呪術って噛まずに言える?   作:定道

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呪い呪われた僕達の未来を創造して

 

 

 拡がる領域、一瞬だけ瞬間移動させられたのかと錯覚する。

 

 悠一の領域内の風景は高専そのものだった。見覚えがありすぎる光景が拡がる、隣には校舎と寮があり俺達は運動場に立っている。

 

 生得領域は心の中だと誰かが言ってたのを思い出す。中の様子は展開した人物の人格形成に大きな影響を与えた地が反映される事もままあると聞く。

 

 悠一のアホが、やっぱり学校大好き君じゃねえか。

 

 悠一の術式は“呪言“、それが領域内では強化されて必中必殺となる。天内と黒井さんを傑の呪霊では呪言から守りきれない。

 

 俺と傑が二人のそばに移動し二人を包む様に簡易領域するか? 駄目だ。それではまともに戦えずにジリ貧で終わる。

 

 ならば悠一の領域展開を防ぐ為には? 二人を守りつつ悠一に勝利するために俺はどうする?

 

 答えは一つ、領域展開を押し返せるのは領域展開のみ。

 

 無限の拡張という言葉に記せば愚かしい矛盾。

 

 未だに反転術式すら習得していない俺には遠い虚構。

 

 それに至る為には? 

 

 真似ればいい、手本は目の前に拡がっている。

 

 呪力の核心など関係は無い、術師の成長は必ずしも段階を踏む必要はない。

 

 欲しい物を欲しい時に自分の術式で解釈する。自分の世界のルールは自分で決める。あの馬鹿が普段から騒いでいた事だ。

 

 悠一は愛だとか慈しみだとか、負の感情からはおおよそかけ離れている恥ずかしい言葉を、己の力とするなんてふざけた解釈をしていた。

 

 自分の世界の在り方は好きに決めていい。馬鹿から学んだ数少ない教えを実践する。

 

 無限を拡げる、無限は本来至る所に存在する。俺が今そう解釈した。

 

 ならば俺の無限は、空無辺処は此処に在る。

 

 

 【領域展開 無量空処】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり五条は領域展開に至った。

 

 僕の領域と五条の領域がせめぎ合い、術式の必中効果が消失している。これでは彼等を呪言で意のままに操る事は出来ない。

 

 だけどそれは想定内、必中効果が消失したのは五条も同じ事だ。

 お互いに領域を維持しつつの戦いが始まる。夏油君は無理をして倒す必要は無い、天内理子もこの際無視しても良い。

 

 五条に領域展開出来ない程にダメージを負わせれば僕達の勝利だ。領域内で分断された以上三体の分身は戻す事は出来ない、恐らく動けない状態か消滅しただろう、縁が切れたのを感覚で理解する。

 

 数の上では三対二、こちら側が有利だ。

 

 五条に向かって影が高速で躍り出る、呪力の全く存在しない異質な存在が音も立てずに忍び寄る。

 

「っ!? テメエ! どこから湧いて来た!?」

「おいおい、今のを気取るのかよ」

 

 五条の背後で刀が静止する。僕の目から見ても完璧なタイミングだったのに五条はそれを防いだ。

 

 伏黒さんが止められた刀を手放してこちらへと飛んで来る。

 

 不意打ちは失敗、五条はどうやって呪力無しの伏黒さんに気付けたのだろう?

 この人は呪力が全く存在しないのに加え、気配。隠すのが上手過ぎる。僕も予め存在を知らなかったら見失っていただろう。

 

 五条は本当に隙の無い奴だ。第六感が鋭すぎる。

 

 それとも、僕が模擬戦で不意を突く様な戦法を取り過ぎたのがいけなかったか? 

 

「虎杖、こっちのお前はここで領域を維持しろ。向こうのお前さんはそのまま“呪霊操術“のガキの相手をしな、俺は五条悟の相手をする」

 

「はい、分かりました」

 

 伏黒さんがかき消える、僕の全力よりも一割増しで速い速度だ。

 新しく覚えた“赤鱗躍動“を使えば並べるかもしれないが練度が足りないだろう。ここは素直に伏黒さんに従うべきだ。

 

 そう、僕は言い付けを守っています。だから見ていてください養父さん。

 

 多彩な呪具を使い五条と渡り合う伏黒さん、五条が初めての領域展開の維持で本調子で無いとはいえ驚異的な強さだ。

 どこまでも伸びる鎖と術式を無効化するあの剣の組み合わせ、それに速度と手数が加わって五条が防戦気味だ。術式を無効化する呪具のせいで無下限を使いにくいのも理由だろう。

