高専の敷地内を歩く、俺と傑と硝子の三人で出発し、歌姫と冥さんを連れて五人でここまで帰って来た。
安否不明だった歌姫と冥さんは無事だった、硝子はかなり心配していたけど俺は心配などしていない。
歌姫はともかく冥さんまで任務に付いていたんだ、しくじるはずがないだろう。
かすかに蝉の鳴き声が聞こえた、一匹だけがフライングして林の中で鳴いている。要領の悪い蝉もいたもんだ、まだお仲間達は土の中で眠っているだろうに。
「冥さんの足を引っ張っちゃってさ、本当に歌姫は弱いよな。そんなんだから悠一が歌姫ちゃん歌姫ちゃんって騒ぐんだよなー」
「くっ、敬語を使えって言ってんの五条! それにしつこいのよアンタは。悠一は……えっと、その……しょうがないでしょ?」
任務から二日間帰って来なかった歌姫と冥さん、任務先の屋敷中の結界に閉じ込められていた所を俺達が助けた。
本人達は三十分しか迷っていないと証言していた、結界内と現実の時間がズレていたらしい。そのせいで連絡が取れず、確認と救援の任務で俺と傑、救護要員として硝子まで駆り出された。
「悟、庵先輩をイジメると虎杖先輩が後で煩いよ、帰って来て暴れられると面倒だから程々にしてくれ」
「そうそう、お前らがバトると私まで先生に怒られんだからさ。何で止めなかったんだって」
「はいはい、前向きに善処しまーす」
そんなもんは分かってる、だけど歌姫をイジるのも、その後にケンカを挑んで来る悠一をあしらうのも面白いから止められない。
入学して最初のケンカを思い出す。
あの時はビビった。俺の無下限を領域展延で中和されて三回も殴られた。ただ領域展延を纏った拳を持っているからって俺を殴れるはずがない、俺の六眼と勘を上回る速度と技術が俺に拳を届かせた、あんなに綺麗に殴られたのは生まれて初めてだった。
もちろん勝ったのは俺だ、その後も何度も挑発してはケンカをしたが俺は一度もアイツに負けた事が無い、俺は天才だから当然だ。
そんな天才な俺の強さに付いて来てくれるのは傑とあのバカぐらいだ、悠一にはあれ以来一度も殴られてはいないが、毎回手を変え品を変え俺に追い縋ってくる。
傑は近接も強いが、優等生君な所があるので中々ケンカに乗って来ない。
その点あのバカは物凄く扱い易い、毎回笑わせてくれる縛りや新技を披露してくれる所もナイスだ。
「ふふ、後輩達の仲が良くて安心したよ。そういえば虎杖君が歌姫を助けに来ないなんて珍しい事もあるね、耳に入れば任務中でも駆けつけてきそうな物だけど」
「冥さん、悠一は任務を投げ出したりはしませんよ。ああ見えて立派な呪術師の在り方にこだわりを持ってますからね」
少し自慢気なのが腹立つな、つついてやろう、
「おっ? 悠一が来なくて寂しんぼの言い訳か? 馬鹿みたいにやり取りしてるメールも途絶えた?」
「そ、そんな訳ないでしょ! それにメールはそんなに多くやり取りしてないし、さっきの任務で携帯が壊れちゃったから確認出来ないだけよ」
取り繕う様にまくし立てる歌姫、こういうリアクションが面白い。馬鹿と一緒にですぐにムキになってくれるからからかいがいがある。
そして携帯はともかく寂しがっていないってのは嘘だ、俺達が助けた時に明らかにキョロキョロしていた、誰を捜していたのかバレバレだ。
「はいはい、そうだねー」
「歌姫先輩、一日五十回以上もメールするのは十分多いっすよ」
「硝子まで……会えない日は朝昼晩の六回ずつだからちょうど三十通だけよ、そんなに多くないわ」
うげ、歌姫も去年のクリスマスから大分おめでたい思考になったな、気持ち悪さが悠一に似て来たか?
「十分に多くありませんか? 回数を決めている所も気持ち悪いです、虎杖先輩に似て来ましたね」
「き、気持ち悪いですって!?」
傑も同じ気持ちみたいだ、と言うか灰原以外の高専の皆も同じ様に思っているだろう。
「へー、じゃあ虎杖先輩は山の中で泣いてますね、メールが来ないよぉって。歌姫先輩と同じ日に出た任務からまだ帰って来ていませんよ、何でも思ったより手古摺りそうだから数日かかるって補助監督の人から連絡があったらしいです」
容易に想像出来る光景だ、山の中でシクシクと泣く馬鹿を思い浮かべると笑えて来る。
「おや、虎杖君が苦戦する程の任務なんて珍しいね。彼は呪霊に遭遇したら手早く倒してしまうのに、隠れるのが上手い呪霊が相手なのかな?」
もしくは……あれか?
