『────せつ菜ちゃんの方が大事なの!?」
歩夢ちゃんが感情を露わにして、侑にそう問い詰めた昨夜。
俺はその出来事が衝撃的で、今になっても頭から離れない。
あれから夜が明けると、歩夢ちゃんは一見曇りのないような表情で、いつも学校に行く時に待ち合わせる場所にやってきた。
侑が昨夜のことを聞こうとしても、歩夢ちゃんは『気にしないで』の一点張り……あの出来事が大したことではない、ちょっと魔が差しただけだというような反応だった。
……しかし、彼女の魔が差した故のあの行動を、俺はちょっとしたことではないと感じている。
あんな苦しそうな表情、彼女が大丈夫なはずがない。
『私の夢を一緒に見てくれるって……ずっと隣に居てくれるって、言ったじゃないっ……』
『私だけの……侑ちゃんで居て……!』
彼女の一連の言葉を聞いた直後は、その場の雰囲気に呑まれるあまり動揺していて、その真意を汲み取ることは出来なかった。
でも一夜明けて、ある程度落ち着いて考えられるようになった。
そして俺が辿り着いた結論は───侑が離れていくように彼女は感じているのではないかということだ。
また、そのきっかけが侑とせつ菜ちゃんの距離が縮まったことに対する嫉妬という感情が生じたからだとも考えた。
侑とせつ菜ちゃんは最近よく一緒にいて、仲良く会話している様子はよく見かける。実際今日もその二人と俺は、東雲と藤黄のみんなと打ち合わせを行っているしな。歩夢ちゃんが『自分より仲良さそうだな……』と思ってしまってもおかしくないのだ。
「企画・スケジューリングは、侑さんにお願いしてあります。侑さん、あれをお願いします」
「……」
「……侑さん?」
「……! ごめんごめん! あれね……!」
あぁ、せつ菜ちゃんの呼びかけにも流石に上の空か……多分侑も俺と似たようなことを考えているのだろう。
歩夢ちゃんは今頃協力してくれる虹ヶ咲の生徒達と打ち合わせをしているだろうが……ちゃんと臨めているだろうか?
……しかし、今思えばこのところ歩夢ちゃんの様子がおかしかった気がする。奥手であまりみんなと話さない彼女にしては、妙に上の空だったり、少し暗そうな顔をしていた。
俺も俺なりに彼女のことを気にしてきたつもりだったが……クソッ、何故すぐに対処できなかったんだ……!
……ともかく、一度侑と二人でちゃんと話す必要がある。ただ、今はスクールアイドルフェスティバル開催に向けて話し合いを重ねる必要がある。目の前のことに集中しなければならない。
「……あの、徹先輩」
「……ん、おう。どうしたんだ?」
不味い、遥ちゃんの呼びかけに少し反応が遅れてしまった。
「あっ、いえ! 先輩、少し体調が優れないのかなと思いまして……無理はしないでくださいね?」
「あ、あぁ……大丈夫だ。心配させちゃったようですまんな」
周りに心配掛けるほど考え込んじゃってたのか……これはいかんな。頭を切り替える必要がある。スクールアイドルフェスティバルのために一所懸命に……集中しろ。
自分の頭にしつこく言い聞かせながら、俺は話し合いを進めた。
────────────────────
「侑さん、徹さん、今日はお疲れ様でした!」
「おう、せつ菜ちゃんもお疲れ様」
「……うん、お疲れ様」
スクールアイドルフェスティバル参加者による打ち合わせは、話がまとまった上で幕を閉じた。
今はその帰り道、侑とせつ菜ちゃんの3人で学校へ戻ろうとしているところだ。
俺は何とか頭の中で渦巻いていた思考を抑え、議論を進めることが出来た。
しかしその一方、侑は終始浮かない様子だった。
「……何かあったんですか?」
「えっ? ……う、ううん! なんでもないから、気にしないで!」
心配そうな表情で侑の顔を覗くせつ菜ちゃん。
あぁ……やっぱりせつ菜ちゃんは気づくよな。なんなら、あの場にいたみんなが彼女の様子を気にしていたと思う。
「嘘を吐かないでください」
「……!?」
すると、せつ菜ちゃんは真剣な様子で侑と正面で向き合った。
せつ菜ちゃんの中では、彼女に何か悩みがあるということを確信しているのだろう。彼女は続けてこう話した。
「合宿で料理を作った時の表情に似てました。侑さんのことが心配です。話してくださったら、侑さんの力になれるかもしれませんから……!」
そうか、確かに侑はあの時も似たような様子だったな。それはすぐに気づかれてしまうな。
