してさ、お忍びで城下に出て腕前披露くらいならできるだろ?」
「なるほど、その手があったか」
思わぬ提案に、膝を鳴らす。2人はしばらく無言で次の言葉を探していたが、
「……くくっ」
アリスタフが腹の底から湧き上がる感情を抑えきれなくなり、笑みを洩らした。
「ふ、あはは!」
それにつられて、ミロスラヴも声を出して笑った。
「ハハハ!」
「あはは!」
しばし2人で腹がよじれるほどに笑ったが、ふと平静を取り戻したミロスラヴが、笑みを湛えたまま言う。
「君がどんな紋章をどんな経緯で持っていようと、いくつ持っていても全く持っていなくても、君は君だ。それは自分が一番分かっているだろう?」
アリスタフは頷く。首肯を受けて、ミロスラヴもまた頷いた。
「僕も同じ気持ちだ。共通点があろうとなかろうと、君は仲間だよ。それに、君と話すのは楽しい」
「うん。俺も」
「もう迷いはないかい? 信頼しているからこそ、万全の態勢で臨んでほしいからね」
「迷い……ね。無い。ミロスラヴ、お前はすげーヤツだよ」
たった一つの質問から、心の中の後ろ暗い部分を見つけ、相手に何も語らせずして、陰を照らした。あり得ないとされる二重紋章、セイロス教では激しく禁じられているという身体の暴露。それらを踏まえてなおも仲間だと臆面なく言ってのける純真な強さ。その強い光は、今後どれだけの人を救うだろう。
それらを可能にする洞察力と話術、いわゆる「カリスマ」と呼ばれる能力に類する能力は、自分とは比べ物になりそうもなかった。
「……買い被りだよ。誰にでも苦手なことがあるように、誰にでも得意なことだってあるものさ」
「理学とか?」
アリスタフが得意で、ミロスラヴが苦手なことの名をいたずらっぽく笑って提示する。ミロスラヴは苦笑した。
「やめてくれ。足し算からダメになってしまう」
そんなこんなで柔らかい雰囲気のまま、もう少し話そう、ということになり、二人はお茶を淹れることにした。
しかし、茶葉の類を持っていないミロスラヴは厨房から分けてもらうか思案していたが、アリスタフがお茶会携行品入れの中から大量に余っている茶葉の一部を押し付けた。
「これはこれは……、不思議な匂いがするね」
いい香りだ、と茶袋をくんくんと嗅ぐ。聞けば、ラヴァンドラティーとカミツレの茶葉の香りを、互いに存在で打ち消さない程度に調合した品らしい。うっかり大量に買い付けてしまったそうだ。
「好きそうな匂いだと思って。多めにやる。もとの世界に帰る時に返してくれればいいよ」
「うん。ありがとう」
紅茶を淹れるのが好きだというミロスラヴは、椀やらお湯やらを準備して、作戦前夜のダヴィードたちのお茶会が始まった。
剣術、馬術、話術、交渉術……彼らの共通の話題は尽きなかったが、ここで、ミロスラヴが互いの世界の話を口にし始めた。
「君の来た世界では、ガルグ=マク大修道院は帝国の手に落ちた後、その後も帝国軍が駐屯していたんだよね?」
「ああ。修道院を奪われた教団は王国に身を寄せ、国教がセイロス教のファーガス神聖王国もそれを受け入れた、って……」
「なるほど。レア様を匿ったからこそ、国家転覆を狙った者どもが動けず、そのまま国王に即位なされたのか」
「……え?」
そちらの世界ではファーガスで政変でもあったのか、という視線を向ける。しかしディミトリ王は即位して目の前の王子はしかと存在している……混乱の表情を見せるアリスタフに、ミロスラヴは彼の世界での歴史を語った。帝国による大司教の身柄確保、公国による反乱、処断から逃れた王子ディミトリの所業、道を見失った王子と仲間たち、フラルダリウス公の死……そして帝国を倒すまでの話を。
「そうか。ただ帝国と戦っただけではないんだな。王都奪還、同盟の救出、帝国の打倒、大司教の救出……とんでもない道のりだ」
下手な騎士道物語よりもよほど正道かつ大胆で斬新で、いっそ王道とすら思える冒険譚に、アリスタフは息を呑んだ。
「ああ。だからこそ救国の王と呼ばれるんだ」
「なるほどな。ニカノールが帝国に嫌悪感を示したのも訳があるもんだ」
「……と、前提は承知いただいた上で、ここから君の好きな話をしよう」
好む話題、と言いながらも、その表情はどことなく昏い。
「両親の、話、か?」
「ああ。3年前に君に話した時は、結婚後の話ばかりしたよね」
「まあ、その前提期間の話はできないよな。色んな意味で」
アリスタフが苦笑すると、ミロスラヴもまた困ったように眉根を下げて、頷いた。
