INSANIA   作:オンドゥル大使

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第十六話「学園都市の闇」

 

 人体を解析し、解剖する施設、というのは背徳的美しさを持っている。

 

 サキにはそう感じられた。どうしてだか青く仄暗い夜を連想させる廊下、霊安室の無機質さ。既に死した人体が収められているであろう個室の数々。サキにとってはあまり好ましくはない。だが美しい、という感情と好ましいと言う感情は分別されて考えられるべきである。

 

「こちらへ」

 

 目の前の小太りの医師がそう促す。サキは警察とは疎遠の研究施設を訪れていた。とはいっても大学病院を設えており、それなりの規模もある。違うのはその研究成果がほとんど国に還元されるのではなく、個人の利益としてもたらされる点だ。

 

 大企業デボンコーポレーションを抱く学園都市。その中にはもちろん、複数の大学が点在している。だが皆が皆デボンの支配を快く思っているわけではない。中にはデボンから離れたくても離れられない関係性の大学病院がありここもそうである。しかし、サキのような警察関係者が訪れ、個人的に解析して欲しいと頼めばそれは話が別だ。袖の下を渡し、別途報酬もきちんと提示してからサキは書類に拇印を押した。いわば裏取引。このような危険な矢面に立たせる事を博士や捜査一課が承諾するはずもなく、完全な独断専行だった。しかしどうしても知らねばならないのだ。彼――ツワブキ・ダイゴについて。

 

「遺伝子サンプルの解析結果はすぐに出ますよ」

 

 サキがダイゴに頼んで取っておいた口中の組織。それを解析し、分析にかけているのだという。サキはある仮説を立てていた。

 

「その、つかぬ事をお聞きしますが、既に死んだ人間の遺伝子と合致させる作業というのは出来ますか?」

 

「あなたの提案した、初代ツワブキ・ダイゴ、との遺伝子の結果ですよね」

 

 先んじて話した内容を医師は繰り返す。椅子に座り、医師はカルテを参照した。

 

「何分、四十年前の人間と今の人間を照合させるのは難しいですが、初代ツワブキ・ダイゴに関しては別です」

 

「何故?」

 

「彼の功績はこのホウエンでは素晴らしい。なので大学病院一つにつき一つ、彼の遺伝子サンプルとホルマリン漬けの身体の一部があります」

 

 それは初耳だった。サキが驚愕していると、「不思議ですか?」と医師が尋ねる。その表情にはどこか読めない笑みがあった。

 

「……ええ。自分でも駄目もとでしたから」

 

 四十年前に隆盛を誇り、正確には二十年前に死亡したカントーの王、初代ツワブキ・ダイゴ。彼の身体はならば細切れにされたと言うのか。その事実に怖気が走った。医師が、「うちの病院では彼の右腕が、綺麗な状態で保管されていますよ」と続ける。刑事とはいえ女性の前であまりいい趣味の男とは思えなかった。

 

「気分が悪いので?」

 

 医師が問いかける。わざとらしい言葉にサキは淡白に、「いえ、大丈夫です」と答えた。どうせこのような手合いは相手の反応を見るのが楽しいのだ。医師は、「そうですか」と少しばかり残念そうである。

 

「というわけであなたの提示した遺伝子サンプルと初代ツワブキ・ダイゴとの照会は多分、すぐに済むと思いますよ」

 

 医師が電子カルテに表示されている内容を見やった。すぐに分かるのはありがたいがもし、ダイゴの遺伝子が初代ツワブキ・ダイゴと何らかの関係があった場合、自分はどうするべきなのだろうか。

 

 自分だけの秘密に留めるにはあまりにも奇妙な符号である。それに彼をダイゴと名付けたリョウの真意すら疑ってしまう。まさか、知っていてつけたのだろうか。あり得ない、と思う反面、もしそうならば、彼はいよいよ何者なのだ、という疑念が先に立つ。

 

「刑事さん、ヒグチ・サキさんでしたか」

 

 医師の声にサキは、「ええ」と頷く。

 

「ヒグチ家、といえばヒグチ博士ですが、そのご子息で?」

 

「娘です」

 

 そう答えると医師は大げさな身振りで、「まさか本当だとは」と言った。わざとらしい演技である。ふざけているのだろうか、とサキが感じていると、「予感というものは当るものですね」と医師は告げた。

 

「どういう意味です?」

 

「いや、予感というかこれはプライベートな話なのですが、今朝方家の郵便受けに一通の手紙がありまして。そこに書かれていたんですよ。簡潔に。ヒグチ博士の娘が来るだろう、ってね」

 

