無印で書かなかった部分とか、その他とかです。
旅のはじめ
ここは君にとっての異世界だよ。
それはこの上なく真実をついていて、しかしその簡素な物言いにノアは納得がいかなかった。頭の中では理解できよう。自分の生まれた国と同じ地形。同じ島。けれど2010年代のイギリスとはかけ離れた文明のレベルなのだから。
それでも納得はし切れなかった。納得したくないわけじゃない。そんなファンタジーなことが起こり得るなんて微塵も思っていなかったからだ。
想像ではいくらでも異世界を考えられよう。創作の世界ではありとあらゆる世界が存在する。漫画大国、アニメ大国の日本にいたっては「人の数だけ異世界がありそう」と友人間で話し合ったくらい数多くの創作物があるのだ。
だから、実はこれがドッキリで、「知らない間にそういうセットの中に飛び入り参加させられている」と言われた方が納得ができるのだ。
ノア・ヴェンダーは普通の少年だ。親が大学教授という影響もあるようで、同年代よりは少しばかり合理的な考えをする。それくらいの少年で、それ故に非現実的なこの事態にはパニックになる。
「そう言われましても……。いえ、私たちもあなたが土の中から出てきたことには混乱しましたよ?」
「俺って土の中にいたの?」
「服が汚れてないことにはさらに驚きです。ところでその服もあなたの世界では普通なのですか?」
「俺の質問スルーしないでくれる?」
ティンタジェルから伸びる道をただ真っ直ぐに歩く。明確な行き先があるわけではなく、魔術の研究をしたいという本音半分、建前半分で旅に出たばかりだ。しかも「最終目的地であるキャメロットはティンタジェルから歩いて3日の距離だけど、急ぎじゃないから寄り道したい」と言っての旅である。
「汚れがつかない用にできてるのかな……。でも魔術礼装ってわけでもなさそうだし……」
「ブツブツ言いながら人の服を引っ張るな。伸びるだろ!」
「伸びるんですか!? 破けずに!? すごーい!」
「限度はある! 限度はあるってば! おいだから引っ張るなって!!」
「あ」とアルトリアが声を漏らしたのは、ノアの服から破ける音がした時だった。それは当然ノアにも聞こえ、肌に冷たい風が直接当たっている。
「引っ張るなって言ったよな?」
「え、えっと……伸びるのってすごいなぁって……その……」
「限度あるって言ったよな?」
「はしゃいでしまいまして……はい。ごめんなさい」
「うん。いいよ」
「そんな軽く!? え!?」
「いやだって破けたもんはしょうがないし」
言い逃れをするのでもなく、言い訳を重ね続けるのでもない。確かな気持ちのこもった謝罪があった。だからそれでいいのだ。どれだけ少女を詰めようとも、破れた服が直るわけでもないのだから。そもそも直そうにも素材がない。ミシンもない。
「服は欲しいけどな。寒いし」
春とはいえイギリスという国の緯度は高い。春先ともなればその風はまだ冷気を帯びているというわけだ。
(ん? 今でこの気温?)