 

 そして、もう一人の僕は先程から夏油君を足止めする様に戦っている。

 

 動き回って一撃離脱を繰り返す。消極的にだがその場を離れられない様に、天内理子を守らざるを得ない様に攻めたてる。

 

 夏油君を五条と合流させなければそれでいい。

 

 二日間ぶっ続けで術式を維持し続け、その上で領域展開まで重ねれば流石に呪力と脳の限界が近いだろう。加えて伏黒さんの相手までしているのだ。

 どう考えても領域の我慢比べは僕に分がある、局所的には時間はこちらの味方だ。時間を稼げばこちらの勝利だ。

 

 五条の領域が消えれば、二人を呪言を使って意のままに操れる。天内理子を苦しまずに殺すことができる。  

 

「……何だ?」

 

 先程から分身との同期が不安定だ。領域展開と併用しているせいか? それとも僕の肉体が限界に近いせいなのか? 自身の感覚ではそこまでの異変は感じない。

 

 だが、この戦闘が終わるまでには十分持つだろう。

 

 五条と夏油君を救い、天内理子を殺す。それが達成出来ればそれでいい。養父さんの言い付けを守りつつ僕は死ねる、これ以上人を殺さずに終われる。呪術師から人間に戻すのも五条と夏油君だけで済む。

 

 それが僕の終わりだ。僕が選んだ呪術師としての最後、言われた事を守りつつ自分で選べる唯一の道だ。

 

『人を呪わば穴2つ。だからお前は誰かを呪ってはいけない、呪いの言葉は全て飲み込みなさい』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 養父さんの声が聞こえる、小狡い思考を見透かすかの様に僕を責め立ててくる。

 

『呪いを飲み込め、飲み込んで強くなれ、飲み込んだ呪いで人の敵を呪え』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 人の敵を呪えと、手を緩める事無く呪いを飲み込み強くなれと声が聞こえる。

 

 死んで楽になりたいなどと考える僕の甘えを許してくれない。養父さんはやっぱり僕を見ている。

 

『天元様に群がる呪術師共、不敬にも穢れた異物を天元様へと捧げる人類の敵。だからお前は呪術師を呪え、無垢なる真の人間の敵を呪い殺せ』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 僕はちゃんと言い付けを守っています。天内理子を殺し、二人を呪術師として殺します。だから許してください。ここが僕の限界です、終わりなんです。

 

 僕の言い訳を養父さんは見破って来る、限界まで呪術師を呪えと耳元で囁いている。

 

『汚れきった呪術師共を根絶やしにしろ、清浄なる星を取り戻せ』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 天内理子は殺します、僕が殺します。そうすれば天元様が守られる、園田さんも言っていました。それで許してくださいお願いします。終わりにしてください。終わりにさせてください。これ以上僕は呪いを飲み込めません。これ以上僕は誰かを呪えません。

 

 吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする。

 

 人を殺した僕は、人を呪った僕は穴を掘りました。自分の穴もちゃんと掘りました。養父さんの言った通りです。オジサンの言った通りです。園田さんの言った通りです。孔さんの言った通りです。伏黒さんの言った通りです。

 

 でも、全部僕なんです。

 

 言われたのも言ったのも僕なんです。言われてやったのも僕なんです。養父さんは僕なんです。今後ろで囁いている貴方も僕です。僕の目の前に立つ貴方も僕です。孔さんの後ろで僕を見ていたのも僕です。僕の喉で蠢いているのも貴方で僕です。あの山でミンミン鳴いていたのも貴方で僕です。波の音を聞いたのも貴方で僕です。僕を殴ったのは貴方で僕です。僕を教育してくれたのも貴方で僕です。僕を育ててくれたのも貴方で僕です。小学校で笑っていたのは僕で貴方です。古い友人達に貼り付けた笑みを浮かべていたのは僕で貴方です。中学校で先生に褒められていた僕は貴方で僕です。優等生を演じていた僕は貴方に言われた僕で僕なんです。僕と貴方はずっと一緒に生きてきました。貴方が死んでもそれは同じでした。

 

 全部僕です、貴方は僕なんです。貴方はずっと僕のそばにいて僕になっています。僕は貴方です。

 

 でも、高専に入学し、彼女達に出会ったら僕は僕でした。そこに貴方はいませんでした。

 

 それは彼女が、彼等が呪術師だからです。

 

