4−1 嵐を斃す①
作戦実行の朝になった。一行は作戦実行部隊と共にデアドラの街を出立。街道を抜け、結界の待つ森へと歩みを進めた。
森に潜入して歩くこと暫く。辺りは秋嵐が立ち込めており、靄が掛かった視界は良好とは言えなかった。
つと、王の従者がある地点で足踏みをし始めた。これ以上は進めません、と悔しそうに言う彼の言葉通り、そこからは結界の領域だった。
結界内に入れない者は結界に沿って各小隊ごと待機と命ぜられた。既に森に展開している別動隊も結界に沿って索敵を行っているだろう。
国王、アリスタフ、ミロスラヴ、ニカノール、エリザヴェータとその肌に触れている天馬は違和感なく結界内に侵入した。待機している兵たちは、霧靄のせいもあるが、たった十数歩で彼らの姿が見えなくなったらしい。
いよいよモーリスと対峙すると思うと、各位は震えを抑えることができなかった。ある者は、恐怖による震え。ある者は、責任感による震え。ある者は、武者震い。ある者は、悲しみによって震えていた。
先頭は本人きっての希望でミロスラヴが。次を結界の術式解読を進めながら歩くニカノールと、魔力探知に優れたアリスタフが互いの状況を確認しながら進んでいる。その後ろにエリザヴェータ。殿を国王が務めてくれている。
現在は結界の中心方向へ八時の方向から進んでいる。拝石がほぼ中心として、モーリスもそこまで離れることはできないためにその周辺にいるだろう。一行は、結界の境界から中心の丁度中間あたりまで無事に進むことができた。
木々の密集地点で、一度休息を取る。その間も、ニカノールとアリスタフはモーリスの位置と他の魔獣の位置取りを確認している。
「──時折結界の術式の方が変わっている。魔獣たちの移動にも反応しているようで」
木の枝で地面に式を書いて見せるニカノール。式を見て、アリスタフは目を閉じ、魔力の分布を確認する。
「この式と探知含めると……、普通の魔獣は拝石から見て四時から六時の遠方と、十時から十一時の方向へ集中しているみたいだな。九時方向に数匹いるけど、動きはないみたいだし、とりあえずこの進路は問題なさそうだ」
「問題のモーリスは……どこか分からない。もはや動けないのか……?」
「……大元の式見せて」
「どうぞ」
理学に明るい二人のおかげで索敵には問題なさそうだが、二人の会話を耳にするとミロスラヴが目を白くしてしまうため、エリザヴェータは耳を塞いでやっている。国王はそれを微笑ましく見守りつつ、指揮を立てるために情報は洩らさず聞いていた。
つと、風が強く吹き抜け、霧が薄くなっていった。突然の変化に驚く一行だが、国王が落ち着こうと声を掛けてくれたために平静を取り戻す。
「霧は双方の目を奪うから遣りようによっては有利にも不利にもなるが……霧が晴れるなら開けた場所の旧街道は選択肢になくなってくるかな。それはセンセイにお任せするけど」
苦い顔をしながら本格的に具体的な魔獣探知を始めるアリスタフ。一方、吹き抜ける風に思い当たる節のあるミロスラヴは、風と空の動きを観察する。
「……この南風の冷たさ……! 今は飛竜の節……少し遅い野分、か?」
次期国王として民の暮らしを守るためにいかにすべきか──民の食べるものを確保すること──、つまり、自然災害には注意しなければならない。
リーガン領やエドマンド領が豊かな湾港を保有する理由の一つは、その天候の安定性にあった。晴れの日が多く、降水が少ない。
ただし、季節性の嵐が勢いを衰えないまま北上、煉獄の谷アリルの熱でむしろ勢力を増して暴れることが、ごく稀にある。その際は、嵐への耐性が少ない港町に被害が傾くことが多いのだ。そして、その状況は必ず記録に残される。
それを知らない次代の王は、蒼月の世界のファーガスにはいない。
「私の知る史実と年と節は違うが、嵐が来る!」
ミロスラヴの叫びに、各位が構える。
「それはそれは……どっちの目も潰れるなあ……!」
霧が晴れたら嵐が来る。どのみち視界が悪いことには変わりない。状況が良い訳ではないが、それは相手も同じこと。アリスタフは焦りを見せぬよう、苦笑交じりに揶揄してみせた。
国王は雨風で体力を消耗しないよう、早めに決着をつけようと提案する。そこに、丁度ニカノールとアリスタフによる索敵が終了した。
「拝石から七時の方向、地図だと森林地帯と街道の際、岩場のあたり……」
「近い、わね」
地図を覗き込み、強敵が近くまで迫っている実感をエリザヴェータは声を震わせる。確かに、天馬騎士なら一息でその位置まで行ける地点である。