自分の記憶が正しければ、たしか夏だったはず。それでこの気温はおかしい。そういう年だとすればそれも頷けるのだが、
「はい、できたよ」
「へ?」
その思考を遮るようにマーリンが声をかけてきた。その手にはいつの間にか作られた服がある。ノアは目を丸くした。
「服が欲しいのだろう? これは礼装でもあるから、キミにとって都合がいいよ」
「れいそう? よくわかんないけど、ありがとうございます。マーリンさん」
「さんはいらないよ。旅仲間なのだし」
本人がそう言うのならそうしようか。そう思いながら受け取った
「お守り程度の効果があると思ってくれたまえ」
「へ~。すぐに作れるってすごいな。しかも暖かい」
「ふふん。私をただの綺麗なお姉さんと思ってはいけないよ」
「たしかに綺麗だけど、自分で言うかな……」
「マーリンの言うことは半分ほど流していいですからね?」
さらっと自分だけ好感度を上げる。そんな遊びに興じるマーリンにアルトリアは呆れ、律儀に反応するノアにマーリンとの付き合い方を伝授する。
「やれやれ。私は真面目に対応しているというのに」
「真面目に対応しながら悪戯を忘れないのはどうかと思うのです」
「生真面目なのは面白くないじゃないか。肩肘張って生きるより気楽に生きたまえよ」
「マーリンって達観してるのな」
「人類のナビゲーターだからね」
「人類のって、マーリンも人間だろうに」
「ふっ、あはははは。そうか。キミにはそう見えるのか」
突然笑い出すマーリンにノアは首を捻り、どういうことかをアルトリアに説明を求めた。マーリンを知らず、そしてその手のことに気づけないのなら仕方ないかなと思いつつ、アルトリアはマーリンが夢魔であることを教える。
「むま? サキュバスってこと?」
「はい。正確にはその混血ですが、マーリンはその特性を完全に引き継いでます」
「へー。よくわからんけどすごいな」
「すごい、か。ふふっ、キミは面白い感性をしているね」
「そうか? 初めてそんな人を目の当たりにしたからってのもあるけど」
またマーリンのことを人と言った。その事にマーリンはまた微笑む。嬉しいのではない。面白いと思ったから。そもそも夢魔に感情らしい感情なんてない。人のそれを摂取し、燃料とし、人の真似をしているに過ぎない。「人ならこういう時こうするだろう」と憶測を立てて。
「でもほら、混血って言い方しててさ。特性を引き継いでいるって言い方になるってことは、一応ベースが人間ってことになるんだろ? そう考えると、すごい人だなぁって。想像にしかならないけど、普通なら気が狂うと思うんだよな」
「……」
「? どうした? 2人とも黙り込んで」
魔術を知らない人間故に。神秘のそれも、神代のことも欠片すら知らない人間だからこそか。違う。そういう思考をするのが、ノア・ヴェンダーという少年だ。なにせ彼は、マーリンが人ではないということを半分程度も理解できていないのだから。
彼は彼なりに咀嚼しただけである。
「いや、なに。やはりキミは面白いよ」
「あなたの世界ではそういう考え方が主流なのでしょうか?」
「たぶん少数じゃない? 世界の人口が60億人超えてるから、似た考えの人とか相対的に多いと思うけど」
「60億……マーリン。60億ってどれくらいですか? 多過ぎて全然わかんないです」
「眺めるのに困らない数かな~」
「あなたに聞いた私がバカでした! でも、それだけ多くの人が生きられる世界なんですね」
「社会問題は尽きないけど、平和な時代ではあるかな」
先進国では少子高齢化。発展途上国では人口爆発。見え始めた食料問題。終わらぬ人種問題。地球温暖化。内紛が起きる国もある。
(平和な時代……少なくともイギリスはそうってだけか)
世界的に見ても、戦乱の絶えない国はいくつもある。イギリスもその1つで、その歴史を振り返ってから2000年代を考えれば平和と言えるわけだ。軍は存続しているがそれは防衛のため。決して侵略のためではない。
「話を聞いていると、私もそっちに行ってみたくなります」
「時代の違いに目を見開くと思うよ」
