呪術って噛まずに言える?   作:定道

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夏が始まり青春が終わる

 

 

 ミンミンと鳴く蝉の声が聞こえる、まだ7月の初めだというのに気の早い奴だ。

 

 確か蝉が鳴くのはメスにアピールするための求愛行動だったはず、聞かせる相手のいない愛の言葉を発し続ける彼は少しだけ憐れだ。

 自分の生まれた使命を果たすために逸ってしまった慌て者、一寸の虫にも五分の魂、愛の伝道師である僕がその叫びが実る事を祈ってやろう。

 

 僕はミンミンとは鳴けない、愛の言葉を叫べない、だから少しだけ羨ましい。

 でも、愛の表現方法は無限だ、バカ五条の無限など比べ物にもならないくらいに世界には無限が溢れている。

 

『つまりこれは愛を表現してるのさ、分かったかな? 愛を知らない愚かな後輩達よ』

 

 寮の談話室、空調の涼しさと大型のテレビモニターに虫の様に呼び寄せられてグダっている一年生と二年生、呪術師の繁忙期である7月にしては珍しく全員揃っている。

 

 うーん、暑いからってたるんどるなぁ……

 

 残念ながら、僕の最愛のフィアンセ(仮)である大天使歌姫ちゃんと四年生の先輩達はこの場にいない。今朝方任務へと出掛けた。

 

 そして僕も、後三十分したら補助監督のオジサンと任務へと向かわなくてはいけない。今日は単独での任務だ、お供のオジサンと一緒に我が故郷の埼玉県へと向う。

 

 

「虎杖先輩、談話室で踊っているのは愛を鍛えるためなんですか?」

 

 いい質問だねえ、灰原君。君は本当に素直で良い子だよ、今度呪霊を殴る時に一番気持ち良い角度を教えてあげよう。

 

 僕が談話室の中心で、僕が君に話しかけられるまで踊っていたのには理由があるんだ。

 後輩達の無視にひたすらに抵抗してようやく話し掛けて貰えた。

 

「せっかく涼んでいるのに構うなよ灰原、鬱陶しくて暑くなるだろ。無視して踊らせておけ」

 

 はぁ、五条は駄目だな、可愛げもなければ先輩を敬う気持ちも皆無、強さだけが取り柄の男だよ。

 

『最近さ、社交ダンスを始めたんだ。相手がいないと完成しないステップ、コレも愛の表現方法の一つだよね』

 

 ああ、歌姫ちゃんにシャル・ウィ・ダンスしたいよお。

 

「まさか戦闘に踊りを取り入れるつもりじゃないですよね? これ以上変な縛りを追加したらまともに戦えなくなりますよ?」

 

 ん? 社交ダンスを戦闘に取り入れるだと?

 

『夏油君、それは“アリ“だ』

 

「いや、アリじゃないでしょうよ……」

 

『分かってないなあ七海君、古来より舞と格闘技は密接な関係があるんだよ? 古くはカラリパヤット、プンチャック・シラットに古式ムエタイ。例えばカポエイラなんかは、格闘技を禁じられたブラジルの奴隷達が踊りに見せかけて練習した、有名な話だろう?』

 

「それで? 社交ダンスにも格闘の動きが隠されているんですか?」

 

『いや? そんな訳ないじゃん。僕が踊ってるのはスローワルツだよ、そんな謂われは無い』

 

 まったく、七海君は意外に常識を知らないなあ……僕の教育不足かな?

