高度100キロメートル   作:星乃宮 未玖

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二話

 咲姫を自宅まで送った翌日の朝。枕元に置かれたスマホの無駄に喧しいアラーム音が、俺を深い眠りの底から呼び覚ます。

 寝ぼけた頭でアラームを止め、着替えた後に顔を洗うことで寝起きでほんの少し鈍る頭を完全に覚醒させる。

 

「父さん、おはよう……って、もう出かけてるのか……」

 

 階段を降りてリビングに入る。そこにはラップに包まれた朝食と、父親からのメモ書き。

 

『優へ、先に出かけているから朝ご飯食べたらお皿洗っておいてくれ。今日から学校だから遅刻するなよ!!

 

PS.咲姫ちゃんに今週の土曜日なら手伝いに来てくれても大丈夫だと伝えておいてくれ。父より』

 

「…………はぁ」

 

 そのメモを読んですぐゴミ箱に放った後、手早く父の作ってくれた朝食を食べる。

 

「……やっぱり美味しい」

 

 流石喫茶店を営んでいるだけあって、多少冷めていてもそれらは美味しくて。

 それでもふと、溜息を吐きながら考える。もしも、ここに父がいてくれたら、この朝食はもっと美味しかったのかなと。

 

「……ご馳走様。行ってきます」

 

 でも、それは仕方ないことなのだと。そう自分を納得させることでそんな思考を振り払う。そして朝食を食べて歯磨きと食器を洗った後、父に了解の旨を伝えるメモを残すと、玄関に行く直前に仏間に向かう。

 

「……おはよう、母さん」

 

 襖を開けると、鼻を擽るのは畳と線香の混ざったほんの少し心地よい香り。そこにある仏壇と、白黒に染まった母の写真に手を合わせる。

 

「母さん。今日から中学三年になったよ。俺や父さん、それに咲姫の家の人達も元気にやってるから、安心して見守っててね。…………それじゃあ、行ってきます」

 

 そうして手を合わせること暫く。俺は静かに立ち上がり、なんともいえない空虚感を抱えつつ、母の遺影に挨拶をして襖を閉め玄関へと向かう。

 けれどその空虚感が邪魔をして、玄関への歩みを止める。既に母が亡くなってもう四年。どうにもこの胸の空虚感とは慣れることはできなくて、どうしようもない気持ちを抱えて玄関に座り込む。

 

 ──これもまた、仕方のないこと。そんなことは分かっているけれど。もしもこの胸に残る思いが叶うのなら。遠い記憶の彼方にいる母に、もう一度だけでも逢いたいと思うのは贅沢なのだろうか。

 

「……ん?」

 

 そこからどれくらいの時間が経っただろう。それすらわからないくらい無気力に過ごしていた時、ふと耳に届いたのはチャイムの音。連続して鳴り続けるそれに、一体なんだろうと思いインターフォンのカメラを覗くと、そこには焦った顔の幼馴染み。

 

「咲姫……どうしたんだよ?」

 

「どうしたって……? もうすぐ学校だよ……! 待ってても来ないから迎えにきたんだよ!?」

 

「…………あ」

 

 滅多に見ない彼女の剣幕にたじろぎつつ、今日から学校だったことを思い出す。そんな俺の様子を見て理解したのか、彼女は一つ溜息をつき、とりあえず早く行こうと促し、俺は頷き廊下に放り出していた鞄を手に取り、彼女と二人で学校へ足早に向かい始めた。

 

 


 

「ねぇ」

 

「ん、なんだ?」

 

 小走りで行く通学路の最中。突然咲姫が声をかけてきた。それに応えながら横目で彼女の表情を窺うと、彼女はこちらを心配するような眼差しでこちらを見ていた。

 彼女はそのまま言葉を考えるように沈黙して、意を決したように再び口を開いた。

 

「さっき家に行った時、静さんのこと……考えてた?」

 

「…………あぁ」

 

 放たれた彼女の質問。それにほんの少しの沈黙の後に是と返す。

 

 ──伊藤静。それは、四年前に亡くなった母の名前。

 

 母はとても優しい人だった。常に明るく元気で、しかし時には厳しく、けれど最後にはいつも笑顔を浮かべてくれる。そんなまさしく理想の母ともいえる人。

 そんな母のことが俺や父はもちろん、咲姫も大好きだった。それこそ、当時の俺と咲姫が見る世界には必ずどこかに母がいたくらいには。

 しかしそれは、四年前の夏の日に変わってしまって。事故という酷く些細な偶然は、母の命を最も容易く奪い去っていった。

 

「…………ごめん」

 

「……いや、いいよ。その通りだから」

 

 俺の声の重い雰囲気で察したのだろう。彼女はそっと目を伏して小さく謝る。その彼女の言葉と気遣いに内心感謝しつつ、当たり障りのない言葉を返す。

 それにしてもと。やはり彼女の共感覚とは便利だなと心の片隅でふと思う。

 

 ──言葉や音に込められた強い感情を、色としても認識することができる、咲姫の共感覚。

 彼女曰く、優しさであれば包むような桃色であったり、楽しさであれば弾けるようなオレンジ。そして悲しみであれば、 呑み込まれそうな深い青であったりと、感情に合わせた色を読み取れるらしい。

 そういった相手の思いを察し、コミュニケーションを行い易くなるのは、ほんの少し便利だと思う。……まぁ、その感覚を持ちながら周りを合わせようとした彼女の努力を知る者としては、便利とは内心思えど決して欲しいとは思わないのだが。

 

「……あ、そうだ咲姫」

 

「何?」

 

「今週の土曜日、父さんが手伝いに来てくれてもいいって言っていたけど、どうする?」

 

「ほんと!? 行く行く!」

 

 そんな重い空気を切り替えるように、メモに記された父からの伝言を伝えると、咲姫は共感覚を持たない俺でも分かるくらいの嬉しそうな声色で応える。

 コミュニケーション能力を高めたいと思った彼女が俺の父に直接頼み込み、中学三年生から月に一度あるかないか程度の頻度で配膳の手伝い限定でとはいえ取り付けたその契約。

 あまりに熱心に頼み込むからつい折れてしまったと父が言うくらいにやりたかったのだから、声色も弾むのだろう。

 

 ……決して口にはしないが、実はその日は俺も手伝いに行くので、彼女のエプロン姿が見れるというのは、ほんの少し楽しみだったりする。

 そんな恋心を孕んだ内心を隠し、嬉しそうにする咲姫と二人で父の喫茶店の手伝いについて話すこと暫く。ふと周りを見渡すともうすぐ自分達の学舎が近づいていた。

 

「……あ、もう学校だ。最初はどうなるかと思ったけど意外と間に合ったね」

 

「だから悪かったって……」

 

「ふふっ、昨日は私が迎えに来て貰ったから今日は私の番だね」

 

「ぐ……」

 

 手元の時計を見た彼女が悪戯っぽくこちらに視線を向けながら微笑む。それに何も言い返せず唸る俺。

 

「ふ、ふふふ……」

 

「く、あはは……」

 

 けれどそれがなんだか可笑しくて。微かに咲き始めた桜の列の下で二人して笑い合い。そうしてゆっくりと学校(新しい始まり)へと歩みを進め始めた。

 

 

 ──先程まで動きたくないとまで感じていた胸の空虚感、それは気づけばいくらか軽くなっていた。




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