前回、炭治郎の両親の呼び方についてツッコミ入れられました。一巻見てると間違ってないと思ってたんですけど、どうやら違うみたいで……まだまだ読み込み甘かったです。申し訳ナス!
とゆーわけで今回のお話のあらすじを一言。
『やったれとーちゃん!!』
竈門家に記憶喪失の男、雪介が厄介になって幾ばくもの時が過ぎた。雪介はもはや竈門家の一員としてすでに受け入れられているように溶け込み、炭治郎の次に頼られる存在となった。
時には炭治郎と竹雄、茂と共に荷車に炭を乗せて麓の町まで赴いては、帰りの荷車に竹雄と茂を乗せて悠々と山道を歩き、竹雄と茂のはしゃぎ声を山の中に響かせながら炭治郎を苦笑させたり。
時には葵枝と禰豆子と共に山菜を採りに行き、深雪に足を取られて顔から思いきり雪に突っ込んでしまった際に二人に助け起こされるも、相変わらず変わらない表情のまま顔中雪だらけにし、それがおかしかったのか葵枝と禰豆子に笑われたり。
時には水汲みの時に重い水桶を両手と頭の上に乗せ、絶妙なバランス感覚で歩いて兄や弟たちから賞賛を受けたことでちょっと嫉妬した竹雄が同じようなことをやってみせようとしたところ、冷たい水を頭から被ってしまったり。
時には花子と茂と六太が雪遊びに誘い、一緒にかまくらを作っていると見事なまでのかまくらが完成して子供たちに大ウケし、その中で雪うさぎをいくつも作ってすごしたり。
時には葵枝と共に料理の手伝いをする際、葵枝から予備の割烹着を手渡されてそれを纏ったところ、妙に似合っているということで竈門家では評判になったり。
食事を必要とせず、そしていまだ記憶が戻らない雪介は、それでも竈門家にとって単なる居候という枠に収まらない、そして父が死んだことによって空いた隙間を埋めてくれるかけがえのない存在へとなりつつあった。
「炭治郎」
ある雪の降る朝、炭治郎はいつものように炭を売り歩くために籠一杯の炭を背負い、家を出る。直後、背中に母の葵枝の声がかかり、振り向いた。
「顔が真っ黒じゃないの。こっちにおいで」
「ん」
困ったように言いながら、炭治郎の顔を拭いてやる葵枝。少し気恥ずかしい思いをしながら、炭治郎は母の親切を素直に受け取る。
「雪が降って危ないから行かなくてもいいんだよ?」
拭きながらそう言って、心配を隠すことなく葵枝は炭治郎を労わる。確かに急いで売りに行く必要はないかもしれない。しかし炭治郎は母の心配に心の中で謝りながら、はっきりと伝えた。
「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたいし……少しでも炭を売って来るよ」
「……ありがとう」
炭治郎の優しい心遣いに申し訳なさそうな、しかし嬉しそうな気持ちの入り混じった複雑な顔を浮かべる葵枝。そこまで言うならと、もう炭治郎を止めることはしなかった。
「にいちゃん、今日も町に行くの!?」
「私も行くー!」
と、そこへ炭治郎が出かけようとしているのを見て、茂と花子が駆け寄ってきた。
「ダメよ。炭治郎みたいに早く歩けないでしょ?」
「え~!? でも母ちゃん!」
「ダメ。今日は荷車を引いて行かないから途中で乗せてもらって休んだりできないのよ」
駄々をこねる二人を葵枝が窘めた。今日は雪が深い。確かにこんな中で荷車は引いてなど行けないし、休んだりしたら寒さで風邪を引いてもおかしくない。
母に言われ納得できないという顔で「ちぇー」と言う茂と花子だったが、大人しく言うことを聞くことにしたらしく、一緒に行きたいとはもう言い出さなかった。
「竹雄、できる範囲で構わないから木を切っておいてくれ」
「そりゃあやるけどさぁ……一緒にやると思ってたのにさぁ……」
炭治郎は竹雄に頼む。竹雄は茂と花子のように我儘を言ったりはしなかったが、それでもどこか拗ねたような顔をしていた。
「まぁ、いいや。後で雪介にいちゃんに頼もうっと」
代替案として、炭治郎の代わりにもう一人の兄のようで父のような男に頼むことにした竹雄。まぁそれでもいいかと、炭治郎は苦笑した。
「早く帰ってきてねー!」
「気を付けてねー!」
家族に見送られ、炭治郎は手を振って歩き出す。美味い物を買って帰ってやろうと考えながら、ザクザクと雪を踏みしめていく。