でも、多分侑は……
「……ふふっ。ありがと、そう言ってくれて……確かに、少し悩みがあるのは事実だよ。でも、そんなに大したことじゃないから心配しないで」
本当の事は話せない……よな。せつ菜ちゃん達は今、スクールアイドルフェスティバルに向けて活き活きとその準備に邁進してもらいたい。それを考えると、俺たち3人の問題に仲介してもらう訳にはいかないのだ。
「ですが……! ……徹さんも何か知ってるんですよね? 貴方も少し考え事をしている素振りをしてましたので……」
───俺もそんなに分かりやすかっただろうか? 確かに最初辺りは只管考え込んでいたから、そこで察されてしまったか……でも、ここは彼女を安心させたい。
俺が彼女に弁明しようとすると……
「……あぁ、それは───」
「あれは……歩夢!」
侑が驚く声を上げた。
その視線の先には、ピンク色の練習服を着た歩夢ちゃんが歩いていた。
「───ちょっと行ってくる!」
「あっ、おいちょっと待て!?」
「侑さん!?」
すると、侑は一目散に走り出した。
……多分、歩夢ちゃんと真剣に話し合おうとしているのだろう。どんなことを話そうとしているのか俺には分からないが、ここは俺もついていくべきか。
「……すまん、俺は侑の後を追う。あと、俺達のことは気にしないでくれ。ホント、心配してくれてありがとな!」
「あちょっ、徹さん!?」
せつ菜ちゃんには申し訳ないが、俺は彼女に心配させないように声を掛け、侑の後を追った。
侑の背中に追いつくと、その向こうには歩夢ちゃんが立っていた。
「良くないよっ!!」
追いついて最初に聞こえてきたのが、その侑の説得するような言葉だった。
「私、昨日歩夢に伝えたいことがあったんだ」
侑は改めて、昨日話したかったことを伝えようとしているようだ。侑は一息してから、意を決してこう続けた。
「私、やりたいことが……夢ができたんだ」
「……!」
侑に……夢が出来たのか……!
合宿の時、夢が見つからなくて焦っていた彼女が、ついに夢を見つけたんだな……
「実はこのこと、せつ菜ちゃんにもまだ言ってないんだ……だから、歩夢とお兄ちゃんには最初に伝えたくて」
ふむ……その具体的な内容が気になる。それで、歩夢ちゃんはどんな表情を……
「……嫌」
「……えっ?」
歩夢ちゃんは、絶望と恐怖を感じているような表情をしていた。そして、再び彼女は感情を露わにする。
「それって、私と一緒じゃなくなるってことでしょ!? 分かるよ! だって侑ちゃんがこんなこと言うの初めてだもん!!」
一緒じゃなくなる……か。やはり、彼女は侑と離れる可能性を危惧しているんだな……
「嫌だよ……私のスクールアイドルの夢はこれからなのに! 二人がいなきゃ……私は一歩も前に進めないよ……」
……えっ、二人────?
俺はその単語を聞き、頭の中が一気に疑問で埋め尽くされた。
二人のうち、片方が侑なのは自明だ。じゃあもう一人って……
「……そんなことっ!」
「あるんだよ!! あるんだよ……」
震える声が、言葉を紡ぐにつれて徐々に小さくなっていく。
「徹さんだって……!」
「……えっ?」
歩夢ちゃんの悲しそうな顔が俺へと向いた。
……じゃあ、やっぱり……
「───っ!!」
「あっ、歩夢!!」
すると、彼女は俺の横を走り抜けていった。
────寂しそうな背中が、少しずつ遠ざかっていこうとしていた。
「……っ! 待ってくれ、歩夢ちゃん!」
……俺は、歩夢ちゃんと話したい。彼女の誤解を晴らす義務があるのだ。
────────────────────
「はぁ、はぁ……歩夢ちゃん……」
歩夢ちゃんの背中を追いかけていると、河川敷らしき場所で彼女の足が止まった。
少し気が落ち着いたのだろうか、彼女は俺の方へと向いて一礼をした。
「徹さん……ごめんなさい、色々困るようなこと言っちゃって……」
彼女の目は少し赤く腫れており、涙を流した跡が残っていた。
「違う……謝るのは、こっちの方だ……ごめん。俺、歩夢ちゃんがそんなに辛い思いをしていることに気づけなくて……」
「……ううん、これは私がワガママなだけですから……」
違う……歩夢ちゃんは大切な……唯一無二な幼馴染だ。そんな幼馴染が、俺のせいで辛い思いをしているにもかかわらず、当人が何も対処をして来なかった。
全て俺のせいなのに……なぜ俺は二の句を継げないんだ……?
