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―――……
ぽっかりと心に穴が開いた。
生まれて二十三年間、何人もの男の人と付き合ったし、失恋も一度や二度じゃないけど。「大」が付くほどショックを受けたのはきっとこれが初めてだ。
大輝の笑顔がもう見られないってどういうことだろう。彼と過ごした七ヶ月はどこに行ったんだろう。さあ、どこだろうね?
別に笑顔でなくても、しかめっ面でもいいんだけど。隣にいてさえくれるなら。
ああ、私は嘘つきだ。隣にいるだけならぬいぐるみと一緒でしょ。もう一度楽しく話がしたい。その手に、その顔に、その唇に、触れたい。浮気はしてほしくない。
わがままだね、と私の中の私が言う。そうだわがままだ。わがままでいいじゃないか。求めたっていいじゃないか。
どうせもう手に入らない。
失ったものは戻らないから。取り戻す気力も、ない。
多いようで少なかった在りし日の回想がそれからの日々を綴っていくのだった。
そうか、これがあの七か月か。瞼に映るぼやけた、光溢れる映像。希望に満ちていた時代のダイジェスト。それは思い出と呼ぶにはあまりにも美化されていたけれど。
ため息ひとつ。
どうにも力の抜けた日々を、はたから見れば漫然と、過ごした。
大勢の同僚と仕事をする昼は糸の切れた操り人形のようにぽかんとしてしまって身が入らない。
独りの夜はひたすら泣いて、望まぬ夜更かしをしてしまう。
それでも明日の朝は構わずやってくるし。慌ただしい朝だって、同じ布団に君がいなくても、ある。
「やばいまずい……遅れる…!」
下着姿で走り回るのはいつもの事。歯ブラシを加えたまま、Yシャツに、紺のブラウスに袖を通して。タイトスカートは少し緩くなったみたい。ダイエット成功だね、なんて、一緒に喜びに浸れる相手はもういないんだった。馬鹿みたい。痩せたって顔色が悪くなるだけなのに。ね、鏡さん。
気づけばあなたのことばかり考える。
苦しいな。会いたいな。もう居場所も分からないあなたが恋しくて愛おしくて、時々「絶対許さないんだから」なんてむくれたりもするけど、やっぱり恋しい。
日が落ちた後、真っ暗な部屋の電気をつける時に。
同僚の旅行土産がほっぺたが落ちるほど美味しかった時に。
私はあなたを思い出すんだ。部屋着の上から抱きついた大きな背中。振り返り、にっこりと笑ったその口元。私の姿が映る、大きな二重の瞳。
「どうした? 口に合わなかった?」同僚の慶子が心配している。
「いや……美味しいよ。すごく」
書類に垂れた水滴をティッシュで拭い、机の隅にそっと置いた。我慢して、ばれないようにゆっくり、湿った息を吐く。
だけど、人間って、忘れていく生き物だ。
いつしか私は君のことを考えなくなった。
職場と自宅を電車で往復するだけの日々は矢のように過ぎ、温もりに触れることのない両手はかじかんで麻痺していくばかり。
胸が苦しくなるのは決まって風呂かトイレか、何かに閉じ込められているときだ。石鹸を揉んで泡にまみれて、それは全身だったり手だったりするけれど、「包まれている」なんて感じる時。
突然、自分の胸に空いた空洞を発見して、私は愕然とする。「一生恨んでやる」だとか「忘れることなんてできないよ」自分に言い聞かせた言葉が胸の穴からこぼれていく。
「……だいき」数えきれないほど呼んだ名前は今やすっかり現実味を失っていた。
「どんな大きな胸の空洞も、時間と共に空白になっていくものよ」
咲子さんは優しくも達観していた。会社裏でひっそりと営業している小洒落た喫茶店。木製のシーリングファンがゆっくりと目を閉じるような速度で回っていて、クーラーの重低音が耳に心地良かった。
野花が夜更けに息をひそめて歌うように、彼女は私に囁きかける。「沙苗ちゃん。時間が――解決してくれるの。……疲れたでしょう? 今は自分を休めてあげて。」
鎖を巻いて封印していた心のタガが外れたようだった。胸の奥から熱いものがこみあげてきて、私は喫茶店の一席で時間も周りの目も気にせず泣きじゃくった。咲子さんは私を抱き止めていてくれた。痛みが和らぐまでずっと。