 彼等はそれぞれ自分の呪いを持っています。術式という名の世界をそれぞれ持っていました。それは僕と養父さんの呪いとは違う、僕達の世界とは違って見えたんです。

 

 彼女と出会って、彼等と出会って、僕は僕になりました。

 

 養父さん貴方ではありません。僕だけの僕です。

 

 彼女や彼等の隣りに居ると僕は僕なんです。彼女のおかげで、彼等のおかげで、僕は自分と貴方の他にも世界があることを知ったんです。

 

 だから僕に彼等を呪わせないでください。僕に彼等の穴を掘らせないでください。貴方は僕と一緒に穴に埋まってください。僕と一緒に眠ってください。

 

 吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする。

 

 ふざけるなと養父さんが怒鳴っている。オジサンが怒鳴ってる。僕の頭の中で怒鳴ってる。喉で蠢く僕も同じ様に怒鳴ってる。殺した四人の呪詛師達が怒鳴ってる。

 

 呪術師を呪えと怒鳴ってる、言う事を聞けと怒鳴ってる。僕の中で養父さんが拳を振り上げている。

 

「あっ……」

 

 思わず顔を背けると、窓ガラスに映る自分が見えた。青い顔をした僕、人殺しの裏切り者が映っていた。

 

 これは僕の領域の中に建つ校舎の窓だ。窓の向こうには教室が見える、僕が一年生の時に使っていた教室だ。

 

 間違えるはずがない、だってここは――

 

 ――轟音が響く。

 

 五条と伏黒さんの戦闘の余波で瓦礫が飛んで来た。教室の壁の一部が窓ガラスと共に破壊される。

 

「あ、ああ……」

 

 おぼつかない足取りで教室に足を踏み入れる。誰も居ない教室だけど、ここが壊れてしまうと大事なものが無くなってしまう気がする。

 

 だってここは、この場所は――

 

 

 誰かが僕の心をなぞった、優しい指先で僕の心を撫でた。

 

 

 領域の外側、僕と現実を隔てる境目を誰かが触れている。誰かがこの領域の中に入って来ようとしている。

 

 駄目だ、それは駄目だ。絶対に入ってはいけない、ここに来てはいけない。

 

 領域の外側の様子を見る事は出来ない、あくまで触れられた感触がわかるだけだ。

 でも、僕はこの手の感触を知っている。見えなくても、呪力で感知出来なくてもわかる。

 

 僕がこの手の感触を忘れるはずがない、彼女は……ここで、この場所で僕と……

 

 気配を感じる、彼女がそこに立っているのを感じる。

 

 

 教室のドアが開いた。

 

 

「悠一、ここに居たのね」

 

 

 ああ、入って来てしまった。彼女が、今の僕を一番見て欲しくない彼女が、今の僕が一番会いたくない彼女が僕の世界へ入って来てしまった。

 

 庵が、歌姫ちゃんが、僕の唯一の同級生で恋人の庵歌 姫が領域の外から中へと入って来た。

 

 彼女の声が僕の耳に届く、あの時と同じ美しい声で僕の名前を呼んでいた。

 

 彼女は静かに微笑んで僕を見ている。あの時と同じ赤と白のコントラストを纏う彼女は二年半で美しく成長していた。大人らしさを纏った笑みで僕を見ている。

 

 声が出ない、返事が出来ない、喉が詰まって音を発せない、締め付けるような胸の痛みが僕の発声を許さない。

 

 筆談することも出来ない、ノートも彼女から貰ったペンも僕は置いて来てしまった。僕は彼女に何も伝える事が出来ない。こっちに来ないでくれと伝えられない。

 

 

 彼女が歩いて来る、僕の方へとゆっくり歩みを進めてくる。

 

 

 駄目だと叫ぶ、心の中で叫ぶ、養父さんではない僕がこっちに来てはいけないと叫んでいる。

 

 これ以上見ていたら、これ以上近づいて来たら、僕は彼女の事まで呪わなくてはいけなくなってしまう。

 

 呪術師としての彼女を殺さなければいけなくなる。彼女を教育して指を切り落とし、飲み込まなければいけなくなる。養父さんと同じ僕がそう叫んでいる。

 

 それは、そんな事だけは許されない。だからこっちへ来てはいけない、養父さんではない僕が叫んでいる。

 

 でも伝わらない、僕の身体が言葉を飲み込んでしまうからだ。喋れる様になったはずなのに僕の言葉を伝えられない。

 