「それでいいんです。それも含めて楽しそうだなって思ったので」
戦いのない生活。大いに結構だ。アルトリアも戦いは嫌いなのだから、むしろ外敵を気にしなくていい分やりたいことを謳歌できるというもの。
「こちらは争いが絶えませんし、魔獣もいますし」
「魔獣?」
「はい。魔獣です」
人に害をなす獣。だからそれは魔の獣。ノアはオオカミの姿を想像し、時代の違いを考えればそれを魔獣とも呼ぶかと──
「ちょうどあちらに見えるのがその魔獣の1種だね」
──自己完結しかけたところで目を疑った。マーリンが指差した方向にいる魔獣が、想像よりも遥かに大きく、そして凶暴に見えたから。
イメージの方向性は間違っていなかった。四足歩行の獣だ。オオカミを5倍ほど大きくすればほぼ一致する。ただし、鋭利な爪は一撃で人を切り裂き、頑強な牙と顎は大木すら噛み砕く。間違っても人の手でどうこうしようと考えてはいけない。
それは災害なのだ。それに蹂躙されるか、あるいは運良く逃げ延びられるか。討伐できるのは人の身を超えた騎士や戦士だろう。
「なんだよ……あれ……。あんなのが、5頭も……」
「未だに神秘が残る島だからね。あの手の存在はよくいるよ。それに、あれは弱い方だ」
「は?」
「人からすれば十分脅威ですよ」
1頭でさえ村を潰せるような魔獣が、それでもこの島のランキングでは低い方らしい。そのパワーバランスにノアの頭は思考が止まる。アルトリアのフォローになってないフォローも左から右へと流れた。
「竜も妖精もいるような島だよ? ただの獣はさぞ生きづらいだろうね」
それが当たり前なのだと夢魔は淡々と告げた。あれは力しかないただの獣なのだと。そんな存在は生きる場所が限られる。存続自体がその種の最大の課題になるのだと。
「……絶滅、するのかな」
「いずれはするだろうね。それが自然の摂理だ。この星に生まれ、そして消えていった種は多い。それこそ星の数ほどいる」
「それは、そうだけど」
動植物でそれらが多いことは知っている。学者、研究者たちの調査で多くのことがわかったのだから。そして、同じ人であっても世界から途絶えた種族もいる。
自然の摂理と、人の業と。
「憐れむのかい? それもまた人だろうね。傲慢な考えも人らしい」
「傲慢……うん。それはわかってる」
魔獣は人にとってただの災害だ。本来それのことを憂うなどあり得ない。
多くの被害を出し続けた火山があったとして、その火山の活動が止まって嘆く人間はいるだろうか。誰もいないだろう。被害が無くなることに誰もが喜ぶはずだ。
魔獣はそれと同列に考えるべきなのだ。魔獣たちは人の命を奪うのだから。
「やれやれ。なら、一度見たほうが早いね」
「なにを」
「魔獣が人を襲う姿さ。あの魔獣たちが向かう先。あのまま進めば小さな村がある。防衛なんて不可能。間違いなく全滅だね」
「なら急いで知らせなきゃ! 村の人たちが危ないんだろ!?」
「おいおい、キミはどっちの味方だい? つい今しがたまで魔獣のことを憂いてたんじゃないかい?」
「……っ!」
「マーリン」
一貫性のなさを突かれ、何も言えなくなってしまったノアを見てアルトリアが場の仲裁に入る。アルトリアもこのまま魔獣を見逃す気はないらしく、それを見て取ったマーリンは変わらず微笑む。
「村に行くのはいいけれど、どうするんだい? 彼らの嗅覚は鋭いよ。先回りして逃がそうにも追いかけてくるだろうね」
「5頭なら討てる、気がします。マーリンも手を貸してくださいよ」
「ふむ……うん、いいよ」
そうする理由なんて特にないなと思ったマーリンだが、魔獣を打ち倒した後に見る人間たちの夢には興味がある。特に、異なる世界から来たノアのここでの初夢だ。それを報酬と思えば安い経費というわけだ。
かくして一向はマーリンの転移術により村へ先回りし、魔獣の前へと立ち塞がった。村人たちは魔獣が見えるやいなやパニックを起こす。呆然と足を止める者、反対側へと走り出す者、武器を持つ者、何かに祈る者。
そんな状況を背中で感じつつ、アルトリアとマーリンは杖を構えた。片や張り詰めた表情で、片や柔らかな表情で。