「やっと見つかった、って感じ。それは近いからこそ分かった、ってのもあるよ」
怯えた様子を見せるエリザヴェータの気持ちを少しでも和らげようと、アリスタフは優しい声色で話しかけた。
「そうね……。二人がいなければ行き当たりばったりになるところだったから……こっちから仕掛けられることを喜ばなきゃ!」
アリスタフの声に導かれ、エリザヴェータは微笑んだ。そして、臨戦態勢に移るため、天馬の装備を最終確認し始める。ニカノールは剣を鞘から抜く。
「では、陛下。ご指示を」
ミロスラヴもブルトガングを抜き、頭上で横向きに掲げ、指揮官である国王に頭を下げる。以降の戦いでは無礼をお許しくださいの意も含め、礼をしたのだ。
ミロスラヴの声に応え、国王は静かに頷いた。
昨晩説明した作戦の通り。二人のダヴィードは先陣を切り、ニカノールは援護射撃や回復、エリザヴェータは上方から遊撃と周囲の警戒を担当すること。適宜細かい指示は出すが、喧噪や嵐の到来で音による指示はできなくなるかもしれないため、最低限の陣形は守ること。撤退する時は前もって決めた合図を出し、殿は後ろから自分、ニカノールの順で務める。以上。ここまで協力してくれる君たちは強く、優しい。だから死んではいけない、と。
国王の指示と号令と共に、一行は休息の地を離れ、作戦を開始した。エリザヴェータは空の開けた場所で天馬と飛翔した。
街道を横切った先の森の中、黒い影が確認できる。頭にある角の形がブルトガングと同じで細く湾曲している。モーリス──彷徨えし獣だ。
じっとして動いてはいないが、人の気配を感じ取り、その目が久しぶりの生き餌を凝視していることははっきり分かる。
「死ぬなよ、“ダヴィード”!」
「当たり前だろう、“ダヴィード”!」
二人のダヴィードの掛け合いの後、二人を目隠しに魔法陣を展開させていたニカノールが「トロン」を放ち牽制。戦いが始まった。
獣は「トロン」に驚いたのか痛みを感じたのか、身を仰け反らせる。事前予測の通り、結界の影響で魔法装甲が効力を発揮せず、魔法攻撃が効いているように見える。
本当に効いているかどうか、仰け反って見えた腹に、ミロスラヴが魔剣ブルトガングによる斬擊を入れる。魔獣なだけあり硬いが、腹部という差し引きによって、切り傷が広がった。
その傷を確認し、国王は作戦続行を宣言した。
指示の声をかき消さんばかりの獣の悲鳴が響き渡る。獣は腹部を左腕で隠し、ミロスラヴの二擊目、アリスタフの黒魔法アローを封じる。体勢を立て直しながら、右腕は平手で地を叩き付ける。二人のダヴィードは風圧に思わず後ずさる。
獣は二人に向けて咆吼、威嚇する。
開けた口にアリスタフは小さな「ウインド」を放つ。腹部同様、粘膜は弱いと踏んでの攻撃だ。獣は口を閉ざす。見せた額、弱点の紋章石に、すかさずミロスラヴが剣擊を与える。が、はたくような右腕の攻撃に弾かれてしまう。
「…………?」
ミロスラヴは僅かな違和感を、剣の中に覚える。しかし、臨戦の危機感が上回り、違和感を払拭して弾かれた剣を翻す。二擊目は口元に撫で斬り。手応えは無い。ただでさえ硬い魔獣が、ブルトガングを鎧として身に纏っているのだ。攻撃は思うように届かないと思った方が良いと再認識する。
ミロスラヴの攻撃の合間に、アリスタフは左翼より鎧の隙間を狙って彼のブルトガングで攻撃を加える。少しでも動きが止まれば、と考えてのことだ。獣は少し動きを鈍くしたがら動きを止めるに至らない。それどころか、獣は後ろ足で立ち上がる。獣自体を足場にしていたアリスタフはよろめく。そこに、獣の左腕がアリスタフを掴もうと伸びて来る。
「……チィッ!」
払い落とされて怪我するより、捕まって握り潰されるくらいならば剣を突き立ててやると切っ先を向けて飛び込もうとするアリスタフだったが、左腕は飛んでこなかった。間を見つけたアリスタフは身をひねって着地し、状況を把握する。
獣が立ち上がった瞬間を狙い、エリザヴェータが牽制攻撃を行ったのだ。獣の標的は天馬に乗った少女へと移る。両腕をびゅんと伸ばし、強風によって空に散らばる木の葉を掻き集めるような無造作な動きで撹乱してくる。エリザヴェータは天馬と滑空し、攻撃を躱す。
再び見せた腹部、それも先程与えた傷に、ニカノールの「サンダー」が放たれる。「サンダー」の電撃は塞ぎかかった傷の修復を妨害し、そこにミロスラヴは剣を突き立てようと近づく。が、完全に立ち上がった獣の傷の位置は高くなっており、後退までしたため、剣が届かない。
