高度100キロメートル   作:星乃宮 未玖

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一話

 ──ねぇ、知ってる? 国際航空連盟ってところが言うには、宇宙と地上って地上から百キロメートルの高さのところで分けられるんだって。

 

 それは今から少し昔のいつかの日のことだった。幼馴染みと訪れた図書館で、その幼馴染みである少女からそのことを教えられた時、自分は酷く驚いたのを覚えている。

 だって、当時の自分にとって宇宙とは酷く遠いものであると思っていた。そしてそれと同時に、宇宙とは案外近いものなのだとも感じた。

 

 百キロメートル。途轍も無い距離のように感じるそれは、よく見てみれば世界やこの国を渡り切るどころか、自分達の住むこの北海道すら渡り切ることも出来ない程度の距離。それが百キロメートル。

そしてその距離は昔ならいざ知らず、現代の人類の技術であれば、車で何時間か走れば簡単に到達出来てしまう程度の距離。

 

 だがそうだとしても、あくまでその感覚は錯覚で。その距離は人一人の腕の長さでは到底足りず、それこそ宇宙飛行士にでもならない限り届きはしなくて。

 

 けれど、その腕の届かない高度百キロメートルに。いや、それよりもさらに遥か遠くに煌めく星々の光に、未だ届かないと知りつつも手を伸ばし続けている幼馴染みの少女。その姿に恋焦がれた自分はこう思う。

 

 ──どうか、彼女の手が宇宙に届きますように。そして、その手助けが少しでも俺にできればと。

 


 

「咲姫、こんなところにいたのか」

 

 春の夕暮れ。まだ寒さと雪の残る公園の片隅のベンチ。周りに誰も居ないそこに座って、一人虚空に手を伸ばす幼馴染みに僕には声をかける。

 俺のその言葉に幼馴染み──出雲咲姫はこちらに振り向き、首を傾げながら困ったように小さく微笑む。

 

「あ、優君……。どうしたの?」

 

「どうしたってお前……。もうすぐ5時だぞ。おばさん、もうすぐ夕飯だって探してたんだけど」

 

「え、あ……本当だ。ごめんね、わざわざ探してくれて」

 

 俺がここに来た理由を告げると、咲姫は慌ててスマホを取り出し、確認する。そしてすぐに咲姫のお母さんからの連絡があるのに気付いたのか、俺に申し訳なさそうに頭を下げる。

 けれど別に気にしていないのに謝る咲姫の姿が何故だか妙に癪に触って。軽く手を叩いて半ば無理やり止めさせる。

 

「別にいいって。それにそんなのは今更だろ。ほら、その、……俺達は幼馴染みなんだしさ」

 

「うん……そうだね。……でも、ありがとう」

 

「だから別にいいって……。あーもう! ほら! 帰るぞ」

 

 そんな会話をしながら進み始める帰り道。その最中、余計なことを言ってしまったと俺は心の中で悔いる。別に幼馴染みと言っただけで好きだとは言っていないのだが、そう思うとだんだんとさっきのやり取りがなんだか気恥ずかしくなり、俺は咲姫の顔を直接見れずに顔を背け、少し早めに歩を進める。

 

「あ、優君もしかして照れてる?」

 

「は? ……別に、照れてねーよ」

 

「うーん……。でも優君の今の声照れてる色がしたんだけど……。あ! ちょっと待ってよ。……ねぇってば!」

 

 俺のその様子に咲姫は気付いたのか、小走りで俺の前まで周り込み、俺の顔を覗き込んでくる。咲姫の銀色にも似た奇麗な瞳に、酷く顔を赤くした俺の顔を映し出され、より顔に熱が集まっていくのを感じる。

 

「ふふっ……やっぱり優君照れてる。顔、真っ赤だよ」

 

「……誰のせいだと思ってるんだ」

 

 俺の顔を見つめ、揶揄いながら悪戯っぽく笑う咲姫。その言葉に反論したかったけれど、照れて顔が赤いのは事実な故に結局俺に出来るのは悪態をつくことだけで。なんというか、少し悔しい。

 

「…………ねぇ」

 

「……な、なんだよ」

 