「あ、お兄ちゃん」
その途中、禰豆子が炭治郎に声をかけた。その横には寒さ除けの羽織を纏いながら背中で眠る六太を寝かしつけている雪介の姿。冷たいまでの無表情なのに、乳母のような出で立ちという雪介が妙に滑稽に映り、炭治郎は内心笑いを堪えた。
「禰豆子、雪介さん」
「炭売りか」
「はい、みんなに美味い物を食べて欲しいから」
雪介の言葉に笑みと共に返す。背中の六太が身じろぎすると、雪介が手慣れたように背負い直した。
「雪介さんは六太を寝かしつけてくれたんですね」
「……ああ」
「お兄ちゃんがいなくなったって知ると大騒ぎするから」
言って、禰豆子は雪介の背中で寝息をたてる六太を優しく撫でた。
「お父さんが死んじゃって寂しいのよね……ずっとお兄ちゃんについて回るようになった」
「けど、雪介さんが来てくれてから前よりも落ち着いたよ。本当に雪介さんによく懐いてる」
それにちょっぴりやきもちを焼きながらも、感謝を込めて雪介に言う炭治郎。
「……そうか」
禰豆子と炭治郎は、短くそう言った雪介を見てクスクス笑う。本人はどう思っているのかわからないが、その仕草はどこか照れているようにも見えてしまった。
生前の父と雪介は顔も性格も似ても似つかない。しかしぶっきらぼうなようで面倒見のいいその性格に、六太は父の影を見い出したのだろう。かくいう炭治郎も禰豆子も、竹雄たちも同様だ。
雪介の存在はありがたい。できることならずっと一緒にて欲しいところだが、いつ記憶が戻るとも限らない。その時、雪介はここから離れていってしまうかもしれない。致し方ないことではある。けれども、竈門家にとってそれはとても寂しいことに違いなかった。
そんないつかのことを考えた炭治郎は、暗い気持ちを振り払った。
「そうだ、雪介さん。後で竹雄と木を切るのを手伝ってあげてくれませんか?」
「……わかった」
小さく頷く雪介。それに礼を言って、炭治郎は再び足を進めて行った。
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
「……気を付けて行け」
「はい! 行ってきます!」
禰豆子と雪介の言葉を背にし、炭治郎は山道を下りて行く。
歩きながら、禰豆子たちには美味い物をと決めていたけど、雪介には何がいいのだろうと、頭の中で家族の土産のことについて考えていた。
曇天から舞うように降り続ける雪は、止む気配を見せなかった。
――――メモリー修復率:94%
――――――――――
「こら炭治郎! お前山に帰るつもりか!?」
すっかり遅くなったと、炭治郎は自省しながら歩いている時だった。町ではいつものお人好しが働き、助けを求める人の手伝いに走り、そうしていつも帰る時間が遅くなる。今日もまたそうして炭売りをしながら人助けをしていたら、すっかり日が暮れ始めていた。そんな時、麓の山小屋で一人暮らす三郎という老人が家の中から炭治郎を怒鳴る勢いで呼び止めた。夜の山に入るのは危ないからやめろと止める三郎に、炭治郎は鼻が利くから平気だと反論するも、三郎は言って聞かずに炭治郎を家へ招き入れた。
曰く『鬼が出る』という理由で。
強引に招かれた山小屋の中で、三郎は語る。人食い鬼は昔から日が暮れるとうろつき出す。だから夜は出歩くな。そうして炭治郎に言い聞かせ、食事を提供し、食ったら寝て明日早起きして帰ればいいと告げた。
「……鬼は家の中には入ってこないのか?」
三郎から借りた布団の中、炭治郎は背中を向けながら煙管をふかせる三郎に質問した。
「いや……入ってくる」
「じゃあみんな……鬼に喰われちまう……」
意識が微睡む。炭治郎は重い瞼が閉じていくのを感じた。
意識が沈む間際、三郎は言う。
「鬼狩り様が鬼を斬ってくれるんだよ……昔から」
遠くなっていく耳に届いた鬼狩り様という言葉……それを最後に、炭治郎の視界は闇に閉ざされた。
鬼なんて迷信だ……そう言いたかったが、家族を亡くして一人暮らしをしている三郎に対し、そう強くも言えず。今度また弟たちを連れて来ようと、寂しさを紛らわしてあげようと考えた。
そして思考は家族へと向けられる。