 伝えなくちゃいけないのに、教えなくちゃいけないのに。彼女をただ見ている事しか出来ない、ぼくに向かって歩く彼女から逃げる事も目を逸らす事も出来ない。

 

 

「ああ、一年生の時の教室ね、懐かしいわ。私達はここで初めて出会って自己紹介をした……悠一は覚えてる?」

 

 

 忘れるはずなど無い、僕が新しい世界を知った日だ。僕が僕になった日だ。僕が新しい呪いを受けて、新しい呪い方を知った日だ。

 

 

「喋れる様になったのよね? 返事をして? 私は悠一の声が聞きたい」

 

 

 ああ、違う、駄目だ。駄目なんだ、

 

 こんな汚い声を聞かせる訳にはいかない。こんな汚い僕を見ないで欲しい。

 

 目頭が熱くなる、先程も流した跡をなぞる様に涙が溢れてくる。

 

 

「悠一……ごめんね、声を出すのが嫌だった? それとも……私の事、嫌いになった?」

 

 

 そんな訳がない、僕はただ――

 

 

「違うよ庵、違うんだ……僕は」

 

 

 彼女は僕の声を聞き、一瞬だけ驚いた顔をした。

 

 そして、すぐに笑みを浮かべた表情に戻る、先程よりも深く笑っている。僕の大好きな庵の笑顔だ。

 

 

「いいじゃない、素敵な声よ? もしかして恥ずかしかった? でも、そうね……」

 

 

 彼女が僕の声を褒めてくれた。僕の汚い声を、僕の穢れた声を。僕の呪われた声を。

 

 浅ましい僕はそれだけで嬉しいと思ってしまう。喜びの感情を抱いてしまう。

 

 駄目だ。これ以上庵と話してはいけないのに、庵から離れなくちゃいけないのに……

 

 身体が動かない。庵の側に居たいと、庵を見ていたいと、庵の声を聞いていたいと願ってしまう。

 

 

「やっぱり名前で呼んでくれないのね、私は勇気を出して呼び方を悠一に変えたのに、貴方はいつまでも庵のまま。皆の前では歌姫ちゃんって呼んでいるんでしょ? どうして私の名前を呼んでくれないの?」

 

 

 だって、だってそれは決めていたから。彼女を、庵を直接名前で呼ぶのは渡す時だと決めていた。

 

 彼女が僕に手を伸ばす、僕の頬に触れて涙を拭ってくれる。

 

 初めてここで握手した時と変わらない、ほっそりとした白い手だ。あの時と同じスベスベとした優しい感触が頬に伝わる。

 

 眩しいまでの彼女の指先の美しさが、心地良い感触が、僕の脳を埋め尽くす。

 

 

 僕はこの指を、この指に、彼女の事を――

 

 

「そんなに私の指が気になる? 私の指がどうかしたの?」

 

 

 切り落とせと、切り落として喰らえと叫ぶ声が聞こえる。頭の中でガンガンと声が響く、養父さんが叫んでいる。 

 

 

「庵、僕は君を――」

 

 

 言葉に呪いを込める、ありったけの呪いを、そして僕の頬に添えられた彼女の左手を手に取る。

 

 

 僕はこの手を、この指に、愛しい彼女に――

 

 

 彼女は黙って僕を見ている、僕の次の言葉を待っている。

 

 

 殺せ、呪術師を殺せと叫ぶ声が聞こえる。養父さんの怒鳴り声が響く、僕の脳髄を刺激する。

 

 

 伝えなくちゃいけない、彼女に今の僕を伝えなくてはいけない。

 

 言葉に出して伝えなくては想いは伝わらない。

 

 

「歌姫……僕は君を……君を愛している。初めて会った時からずっとそうだった」

 

 

 ありったけの呪いを、養父さんではない僕の気持ちを、この世で最も強くて尊い言葉を歌姫に届ける。

 

 

 僕の言葉で、僕の気持ちで、僕の世界で歌姫に愛を伝えた。

 

 

「……知ってる、だって私も同じだから。悠一、私もあなたを愛している」

 

 

 ああ、もう養父さんの声など聞こえない。養父さんの姿など見えない。

 

 僕の視界には歌姫しか映らない、僕の耳は歌姫の声しか拾わない、僕の脳は歌姫の事しか思考しない。

 

 これが今の僕なんだ。怒鳴りたければ怒鳴ればいい、笑いたければ笑えばいい。もう二度と今の自分を曲げたりはしない。

 

