夢魔は眠りを知らない。眠らないことが当たり前で、眠る人の夢に入り込む存在。そこで得た感情を賦活し、燃焼し、感情らしさを出すためのエネルギーにする。そうやって生活しているのが夢魔という存在で、地球上最後の夢魔であるマーリンは、しばらく前からずっと同じ少年からそれを得ている。
夢魔に『特別』を教えた少年。一時的に『感情』すら実感させたこともあれば、『人と同じ感覚』でさえ体験させた少年。英雄になどなれず、反英雄になることもない、ただの少年。
彼の夢はマーリンにとってお気に入りであり、彼の寝顔を見るのもマーリンの気に入っていること。たまにそれがバレて小言を言われるも、花のように笑う夢魔は何一つ気にしない。それさえ楽しんでいるのだから。
そんなマーリンは当然早起きである。眠らないのだから起きるという言葉が相応しくないが、誰よりも朝が早いのだから早起きとも言える。少なくともノアはそう表現している。
マーリンの最近の日課は、早朝の周囲を散歩すること。ブリテンの時代に比べれば人の生活も大きく変わり、人の活動時間がズレた。職業による違いが大きく表れている。それでも早朝というのは人の活動が少ない。人そのものは醜いものだと思っているマーリンにとって、この時間はそれを見なくていい貴重な時間。それを堪能してからゆっくりとノアたちの下へと戻る。
「ただいま」
「おかえりなさいマーリン。今日は長かったですね」
「たまには足を伸ばそうかと思ってね。ノアは?」
「ノアは出かけてますよ。彼に何か用ですか?」
「用事はないさ。なんとなくだよ」
「……そうですか」
最近なかなかノアと2人きりになれないアルトリアは、少し頬を膨らませて元凶を見つめる。
「ふふふ、アルトリアは何をしているんだい?」
「見て分かりませんか?」
「お菓子でできた剣を作ってるのは分かるね。物騒だ」
「わたしだってそうしたくてしてるわけじゃないんです!」
口を尖らせたアルトリアに反応するように、チョコ剣がマーリンへと射出される。それの操作をジャックしたマーリンによって、チョコ剣は全て部屋の中でワルツを踊り始めた。
「ちょっと私への敵意混ざってたね」
「……マーリンがずっとノアの側にいるから」
「そう言われてもね。私と彼は"つながり"がある。望もうが望むまいが引かれ合うんだ」
「マーリンがそういうのを気にするとは思えないのですが」
「キミも分かるだろ?
「……」
ただの人間と変わらないのに、どんな英霊ともどんな人間とも違う存在。だからマーリンと"つながり"を作れたし、それだけでなく彼女を惹かせさえする。
なによりも、誰よりもノア・ヴェンダーという存在に影響を受けているのは、他ならぬアルトリアだった。マーリンのような"つながり"が無くとも、アルトリアはノアのことを目で追うし、彼の隣にいたくなる。
その感情を理解せずとも。
「私が直接ノアをどうこうするつもりはないよ。眺めているのが好きだからね」
「それならいいです。夢魔の介入は洒落にならないので」
「言うね。それで、チョコレートを作ろうとしてるってことは、ノアにあげるつもりなのかな? バレンタインデーというやつで」
「~~っ!! なっ、なな……なにを!」
「ははは、そんなに顔を赤くしちゃって」
少女らしい反応を愉しみながら、アルトリアがやっていたことを目視で把握していく。アルトリア自身に料理スキルはない。というか家事も何かと怪しい。魔術大好きなこの少女は、その辺りも魔術でやっちゃえばいいかと思っているから。ノアとの旅の道中、3食目以降全てノアが料理を担当したと言えば、彼女の豪快料理に想像をつけやすいだろう。
そんなわけで、アルトリアはチョコ作りも魔術でやっちゃおうと思った。
バレンタインデーは感謝の気持ちを伝えるものだと知り、極東ではチョコを送り合うと聞いた。ノアが行ってみたいとよく口にする国の慣習だ。アルトリアはそこに目をつけたわけだ。
狙いは良かったのに、結果がなかなかでない。しかも今日はバレンタインデー当日である。ノアは夕方頃の帰宅予定と言って出かけていて、今は午前9時。ノアの指す夕方はおよそ17時から18時。長く見積もっても9時間。
「へ~。最終工程は冷やして固めるのか。ふむふむ、型に嵌めて……なるほどね」
「マーリンは何をこれみよがしに呟いてるんですか!」
「なに、アルトリアがやるのなら私も便乗しようかと思ってね。あー邪魔はしないから気にしないでくれ。私は現代のレシピ本というやつを覗きながらやるから」
「千里眼を何に使ってるんですか!? そもそもそんなピンポイントに視れるものでしたっけ!?」
「そこはさておき、キミも見るかい? このユニークなレシピ本を」
「用紙を使って複製って……」