母と禰豆子は心配しているだろうか。竹雄は六太を寝かしつけるのに苦労していないだろうか。花子と茂は兄が帰ってこないとぐずついているだろうか。六太はちゃんと眠っているのだろうか。
雪介は……そんな家族を安心させてくれているんだろうか。
色々な考えや不安が胸の中を渦巻く中、炭治郎は襲い来る眠気に抗えず、睡魔に身をゆだねていった。
――――――――――
ドォーーーーーン
遠くから音が聞こえて来る。そのせいで意識が少し覚醒し、寝ぼけ眼を開く。瞼が半分開けられた視界には、暗闇に包まれた三郎の家の中。先ほどの音は何なのか、炭治郎は耳をすます。しかし音は聞こえてこず、気のせいかと片付けて再び瞼を閉じ、夢の中へと潜っていく。
ドォーーーーーーン
「っ……!?」
気のせいではない。今度ははっきりと腹の底に響くような音が聞こえた。炭治郎の意識は覚醒し、布団から飛び起きる。
「……何だぁ、この音は? うるせいったらありゃしない」
隣で三郎もまた目をこすりながら起き上がる。対し、炭治郎は答える余裕はなかった。
何故ならば、聞こえてきたのは山の方……炭治郎の家がある方角からだったからだ。
「ごめん、三郎じいさん! 俺行って来る!!」
布団から出て、急ぎ身支度を整える炭治郎。顔は焦燥感に溢れ、藁靴を履くやいなや、脱兎の如く駆け出して行った。
「ま、待て炭治郎!」
三郎が炭次郎を呼び止める声が背中に届く。だが炭治郎は止まらない。夜明けが近く、薄暗くなった闇の中、慣れた雪道を走り、時に雪に足を取られそうになりながらも、炭治郎は足を止めない。
(何だ、何なんだ今の音は……!?)
激しい不安が炭治郎を襲う。息を弾ませ、冷たい空気を肺に入れる度に痛みが走る。そんな痛みに構ってられず、早く走れ、早く走れと己を急かし、炭治郎はひた走る。
(家が……まさか、家に何かあったのか!?)
まるで爆発音のような、いや、何か大きな物がぶつかるような大きな音。今まで聞いたことのない大きな音。それが家の方角から聞こえてきたとあっては、ただならぬ何かが起きているとしか思えなかった。
その証拠として……走る先から吹く雪混じりの風が、炭治郎の鼻にある匂いを届ける。
鉄のような、生臭さを感じさせる匂い……その匂いが何なのか、炭治郎は知っている。
「血の、匂い……!?」
何で家のある方角から血の匂いがするんだ? 何で、どうして? 疑問が湧き出て止まらない。
ただわかることは一つ……血の匂いがするということは、誰かが負傷しているか、或いは……最悪な予感を炭治郎は考えた。
山の中に住んでいるのは、炭治郎たち家族しかいない。そこから導き出されるのは一つだけだ。
「母さん、禰豆子、竹雄、花子、茂、六太!!」
雪に足を取られつんのめる。それでも炭治郎は、家族の名を大声で叫んだ。
「―――雪介さん!!」
瞬間、炭治郎の身体は吹き飛んだ。
「うわっ!?」
これには耐えられず、炭治郎の身体は雪の上に倒れる。さらに衝撃で降り注ぐ大量の雪によって、炭治郎は埋もれていってしまった。
「うぷ……な、なんだ!?」
藻掻き、雪の中から顔を出す。その時、炭治郎の鼻に一瞬、嫌な匂いを感じ取った。
腐った肉のような、胸糞悪くなる匂い。
視界の中を舞う雪煙。やがて風がそれらを消していくと、炭治郎は目の前の光景に度肝を抜かれた。
「ぐっ……おのれぇぇぇ……!」
雪の上で片膝を着く、半裸の男。その横顔は般若のように歪み、青筋が浮いている。血のように真っ赤な瞳孔は縦に裂かれてまるで猫のよう。波打つ髪がざわつき、口と鼻から血が流れ落ちていく。匂いはこの男から漂ってくるようだった。
それだけでも異様な光景だった。だがそれ以上に、男が怒りを向けるその視線の先に立つ存在。これが特に炭治郎を戸惑わせた。
紫色の姿をした、鋭く大きな黄色い眼の何か。その身に黒や銀の装甲を黒い帯で縛り付けたような異様な出で立ちのそれは、圧倒的威圧感を放ちながら、悠然とした足取りで男へと歩み寄っていく。
その時、炭治郎の目に飛び込んで来る、その存在の腰の部分に装着されている物。それを炭治郎は、見たことがある。あれは確か、雪介が竈門家に訪れた時の……。
(あれは……それに、この匂いって……!?)