 全身が幸福に包まれた様に感じる。胸の痛みなど消え、鉛の様だった全身が軽くなる。

 

 

「悠一、私に渡すものがあるのよね? 隠しているのを知ってるの……私は一番新しいそれが欲しい」

 

 

 そうだ、僕は歌姫に渡さなくてはいけない物がある。これだけはあの部屋に置いていかなかった。

 

 初めて領域を展開した時に、自分の世界を具現した時に自分に誓ったから。次に会った時に渡すと決めていたから。

 

 懐からケースを取り出し、中から指輪を取り出す。

 

 八個目の婚約指輪、彼女の指に嵌める為だけに作った指輪。彼女に誓いを立てて、彼女と約束を交わす為の指輪。

 

 

「素敵……悠一、お願い。貴方の手で私の指にそれを嵌めて欲しい」

 

 

 ああ、夢の様な心地だ。僕はこれを望んでいた。何百何千回とこうなる事を望んできた。

 

 ゆっくりと壊れ物を扱うように、優しい手付きで彼女の指に約束を近付ける。僕の手で歌姫の左手の薬指に指輪を嵌める。

 

 歌姫はそれを嬉しそうに見詰めている。

 

 

「歌姫、君を愛している。僕といっしょに居てほしい、これからずっと一緒に居てくれ」

 

 

 手を取ったまま、歌姫を見る。歌姫も僕を見ていた。頬を少し染めて、潤んだ目で、優しい笑顔で僕を見ていた。

 

 

「うん、約束ね。これから私達はずっと一緒……愛しているわ」

 

 

 ああ、これだ、これが今の僕だ。僕達なんだ。

 

 僕は今ようやく完成した。僕の世界はようやく完全な物になった。一人じゃなくて歌姫と約束を交わす事で僕の世界はようやく完成した。

 

 僕は彼女を呪い、彼女も僕を呪ってくれた。こんなにも嬉しい事はない、こんなにも幸せな事はない、僕は今世界で一番恵まれた呪術師だ。

 

 

「歌姫」

「悠一」

 

 

 互いの名を呼ぶ、お互いの名前を声に発して呼び合う。声を発するとは素晴らしい事だった。こんなにも尊い行為だった。

 

 ああ、これが……これこそが……

 

 ――タン、と乾いた音が響いた。

 

 歌姫が左の頬を弾けさせながら倒れる。

 

「えっ?」

 

 歌姫が倒れる、僕の前で血を撒き散らしながら倒れていく。

 

 僕に愛を誓ってくれた歌姫が、僕の世界を完成させてくれた歌姫が教室の床へと倒れて行く。

 

「ハイお疲れ。終わりだ虎杖、さっさと領域を解け」

 

 伏黒さんの声が聞こえた。だけどそちらを向く事は出来ない。

 

 だって、目の前では歌姫が頭を血の海に沈めて倒れている、目を離せる訳がない。

 

 意味が分からない。意味が分からない。

 

 なんで? なぜ? なんで? 約束したのに? 名前を呼んだのに? 約束したのに? 誓ったのに?

 

「なんで……」

 

「あ? お前が俺の言う事を聞かないでイチャ付いてるからだろ。分身まで解きやがって……おかげで面倒くせえ事になった」

 

 そして気付く、僕の世界の、僕の領域の違和感に。

 

 これは……領域が……五条の領域が消えている?

 

 教室の外に目線を向ける、血塗れで倒れ伏す五条、傷だらけで天内理子達と共に半透明の呪霊に包まれてこちらを睨んでいる夏油君が見えた。もう一人の僕は何時の間にか消えている。

 

「五条悟は仕留めてようやく星漿体だと思ったら、もう一人のガキが妙な呪霊を纏って籠もっちまってな。お前が相手をしねえからだぞ? “天の逆鉾“もお前単独の領域内では不完全でよ、お前の領域が干渉するから無力化が上手く働かねえ」

 

 もう一度歌姫に視線を戻す、やはり倒れ伏したままだ。先程よりも血溜まりが広がっている。

 

 駄目だ、こんなのが現実なはずがない。こんなものが僕の世界であるはずがない。

 

「ほら、早く領域を解け……だめか、やっぱりそこまで便利って訳でもねーなお前……なんだ、ちゃんとそういう顔も出来るんじゃねえか、呪術師らしい表情だぜ?」

 

 ああ、当然だ。

 

 腹の底から殺意がみるみると湧き出ている、あんなに嫌悪していた殺人と言う行為を心の底から欲している。

 