「王位継承権を正式に得た数節後のある夜……父上から告解を受けた。母上についてだ。……何でかな、君に聞いてほしいんだ……」
声色はどこか哀しみを帯びて響く。
「……うん」
できるだけ彼に寄り添えるように、ダヴィードは優しく頷いた。
そして静かに、次代の王は語り始めた。話し始めの切り口の巧さは、やはり、どこか吟遊詩人を思わせるものだった。
「父上が道を見失い、破滅へ進んでいた頃。僕が生まれる丁度4年前だから……孤月の節のことだ。大聖堂でぼんやりと突っ立っているだけの父上を、誰もが見放した頃、母上が差し入れを持ってきたそうだ」
それだけ聴くとそこから心解き放たれて純愛を育む……、といった、吟遊詩人すら歯が浮くような筋書きになるかと思われた。しかし、きっとそうではないことを、それを語る青年の表情の暗さが物語っている。
「その際、……父は、母上を犯した……」
ミロスラヴは消え入りそうな声を絞り出して伝えた。その苦悶な表情は、当人すらも自覚せぬほどに鬼気迫るものだった。つられて同じ顔をしてみれば、その様子は伝えられるかもしれないが、とても真似できるものではなかった。
「父上の告解自体はここまでだ。翌節のグロンダーズの会戦後、フラルダリウス公の死を契機に、父上は自分の信念を貫くことを決め、王都奪還に乗り出した。言わば正気を取り戻した父上は、母上にしてしまったことを先生に告白した。先生からは、吹っ飛ばされるほどの一撃を頬に喰らったらしい。まあ、こればかりは当然の報いだと思う。その後ねーー」
前提と前前提を踏まえた上で、両親の真の馴れ初めを、長兄たるダヴィードは語り始めた。
竪琴の節。血を血で洗うグロンダーズの会戦後、フラルダリウス公ロドリグの遺体はガルグ=マク大修道院の墓地に埋葬された。痛みと悲しみと、だが新たな希望に向かって進むと決めた王国軍は、以前とは異なり活気に満ちていた。
新たな希望、新たな指針を示したのは王子のディミトリ。彼の旗の下、王国軍は一つにまとまろうとしていた。
同節、執務室。簡易な応接間の腰掛け椅子に座る令嬢に対し、深々と頭を下げる者がいた。王国軍の希望、王子のディミトリである。
「本当に、すまなかった。いや、謝罪してもしきれないことをした。どんな罰でも受けよう。許せとは言えない。だが、王都奪還までは、どうか待ってくれないか」
「それは、はい。貴方は軍の将ですから……」
「すまない……」
力なく返された言葉に、謝罪の言葉を重ねる。申し訳なさから噛み締めた唇は、血が滲み出ていた。
「でも、……私は貴方を罰することなんてできません」
弱々しい声に顔を上げる。眉根を下げ、苦しそうに目を伏せている。心優しい彼女は、誰かを罰することはできないのだろう。
「だ、だが」
「ディミトリさんは、どうけじめを付けるのか、教えてください」
「せ、責任を取らせてもらう。必ず!」
叫ぶようにディミトリは言い放った。
「王都を奪還し、即位したならば必ず、お前を妻として迎え入れる!」
実のところ、マリアンヌが予想し、覚悟してきた内容と同様だった。だが、実際に言われてみると、思っていたよりも心は悲しみに覆い尽くされ、喜びといった明るい気持ちは湧いてこなかった。
「頼む……!」
再び頭を下げる。しばらくしてから降ってきた言葉はひんやりと悲しく尖っていた。
「罪を理由に、私を娶るのですか? それが貴方への罰、なのですか?」
「……そういうことになる、な……」
相手から言葉を換えて伝えられる内容は、そうではないと反論したくても、事実それを述べているのだから頷くしかない。一方、自分の発言の更なる愚かさに気付いてしまった。自分を犯した相手と結ばれてくれ、と犯した本人から頼まれるなど、絶望以外の何物でもないだろう。ディミトリも考えはそう至った。
ディミトリは、まだ気付いていない。己の罪深さに押さえ込まれ、申し訳なさで心を覆わせている彼は、彼女の真の気持ちに辿り着くことができていないのだ。
「『私と結ばれこと』は、貴方にとっての『罰』なのですか……⁈」
その言葉と声の気迫に思わず顔を上げると、涙を溢すまいと唇を噛んで瞳を潤わせている表情がそこにあった。目が合った途端、溜めに溜めた大粒の涙が頬を伝って零れ落ちた。ああ、何て酷いことを言ってしまったのだろう。彼女の生まれも境遇も知っているはずなのに。彼女の悲しみを肯定するようなことを今の今まで言い続けてきたのだ。
マリアンヌは涙に溢れる顔を覆ってしまい、それ以上の顔は見えなくなった。
「私……。私はあの時、怖くて、痛くて、苦しくて、悲しかった……」