 

「…………」

 

「落ち着け七海、ここで怒ったら虎杖先輩は更に調子に乗る」

 

『僕が考えているのはムエタイで戦いの前に行われる儀式の舞、ワイクルーみたいな物だよ。戦闘前に歌姫ちゃんに捧げる愛のワルツ、呪力爆上げ間違いなしだね』

 

 戦闘前に儀式を行う、これは実に呪術師らしい行為だよね、また一段と立派な呪術師になってしまうなあ。

 

「呪霊や呪詛師の前で一人でスローワルツ踊るんですか? うーん、相手はビビるかも……いいんじゃないんですか先輩?」

 

 おっ、流石だよ家入ちゃん、分かってるねえ。

 

「硝子、虎杖先輩は本当に踊りだすから適当な事を言うなよ」

「いいじゃん傑、やらせてやれよ。ちょっと見てみたい気もするしさ」

 

 ふむ、五条も賛成か。

 

 ……取り入れてみるかな。

 

『ならさっそく今日の任務で踊ってみるよ、せっかくだから補助監督のオジサンに頼んで撮影もしてもらう。愛に飢えた後輩の参考になるだろうからね』

 

「本当ですか? 虎杖先輩が戦う所は参考になるんで嬉しいです」

「はぁ、踊りの部分をカットすれば黒閃の資料になるか」

「勝手に任務を撮影するのは……まあいいか、バレても処分されるのは虎杖先輩ですしね」

 

 うんうん、一年生コンビはなんだかんだ言っても可愛いな、灰原君は素直で七海君はツンデレだ、夏油君は酷いね。

 

 と、いう訳で踊りを再開する。今日の任務で早速取り入れるのだ、歌姫ちゃんに捧げるに足るレベルまで仕上げなくては。

 

「コイツさあ、なんで今日は何時にも増してテンション高めなの? 歌姫連れてきて大人しくさせろよ、アイツの前だと大人しくなるだろ?」

「確かに庵先輩の前だと基本的にマトモですよね、微妙に奇行を隠しきれていませんけど」

「彼女の前では格好つけたくなるんだよ七海、僕も虎杖先輩の気持ちがわかる」

 

 あのさあ、天使と後輩じゃ対応が違うのは当然だろう? 灰原君以外には分からないかな? 

 彼女がいるというステージに立ってない奴には理解出来ないか……やれやれだね、下々の嫉妬は見苦しいよ。

 

「歌姫先輩は今朝任務に出てったよ、虎杖先輩がテンション高いのは見送りの時に海に行く約束してたからじゃない?」

 

 そう! 家入ちゃんの言う通りに僕は素晴らしい約束をしたのだ! 歌姫ちゃんと一緒に海へ行こうと誓った!

 

 ああ、青い空、白い雲、広がる砂浜、照りつける太陽がキラキラと反射して輝く海。

 そして降臨する水着となった歌姫ちゃん、生足魅惑のマーメイド、ただでさえ天使の歌姫ちゃんが渚で女神へと進化してしまう……ふひっ、海は僕と歌姫ちゃんだけの楽園だねえ。

 

「へえ、海に遊びに行くなんてイイですね、去年はゴタゴタして行けなかったからなあ」

 

「灰原、歌姫先輩は都合が合えば皆で行こうって言ってたよ。虎杖先輩は二人きりだと勘違いしてるみたいだけどさ」

 

 何を言う、僕はそんな早とちりをしない。

 

『違うよ家入ちゃん。海に行けば僕の瞳には歌姫ちゃんしか映らないし、歌姫ちゃんの瞳にも僕しか映らないだろう? どんなメンバーで、どんなに混んでても実質二人きりでプライベートビーチみたいなものだからね』

 

「海か、クソ不味い海の家の焼きそばでも食うかな」

「不味いと分かってるのに食べるんですか五条さん?」

「ああいうのは不味いから風情があるんだ七海」

 

 なんだかんだ言っても乗り気だな、海如きで喜ぶとは無邪気なガキどもめ。

 まあ、後輩共が引っ付いて来ても問題無い、ついでに先輩達が来てもいいだろう。歌姫ちゃんと過ごすのは最上の喜びだが、こいつ等だって一緒に居れば青春の彩りぐらいにはなる。

 

 高専を卒業して、立派な呪術師になった時には皆で集まるのもいいだろう。飲みながらそういえばあの時は……ってな感じの思い出になるだろうからね。

 その時にはもちろん、歌姫ちゃんが僕の隣にいるはずだ。虎杖 歌姫になってるかな? それとも庵 悠一かな? 僕は歌姫ちゃんの意思を尊重する、入り婿だって問題無い。 

 