 サキは連中に先回りされた、という恐怖を背筋に感じる。だがどうして、と考えを巡らせるが答えは簡単だ。警察も信用出来ず、博士にも頼めない自分が行く当ては大方絞れてくるだろう。サキはここで慌てふためく事が逆に相手を増徴させかねないと冷静を保った。

 

「偶然でしょう」

 

「ですかね。ですがそこにはこうも書かれていましたよ。初代ツワブキ・ダイゴの身体を、警護しろ、と」

 

 今度こそ、サキは肌が粟立ったのを感じる。初代ツワブキ・ダイゴの身体の警護。それは確実にサキの行動が読まれている証拠だった。

 

「ですが、断りましたよ」

 

 医師がせせら笑う。サキは、「どうしてです?」と訊いていた。

 

「だって死体の警護なんてしたって意味ないでしょうし。それにたかが右腕ですよ? 初代ツワブキ・ダイゴの身体は八の部位に分かれて保管されています。そのうちの一つを盗ったところでどうするっていうんです? こちらにはきちんと遺伝子サンプルがありますし、別に大学病院の体裁を整えるためのものなど。損壊するとでも言うんですかね? 警察に届けようと思いましたが、ああ、これは釈迦に説法でしたかな」

 

 サキが警察だと今さら思い出したかのような言い草だった。だが嫌な予感が這い登ってくる。もし、連中とその手紙の投函主が別の相手だったら? そして、連中が危惧していたダイゴ抹殺のために動いている相手こそが、その手紙の主だとすれば。初代ツワブキ・ダイゴの死体の警護はただの警告ではない。

 

「これは、犯罪予告……」

 

 覚えず呟いていた。だが、死体を盗ってどうする? それこそ先ほどの医師の言葉ではないか。サキは前髪をかき上げる。医師が、「気分でも?」と顔を覗き込んできた。それを不快に思うよりも先に動かねば、という刑事としての使命感がサキを立ち上がらせた。医師が驚愕していると、「局長!」と声が飛んだ。看護師が息を切らして診察室へと入ってきた。

 

「君、何だね、ノックもせずに」

 

 医師が咎めると、「遺伝子サンプルデータが消えました」と看護師が告げる。医師が瞠目するがサキは思いのほか冷静に対処する。

 

「それって、もしかして今解析してもらっている……」

 

 看護師が頷く。

 

「ツワブキ・ダイゴのものです」

 

 サキは医師の当惑を他所に看護師へと問いを重ねる。

 

「教えてもらいたい。それは初代ツワブキ・ダイゴの右腕から取ったサンプルデータだな」

 

 確認すると相手は首肯する。ならば、とサキはさらに尋ねていた。

 

「その初代の右腕は?」

 

「地下倉庫に安置されているはずですが……」

 

 皆まで聞かずサキは駆け出していた。焦燥が胸を焦がす。まさか、まさか、と。

 

「……ツワブキ・ダイゴの右腕。何に使うって言うんだ」

 

 自分で口にしても答えは出ない。だが、今は動かねば。係員に道を尋ね、サキは地下倉庫の前に立った。

 

「鍵は?」と厳しい声音で尋ねると既に用意していた看護師から引っ手繰った。無理やり錠を開き、サキは扉を押し開ける。すると、中には様々な動物の標本があった。湿った空気が滞留しておりサキはその中で最も厳重に保管されている金庫を発見する。

 

「この中身が?」

 

 目で問いかけると看護師は頷く。サキは開錠も確認せずに観音開きの扉を開ける。すると、中には何もなかった。ホルマリン漬けにされているはずの右腕など、どこにも。

 

「ここに右腕があったのは?」

 

「つい先ほど確認しました。だって遺伝子サンプルを取るには、物がなければ……」

 

 覚えず言葉を濁す看護師にサキは習い性の声をかける。

 

「広域に連絡を。盗難事件が発生したと」

 

 これで自分の極秘行動はおじゃんだ。だがそれよりも不気味なのは、何故、右腕が必要だったのか。

 

「……私の裏を掻くつもりで右腕を持ち去ったのか? だがそれならば彼の組織を取る事さえも阻止したかったはずだ。遺伝子サンプルは依然としてある。照合を止めるため? だがあれほどの偉人だ。どこに行っても、もしかすると遺伝子サンプルくらいならば用意している病院があってもおかしくはない。どうして右腕なんだ?」

 

 どこまで考えても答えは出てこなかった。

 

 追いついてきた医師が、「あの!」と声を張り上げる。

 

「一応、照合結果は直前に出ています」

 

 医師の持ってきた電子カルテをサキは引っ手繰って見やる。そこに書かれていたのは「検体Aと検体Bは九十九パーセント合致」という文字だった。

 


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