「す、すまなーー」
「でも」
懺悔の言葉すら遮って、マリアンヌは誰にも言えなかったことを口にした。
「……嬉しかったんです。たとえ嘘でも、貴方が、夫婦になろうと言ってくれて。私の初めてを……、恋し、慕った貴方に捧げられて」
犯されたことで、懸想する相手とたとえ一晩だけでも結ばれることができた。それが、嬉しかったのだ。自らの処女性を否定するようなことは、誰にも言えなかった。迂遠な言い回しをしても、とどのつまり、彼女が一途であることを隠すことはできないのだ。
「だから、私とのあの時間を、すべて罪だなんて言わないでください。私は貴方を満たしたかった。それは叶ったんですから」
顔を覆うのをやめ、手を膝に置き、泣きながら笑う彼女は、どのような言葉を尽くしても足らぬほど美しかった。
「だから、罰なんてないんです。貴方が贖う罪の中に、私のことは入れないでください」
彼女は、許すと言ったのだ。
だが、それでもなお、ならば別の形で謝罪させてほしいと言うディミトリに、マリアンヌはしばらく思案したのち、
「ディミトリさん。約束してください。貴方は、あの時の偽りの契りを忘れて、真に想う人と結ばれてください」
やはり許す、と言ったのだった。
「それまで私、許しません。……どうですか?」
「あ、……ああぁ……」
喉の気管から漏れ出すような声が、息が、出た。崩れ落ちてしまいそうになる。敵わない。己の罪深さと軽薄さ。ー相手の度量の深さ、覚悟の重さ。今すぐそのか細い手を取って、求愛したい。抱き締めて、あの時間に俺は救われたと伝えたい。だが、今の彼には、その資格と度胸がなかった。この状況では、罪を贖いたいがために彼女を求めているようで。それを凌ぐほどの行動ができそうになかった。それほどまでに、マリアンヌが提示した約束は重く強大で、ディミトリがマリアンヌを想う気持ちは真摯たるものだったのだ。
マリアンヌは、約束を交わす代わりにディミトリの手を取った。ディミトリが顔を上げると、涙の跡が残った顔で、晴れやかに笑った。
以降の彼の功績は、蒼月の歴史が語る通りである。帝国を打倒し、フォドラを統一し、救国王として即位し、民のため臣下たちのために、ディミトリは多くのものと戦い続けた。
その間、千の蒼い空と千の月が巡っても、ディミトリはマリアンヌを想い続けていた。
これは贖罪ではなく、真に君を想うからだと言って跪いた彼の言葉に、弁論家として名を馳せていたはずのマリアンヌは一言も言葉を発せず、言葉の代わりに涙を流しながら、大きく頷いたという。
半分父からの伝聞情報、半分は縁者の証言をまとめたものであるから、事実と異なる部分もあるかもしれないが……、とミロスラヴは補足した。アリスタフは絶句している。
流石に父の罪、母の罰は重い話だったか、かとミロスラヴは心配したが、アリスタフは全く異なる点において言葉を失っていた。
「……なるほど、暦の上ではオレたちが六歳違いな訳だぜ」
終戦の三年前には生まれていたアリスタフと、終戦後三年後に生まれたミロスラヴ。この差を生んだ理由をひしひしと感じていたのだ。
「……どういうことだい?」
怪訝な顔でミロスラヴは問う。
「父上と母上が、結婚前に、やりとりした手紙を読めば分かる」
「そんな大切な品……!持ち歩いていているのか?」
戦闘に巻き込まれかねない状態で、手紙のよう脆いものを持ち歩いたら、すぐに傷んでしまう。違う、とすぐさまアリスタフは否定して、お茶会携行品入れから手帳を取り出した。
「エドマンドのおやっさんの屋敷にあった手紙の、写し、だよ」
ほら、と手渡された手帳には、手紙の文字列が緻密に並べられていた。
健やかに過ごしているか。ファーガスほどでないにせよ、この時期はエドマンド領もきっと寒い。身体を冷やすことないよう努めてほしい。
こちらは、戴冠式やら聖教会の保護やら帝国の戦線やらで、とにかく忙(せわ)しく日々を過ごしていた。
君への手紙は真剣に書きたいと思い、時間を作りたかった。だが、それが結果として君を蔑ろにしてしまったように思う。心から謝罪する。赦してくれ、マリアンヌ。
フォドラの情勢として、エドマンド家が反帝国派でいてくれて心からほっとしている。君と敵対などしたくない。先の戦線では、辺境伯は経済的な支援さえしてくれた。感謝している。君と君の義父君のためにも、決して負けない。どうか見守っていてほしい。
(拇印ほどのインク溜まりができていた)
本音を言おう。俺は君が好きだ。