「踊っている内に逃げられたかもしれませんよ、何でも戦闘の前にスローワルツを一人で踊るって宣言してましたから。その様子を撮影して来るとも言ってましたよ」
悠一なら本当にやるだろう、馬鹿過ぎて笑える。せっかくだからビデオは皆で揃って鑑賞会をしてやろう。
「あの馬鹿……社交ダンスってどう思うってメールが来たのはそんな事の為かい」
「はは、相変わらず突飛な事をするね。それで大抵は効果が伴うんだから面白いよ」
冥さんが笑う、俺も傑も硝子も笑っている、歌姫は顔を真っ赤にして唸っている。
本人が居なくても笑えるなんて本当にイジりがいがある、あの馬鹿は高専生活で貴重な奴だ、頑丈でまず死なないと確信出来る所も悪くない。
「あ、そうだ歌姫先輩。皆で海に行くって話、灰原も乗り気でしたよ、七海も何だかんだ言って都合が合えば付いてくるでしょうね」
ああそうだった、アイツが任務に行く前にそんな話をしていた。
「この時期に高専の皆が揃って海かい? 都合が会えばいいけど繁忙期だから難しいんじゃないかな?」
「でも、お盆の後ぐらいなら可能性があるって先生が言ってましたよ、冥さんも一緒にどうですか?」
盆の後か、面倒くせえ実家の行事なんてフケれば行けるか?
「そうそう、悠一に全部奢らせるから冥さんも行こうよ、海の家で不味い焼きそばを食いましょう、焼きそばを」
「うーん、私は焼きトウモロコシの方が良いかな? 奢ってくれるなら何でもいいけどね」
「ちょっと五条! あんまり悠一に集らないでよ! この前アイツ肝臓ってどこで売れるか検索してたのよ!? 問い詰めたら反転術式で治すから大丈夫だーなんて答えたんだから!」
「あ、なるほど! その手があったか! 自分じゃ嫌だけど虎杖先輩なら……」
「し、硝子? 冗談よね?」
俺でもそれはちょっと引くな、流石にその金で焼きそばは食いたくない。
「そもそも歌姫がアイツに貢がせるから金欠なんだろ、指輪をあんなに買わせやがって。だから1級術師の癖に奢ってくれる店がショボいんだよ」
「べ、別に私が貢がせてる訳じゃ……指輪だって……隠し持ってる癖に渡してくれないし……」
モジモジしだす歌姫、阿呆臭くなって来るリアクションだ。
やっぱりちょっと視野狭窄になってるよね、あれを知ってもドン引きしないなんて。
「これさあ、感覚がマヒしちゃったけど微笑ましく見ていて良いのかな? 指輪の数が客観的に見るとホラーだよね?」
「一応本人達が納得しているならセーフじゃないかな? 僕はギリギリアウトだと思うけどね」
「うーん、別れた後に気付くんじゃねーの? 気持ち悪さにさ、盛り上がってる程冷めるのも早いかもね」
「こういうのは外野がとやかく言う事じゃないよ、見守ってあげなさい君達」
モジモジしながら立ち止まった歌姫を置いて、歩きながら話し合う僕達。
ようやく校舎が見えて来た、あの馬鹿は帰って来ているだろうか?