 もうすぐ夏が始まる、呪霊が騒がしい季節だが、高校生にとっては青春の真っ只中でもある。

 

 呪術師だって、みんなで海に行くぐらいは許されるはずだ。

 

『そうだ、今日の任務の埼玉土産は何が良い? 草加せんべい? 埼果の宝石? 二十万石饅頭? 五家宝?』

 

「マルセイユバターサンドにしろや」

「東京バナナンですかね」

「赤福々がいいかなー」

「あっ、最近生キャラメルって話題なの知ってます? 北海道の牧場の奴です」

「この前のピュアホワイト餃子は中々でしたね」

 

 埼玉土産って言ってんだろ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 補助監督オジサンの運転する車で任務の目的地へと向う、場所は埼玉県の北部の山中だ。去年三人を連れて行った任務を思い出す、あそこから割と近い所にある。

 

「今日の任務では、準1級と思われる呪霊が3体確認されている、君の実力は疑わないが十分に気を付けて任務に当たってくれよ、大事な身体なんだからね」

 

『もちろんです、歌姫ちゃんと約束してますからね、ついでに後輩とも』

 

 補助監督オジサンと任務に行く時はいつもこうだ、少し鬱陶しいくらいに僕の身体を心配してくれる。

 

 僕の未成年後見人でもあるオジサン、私生活にはほとんど干渉してこないから凄く助かる、こうやって任務の最中に雑談混じりに近況を報告する程度だ。

 

「よし、到着だね、車で行けるのはここまでだ。人気は殆ど無い場所だが、少し特殊な呪力が発生している山でね、今日の“帳“は私が下ろそう、君は任務に集中してくれ」

 

『了解です、お互い気をつけましょう』

 

 歌姫ちゃんの声が使えないのは残念だ、だけど任務を滞り無く遂行する為に我慢する。今日は歌姫ちゃんに捧げるワルツだってあるから我慢しよう。

 

「じゃあ行こうか、案内するよ」

 

 オジサンはスタスタと山の中に歩いて行く、このオジサンは僕との任務では戦いの場まで付いてくる。攻撃を避けるのは上手だが、正直言うと危険なので辞めてほしい。

 だけど、大事な場面でその場に立ち会えずに悲しい思いをしたなど言われたら断るのも気が引ける。

 過去に何があったのかは知らないが物凄く後悔しているのは伝わって来た、お世話になっている人だし出来る限り望みは叶えてあげたい。

 

 それにしてもこの山……なんか見覚えがあるな? 少し胸がざわつくぞ? 埼玉の地が僕を呼んでいるのかな?

 

 でも山なんてどこも似たようなものか、多分気のせいだろう。

 

 山の中をオジサンと歩く、歌姫ちゃんや後輩との出来事をノートで伝えながらの登山道。

 軽く一時間程は歩いた、古く寂れた神社がひっそりと佇んでいる。

 

 やっぱり胸が少しざわつく、この神社に見覚えが有る様な……

 

「ここだよ、この場所が相応しい。“闇より出でて闇より黒くその汚れを禊ぎ祓え“」

 

 オジサンが“帳“を下ろす、さっきも言ってたけど少し特別な“帳“なのかな? 帳の闇は何時もより濃く感じた。

 

「よし、ここで暫く待っていれば呪霊達がやって来るはずだ。よろしく頼むよ」

 

 そうだ、ビデオカメラをオジサンに渡そう。立場上は不味い気もするけど、オジサンは甘いから了承してくれるはずだ。

 

『すみません、このビデオカメラで僕の戦闘を撮影してくれませんか? 後輩達の参考資料にしたいんです』

 

「戦闘を映像に残す? なるほどね、ちょうどいいかも知れない……分かった、撮影しよう」

 