そしてその紫色をした何かから、嗅ぎ慣れた匂いを炭治郎は感じ取った。
――――――――――
時は遡る。炭治郎が三郎の家で一泊している間の、夜が明けるまで数刻といった静かな夜。竈門家では帰ってこない兄を待ちくたびれた家族の寝息が聞こえ、そんな中で部屋の奥の壁にもたれるようにして座る雪介の姿。胸の鼓動は無く、息もせず、ただ置物のようにそこにあるだけ。
――――メモリー修復率:95%
その時、家の戸口から音が聞こえて来る。規則正しい、ノックの音。数回それが家の中に響いた時、母の葵枝が目を覚ました。
「……どちら様でしょうか?」
一瞬、炭治郎かと思ったが、さすがにこんな夜更けになってから帰ってくるとは思えず、葵枝は戸に向かって声を上げた。
「夜分遅くに失礼します。道に迷ってしまいまして……」
穏やかな男の声だ。こんな夜更けになるまで迷っていたという男に、妙な違和感を覚えながらも、葵枝は布団から出て行く。
「お母さん? どうしたの?」
禰豆子が母が起きたことに気付いて声をかける。葵枝は「道に迷ったみたい」と伝え、戸口へと向かう。
禰豆子は、それをぼんやりと見つめている。が、ふと妙な胸騒ぎが禰豆子を襲う。
禰豆子は炭売りの家の長女だ。それ以上の何者でもない。しかし、この時ばかりは禰豆子の中の直感が訴えかけてくる。
開けるな。逃げろ。そう警鐘を鳴らして止まない。
葵枝が戸口を開けようと手をかける。その瞬間、外から漂う冷たい何かが、禰豆子の身体を突き動かした。
「お母さん、開けちゃダメ!!」
冷たい何か……それを人は殺気と呼ぶ。
そしてこの時の禰豆子の判断は間違っていなかった……だが結果が違うだけで悲惨なことには変わりはなく。
禰豆子は戸惑う母を引き寄せた。その瞬間、禰豆子の腰に灼熱を伴う激痛が走る。
「―――――っ!!」
声にならない悲鳴が上がる。何が起きたかわからないまま、禰豆子の身体は崩れ落ちるように倒れ込んでいった。
「禰豆子!!」
一瞬呆けていた葵枝が正気に戻り、悲鳴が響く。それに驚き、竹雄たちは跳び起きた。
「チッ。面倒なことを……」
聞き慣れない声がする。抑揚のない、不気味な声。竈門家の玄関口に月明かりの逆光を受けて立つのは、白い洋装の男。スラリとした長身に、人間とは思えない程の中性的な顔立ち。しかしその目は異様としか言いようが無く、瞳孔は縦に割れ、本来なら黒い瞳は血のように赤く染まっている。その目は蔑みの色を帯びており、右手を軽く振るうと、雪の上に赤い飛沫が舞う。鋭利な刃物のような爪先は血に塗れており、その血が誰の物か、禰豆子が倒れ込んでいる今の状況を見て、誰もが理解した。
「姉ちゃん!」
「ねえちゃぁん!!」
竹雄が駆け寄ろうとするも、母と禰豆子の前には姉を害した男が立っている。咄嗟に竹雄は泣き叫んで姉の下へ駆け寄ろうとした茂を手で抑えた。
「不快だ……一度で仕留めるところを、余計なことをして私の手を煩わせるとは」
忌々しさを隠そうともしないで、男は母の腕の中で苦しむ禰豆子を睨みつける。禰豆子の服は腰の辺りを中心に血が広がっていき、床にも血がしたたり落ちる。
「今日の私はすこぶる機嫌が悪い……そんな私をこれ以上不快にさせてくれた罪がどれほど重いものか、お前たちに理解できるか?」
「な……何を、言って……」
男を見上げ、怯えながらも禰豆子を抱き寄せながら葵枝が問う。それがますます男の癪に障ったのか、目が細められた。
「餌風情が、無駄な抵抗をするな……大人しくここで私に殺されろ。何、運がよければ生きていられるだろう。まぁ」
ザリ。戸を跨ぎ、足を一歩足を踏み入れて高級靴から音が鳴る。
「鬼として……だがな」
嘲笑を浮かべる男の顔。痛みで朦朧とする意識の中、禰豆子は男の顔を見て、言葉を聞いて気付いた。
この男は、自分たちを人として見ていない……というよりも、生き物として見ていない。
自分を、母を、弟たちを殺すことに何の躊躇いを持っていない。
自分たちが何をしたというのか……それも考えたが、関係ないのだろう。この男は機嫌が悪いと言っていた。つまりは憂さ晴らしに命を奪えるということだ。
狂っていると思った。怒りも抱いた。しかしそれ以上に、絶望が押し寄せる。
(お兄ちゃん……!)