「……徹さん」
「……なんだ?」
すると、彼女は俺から視線を逸らしながら、こう訊いてきた。
「……また作曲を始めたって本当ですか?」
「……えっ!?」
それは、俺がまだ歩夢ちゃんに話していないことだった。
冷や汗が流れるのを感じながら、俺は彼女の発言を傾聴した。
「合宿の時、せつ菜ちゃんと話しているところを聞いちゃって……本当ですか?」
……そうか、あの場に居合わせてたのか。全く人気は感じなかったが、話の内容も聞こえたのだろう。
……侑も、ピアノを始めていたことを彼女に黙っていて、それを知られたがゆえに昨夜のようなことが起きた。
今から言うことは単なる言い訳になってしまうが、ここはちゃんと彼女に誤解がないよう弁明する必要があるな……
「……あぁ、本当だ。このことは……実は、歩夢ちゃんには曲が作れるようになってから言おうとしてたんだ」
「えっ……そうなんですか……?」
俺が歩夢ちゃんにこのことを黙っていたのは、意図的なものだったのだ。そして、それにはちゃんとした理由がある。
「……俺が文化祭で曲を披露した翌日、俺の教室に歩夢ちゃんが来てくれたことがあったが、覚えてるか?」
「……うん、もちろん覚えてるよ」
俺の問いかけに、彼女はうんうんと頷いてくれる。
そう、そもそも俺がみんなに……妹の侑にさえ黙っていた
「合宿の時話したが、その前日の夜、俺は失意に落とされていた。それで、侑の言葉があって立ち直ったと言ったと思う」
これらは、合宿の時に同好会のみんなに話したことだ。
「でもな、あの時に歩夢ちゃんから貰った感想も、実はとても嬉しかったんだ」
「そうだったんですか……あの時はまともな感想を言えなかったけど、良かった……」
歩夢ちゃんが教室にやってきたのは、文化祭に披露した曲について感想を伝えるためだったのだ。あの時の歩夢ちゃんは、彼女にしては珍しく少し感情を昂らせていた。
「あぁ……それであの時、俺の曲をもっと聴きたいって言ってくれたよな? だから俺は、ちゃんとした曲を作れるようになってからそれを話して、作った曲を聴かせたいと思ったんだ」
「だから、私に話さなかった……?」
「……そうだ。でも、それが歩夢ちゃんを不安な気持ちにさせてしまったんだよな? だから……黙ってて、本当にごめん」
俺は、歩夢ちゃんと正面で向き合い、深々とお辞儀をした。
歩夢ちゃんは……怒ってるだろうな。
……そう思っていたが、思わぬ言葉が返ってきた。
「……もう、徹さんは変わってないね」
「……えっ?」
変わってない……それは、昔の俺……だろうか? 俺としては、今と昔では大分変わった気がするが……
「昔から徹さん、妙に勿体ぶってたよね。ほら、私と侑ちゃんにアイスを買ってきた時だって『どんなアイス買ってきたと思う?』って、私達が当てるまで渡さなかったし」
歩夢ちゃんは、少し微笑みを見せながらそう話してくれる。
勿体ぶる……確かに、そうかもしれない。
「ぐっ、あの時のことか……あれは本当に俺がバカだったと思ってるよ……」
なんだかあの頃を思い出す度に、昔の俺って何でもかんでも考えなしに行動してたなぁと恥ずかしくなるものだ。正直、あまり思い出したくないと思うこともあるな……
でも、そうやって笑顔で話してくれるってことは、許してくれるってことか……?
そう考えていた矢先、歩夢ちゃんの様子が─────
「うふふっ……でも、そんな徹さんも今はとっても立派になって……周りに、沢山の友達が……できて……っ」
「歩夢ちゃん……?」
自分の顔を隠すように後ろを向き、言葉交じりに嗚咽を漏らしている。
泣いている……?
そう思って、彼女の顔を覗こうとしたその時────
「っ……! ごめんなさい!!」
「あ、ちょっ……!?」
彼女は、この場を走り去ってしまった。
その時、俺には彼女を追う余裕が無くなっていた。
彼女の言葉が脳裏によぎり、その言葉を噛み締めていく内に、俺はある一つの疑問が浮かんだ。
「俺ってやつは……今まで一体何をしてきたんだ?」
昔の俺のことを、好んでよく話してくれていた歩夢ちゃん。
……じゃあ、今の俺は一体何なのだろうか? と。
遠くに望む虹ヶ咲の校舎の横に、痩せ細った三日月が弱々しく灯っていた。
ネガティブなアイデンティティは、何でも改新すべきか────?