「あっ、お兄ちゃん……おかえり」
「おう……ただいま」
日が長いはずなのに、もう日が沈もうとしていた頃合い。
碌に何も考えられないまま、自分の家であるアパートの階段を上り、扉を開けた。
すると先に帰っていたのだろうか、侑が帰りを出迎えてくれた。
彼女の服装は既に『ぱ』という文字が書かれた黒い部屋着だから、大分前に帰ってきたのだろう。
ただ、その侑の表情は明らかに曇っていた。
侑が伝えようとしていた夢を拒絶……いや、それ自体を拒絶されたというよりかは、相手が理解することを拒絶したというべきか。それにしても、彼女だって相当ショックを受けてるに違いない。
「歩夢と、話せた……?」
「……あぁ、話したよ」
……でも、本来それを慰める役割をもつはずの俺さえも、ネガティブな感情に支配されている。
あぁ、今の俺ってどんな表情をしてるかな……流石に侑だって立派な高校生だし、絶対心配させちゃうよな……
「……ねぇお兄ちゃん、何かあった?」
「えっ……そ、それは……」
心配そうに俺の顔を伺う侑。
やっぱりなぁ……
……侑には話すべき、だよな。
でも……なんて話したら良いんだろうか。頭の中が色んな感情で埋め尽くされて、その中から適切な言葉を取捨選択することが出来そうにない。
やっぱり俺は誰かに相談することに慣れてない。上手く話せるかな……
「……お兄ちゃん」
すると、彼女は俺の右手を取り、両手で包みこんだ。
「……!」
この暖かい手と表情……優しい合宿の時を思い出すな。あの時も、こうやって優しくしてくれたよな……
『私だって、お兄ちゃんのために何かしてあげたいって思ってるんだ』
『もっと……私のことを頼ってくれないかな?』
あの時の侑の言葉が、俺の脳裏を過ぎった。そして俺には、あの時感じたある感情が蘇ってきた。
例え拙い言葉で、言い淀んだりしてしまったとしても、何の問題もない。ちゃんと受け止めてくれる……
……ははっ、また侑に励まされちゃったな。
「俺は……自分を変えて、良かったか?」
「……えっ?」
俺は、妹である侑にこれまでの出来事を全て明かした。
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「……そっか。そんなことがあったんだ……」
そう言った後、侑は顎に手を当てて考え始めた。
リビングのソファーに移動し、兄妹並んで座りながら話している。
「でも、歩夢はお兄ちゃんが成長したことが嫌だったとは言ってないよね? だったら……」
確かに、歩夢ちゃんは直接そうとは言っていない。だが……
「いや、歩夢ちゃんがそこまで正直に言うことはないだろ……それに今思えば最近、歩夢ちゃんが俺に対して妙によそよそしかったなと思うんだ。敬語で、呼び方もさん付けで……」
そうであるという根拠が……思い当たる点が数多くある。敬語で接してきたことは、単なる思春期なのではないかと軽く考えていたが、今じゃそうとは思えなくなっている。
敬語でさん付けじゃなかった……気を置く事なく、渾名で呼び合って仲良くしていたあの時の俺のことしか話してくれないからな。だから……
「もしかすると、彼女は昔の俺に戻って欲しいと思ってるんじゃないかって……今の俺は、嫌なんじゃないかって……」
正直な俺の今の心境を、侑に吐露した。すると、予想外の反応が返ってきた。
「……アッハハ、お兄ちゃんはそういうところホント鈍感だなぁ……」
「……えっ?」
苦笑いをしながら、侑はそんなことを言ってきた。
鈍感……前にもそんなことを言われたな。
「歩夢は……いきなりお兄ちゃんがしっかりし出して、少し戸惑ってたみたい。どうお兄ちゃんに接したらいいか、分からないって言ってた」
戸惑った……か。
確かにあの時のことを、当時俺は誰にも話してなかった。
みんなにとって頼れるお兄さんになろうと、言葉遣いを変えたり、テンションを抑えたり……色々試行錯誤してたのも、親にさえ秘密にしていた。
───大きく態度を変えてしまったから、困らせちゃったのかな……?
「でもね……今のお兄ちゃんのことを嫌だなんて思ってなんてないよ」
俺はこの一言に、目を見開いた。
「むしろ、凄く褒めてたんだ。こんなにすぐに料理が上達するなんて凄い、ってね! あと、裁縫も出来るのかな? って気になってたりしてたな!」
「侑……それは、歩夢ちゃんが言っていたことなのか?」
「うん。大分前に歩夢が私に話してくれたんだけど、お兄ちゃんには内緒にしててって言われてたんだ」
「そうだったのか……」
……なるほどな。
そっか……俺が母に料理を教えてくれと頼んで、そこから朝晩と母の調理を手伝いながら独自で腕を磨いたりしたが……そう言ってくれてたんだな。
「うん。あとは……」
「……あとは?」
「……ううん、何でもない。だから、大丈夫だと思う」
侑が何かを言いかけてやめたが、一体何を言おうとしたのだろうか……? 歩夢ちゃんは、俺についてまだ話したことがあったのだろうか?