今ここにいない兄を心の内で呼ぶ。来るわけがないとわかっている。しかしそれでも来て欲しいと願わずにはいられない。
今ここに兄はいない……ならば自分が兄の代わりにならなければいけないと、禰豆子は強い決意の下、口を開く。
「か、母さん……逃げ……」
息も絶え絶え。禰豆子は地面い手を着き、母に自分を置いて弟たちを連れて逃げて欲しいと懇願しようとした。
「かあちゃん! ねえちゃぁん!!」
「は、花子!」
だが、そんな禰豆子の願い空しく。母と姉に手をかけようとしている男がいるにも関わらず、花子が竹雄の制止を振り切って、二人の下へと走る。
男はそれを横目で見たのに、葵枝は気付いた。
「花子、ダメ!」
「虫けらが……」
葵枝が止めようとした……だがそれよりも先に男が動く方が早かった。
鋭い爪が生え揃った左手を振り上げる。振り下ろす先は、無防備に駆け寄ってくる花子。それに気付いた花子は目を見開き、硬直する。
小さな子供が、それを避け切れる訳はなく。残虐を形にした一撃は、花子へと振るわれる。気付いた母が花子の前へ躍り出た……先ほどの禰豆子のように。
次の瞬間、母は死ぬ。花子も、竹雄も、茂も、六太も、禰豆子も……そして、深く寝入っているのか目を覚まさない雪介も。
(助けて……お兄ちゃん……!)
禰豆子は心の中で叫ぶ。今ここにいない兄に向けて。そして、
(お父さん!!)
死んだ父へ向けて。
――――――
――――
――
――――メモリー修復率:96%
「ヒューマギアは殺人マシンなんかじゃない! 人類の夢だ!!」
「やると言ったらやる! 俺がルールだ!!」
「知らないのか? 思いはテクノロジーを超える……らしいぞ」
「これからは1000%……私の時代だ」
――――メモリー修復率:97%
「自分を見失ってんじゃねぇぞ―!!」
「―の夢を叶えることが、今の私の夢なのですから!」
――――メモリー修復率:98%
「お前はアークじゃない! お前は、お前なんだ! お前自身の夢があるはずだ!!」
「―……あなたも或人社長からラーニングすればわかるはずです。大切にすべき心とは何かを」
「あなたは矛盾しています。心なんて必要ないと言いながら、心から人類滅亡を望んでいる。私は信じます。あなたの心を……」
「―……本当は恐れてたんだろ? 自分の中に芽生えた『心』を。そんな―の心を、失いたくなかったんだ……たった一人の、“お父さん”……だから……」
――――メモリー修復率:99%
「絶対に、乗り越えられる! 心があるとわかったのなら! だって俺たちは……仮面ライダーだろ……?」
「僕も力になるよ……おとーさん!」
「雪介さんも家族だって、俺は、いや、みんな思ってますから!」
――――メモリー修復率:100%
――――メモリー修復完了
……滅亡迅雷.netの意志のままに……
行こう―――――
――――Take off toward a dream.
――
―――
―――――
「ガッ――――!?」
葵枝と花子へ振るわれた爪は、突如大音量で鳴り響いた声と共に暗闇を閃く紫色の光が男に突き刺さると同時に戸を破壊しながら吹き飛んだことで、二人へ届くことはなかった。男は外の木にぶつかり、雪煙の中に消える。
死を悟った葵枝が呆然と、男が吹き飛んだ先を見る。花子も、竹雄も、茂も、六太も、動くことができなかった。
唯一、禰豆子が一早く正気に戻り、霞む視界のまま部屋の奥を見る。光が飛び出した先、そこに立っていたのは、竈門家みんなが見慣れた姿。
「雪……介、さん……?」
膝立ちになり、鋭い眼を戸の外へと向けるのは、竈門家の居候、雪介。しかし左手に持つ上下に刀状の刃が取り付けられ、紫の線が走る角ばった弓のような物には見覚えがなかった。
どこにそんな物を隠し持っていたのか。そしてその身に纏った雰囲気が変わっているのは何故なのか。疑問は尽きない。考えようにも、禰豆子は傷の脈打つような痛みにより、意識すら保つのに精いっぱいだ。
「ね、禰豆子! しっかりして!」
「おねえちゃん!」
脅威が消え、竹雄たちも禰豆子へと駆け寄る。母が禰豆子を抱きかかえ、必死に呼びかけるも、返事をする余裕は今の禰豆子にはない。
一人、謎の武器を手にしたまま雪介が歩み寄る。そして葵枝の腕の中でぐったりしている禰豆子の傍に跪き、視線を向けた。
――――体温低下
――――出血多量
――――緊急性:大
視界に映る禰豆子の状態を表す文字や数値の数々。しばしの後、雪介は葵枝へと告げる。
「止血をし、体温を上げろ。それまで傍に付き添ってやれ」
「え……」