 オジサンにビデオカメラの操作方法を軽く説明して渡す、そんなに難しい物じゃない、僕のスピードを追いきれるかは微妙だけど。

 

 おっ、そろそろ来るな。 

 

 そして思ったより数が多い、十六体もいるぞ? まあ問題ないけどね、呪霊が様子見している内に始めるか。

 

 レコーダーから音楽を流し僕は踊り始める、歌姫ちゃんへと捧げる愛のワルツを。

 

ゆったりとした3/4拍子、一歩一歩を大きくステップする、雄大な動きでここには居ない天使を想像してリードする。

 

「なるほど、面白いね。捧げる為の舞は儀式としてはポピュラーだけど、西洋の物でやるのは初めて見たかな。最近の術師は面白い発想をするね」

 

 オジサンの声が聞こえるが、返事は出来ない。

 

 僕は今、ワルツの相手のエア歌姫ちゃんをリードしているのだ、それ以外に意識を割くのはマナー違反だ……ほら、無粋な呪霊がやって来た。

 

 一曲終わるまでの5分弱、ワルツを止める事はしない。あくまでゆったりとしたステップで、架空の歌姫ちゃんに傷一つ付けない様に踊り続ける。

 

 雄大にステップ、軽やかにターン、滑らかにサイドチェンジ、華麗にスピン、呪霊の攻撃を見極めながら基本に忠実なワルツを続ける。

 

 曲が終わる、素晴らしい余韻が歌姫ちゃんと僕を包む。オジサンの拍手の音が聞こえる、呪霊達は僕達の愛に戸惑っているようだ、途中から遠巻きに眺めるだけになった。

 

 ああ、架空の歌姫ちゃんが消えて行く、そして僕の中へと帰ってくる。愛と呪力が全身を駆け巡るようだ。 

 

 

 ――今ならできるよね?

 

 ――領域展開。

 

 ――愛染甜言蜜語(あいぜんてんげんみつご)

 

 

 僕が拡がる、僕の中身が拡張される、僕の世界が外へ飛び出して行く。

 

 凄いな、こんな感覚初めてだ。

 

 自分の内にしか作用しない僕の呪言の術式が、自分の中で完結していた生得領域が拡がって行く。

 

 十六体の呪霊とオジサンを巻き混んで、僕の世界が現実へと具現した。

 

 やっぱり愛は偉大だ、愛を知るのは世界を知るのと同義だった。自分の中でしか展開出来なかった領域、纏って展延する事は出来ても、展開出来なかった僕の生得領域。

 

 それを外へと拡げられたのは、僕が愛を知ったからだ。

 

 だって、愛してるは想っただけじゃ伝わらない、己から発して初めて他者へと伝わるんだ、僕の想いが歌姫ちゃんに伝わらないなんて我慢出来ない。

 

 帰ったら伝えよう、最新のエンゲージリングを渡すんだ、愛と一緒に約束を歌姫ちゃんへと贈ろう。

 

 だから呪霊は早く片付けないとね。

 

 

「呪霊は死ね、愛の為に」

 

 

 領域内に僕の声が響く、僕の声が僕の世界を震わせた。

 

 ここは僕の中だ、いつもの様に言葉を飲み込めばそれは言葉を発した事と同義だ。僕の領域に居る対象に何時でも言葉を届ける事が出来る。

 

 十六体の呪霊が爆ぜる、跡形も無く祓われる。

 

 死を願う言葉はとても強い言霊だ、普通は反動が強いので気軽に使えない。

 でもここは僕の領域の中、言霊の反動など返っては来ない。

 

 僕の言霊は愛だ、愛は僕を殺さない、人を傷つけるのは何時だって呪いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領域が割れる、全身を虚脱感が包む……これが領域展開の呪力消費か……流石に堪えるね。

 

「素晴らしいね、我ながら流石と言うべきかな?」

 

 オジサンも喜んでいる、僕の成長を祝福してくれている様だ。

 僕は高専で成長した、歌姫ちゃんや先輩や後輩達、ついでに先生と出会い、青春を経て愛を知ったんだ。

 

 養父さん、僕は呪術師になりました、これで許してくれますか?