四足歩行の体勢に戻る前に、ミロスラヴは後退したが、突風が吹き、距離が稼げない。獣の右腕が下りてくる。
「…………くっ、ぐ、ううッ!」
ブルトガングを横に構え、衝撃を和らげる。鍛えられた身体と英雄の遺産の力により、押し潰されることはなかった。しかし、剛腕による重さは確かに身体を痛めつけて自由を奪う。そのため、眼前に迫る獣の牙、もう一方の腕の追撃が来る前に抜け出すことはできそうもない。
しゃらん、と鎖のようなものが動く音がした。音が導いた切っ先は獣の右手に突き刺さる。
「ゴ、ォ……ギャアアアア!」
引き裂かんばかりの叫びが広がる。ミロスラヴは轟音に耳を痛めながらも、力の弱まった右腕から脱出すると同時に、霞のような何かを感じ取った。
獣の叫びの正体。国王の持つ天帝の覇剣が真の力を発揮し、戦技「覇天」の力を帯びて獣の右腕に刺さったのだ。英雄の遺産は女神の眷属と呼ばれるもの、たとえば竜の類に有効な一撃を与えることができる。後衛の国王は中衛地点まで前進し、ミロスラヴの救出と戦技を放つ機会を同時に持ってきたのだ。まるでミロスラヴの窮地を予測したかのように。
国王は剣を戻し、後衛位置に戻る。左翼から前衛に戻ったアリスタフが、今は睨みを利かせている。
「兄上、少し」
獣と距離を取ったミロスラヴに近寄り、白魔法ライブを展開する。先程の攻撃を受けた際に出来た傷や筋肉の痛みを和らげるためだ。いつもなら大したことない、と言うところだが、僅かな消耗が命取りという状況で遠慮などしていられない。
「……ありがとう、ニカ」
優しい光はミロスラヴへと注がれ、直ちに回復の力を与える。柔らかい光に包まれて、ミロスラヴに思考の余裕が生まれる。
「…………」
生暖かい風が吹き抜ける。嵐が迫る。
嵐竜の名を冠する紋章石を持つ青年と、同じく嵐竜の紋章石に取り込まれた獣が対峙している。
ぽつり。雨粒が一つ、落ちる。
「センセイ! 後方から魔獣が二匹、来ているわ!」
周囲の警戒を怠らないエリザヴェータが、旧街道側から突き進む敵影を知らせる。国王は、私が対処する、君たちはミロスラヴの指揮で無理せず戦え、と伝え、迎撃に向かう。
ぽつり、ぽつり。雨粒が目視できるほどに落ちてくる。
──わしの獣の血が騒ぐ……。
エリザヴェータが空中から撹乱を仕掛け、獣の注意が逸れた。瞬間、アリスタフは駆け、戦技「獣牙」で紋章石を守る障壁を打ち破った。壊れた障壁から獣の力が溢れて行き場を失い、獣はしばし混乱する。
ぽた、ぼたぼたぼた──。一粒目、二粒目たちを追うように、雨粒が落ちてくる。
──ああ……おぬしが、わしを解放してくれるのか!
一語一句違えずに覚えた物語。その再現にならないことが、小さな違和感だった。やがて、違和感は疑問に変わる。
やがて、大粒の雨が一行を襲う。痛みすら伴う激しい雨は、うねるような風と共に襲来する。目も開けられないほどの暴風雨である。状況を確認するのにも精一杯だ。
「……この世界の母上は、モーリスを完全な獣にしてまで結界を張りたかったのだろうか?」
疑問の言葉は、雷が落ちた轟音によってかき消された。
「終わりにしようぜ! ご先祖様ぁ!」
剥き出しになった紋章石に、必殺の「トロン」を放とうと魔法陣を展開するアリスタフ。魔力を通そうとした瞬間、とてつもない危険を感じた彼は陣を消した。
「…………!!」
彼は突如として魔力の動きを思うように使えなくなった。そのため、魔法の暴発の危険を考え、制御できた本当に僅かな魔力で陣を消したのだ。
本人はもちろん、この場に居る誰もがアリスタフの魔法の消滅に驚いている。
「アリスタフさん、あたしが! 『無惨』を……」
魔法を放てない彼を援護しようと、エリザヴェータはこの風雨の中上空へ向かい、勢いをつけて突撃の構えを見せる。魔力が使えないアリスタフは、魔法とブルトガングの代わりに短剣を構えて獣との距離を詰めていた。
ここで、ニカノールはある特定の魔力を検知した。聖墓で感じたものに大変似ていたため、ニカノールはすぐに気が付くことができた。
「リーザ、ダメだ。止まれ!」
その声を聞いたアリスタフは剣を引き、エリザヴェータに突撃を止めるよう伝える。周囲をよく見ていたエリザヴェータは戸惑いながらも突撃の構えを止め、旋回に戻る。
「何故だ……ッ!」
疑惑と焦燥を明らかに示したその態度に、ミロスラヴは振り返って問う。
「ニカ……? 一体何が……」
「『ワープ』。来る」
端的にこれからの状況を伝えた。彼らが危惧していたことの一つが、今迫っていた。