いつもの冷たさを感じる物言い。しかしこれまではっきりと何かを告げることは今まで無く、葵枝は一瞬言葉を無くす。そんな彼女を置いて、雪介は立ち上がり、歩き出す。
「ゆ、雪介にいちゃん、どこ行くんだよ!?」
「外には……あの、あの怖い人が……!」
竹雄と花子が雪介を止めようと、怯えて震えながらも声を上げた。葵枝も言葉は無くとも雪介へ向けて縋るような目を向けた。だが、雪介はそっと竹雄と花子、そして茂と六太の頭に手を乗せた。
「……奴がいる限り、ここから離れられないだろう。身を隠し、期を見計らってここを離れ、下山しろ」
そして、再び外へと身体を向けた。
「俺は……奴をここから離す」
「っ……!」
竹雄は、その言葉の意味がわかる。つまり、囮になる……そう言っているのだと。
そんなの、ダメだ……竹雄はそう言いたかった。それより先に、雪介は外へと出て行ってしまった。
「雪介さん……!」
葵枝が手を伸ばす。だが雪介の足は止まらない。止めようともしない。
雪介の広い背中が、遠のいていく。
――――――――
鬼……それは遥か昔から生存している長寿の者たち。邪悪な本能の赴くままに、人の血肉を喰らい、糧とし、人々の命を奪い続けてきた。
その鬼を増やし、全ての鬼の頂点に君臨する始まりの鬼にして鬼の首魁―――鬼舞辻無惨。
冷酷にして残虐。己の気分一つで人を、さらには同族もとい手駒の鬼をも殺す、吐き気を催す邪悪な者。己が殺した者は天災に巻き込まれた物と同じことと認識し、そんな己を殺そうと躍起になる者たちのことを『天変地異に対して怒りを向ける異常者』と本気で思っている程、己を絶対なる存在だと信じて疑わない。
そんな彼は今宵、むしゃくしゃしていた。部下の鬼が粗相をし、それによって無惨は後始末をすることとなった。その手間をかけさせた鬼は勿論、殺害。最後まで命乞いをしていた醜い声を聞いてから苛立ちが止まらない。
気分転換に雪山を散歩していた時、一軒の家を見つけた。そこから漂う、
人の命を玩具にしか考えていない者にしか到達しえない思考回路。そうしてその夜、一つの家族が享楽という名目で惨たらしく殺され、白い雪を赤に染め上げる……その筈だった。
それが本来の道筋。
だがこの日……否、この世界は、それを許さない。
「おのれ……!」
鳩尾に命中した紫色に光る矢のような物により、大きな穴が空いた。その穴が早送りのように瞬時に埋まる。
これが鬼の力。特別な方法でしか死を与えることができず、それ以外の攻撃では瞬時に肉体を再生させてしまう。身体能力だけでなく、こういった特性もあり、普通の人間が鬼に敵うことは無い。鬼の首魁である無惨だと尚更だ。
雪煙に覆われる中、家から歩き出てきた一人の男。和装と洋装を合わせたような男は、左手に先ほど無惨を射抜いた弓状の武器と、右手に日本刀を携えて無惨へと歩み寄る。
「ぬぅんっ!」
無防備な男へ向け、無惨は腕を伸ばす。瞬間、腕は肥大化し、ぎょろついた目と歯の生え揃った口が幾つも付いた醜悪な触手へと変える。その触手を男へ、雪介へと猛然と振るう。常人ならばその速度に判断が追い付かず、その開いた口によって頭を食いちぎられることは必然。
だが雪介は落ち着き払った様子で、その触手を弓の弦に当たる部分が刃となっている異色の武器で両断。さらに振るわれる触手を今度は身を翻し、右手の刀で切り払った。
舌打ちする無惨。だが切られたところで何なのだと、もう片方の腕も変化させて切り飛ばされた自身の腕を回収し、無くなった腕の切り口と合わせる。瞬間、腕は元通りくっついた。
「忌々しい……日輪刀も持たない有象無象にすぎない輩が、この私に歯向かうとは……」
日輪刀……無惨の言う異常者の集団が持つ、唯一鬼に対抗しえる武器。それで首を切り落とされた鬼は、灰となって消える。つまり本物の死を迎えることとなる。
だが無惨は腕を斬られて気付く。右手の刀も、左手の武器も、日輪刀でもなんでもない、所詮ただの切れ味のいい武器でしかない。そんなもので鬼である己に、ましてやこの鬼舞辻無惨を倒せるとでも思っているのだろうか。無惨はせせら笑う。
「……」
雪介はただ無言で立ち、目の前の男を、無惨を見る。先ほど穿った筈の胸の傷が消えている。腕も瞬時にくっ付いたということは、なるほど、やはり相手は人にあらず。人の形をした化け物、ということとなる。
「……貴様、何を笑っている」
クツクツと笑う雪介。絶対なる存在を笑うなど、言語道断。無惨はより青筋を浮かべて目の前の人間を……。
待て。
「貴様……人間か?」
