INSANIA   作:オンドゥル大使

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第四十六話「約束はいらない」

 

「呆れたわ、ダイゴ」

 

 クオンの苦言を受け止めながらダイゴはその後に続く。

 

「ハルカ先生ったら、話し始めると止まらないんだから。聞いていて思っていたでしょう? 何で焚き付けるような物言いをしたのよ」

 

「俺は、初代について知らなきゃいけなかったし、クオンちゃんだってそうだろ?」

 

 クオンはため息を漏らして紅い髪を指で巻く。

 

「必要最低限でいいのよ。昔話をいちいち聞いていたらきりがないわ」

 

「でも色々知れた」

 

 ダイゴは思い返す。ハルカの話によれば初代は各地を転々としていた事。ホウエンのチャンピオンの席に収まったのは短期間で、あとはルネシティの一族であり親友でもあるミクリにその座を明け渡した事。ダイゴはミクリという単語がハルカから聞き出せたのが大きいと感じていた。老人の話だけではミクリという人物がどのような人柄であったのかを推し量る事が難しかったからだ。

 

「ミクリ、ルネの民、ね。ルネシティなんて未だに田舎町で全然風土も違うって聞くけれど」

 

「ルネシティには行けなくっても、ミクリっていう人に会う手段はないかな」

 

「正気? ルネシティの長老の一族よ。そう易々と会えるとは思えないけれど」

 

 しかしダイゴには聞かねばならない事がある。初代の死、それに関わっていたかもしれない親友。

 

「こういう時、リョウさんを頼らないって先に断じたのは痛いね」

 

 リョウならば警察の伝手でミクリとのコネクションもあったかもしれない。あるいは連れ出してくれる事も。だがリョウを信用出来ないと感じてしまった以上、もう頼るのは無理だろう。ダイゴの弱音をクオンが撥ね退ける。

 

「何を言っているの。兄様や父様に気取られれば一番危ないのはダイゴでしょう? だっていうのに、もうそんな弱気なんて」

 

 クオンの言葉にダイゴは閉口していた。どうやらクオンはダイゴに関わると決めた以上、もう弱音を吐かないつもりらしい。自分が初日に見た弱々しげな令嬢の姿よりも気高い少女の相貌が見て取れた。

 

 ダイゴはそれに微笑む。

 

「なに笑っているの? ダイゴの事なのよ」

 

 真剣な声音のクオンに思わず物怖じしてしまう。

 

「いや、俺は別に……」

 

「でも、少しは警戒したほうがいいかもね。だって兄様がアポイントを取った教師ってのがハルカ先生なら、ある程度ダイゴには情報が渡ってもいいと考えているのかもしれない」

 

 それはダイゴも思い至った事だ。どうしてリョウはダイゴの情報源を潰すでもなく、わざと生かしたのだろう。それだけが分からない。

 

「まぁ、俺は貴重な話を聞けてよかったけれど」

 

 ダイゴと共に戦った話など心躍るほどだ。ハルカは相当ダイゴとの日々が輝いていた様子で語る度に若返っていくようだった。

 

「貴重と言えば貴重だけれど、でも重要な部分は全然見えなかったわね」

 

「重要な部分って?」

 

「結局、ハルカ先生は初代が好きだったのか、という話よ」

 

 その言葉にダイゴは疑問符を浮かべる。そのような事問い質すまでもないのではないだろうか。

 

「いや、好きだったんじゃないかな」

 

「でも、本当のところは分からないし」

 

 クオンは決定的な言葉を探そうとしているのだろう。だがダイゴには分かった。ハルカにとって初代との日々はかけがえのないもの。好意などわざわざ聞くのは野暮というものだ。

 

「……なに、ダイゴ。自分だけ知った風な顔をして」

 

「えっ、俺そんな顔してた?」

 

「していたわよ。ダイゴ、あたしが恋愛下手とでも思っている?」

 

 核心を突かれダイゴは言葉をなくした。クオンが手を振るって、「呆れた!」と声にする。

 

「もうダイゴなんて知らない!」

 

 ずんずんと歩んでいくクオンの後姿についていこうとすると名を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返るとハルカが息せき切って駆け寄ってきていた。

 

「ハルカ先生? どうしたんです?」

 

「あの、クオンさんは……」

 

「行っちゃいました。怒らせたみたいで……」

 

 後頭部を掻いているとハルカが不意に笑った。ダイゴは小首を傾げる。

 

「どうしたんです?」

 