相変わらず蝉が一匹鳴いている、ミンミンと煩くて悠一みたいだ。アイツは喋れない癖に煩いと言う珍しい生き物だ、一人で騒がしい所もよく似ている。
悠一は高専には居なかった。
そして、そのまま俺達の元へ帰って来る事はなかった。
俺達は教室に集められてその事を知らされた、悠一が生徒として高専に帰って来る事は二度と無く、変わりにアイツが撮影した映像が高専に届いていた。
その映像の中で悠一はワルツを踊っていなかった、見た事の無い無表情で、僕達の知らない声で鳴いていた。
初めて聞く声で、喋れないはずの男がミンミンと煩く鳴いていた。
都内にあるビルの一室、時の器の会の代表役員である園田さんが僕の為に用意してくれた潜伏先。
そこで僕は園田さんとスーツ姿の男性と対面していた。
「ふぅ……本当に余計な事をしてくれたよ、君も、君のお養父さんもね。それにせっかく高専に潜入出来ていたのに何故わざわざ離反した? 内部からであれば様々な方法が取れたものを……あんなメッセージまで送って、奴らに警戒してくれと言っている様な物じゃないか」
園田さんの顔には笑みが張り付いている、だけど伝わって来るのはいら立ち、僕は園崎さんを怒らせてしまった。
「申し訳ありません。でも、養父さんにそう言われたんです」
養父さんの手紙には、オジサンの指示に従う様に書いてあった。だからメッセージを撮影して送った、オジサンの頭を潰して殺し、星漿体の同化に反対するメッセージを読み上げた。
残されたメモに書いて合った通りにメモリースティックを高専に送り、書かれていた番号で園田さんに連絡を取った、その後は園田さんの指示に従う様に記載されていた。
「君は本当に報告書通りだね、命令を忠実にこなす呪術師に教育したと書いてあったよ。私と君のお養父さんでは忠実の解釈は違ったようだがね」
「申し訳ありません。でも、養父さんにそう言われたんです」
「……君のお養父さんはもういいと言っても君の成長記録を送り続けて来た、会として計画は打ち切ると何度言っても理解してくれなかった。おぞましい教育とやらの映像も一緒に送り付けて来るから辟易していたよ。ようやく死んだと思ったら今度は君だ、親子揃って私の頭を悩ませてくれる」
ああ、養父さんに教育されている時にカメラで撮られていたのはそういう事だったのか。あの映像は園田さんに、時の器の会に見せる為の物だったんだ。
カメラの反対を向いて倒れてしまい、上手く撮れなかったって怒られたのを思い出す。
「申し訳ありません。でも、養父さんにそう言われたんです」
「わかったわかった、もういい。後はそこの男の指示に従いなさい、術師殺しと協力してどんな手を使ってでも星漿体を殺せ。事が終わっても帰って来なくていい、好きに生きなさい。君を見ていると気分が悪くなってくるよ」
「分かりました、養父さんもそう言ってました」
園田さんが僕に背を向けて歩き出す、星漿体を殺す事が園田さんと時の器の会の望みだ。
天元様の新しい器である星漿体、選ばれた少女である天内 理子、彼女を殺せば養父さんの言い付けを守れる。
天内 理子はまだ十四才、中学二年生の女の子だ。星漿体であっても呪術師ではない、人間の少女だ。
吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。
「後は任せたよ孔君、そこの男は好きに使い潰してくれて構わない。どんな手段を使ってでも、天内 理子を殺して天元様を守ってくれ。何か必要な物があれば会で用意しよう、術師殺しの悪名に期待してるよ」
術師殺し、僕も噂に聞いた事がある。まさか共闘する事になるとは夢にも思わなかった、自分も術師を殺す存在になるなんて想像出来なかった。
園田さんが部屋を出て行く、残された僕と孔と呼ばれたスーツの男性。僕はこの人の指示に従って天内 理子を術師殺しと協力して殺さなくてはいけない。
そして、彼女を護衛するであろう彼等を僕が……
「えーと、虎杖だったよな? 俺は孔 時雨だ。今回の依頼の仲介人で、代表と術師殺しを繋いだ。これから伏黒と合流するために現場まで行くんだが一つ聞いておくぞ」
スーツの男性、孔さんはタバコに火を付けながら僕に話し掛けて来る。
家入ちゃんと同じ銘柄だ。その臭いに何故か懐かしさを感じる。
「何でしょうか?」
「お前さん、元仲間を殺せんのか? 星漿体の護衛には五条 悟と夏油 傑が付く事になっている、高専の後輩だろ」
ああ、そんな予感はしていた。オジサンも五条について言っていた。
「術師としての彼等を殺します、呪って殺します。養父さんがそう言ってました」
「術師としてのだ? なんか含みがあるな、中途半端は勘弁してくれよ」
「大丈夫です、ちゃんとやります」
オジサンが教えてくれた呪術師を殺す方法、術式を奪って彼等を人間に戻してあげられる唯一の手段、僕にはそれを成す力があると教えてくれた。
「ちゃんと彼等を教育します、養父さんが僕に教えてくれた方法で、彼等が心の底から人間に戻りたいって思える様に気付かせてあげるんです。呪術師を辞めて人間に戻ると彼等の口から約束してもらいます」
「はあ?」
心の底から人間になりたいと思い、自分の口から僕に宣言してもらう。