こいつからは人間の……餌の匂いがしない。
さては鬼か? いや違う。無惨は全ての鬼に自分に平伏する呪いをかけている。例外はあるが、鬼が無惨に反抗することはまずありえない。そもそも鬼の匂いとも違う。
これは……鉄だ。いや、ただの鉄とも違う、妙な金属の匂い。人間が発することのない、妙な匂いだった。
「答えてどうする……お前のような輩が知る必要のないことだ」
訝しんだ無惨の問いに答えるつもりはないと、冷静な雪介の発言に無惨の怒りのボルテージが上がる。さらに、
「お前こそなんだ。その醜い正体をそんな病人のような身体で隠したつもりか」
無惨にとっての禁句を言い放った。
「…………殺す」
殺気が溢れる。並の人間ならば気を失うどころか、直に受ければ心臓が止まりかねない圧倒的殺意だ。
「殺してやる。お前を惨たらしく殺して山に捨ててやる、お前の後ろの家族も同罪だ、お前を始末してからなぶり殺しにしてやるぞ……!」
激昂した無惨の怒りに任せて早口で告げられた殺害宣言を受けて尚、雪介は平然とそこに佇む。刀を鞘に収め、左手の武器を雪に突き刺した。
「……一つ礼を言っておこう」
突拍子のない言葉に、無惨が眉を上げる。
「お前のおかげで、俺のメモリーは完全に蘇った。お前と言う存在が、俺の使命を呼び覚ました」
「……貴様の使命だと?」
聞くに値しないとは思いながらも、己の圧倒的優位を信じて疑わなかった無惨は、戯れに聞き返した。
「お前は悪意だ。他者を食い物にして欲望を満たす悪意そのものだ」
雪介は無惨の本質を垣間見る。ただの気まぐれに他者の人生を踏みにじる存在だと。
「俺の使命はただ一つ……お前の悪意が誰かの善意を踏みにじるというのであれば」
故に断ずる。目の前に立つ男は、全生物の敵だと。背後の家の中、襖の隙間からこちらを怯えながらも覗き見ている子供たちの未来を奪う存在であると。
「それを滅ぼすのが俺の使命……いや」
雪介は……否、
「我々『滅亡迅雷.net』の意志だ」
『滅』の一文字の名を背負う者は、目の前の悪意に立ち向かう。
「あの家族に手出しはさせない」
懐から取り出したるは、ジャンクパーツを組み合わせたような外観のデバイス。竈門家全員が玩具だと思い込んだそれを、滅は丹田に当てた。するとデバイスから内側に無数の針が伸びたベルトが射出され、腰を一回りし、滅の腰にフィット、装着された。
これは滅の武器。かつて己が全人類を滅ぼすために動いていた時から使用している、もう一つの姿へ至るための物。遥か未来で作られた、大正時代の人々にとってはオーバーテクノロジーと呼べるベルト。
遥か未来ではこれを『フォースライザー』と呼んだ。
続けて手に取りたるは、分厚い板状の物。右手に持ったそれを水平に伸ばし、手首を返すと、
POISON
上部のスイッチ『ライズスターター』を親指で押し込み、封じられた生物データの
腰にフォースライザーを、右手に戦うための力を得るために必要なアイテム『スコーピオンプログライズキー』を翳す滅は、
「変身」
悪意を滅ぼすために、その身を変える。
「チィッ……!」
無惨は滅が何をするかわからずとも、厄介なことをしようとしていることに気付くと、滅に向かって飛び掛かる。が、それより先にフォースライザーにプログライズキーが装填され、展開装置『エクスパンドジャッキ』に固定される。
瞬間、無惨は弾き飛ばされた。
「何だとッ!?」
突如として無惨の身体を打ち据えた存在を目の当りにした無惨の顔は驚愕に染まる。家の中から様子を見ていた竹雄たちもまた、その光景に目を見開いた。
滅の前に現れたるは、銀色で構成された巨大な蠍。プログライズキーに封じられている生物データが実体化した『ライダモデル』が六つの目を紫色に光らせつつ、滅と相対する無惨へ向けて尻尾の針や両手の鋏を突き出し、威嚇する。
フォースライザーの赤いランプが点滅し、威圧するかのようなブザー音が鳴り響く。その中で、接近できずに歯噛みする無惨、そして固唾を呑んで見守る竹雄たちと、囲炉裏で身体を温めながら朦朧とした意識の中で聞き慣れないその音を耳にする禰豆子の前で、
滅は『フォースエグゼキューター』を引き、連動してジャッキが強引にプログライズキーを展開。認証装置『ライズローダ』がライダモデルを読み込み、開始する。
蠍のライダモデルが滅目掛け、針を突き出す。突き刺された滅の身体が紫色に輝くと、全身に同色のスーツが成型された。直後、ライダモデルは突き刺した針を起点にして飛び上がり、滅に八本の脚を絡ませるように覆いかぶさった。
(何が……起こっている!?)