いろいろアウトなんじゃないかなー、ノアが叱りそうだなーと思いながらも、アルトリアはそのコピーレシピ本を手に取る。魔の誘惑には勝てなかったらしい。
「……これレシピ本ですか?」
「ここのページにレシピがあるからレシピ本だよ」
「えぇ……」
本の厚さに対してレシピのページが少ない。けどレシピがあるならレシピ本という暴論も頷けなくはない。そこ自体は今重要でもないので、アルトリアは流すことにしてその工程に目を通していく。
「やり方自体はそう難しくもなさそうじゃないかい?」
「そうですけど……マーリン。この材料1つ1つがどれの事を指してるか分かるんですか?」
「え……? 作ろうとしてたんだし、アルトリアが把握してると思っていたのだけど」
お互いに顔を見合わせる。そのままワルツを踊るチョコ剣に視線を移し、そのうちの1本をアルトリアに渡した。マーリンに味など分からないから、味見はアルトリアがするしかないのだ。
「チョコらしい味ではあると思いますけど…………ッ!!!!」
なんとなくで作ったけど、たぶん大丈夫だろうとアルトリアはそれを一口齧り、剣を大空へと投げ捨てた。
「あーあ、魔術でブーストまでしちゃって。あれ宇宙彷徨うね」
チョコ星になったチョコ剣を見送ったマーリンが、口を覆って膝を折るアルトリアを見下ろす。反応からして相当やばい味だったらしい。味は分からないけど、噛ってみるのも嫌だなと珍しいことを思った。
「マーリン……食べ物は時に凶器ですね……」
「毒を仕込むとかは昔からあるからね」
「そういうベクトルとは違うのですが……まぁいいです。ちょっと口直ししてから再挑戦です。その本の通りにしましょう」
「材料の把握はどうするんだい?」
「千里眼に任せます」
「そういう使い方をするものじゃないんだけどな……」
□□□
夕方となり、出かけていたノアも帰宅。自分の部屋へと戻ったところで、そこで待っていた夢魔に小さくため息を零す。人の部屋に勝手に入るなと言っても聞かない相手だ。あるいはそのため息は、それに慣れている自分へのものかもしれない。
そんな彼に目を細めたマーリンは、どこか機嫌が良さそうな軽い足取りで近づく。そのまま流れるように、後ろ手に隠していたもの、ラッピングされた箱を手渡した。
「これって……」
「ふふっ、もちろんチョコだよ。キミのためにわざわざボクが作ったんだ」
「ありがとうマーリン! 嬉しいよ!」
「んっ……まったく、予想からズレてくるねキミは」
純粋な笑顔が返ってくるとは思っていなかったマーリンは、目を丸くしたあとに手の甲で口元を隠した。ノアが相手の時のみ現れる"らしさ"。それを隠すためだ。
「マーリンには世話になってばっかだから、今日はそれを少しでもお返ししようって思ってたのにな」
そう言って笑う彼に夢魔も頬を緩めた。
知っている。使い魔を通してノアのことを見守っていたから。彼が場所を借りて他所でチョコを作っていたことを。そわそわしていたアルトリアを見て察し、そのお願いを事前に済ませていたことを知っている。
普通の少年で、夢魔にとって可愛らしい存在。
「俺もマーリンに用意したんだ。貰ってくれるかな」
「もちろんだとも。キミが時間をかけて用意したのだからね」
「ははっ……マーリンが味わえるか分からないけど……」
「キミらしい心配だね。なら、少しだけ"強めよう"か」
「……え?」
人間と同じように味わえない夢魔への気遣い。彼がいつも気にしていること。それを一時的に解消する方法はある。その行為自体は彼がしたがらないだろうからと、夢魔はそれに近いもので留める。
彼の首に腕を回し、胸を押し付ける。緊張が走って固まる彼にくすっと微笑んでから、夢魔は唇を重ねた。ソフトものでは終わらせず、魂を絡め合うように深く、深く求めていく。
時間の感覚を忘れ、長いのか短いのか分からないそれを済ませた頃には、
「……何も言わずにされると困る」
「おや。それなら、言ったらどうなっていたのかな?」
「それは……その……」
「ふふっ、キミのそういうところは変わらないね」
顔を真っ赤にして俯くノアを、マーリンはそのままでいてほしいと思う。人は変わる部分があれば変わらない部分がある。根は変わらないと言うが、根が純粋さを保つ人間がどれだけいるだろうか。彼は特異な経験をしてもそれを失っていない。そういった部分も、今では惹かれる要因になっている。
もし、そこが崩れたりしたら。自分たちの関係は一変するだろう。
確信している。そうなったら、自分は彼から離れるだろうと。
同時に思っている。今の状態が続けばいいなと。
「ふむ、甘い……と思うね。たぶん美味しいチョコなんだろう。ボクは味わう経験が無いから基準もないし断言はできないけど、でもこれはきっと美味しい」