 

 パチパチと拍手の音が聞こえる、オジサンが拍手をしながら僕に近づいて来た、顔が大きく歪む程の笑みを浮かべてこちらへと歩いて来る。

 

「領域展開にまで至るとは見事だよ、僕の想定を大きく越えてくれてありがとう。やはり可能性は混沌の中から生まれる、改めて確信した」

 

 ん? 急にどうしたんだオジサン? 今更そういうのに目覚めちゃったのか?

 

「君が一人前の術師になり、時が来たらコレを渡すように君のお養父さんから頼まれていたんだ。受け取って読んでくれ」

 

 膝を付く僕の目の前に手紙が差し出される、悠一へと書かれた文字は確かに養父さんの字だった。

 

 震える手で手紙の封を開ける、養父さんからの手紙を読まない訳にはいかない……だって、養父さんの言う事に背くなんて僕には出来ないから。

 

 吐き気がする、2枚綴りの手紙を読み進めると吐き気と震えがドンドン強くなって来る。

 

 思い起こされる痛みと熱さ、恐怖と懇願、養父の顔を久しぶりに思い出した。

 

「少し焦ったよ、執着心が強くなる様に調整したらおかしな方向に向かってしまったからね。自分の生まれた土地で強くなるのはらしくもあるけどね。気付いたかい? ここは君が生まれた場所だよ、使わなくなってしまったかつての実験場の一つさ」

 

 オジサンの声が響く、何か重大な事を言われている気もするが、養父の手紙から目が離せない、意識を移せない。

 

「特に庵2級術師への執着には参ったよ、君のお養父さんから依存対象が移ってしまうんじゃないかってヒヤヒヤした。なるべく任務が一緒にならない様に小細工したけど無駄だったからね。異性に対する執着が強いのは少し不思議だ、埼玉土着の呪霊の欠片を混ぜたけど、土地以外が興味の対象になるとは……でもその様子なら大丈夫みたいだね。幼少期から刻まれた痛みによる教育、特定の言葉を繰り返し飲み込ませる事による行動を強制する縛り、君が呪言使いなのもプラスに作用している」

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする――

 

 お腹を蹴られて胃の中がひっくり返る様な痛み、床を汚すと加えて踏みつけられる、ある程度傷付くと自分で治す様に言われる恐怖、久しく忘れていた痛みと恐怖が吐き気と共に僕の中に返って来る。

 

「結果的にはいい方向に作用したね。彼女に執着した君は黒閃の味を知り、領域を展開し、肉体と脳は立派な呪術師へと育った。ここでは三十人程作ったけど、結果的に成功したのは君一人だ、他は教育の段階で死んでしまったよ。素材はなるべく同じ物を使ったんだけどね、違いは何だったのかな……君のお養父さんが教育上手なのかな?」

 

 そうだ、養父さんの言う事は正しい、養父さんに逆らってはいけない、養父さんの言う事は絶対だ。

 

 言う事を聞かないと爪を剥がされる、逆らったら足を折られる、信じないと耳を千切られる、顎を砕かれる、指を潰される、頭を叩きつけられる、目をくり抜かれ、鼻を砕かれる。

 

 そして自分で治す様に言われる、治ったら同じ事を繰り返す、養父さんが許してくれるまで何回でも繰り返す。

 

 綺麗に治らないと学校に行かせてくれない、だから必死で反転術式を覚えた、少しでも痛みに耐えられる様にひたすらに言葉を飲み込んで肉体を強化した。

 

「偶然だけど条件は揃った、君はそこまで期待したプランじゃなかったけれど、ここまでお膳立てが出来たなら使わないのは勿体無いよね。五条悟を徹底的に揺さぶってくれ、随分と仲が良いみたいだからいいとこまで行くんじゃないかな? 無理だと思うけど殺してくれれば最高だよ」

 