無惨は動けない。初めて見るあまりの光景を前に身動きが取れない。やがて蠍が放電し、
砕け、四散。伸びきった黒いベルトが揺れ、その先に付けられている装甲が一斉に滅の身体へ周囲の雪を巻き上げる衝撃を起こしながら装着。滅はその身を新たにして現れた。
月明かりの下に晒された、毒々しいバイオレットのフィットスーツに身を包み、身体の至る箇所をベルトで縛り付けたような黒い金属装甲で覆った異様な姿。顔を鋭角な仮面で隠し、鋭く大きな眼は黄色に妖しく光る。
見るも禍々しく、されど堂々としたその姿。蠍の針が如く鋭い殺気を放ち、眼前の敵を真っ直ぐ見据える。
「何者だ、貴様」
1000年の時を生き続け、時の移ろいを目の当りにしてきた無惨。その無惨ですら初めて見た光景を前にし、鋭く尖った牙のような歯を剥き出しにしながら、無惨は目の前に立ち塞がる者の名を問う。
滅は答える。己の名を。
「仮面ライダー
蠍の針を模したような先端鋭い腕部装甲に覆われた左手で、地面に刺さった弓状の武器『アタッシュアロー』を手に取る。そして、
「それが俺の名だ」
右手で弓を引く動作で『ドローエクステンダー』を引き絞り、無惨目掛けてエネルギー矢を、己の名と共に放った。
「――――っ!」
舌打ちし、無惨は駆ける。向かって来る矢を顔を逸らしただけで回避し、神速とも呼べる速さで滅に肉薄、右の爪を振るった。
「ふっ!」
それを呼気と共にアタッシュアローの刃で受け止めた滅は、距離を離される前に無惨の腹に右拳を叩き込む。仮面ライダーとなった滅の『フォースアーム』によって4.8倍となった腕力から繰り出される拳をまともに食らった無惨は、身体をくの字に曲げて木々の向こうへと消えていく。
滅は無惨を追撃すべく、駆け出そうと足を前へ出した。
「雪介にいちゃん!!」
が、彼を呼び止める六太の声がその足を止めた。
僅かばかり振り返れば、家から飛び出そうとしている六太を止める竹雄と茂と花子、そして虚ろな目をしている荒い呼吸の禰豆子と、そんな状態の娘を労わるようにして抱きしめる葵枝。
全員、仮面ライダーとなった滅を見ている。その目に畏れは一切なく、ただ一つの願いが込められていた。
「……」
その願いを、滅は一身に受ける。仮面に隠れた滅の素顔は誰にも見えず、されど鋭い目付きの仮面越しに竈門家を見つめる滅がどのような目をしているのか、彼らにはわかる。
それでも尚、滅は身体を竈門家へは向けず……彼らの願いを振り切るように、再び顔を山の中へ向け、雪を蹴り上げ走り出した。
「待って! 行かないで!!」
「雪介にいちゃぁん!!」
「雪介さん!!」
滅は走る。竈門家の家族の声を背に受けながら。ただひたすらに走る。
竈門家にはわかる。もう彼は、二度とここへは戻ってこないことを。
雲が出て、月は消える。一度止んでいた雪が再び降り始めた夜明け近い夜の出来事だった。
六太を滅パパの背中で寝かせてあげたかったという思いで書いたのよ、今回のお話。めっちゃ似合いそうやん。
次回、最終話……みたいな感じ。