「いや十分だよ。ありがとうマーリン」
「ふふっ、礼を言うのはボクの方じゃないかい? さ、リビングに行きたまえ。アルトリアが待っているよ」
「うん」
アルトリア用のチョコを手に部屋を出るノアを見送り、マーリンはノアのベッドに倒れ込む。体の熱が冷めるまでまだかかる。部屋を出ている方がいいのだろうが、それを否定する自分がいる。
「あぁ……ノア……」
掻きむしるように、彼女は彼の枕を抱きしめた。
リビングに行くとアルトリアが落ち着かない様子でソファに座っていた。その様子は初々しい少女らしく、愛らしい。ノアが部屋から出てきたことに気づいた彼女は、パッと表情を明るくし、気恥ずかしさも混ざったように笑う。
そんな彼女にノアは言葉を失う。
彼女のその愛らしさに──ではない。
「えへへ……、すごい、恥ずかしいんですけど」
自覚をしているアルトリアも、目を逸らしながら言葉を紡いでいく。
「その……マーリンがこういう手も現代にあるって言っていたので……」
普段隠れている健康的ですらっとした素足を晒し、生地の薄いキャミソールを着ている。それだけでもノアを赤面させる破壊力があるのだが、それを耐えさせているのは、
「ぷ、プレゼントは、わたし……です」
「…………」
「……なんちゃって……」
固まって反応が返ってこない。それに耐えかねたアルトリアは、羞恥心が込み上げていき小声ではぐらかした。昼間の出来事からテンパり、それを愉しむマーリンの揶揄いに飛びついてしまった自分を殴りたい。
「アルトリア」
「ふぁい! ぁっ……!」
変な返事をしてさらに恥ずかしくなり、彼女の目がぐるぐる回る。それに苦笑しながら彼女の胸のリボンを解き、帯を緩めてから抱き寄せた。
「これからも、一緒にいてほしい」
「……はい。わたしも、ノアの隣にいたいです」
普段の彼らしからぬ積極性。そこに少し戸惑うも、彼女も彼の背に手を回した。感じる鼓動、温度。1つ1つが胸の内を温めてくれる。
「アルトリアにチョコ用意したんだ。受け取ってくれるかな?」
「もちろんです」
腕を離し、作ってきたチョコが入った箱を渡す。マーリンが一時的に人間性を少し得た代わりに、ノアはその夢魔の特性を少し引き受けている。それは人としての倫理観を薄めており、ノアは残る理性でなんとか自分を律していた。
受け取ったアルトリアが心からの笑顔を浮かべ、宝物のように胸の前で抱き締めた。
「大切にします」
「食べ物だから食べてね」
「そうでした! えへへ」
「そこまで喜んでくれると嬉しいけどさ。……ところでキッチンの様子を見るに、アルトリアも作ってたの?」
「…………それは……失敗、しちゃいまして」
失敗を繰り返し、時間も無くなっていくことでアルトリアは焦り、何か用意したいとマーリンに相談。それが今に至る理由であり、アルトリアがどれだけテンパっていたのかよく分かる流れだった。
「お菓子捨てちゃった?」
「あ、いえ。それは勿体なくて、後で自分で処理しようかと」
「ならそれ貰うね」
「え!?」
「作ろうとしてくれてたやつでしょ? なら貰うよ」
「ノアは……優しすぎます」
「そうか?」
「だって、誰にでもそういうこと言うんでしょ?」
「なんでちょっと不機嫌に……」
少し拗ねた彼女は言葉を返さず、ノアも彼女に言われたことを考えた。
「まぁ、頑張った人のそれを無下にはできないだろ」
「そうですけど」
「でもさ、アルトリアは特別なんだよ」
「え?」
「成功とか失敗とか抜きに、俺はアルトリアのだから欲しいんだ」
そこを気にしながらも渡してくるなら受け取る。それは誰が相手でも同じ。
失敗していようとそれが欲しくなる。これはアルトリア相手に思うこと。
冷蔵庫の中を確認し、アルトリアが失敗したというチョコを取り出す。彼女が何か言う前にそれを口に放り込んだ。
「失敗って言うけど、酷い味じゃないぞ?」
「だって……ノアみたいに作れてないし」
「そりゃ俺は料理が趣味だったりするからな」
「でもわたしは気にしちゃうから」
「なるほど」
「……ノア、本当に味大丈夫?」
「大丈夫だぞ」
「汗かいてるよ?」
「アルトリアの気持ちがいっぱい篭ってるからかな」
やっぱり彼は優しすぎる。そう思いながらアルトリアも自分のチョコを食べ、不思議な味に顔をしかめる。それを咀嚼しながらノアから貰ったチョコを取り出し、口直しも兼ねて味見。
「……美味しい。どうやったらこんなに変わるんですか!」
「どうって言われても……。あ、今度一緒に作るか」
「いいですね! 楽しそう!」
「魔術は禁止だからな」
「わ、わかってますよ!」
お菓子作りの腕の差を実感しながら、アルトリアは次の予定に胸を膨らませるのだった。