 僕は……僕は人を殺さない、呪ったりしない。養父さんだってそう言ってた、だからこそ僕は……

 

「おや、まだ納得出来ていないのかい? 手紙を最後までよく読みなさい、お養父さんの言う事は絶対だろう?」

 

 震える手、揺れる視界、こみ上げる吐き気、全てを飲み込んで手紙の続きを読む。

 

 締め括りには、あの言葉が書かれていた。

 

「人を呪わば穴2つ。だからお前は誰かを呪ってはいけない、呪いの言葉は全て飲み込みなさい」

 

 ああ知っている、痛みと共に何千何万回と聞いた言葉だ。

 

 そして、僕の知らない続きの言葉が綴られていた。

 

「呪いを飲み込め、飲み込んで強くなれ、飲み込んだ呪いで人の敵を呪え」

 

 僕は呪術師だ、人の敵を呪って祓う、そんなものは当然で――

 

「天元様に群がる呪術師共、不敬にも穢れた異物を天元様へと捧げる人類の敵。だからお前は呪術師を呪え、無垢なる真の人間の敵を呪い殺せ」

 

 震えが止まらない……養父さんが言っている、呪術師を殺せと。

 僕はそれに従わなくてはならない、養父さんの言葉に逆らってはいけない、養父さんの言葉は絶対だから。

 

「汚れきった呪術師共を根絶やしにしろ、清浄なる星を取り戻せ」

 

 養父さんの言う事は正しい、だから呪術師は汚れた存在なんだ、そうでなくてはいけない。

 

「そして最後の時、唯一となった最後の穢れを呪え。呪術師となり穢れたお前自身を呪え、必ずやり遂げろ」 

 

 養父さんがやれと言っている、僕はその期待に応えなくてはいけない。

 

「だからお前は必ず呪術師になれ」

 

 ああ、養父さん。僕はもう呪術師です、貴方の言い付けを守っています。

 だから、だから許してください、怒らないでください、殴らないでください、お願いします。

 

 我慢出来なかった、胃の中を全て地面にぶち撒ける。そのまま地面にうずくまる、手紙を通して養父さんが僕を見ているようで耐えられない。

 

「面白いよね、そんなにも暴力に怯えている君が、呪霊に対しては喜々として暴力を振るう。結局人は親に与えられた物を誰かに与える様に育つって事かな? 君のお養父さんは呪術師になれなかった狗巻家の出来損ないだけど、教育の才能はあったみたいだ」

 

 頭上から声が聞こえる、だけど内容が頭に入って来ない、顔を上げるのが怖い、何も見たくない。

 

「君のお養父さんは吃音症で上手く喋れなかった、だから呪言も上手く操れない。それが原因で狗巻家で冷遇されて、最後は呪術界全体を恨む様になったんだ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって奴だね。そして反術師主義に傾倒して、非呪術師が集まる盤星教“時の器の会“の活動にのめり込んだ」

 

 きっと養父さんの事を話している、多分手紙に書いてあった事と同じ事を言っている。僕の理解を確認する様に言葉を紡いでいる。

 

「時の器の会で、呪術師に対抗するために呪術師を造る計画があったんだ。本末転倒で笑っちゃうけどね。彼等は本気だった、君のお養父さんは特に熱心だったよ。代表も扱いに困って殆ど放置さ、だからこそ僕が介入する余地があったんだけどね、ちょうど良いから色々と提供してあげたよ」

 

「呪言使いから声を奪って自身の強化をさせる、そんなコンセプトの術師のテストケース。実は続きがあってね、君の喉から摘出した物に寄生型の呪霊を付けて育てたんだ。ほら、もう一人の君だよ顔を上げてよく見なさい」

 

 言われるがままに顔をあげる、滲む視界に映る芋虫の様な醜い塊。モゾモゾと蠢いて脈打つそれにどうしようもない懐かしさを覚えてしまう。

 