 そこから暫く黙り込んだ咲姫は俺の顔を見つめ、不安そうな表情で口を開く。咲姫の顔が至近距離に近づいたからか、胸の鼓動が再び早鐘を打ち、口が乾き、上手く思考が回らない。

 あぁ、今上手く声を出せただろうか。いや、そもそもさっきまで走って咲姫を探していたから汗臭かったりしないだろうか。もしかしたら──。

 そういった考えばかりが心の中を永遠と回り続け、気づけば無意識のうちに一歩後ずさっていた。

 

 そんな俺の様子に気づいているのかいないのか。咲姫はそのまま口を開く。

 

「優君。私達明日から中学三年生になるんだよね」

 

「え、あ、あぁ……。そうだな。でも、それがどうした?」

 

 そしてその唇から紡がれたのは、思っても無かった言葉だった。それに動揺すると同時に感じたのは、さっきまで考えていた事とは違ったことによる安堵感。

 その安堵感のおかげか、さっきまで痛い程だった胸の鼓動は落ち着きを取り戻し始め、咲姫の顔もしっかりと見れる程度にはなっていた。

 そうして咲姫に質問の真意を問うと、彼女は視線を俺から夕暮れから星が瞬きつつある空に変えて、ポツリと小さく呟いた。

 

「──あの宇宙に、私の手は届かないのかな」

 

 …………その言葉に、その表情に、その遥か遠くの空に伸ばした手に、俺は言葉を紡ぐことが出来なかった。それは彼女の憧れを、それを叶えるための努力を知っているから。

 

 咲姫が宇宙飛行士になる為の参考書が欲しいと言った。

 ──大丈夫。咲姫ならいつかきっと届くから。だから今はゆっくりと……。と大人は言った。

 

 咲姫が遊びもせずに勉強を続けた。

 ──出雲。焦っても何もいい事は無いぞ。まずはしっかりと勉強して……。と大人は言った。

 

 咲姫が運動にも力を入れ始めた。

 ──出雲、運動はいい事だけどな、あまり無茶はしたらダメだぞ。今はしっかり身体を作ってだな……。と大人は言った。

 

 だけど、彼女には時間というものが圧倒的に足りていなくて。

 それは身体の成長の時間だったり。知識をつける時間だったり。他者との関係を作るための時間だったり。

 

 だからこそ大人達は彼女にこう言うのだ。──今はゆっくり考えてから進路を決めろと。そんな優しさという刃を彼女に押し付けた。

 

 ……でも、今の自分では時間が足りてないということを誰よりも一番知っているのは、他ならぬ彼女自身なのだ。だけど、それを知っていてもなお、いち早くあの星空に触れたいと願う初恋の少女に。どうして傷つけるような軽い慰めの言葉をかけられるのだろう。

 

「…………帰ろっか。優君」

 

「……あぁ」

 

 そして、俺のその沈黙をどう受け取ったのだろう。彼女は少し微笑んで、再び歩き始める。

 その彼女の背を追いながら、そっとバレないように息を吐き、空を見上げる。

 

 夕暮れだった空は完全に夜空に変わり、吸い込まれそうな闇に街灯にも負けない数多もの星々が煌めいていて。これは彼女も恋焦がれてもしょうがない、なんてことを思う。

 

 そしてふと、暫く前に彼女が教えてくれた事を思い出した。──彼女曰く、宇宙とは地上から百キロメートルところから始まるのだと。

 その時は案外近い場所にあるだなと思っていたりもしたけれど、こうして彼女と同じように夜空を見上げてみて、宇宙というものの遠さをいやでも感じてしまう。

 

「遠いなぁ……」

 

「え? 優君何か言った?」

 

「いーや、なんでも。ほら咲姫、さっさと帰るぞ!」

 

「え……あっ! ちょっと待ってよ優君!」

 

 どうやら聞かれていたらしい俺の呟きを誤魔化し、咲姫が追いつけそうな速さの小走りで帰り道を進み始める。

 後ろに感じる咲姫の気配を感じながら、俺は遠い星空に願いを送る。

 

 ──いつか、咲姫の夢に運命を変えるような出来事が訪れますように。

 

 そんな中学三年生になる前日の夜。その日に放った願いが思いの外早く叶うことになるとは、当時の俺は知るよしもなかった。

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