 殺してやりたい、この男を八つ裂きにして殺してやりたい。

 

「まあいい、約束を先に破ったのはお前だからな?」

 

 伏黒が結ばれた紐の様な物を取り出して千切る、感じた事のない感覚が僕の身体に溢れてくる。

 

「ガッ!?」

 

 身体の平行が保てない、力が抜け落ちて床に崩れ落ちる。

 

 僕の中で何かが弾けた。僕を形作る何かが壊れた。僕の中の決定的な何かが痛みを伴って崩れたのを感じた。

 

「お前が反抗して来た時の始末用のセーフティ、ちゃんと機能したな。お前の中の呪霊の欠片が崩壊した、あと十分も持たねえ……一応聞いてやる、何か言い残す言葉はあるか?」

 

 痛みと殺意、怒りと憎しみが僕の身体を駆け巡る。

 

 あと十分? それだけあればこの男を、コイツを――

 

 「あぁ……」

 

 仰向けに倒れた歌姫の顔が見えた、血に塗れて傷付いた歌姫がぼくの視線を釘付けにする。

 

 違う、飲み込め。殺意など飲み込んでしまえ。

 

 そんな事をしている場合じゃない、こんな男に構っている暇などない。

 

 僕の最後? 言い残す言葉? 

 

 最後ならば僕は呪いの言葉を残すしかない。そう決めている。

 

 でもそれは、伏黒相手にではない。僕の最後の呪いが怒りや憎しみ、人を傷付ける物であって良い訳がない。

 

 完成した僕は、完璧になった僕はそんなくだらない物を望んだりしない。

 

 僕が望むのは、たった一人の事だけだ。

 

 這いつくばる身体を動かす、倒れ伏す歌姫の所まで這って行く。

 

 

 伏黒はそれを咎めない、そこだけは感謝しよう。

 

「歌姫……」

 

 血塗れの歌姫の顔に手を触れる、弾丸の貫通した右の頬が破けてしまっている。それを覆う様に、これ以上こぼれ落ちてしまわないように手のひらで包む。

 

 僕は今から歌姫を呪う、この世で一番尊い呪いを、この世で一番残酷な呪いを歌姫に伝える。

 

 僕の呪言で、僕の最後の呪いを歌姫に捧げる。

 

 

「愛してる、生きてください」

 

 

 呪言に乗せて、反転術式を歌姫に施す。ありったけの呪力を、いままで成功した事のない他者への治療を試みる。

 

 成功するに決まっている、だって僕と歌姫は愛し合っているのだから。僕と歌姫の二人の世界は完璧なのだから。

 

 僕は歌姫で、歌姫は僕だ。出来ないはずがない。

 

「ちっ、下らねえ……」

 

 隣で声が聞こえた。吐き捨てる様な言葉はどこか寂しそうに聞こえた。

 

 歌姫の傷が塞がっていく、手を止めはしない、僕の呪力が尽きるまで呪いを続ける。

 

 ああ、もう一つだけやる事が残っていた。

 

 大嫌いな後輩を、生意気な馬鹿を起こしてあげなくてはいけない。

 

 アイツは自分がどういう存在なのか忘れてしまった様だ。   

 

 声を届けよう、呪言でもなんでもないただの言葉だ。

 

 遠くで倒れているが、僕の世界の中でならきっと届くだろう。

 

 

『早く起きろ五条、お前は最強なんだろ?』

 

 

 これでいい、後は自分で勝手に何とかする。

 

 本当に最後まで世話のかかる後輩だ。僕と歌姫の世界を最後まで邪魔しやがって……ごめんな。

 

 せいぜい頑張れ五条、お前なら出来る。

 

 歌姫に集中する、もう歌姫以外の事を考える余裕は無い。

 

 血に塗れても、傷付いていても、歌姫の顔は綺麗だ。世界で一番美しい。

 

 歌姫の傷が治っていく、僕の愛しい人の命が僕の世界で力を取り戻して行く。

 

 

「……マジか? 反転術式だと?」

「大マジだよ、うるせえ声も聞こえたしな」

 

 

 五条の声が聞こえた気がした。だけど僕には歌姫しか見えない。

 

 ……ああ、そう言えば先生が言ってたな。呪術師に悔いのない死などない、あれは嘘だった。

 

 

 だって僕はこんなにも満ち足りている、悔いなどない。

 

 




 次回で最終話です、明日中には投稿します。
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