「プレゼントだよ、飲み込みなさい。これで君は声を取り戻すはずさ、元々君の肉体から生まれたものだから反発は少ないはずだよ。これで君は一人で二人分の術式を得る、それで擬似的な天与呪縛による身体的強化と本来の呪言を両立させる、領域展開まで至った君にならそれが可能なはずだ」

 

 醜い塊を両手で受け取る、産まれて直ぐに奪われた僕の声、その源を再び取り戻す為に口の中に運ぶ。

 だって、養父さんの言われた通りにするには、力が必要だから。

 

 穢れを口元まで運ぶ時、左手に付けた時計が視界に映った。

 

 僕を見ないで欲しい、汚い僕の姿を歌姫ちゃんに見てほしくない。そんな事を願いながらもう一人の僕を飲み込む。

 

 ――喉が灼ける様に熱い、身体中で呪力が逆立つ様な感覚、異物が喉を中心に僕の身体の隅々まで拡がって行く。

 

「おォッ……おげッ……おェぇぇっ」

 

 自分でも心底穢らわしいと思う音が僕の喉から響く、僕が初めて世界を震わせた音はひたすらに汚いえづきの音だった。

 

「おや、どうやら適応したみたいだね。本当に成功する所を見ると感無量だよ。ほら、何か喋ってごらん?」

 

 声を出そうとする……初めての感覚、吐き出された空気を意味のある音に変えようと喉を動かす。

 

「ぼぁっ、ぼぁっくはぁ……くぉえおぉ……」

 

 思った様な言葉にならない、こんなにも汚い声が自分の物だとは思いたくなかった。

 

「はは、初めてならそんな物かな? せっかくだから練習しようか、君はこれから何をするんだっけ?」

 

「ぼぉっ、ぼぉくぅは……」

 

 僕はこれから――

 

「君は? 誰をどうするのかな?」

 

「ぼぉくぅは、じゅちゅっちぃを……みぃんっなを……」

 

 僕は呪術師を、皆を――

 

「皆を?」

 

 皆を……皆と、海に行くって――

 

「のぉろうぃます……」

 

 波の音が聞こえた気がした――

 

「良く出来たね、お養父さんも喜んでいるだろう」

 

 ああ、何で――

 

「拙いけど確かに呪言だ、もっと練習してこの原稿を読み上げてくれ。まさかビデオカメラを君自身が持ってきてくれるとは思わなかったよ、声明を伝えるビデオレターを撮影しようか」

 

 吐いた言霊は飲み込めない、僕は言葉で皆を呪ってしまった。 

 

 もちろん、ここから皆に呪言が届くはずが無い。だけど僕は僕の呪いの言葉を聞いてしまった。

 

 もう、後戻りは出来ない。

 

「この肉体も用済みだからね、君が僕を殺す所から撮影を始めよう、その方が説得力が出るだろう」

 

 ああ、僕はこれから人を殺すみたいだ。あれほど忌避していた禁忌をこれから侵す、だってそれが養父さんの言い付けなら逆らう事は出来ない。

 

「じゃあ撮影前の発声練習を始めようか。そうだな、手始めに……」

 

 何時の間にか蝉の泣き声が響いていた、ミンミンと愛を求めて煩いぐらいに鳴いている。

 

「呪術って噛まずに言える?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 記録 2006年 7月

 

 埼玉県秩父市 両神山中

 

 任務概要

山中での神隠し、変死、その原因と思われる呪霊の祓除

 

 

・担当者派遣(高専3年 虎杖悠一)から2日後、高専に差出人不明の郵便でメモリースティックが届く、中身は映像記録のみ。

 

・映像記録内では、虎杖悠一が補助監督の頭部を複数回殴打して殺害。その後、星漿体の同化に反発する主張が5分間続いて映像は終了する。

 

・翌日、山中の捜索で腐敗した補助監督の遺体を発見。頭部の大部分が破損していたが、腹部の手術痕から本人を確認。残穢から虎杖悠一の犯行と断定。

 

・虎杖悠一は逃走、呪術規定9条に基づき呪詛師として処罰対象となる。

 

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