「私は援護だからね」
「わかっています。セクエンス!」
魔力で作られた円の刃が生成される。魔獣の数に合わせて5つだ。それらを展開させ、射程圏内に入るのを待つ。単純な話、数が多いほど制御が難しくなり、距離が遠いとそれもまた同じなのだ。
だがあからさまに展開されるそれに、魔獣が真っ直ぐ突っ込むはずもない。これは経験の無さによるアルトリアの失態だ。
「やれやれ。仕方ないね」
左右へと別れ始めた魔獣に、マーリンの魔術が行使される。どこからともなく花弁が舞い、それらが魔獣の横を通り過ぎた時、変化が起きた。
ついさっきまで連携していた魔獣たちが、突如仲間割れを始めたのだ。大荒れの喧嘩。放っておけば共食いにまで発展しそうなそれを、
「ごめんね」
小さな謝罪とともに鎮めた。
「……アルトリアさん、ごめん。俺のわがままのせいで」
「な、なんで謝ってるんですか。私だって、村が襲われるのは嫌だなぁって思ったから。だから……ヴェンダーさんは謝らないでいいんですよ」
冥福を祈る少女の背中はあまりにも小さく、優しい少女の目はあまりにも悲しかった。
それでもなお笑顔を作る少女に、少年は心の内に誓う。
──彼女の心からの笑顔を護りたいと
村を助けてくれたお礼がしたい。そう言われ、アルトリアが押し切られた結果村で1泊することになった。可能な限りでのおもてなしをされ、温かな時間を過ごす。人の温かさは変わらないんだなと実感できたノアも、その日初めて落ち着くことができたようだ。
「眠れないのかい?」
「……慣れない寝床だからかな」
「キミは生活水準が高いところから来たからね。それも仕方ないさ。アルトリアはすぐに寝られたようだけど」
「無理させちゃったから……。戦うの嫌いって言ってくれてれば」
「そしたら村を見捨てたのかな?」
「……」
「それはできないんだろう? キミも、そしてアルトリアも。ならこれは必然だった。それだけの話さ」
そうだとノアも思っている。けれどそれだけで終わりたくなかった。『何故というフィルターを通し、ならばどうするかを考える』というのが根にあるが、これもやり過ぎると人間味が消えてしまう。ノアはそんな気がしていた。
幸せそうにスヤスヤ寝ている少女に目を向ける。穏やかな寝顔は心を安らがせ、ずっと見ていられる。
「おや襲うのかい? やるね」
「違うわ!」
ニヤニヤと揶揄う夢魔に睨みを送り、意味がないと悟ってため息を1つ。ノアがアルトリアを見て考えていたのは、魔獣を倒した後のことだ。無理に作られた笑顔。その体は震えていて、今にも泣きそうな顔をしていた。
普通の少女なのだ。魔術だなんだ。異世界だなんだと考えていて、ちゃんとわかっていなかった。アルトリアという少女は、どこにでもいるような、心の優しいただの女の子だということを。それなのに魔獣の命を奪わせてしまった。共に背負うのではなく、押し付けるという形で。
「俺は、最低だ……!」
「そこまで気にしなくていいと思うけど、キミは気にするタイプなんだね」
「俺も戦えたら……何かできれば」
「こらこら、そんなに詰め過ぎない」
「おわっ!? マーリン!?」
後ろに引っ張られ、体が倒れると頭の後ろに柔らかい感覚があった。薄暗い部屋の中で、月明かりのおかげで見えるのは天井ではなく、魅力的で魅惑的な美しい夢魔の美貌。膝枕されているのだとわかった途端、ノアは目を泳がせながら顔が熱くなるのを感じた。
「おや、案外初々しいんだね。かわいらしいよ」
「か、からかうなよ!」
「声も裏返っているよ」
「言うなって!」
起き上がろうにも起き上がれない。体がまったく動こうとしなかった。一度マーリンの瞳と目があったからだ。相手から魔力すら奪えるその瞳で、マーリンはノアの活力を奪い取った。眠れないのなら、眠りに誘ってやろうと。
だって、
「出会ってすぐに契約しただろ? ノア、キミはボクのものだよ」
「なんか拡大解釈されてるような……」
「なんだっていいじゃないか」
よくない。
その言葉は出なかった。急速に押し寄せてくる睡魔に抗えなかったから。
「おやすみ、ノア」