「あっ、いや、確か初代もそうやって女の子の気持ちには鈍感だったな、なんて」

 

 ダイゴは怪訝そうにする。自分は気持ちに鈍感な覚えなどない。

 

「俺は、そんな……」

 

「でも初代も戦いの時は何よりも私を守ってくれました。戦いになると人が変わったみたいになるんですよ」

 

 思わぬ初代の情報にダイゴが面食らっているとハルカはハッとした。

 

「ごめんなさい! 私、また初代の話で勝手に……」

 

 乙女のように恥じ入るハルカにダイゴはふっと微笑んだ。するとハルカが呆然とした顔で見つめてくる。

 

「な、何です?」

 

 身を引いて尋ねるとハルカは手を振った。

 

「いや、その、笑った顔も初代そっくりなんだな、って」

 

 それほど似ているのだろうか。写真は何度か目にしたがやはり自分の顔や所作となると分からなくなるものだ。

 

「……で、あの、何です? クオンが行ってしまうので」

 

 切り出すとハルカはまた顔を覆って恥じ入った。

 

「ごめんなさい! ついつい、ずっと話していたいなんて……。あの、初代に渡せなかったものがあるんです」

 

「渡せなかったもの?」

 

 ハルカは上着のポケットに留めていた万年筆を差し出す。ダイゴはそれを眺めた。

 

「これは?」

 

「初代は石が大好きな人でした。珍しい石をいつも探していて。私が骨董市で見つけた石です。もう万年筆に加工されていたけれど、きっと初代は好きだろうと思って」

 

 好きだろうと思って、彼女はずっと持っていたというのか。もう初代が死んで二十三年も経つというのに。その思いの凄まじさに圧倒されていると、「……やっぱりいいです!」と万年筆を取って返した。

 

「私、何やっているんだろ……。あなたは名前が一緒なだけで、初代とは何の関係もないはずなんですよね。だって言うのに、勝手に重ねちゃって」

 

 万年筆を懐に仕舞おうとした腕をダイゴは思わず掴んだ。ほとんど意識しての行動ではなかったが、ハルカとダイゴは見つめ合う形となった。よくよく見れば、黒曜石のような瞳は冒険者のお転婆さも少し携えている。その奥には秘めた思いが募っているのが分かった。

 

 ――たった一人の人を、この人はずっと想い続けていたんだ。

 

 ダイゴはその感傷に声を震わせた。

 

「俺が、持ってちゃ駄目ですか?」

 

 ハルカが困惑の目を向ける。ダイゴはもう一度、言い聞かせるように口にする。

 

「俺が持っていちゃ、駄目ですか?」

 

 ハルカは顔を紅潮させてすっかり少女の相貌だった。

 

「何を言って……」

 

「不躾なのは分かっています。あなたが待っていたのは俺じゃなくって、初代ツワブキ・ダイゴですから。掻っ攫うような真似だというのも分かっている。でも、俺が持っていちゃ、駄目ですか?」

 

 三度目の言葉。ハルカの腕から力が抜けた。ダイゴが一瞬だけ気を抜いた瞬間、ハルカは力を入れて引き寄せる。その唇が、頬に触れた。

 

「……駄目ですよ。女の子に、掻っ攫うなんて言葉を吐いちゃ……。攫われたくなります」

 

 その言葉が消えるか消えないかの瞬間にハルカは教師としての言葉に切り替えた。

 

「この万年筆を持っていてくれると、私は嬉しい」

 

 垣間見えた少女は消え、そこにいるのは大人の女になったハルカだった。ダイゴは微笑み、頷く。

 

「大事にします」

 

 ハルカから万年筆を受け取って上着のポケットに差す。ボタン部分に虹色の石が設えられている。

 

「変わった万年筆ですよね……。何か由来でも?」

 

「いいえ、私もただ直感的に買っただけで。でもとても似合っている」

 

 ハルカからしてみれば二十三年前に焦がれた恋の再燃だろう。ダイゴは胸ポケットに手をやって会釈する。

 

「もう行かなくっちゃ」

 

 クオンはもう遠く離れている。駆け出そうとしたダイゴにハルカが声にした。

 

「また会えますか?」

 

 返事は言えなかった。自分はいつ殺されてもおかしくない身分。加えて、自分の記憶を早く取り戻さなくっては。そのためには戦う覚悟が必要だ。

 

 胸に宿った火が戦闘意識を研ぎ澄ます。約束はいらなかった。

 


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