士官学校に居た頃、真夜中に踊りの練習をしたことを覚えているだろうか? 月光に照らされた君の髪が、月光を反射して輝く君の瞳が、小さな手のひらから伝わる優しい熱が、何度も互いの足を踏みつけた感覚が、俺の心を完全に奪ってしまった。
ああ、あの時俺が君を抱き締めるほどの度量があればと、人生で最も後悔する出来事の一つだ。同時に、人生で最も尊くうつくしい時間だった。ありがとう。マリアンヌのおかげで、俺は大切なものを実感できたんだ。だから、君には幸せになってほしい。俺の 心から 愛した人だから。
だから、この戦争を終わらせたら、君に会いに行く。その時までどうか無事でいてほしい。
俺の、一方的な想いだが、せめてマリアンヌだけは無事でいてほしい。
俺の愛の向かう先だから、それを失いたくない。
どうかこの願いを受け取ってほしい。
それでは、御身を大切に。
(第一の写しの時点で時候の挨拶等が省かれている)
私は、貴方に後悔してほしくありません。
フォドラを取り巻く事情がどうなるか、など誰にも分かりません。明日、どちらの身に何が起こるなど、誰が予測できましょうか。
「円舞曲の練習の時に私を抱き締めておけば」だなんて、こちらの胸が締め付けられるような後悔を抱いた貴方に、もう二度と後悔なんてさせたくありません。
おこがましいようですが、私は、私も、貴方のことをお慕いしているからです。
だから、私はフェルディアに参ります。
使者殿にこのお手紙を渡したらすぐに準備を始めます。数日後には発てるでしょう。フェルディアの王城には「スレン貿易商の取次×××」として参ります。どうか、お迎え入れください。
このことは、義父にだけ伝えます。それ以外の者には内密に、慎重に参ります。
それでは、御身を大切に。
お義父様
抜粋ですが、およそ上記の内容をファーガス国王ディミトリ様へと送りました。
この数日の間、もしもお会いできなかった場合に備え、この手紙を書き置きます。
上記の通り「スレン貿易商の取次」として参ります。関所では、昨年末に急遽姿を消した商家×××の名を使います。通行証の期限は来節末ですから、以降は登録帳簿から抹消していただければ、王国へ消えた商家になりますので、除籍の理由もできましょう。
お義父様には説明するまでもないですが、これからのことは同盟のどの立場の方々にも気取られぬよう努めます。
私が王国へ渡ることは、親帝国派の方々には「反帝国派が王国と結んだ」と指摘するきっかけ、もとい同盟が瓦解するきっかけにもなり得ます。それこそ帝国の思う壺。避けねばなりません。
また、反帝国派にとっても要らぬ期待を持たせるかもしれません。王国が同盟と結ぶ気が無かったり連携が取れなかったり、これらの可能性を考慮すると、王国と結びつきが出来たと思うのは時期尚早です。
最も、私が個人的にディミトリさんに会いに行くのですから、政治的な思惑が入る余地がありません。
ただし、お義父様が必要だと判断した場合は、盟主クロードさんに情報としてお伝えください。駒は多い方が良いですから。
以下は私個人の気持ちです。
士官学校に居た頃、私の心を繋ぎ止め、満たしてくれる人がいました。その人が私を、愛してくれているのならば、私はその愛に応えたいのです。いてもたってもいられません。成人の儀を迎えてもなお、恋に恋する小娘のようだと、きっと笑われてしまいますね。
両親が失踪してから、天涯孤独な身になった私を引き取り、士官学校にまで入れてくださってありがとうございました。
最近は領内経営や弁論術などを教えていただき始めたにも関わらず、家名を隠して王国へ行く不孝を、どうかお許しください。
どうか、御身を大切に。私の師、私のお父様。
アリスタフに同じく、ミロスラヴもまた絶句した。
「な?」
ミロスラヴから聞いた父の様子と、手紙の内容の積極性を改めて比べ、アリスタフは尋ねる。
「ああ……、状況が違えば父上はこんなにも積極的に愛を述べるのだな……」
歯が浮きそう、と溢すように言ったミロスラヴに、アリスタフは思わず噴き出して笑った。
「それに応じて馬一頭だけ引き連れて出奔した母上も、大したお方だよな」
「うん。なるほど。同じ両親と同じ名前を持ちながら、境遇はともかく性格が異なる私たちというのも、納得がいくね」
「全くなー」
互いに、互いが知らない両親の話ができた。異世界の「もしも」を想像の中でも感じることができて、二人はむず痒くも暖かい気持ちに包まれた。
夜半の鐘が鳴る。
いよいよ迫る決戦に向け、夜更かしはできない。二人は寝床へ向かい、微睡の向こうの明日を目指した。