互いの縛りがないとそれは成せない、彼等ならきっと分かってくれる。話せばきっと分かってくれるはずだ。今の僕は言葉を届けられる。
「その後に彼らの指を切り落とすんです。十本ちゃんと切り落として、僕がソレを食べる。そうすれば術式は僕に移ります、彼等は晴れて人間に戻るんです……あっ、五条は目も食べてあげなきゃだめですね、六眼は特別だから……オジサンはそう言ってました」
僕の身体ならそれが出来るらしい、僕の身体は指を食べるという行為が意味を持つ様に造られている。オジサンは嬉しそうに語っていた、僕の頑張り次第で結果が変わるとも。
「そのオジサンってのは何だ? お前の親父さんとは別人だよな?」
「オジサンはオジサンです、僕の未成年後見人で、僕に色々便宜を図ってくれて、養父さんの事も色々と助けてくれたらしいです。昨日そう言ってました」
「盤星教の人造術師計画の関係者って事か? 一緒じゃねえのかよ、高専とか呪術師側に捕まると色々と面倒くせえぞ?」
「大丈夫です、昨日僕が殺しましたから」
「……そうかよ」
だってオジサンはそれを望んだ、養父さんだってそう言っていた。
言われた通りに呪わなければならない、殺さなければならない、呪術師としての彼等を、この世の全ての呪術を。
もしも……もしも彼女が現れても、僕は呪わなくちゃいけない、術師として殺さなくてはいけない。
だってそれが、養父さんの言い付けだから。
「なるほどね、代表の気持ちがちょっと分かるよ。お前さん気持ち悪りーな、話してるとざわつくよ」
そう言って、付いて来いと部屋を出て行く孔さん。僕も必要な荷物を纏めたカバンを手に取り立ち上がる。
ふと視界に映る、サイドテーブルの上に置かれた筆談用のノートとボールペン。
歩もうとする身体が動きを止める。
今の僕には必要ない物だ、声を取り戻したのだから筆談などする必要が無い。
だからいらない、もう用済みだ。僕の呪力が込められたあのボールペンは、現場で気配と呪力を隠すのに邪魔になる。
だけど目が離せない、ボールペンに伸びる手を止められない、ツルツルで傷が付かないように大事に使って来たボールペンを指でなぞる。
慣れ親しんだはずの感触、使う度に感じていた幸福感、どちらも何処かへ行ってしまった、感じるのは締め付ける様な胸の痛みと吐き気だ。
「おいおい、何してんだ? 早く行くぞ」
孔さんが扉の向こうからこちらを見ていた、孔さんの背後に養父さんが居て僕を見ていた。
養父さんが僕を見ている、言い付けを守っているか僕を見守っている。
「すみません、今行きます」
左手から時計を外しボールペンの横に並べる、コレも今の僕には必要ない、養父さんがそう言っている。
オジサンさんから本来の呪言と新しい力を得る手段を学んだ僕だが、左手を使えない縛りは五条相手では大きなハンデだ。アイツに有効なのは一撃の威力よりも手数の多さ、そしてスピード、だから左手を縛るコレは枷にしかならない。
ボールペンと腕時計は僕にはもう必要が無い、コレを使う事は二度とないだろう、この部屋に置いて行く事にした。
孔さんの元へと歩き出す、もう戻らない部屋を後にする。
星漿体の少女を殺す為に、五条と夏油君を人間に戻す為に、全ての呪術師を呪う為に僕は歩み出す。
背後から声が聞こえた気がした、多分気のせいだ。
歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、五条の声が聞こえた気がした、夏油君の声が聞こえた気がした、家入ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、灰原君の声が聞こえた気がした、七海君の声が聞こえた気がした、冥さんと先輩達の声が聞こえた気がした、先生の声が聞こえた気がした、五条の声が聞こえた気がした、僕が叫んでいる気がした、夏油君の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、僕の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんへの声が聞こえた気がした、家入ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、先生の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、七海君の声が聞こえた気がした、灰原君の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんへの声が聞こえた気がした、冥さんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、五条の声が聞こえた気がした、先生の声が聞こえた気がした、先輩達の声が聞こえた気がした、灰原君の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、家入ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした。
蝉の鳴き声が聞こえた気がした、波の音が聞こえた気がした。
きっと全部気のせいだ、養父さんがそう言っている。