まあともかく、侑からの話を聞いて少し安心できた気がする。まだ問題は解決していないとはいえ、な。
「でも、百聞は一見にしかず……っていうじゃん? だから、実際に歩夢に聞いてみるといいよ」
「……そうだな。そう出来るよう努力してみるよ。本当にありがとな」
「いえいえ〜! ……って、現在進行形で歩夢と喧嘩してる私が言っても説得力ないよね〜……」
一瞬侑の表情が明るくなったものの……やっぱりそこは彼女にとってなかなか思うところがあるのだろう。
侑だって問題を抱えてるんだ。だから────俺も兄として彼女の役に立ちたい。
「……歩夢ちゃんは多分、侑と離れるのが怖いんだと思う」
「えっ?」
今、俺が分かっていることを侑に話す。
「お前、夢が出来たって言ってたじゃないか。それも、スクールアイドルフェスティバルという大きなイベントを実行しようとしている……かつ、ピアノの練習もしているタイミングだ」
彼女は少し驚いた様子で俺の話を聞いてくれる。
「そんなことを、侑は今まで経験したことがなかったよな。正直、兄である俺もびっくりしているぞ。だから……侑の夢は、更なる高いステップに上がることなんだと、歩夢ちゃんは予想している。だから彼女は、侑に置いていかれるかもしれないという恐怖心が芽生えている、そういうことかと俺は感じた」
「そんな……私が歩夢から離れる訳ないよ……!」
侑の拳は少し強く握られてて、感情が昂っているようだった。
「……でもな、侑。最近歩夢ちゃんと3人で下校した頻度は、同好会に入る前からどうなってると思うか?」
「えっ……? ……あっ」
俺がそう問うと、侑は何かに気づいたかのように声を漏らした。
俺達二人は、同好会でのマネージャーとしての活動に生き甲斐を感じて、没頭していた。同好会に入るまでは、そのように感じるような『何か』がなかった。
ただ、歩夢ちゃんと3人で過ごした時間は、かけがえのないもので……これからも3人でいる時間を作れたらと思っていた……なのにも関わらず……
「実際、俺も同好会の活動が楽しくて、幼馴染との時間を作れなかったと気づいた。俺達は、そのことを反省すべきなのかもしれない……」
「……そうだね」
……こうやって問題の原因を洗い出したものの、解決策は一切見当もつかず、夜は更けた。
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「はぁ……全っ然作業に集中出来ん」
翌日、俺は同好会の部室でパソコンと向き合っていた。スクールアイドルフェスティバルの日程をまとめていたのだ。
昨日侑と二人で話したのもあって、色々と心の整理も出来たが……考え込んでしまった故に、全然寝れなかったのだ。
朝、売店でブラックコーヒーを買って飲んだおかげで眠気はない。ただ、脳裏にはやはり歩夢ちゃんとどう仲直りすべきかという問題が付いて離れず、作業に集中できない。
日程表どこまで出来たかな……うわっ、まだここかよ。最早進捗皆無だな。こんなんじゃ、みんなが集まるミーティングまでに間に合うか……?
「失礼しまーす……あっ、徹くーん! 久しぶり〜!」
すると、部室の扉が開き、聞き慣れた可愛らしい声が聞こえた。
「ん、おう。久しぶりだな、エマちゃん。調子はどうだ?」
「うん! 相変わらず元気に過ごせてるよ〜」
エマちゃんはいつもの優しく温かい笑顔を見せてくれた。
……どうしたものか。みんなの進捗は速いだろうし、俺も追いつかなきゃな……
「……あれ、徹くん目にくまが出来てるよ? 昨日はちゃんと寝れなかったの?」
「ん……? あ、あぁ、少し作業が捗ってしまってな! 別に悩み事とかがある訳じゃないから安心してくれ!」
マズい、昨日寝れなかったことがバレてるじゃないか……
「ホントに?」
凄く心配そうにそう訊いてくるエマちゃん。
……何だか、俺が悩みを抱えていることまで見透かされてる気がする。
エマちゃんに話すべきだろうか。合宿の時だって、もっと頼ってよって言ってくれたし……
……でも───
「ほ、ホントだって! ……そうだ、スクールアイドルフェスティバルについてだが、エマちゃんの所の進捗が聞きたいんだ。教えてくれないか?」
「あっ……う、うん! そうだね!」
やっぱり、みんなにはスクールアイドルフェスティバルに向けて集中して欲しい。マネージャーの悩みに付き合わせてはいけないタイミングなのだ。
それにこれは……俺と侑、歩夢ちゃん──3人の幼馴染の中で解決すべき問題だ。
当たり前と珍しさは表裏一体。
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