……―――
ふと目を上げると、窓から覗く空には夜のとばりが下りていた。
文庫本をぱたりと閉じ、緩慢な動きでカーテンを引く。四角く切り取られた夜闇は青年の気がかりな表情をやけにくっきりと映している。
妙にこの一節に感じ入るところがあるのはなぜだろう、と考えるまでもない。
告白前に失恋モノの小説なんぞ読むんじゃなかった。不幸な未来をシミュレーションしてどうする。どうもこれから失恋予定のアッキーですってあほか。
親指と人差し指で文庫本をつまんで回しながら、
半分だけカーテンで覆った窓を通して夕から夜へ移った街を見渡す。
星のちらつき始めた夜空とぽつぽつと灯り始めた街灯は数時間後に章宏が沙織さんへの愛の言葉をひねり出すロマンチックな背景だ。そして近所を通り過ぎる石焼き芋のメロディーはそのバックミュージックっていやいやいや。
トンチキな妄想に頭を悩ませていると、先程の小説で読み覚えのある台詞が脳裏に次々浮かんでくる。
『絞り出すようなため息ひとつ、私はベッドに腰を落とす』
『居ても立ってもいられない心境なのに待つ以外の手段はない』
『手に握ったままのスマートフォンは未だ沈黙を守っている……』
主人公の女性「ミソノ」が人としてもう一つな会社員の男性に「ダイキ」に運命的な恋をし、紆余曲折(営業周りという名の実質ケンカデートや彼の交通事故そして浮気寝取られ修羅場)あって最終的に結ばれないという悲恋を描いた短編の一節である。
ふむ、こうしてみると今の状況はこの小説の主人公の告白前の煩悶シーンとそっくりだ。
普段、広さなど気にしない八畳間にはやり場のない閉塞感が立ちこめている。平生より呼吸は浅く、心臓が低く脈打ち続けているのが分かった。
恋愛小説ではよくあるシーンだが、実際こういう状況に置かれてみると案外つらいものなのだと実感する。この状況下で落ち着いていられるはずがない。
読みかけの文庫本に挟んだしおりは十分前と比べほとんど進んでいない。七分前だったか。四分前か。数十秒しか経っていない可能性もある。一日千秋とはよく言ったもので、こういう時の体感時間ほどあてにならないものはないのだ。
……やっぱりあんな約束するんじゃなかった。
吹けば飛ぶような軽さで「お前がするなら俺も好きな人に告白する」なんぞとほざいたのは何処のどいつだ。俺だ。おかげで平凡さが売りの大学生活の、平和を謳歌するはずだった十二月某日が人生の一大局面になってしまった。
中学時代からの友人の修介にしきりに告白を勧めていたのは何を隠そうこの俺である。同級生の女子に丸々二年も熱を上げながら卒業してなお思いを伝えられていないどうか助けてほしいと懇願され、「お前には高嶺の花だ諦めろ」などと誰が言えよう。たとえ頭には「ヘタレの修介」なんてあだ名が浮かんでいようとも、短い青春の中の二年を一人の女性に捧げる心意気には頭が下がる。なんとまあ健気なことか。
お前ならできるできる諦めるな当たって砕けろとある時は電話ある時はSNSまたある時は面と向かって来る日も来る日も宥めすかすこと数か月、やっと奴もその気になりかけ、さしもの俺もあと一押しだと確信したまさにその瞬間。
目指すゴールを目前に緩んだ俺の心はつい、いらんことを口走っていた。
「俺も告白したらするか?」
その言葉で修介はようやく告白を決意したのであるが、完全に自業自得である。アーメン。
しかし、友の切ない恋路をなんとか成就に導くためにも、俺もここで一度覚悟を決めねばなるまい。センチメンタルの化身みたいなあの修介が想い人に告白するんだから、俺はバイト先で知り合ったあのコに男らしく潔く言わねばならぬ。それが男同士の約束というものだ。
二人で決めた告白の期限は今日まで。今晩午後十時にLIMEで報告会をする予定になっている。修介の方はおそらく既に済んでいることだろうが、俺はまだである。ヘタレとは俺のことかもしれない。だが約束の報告会までは時間がある。それまでに「走れメロス」的に沈みゆく太陽の十倍の速さで駆け抜ければ良いだけのこと。待ってろ
ところで奴は結局その同級生の名を教えてくれなかったな。修介いわく、不登校だったらしく高校には俺たちの半分も来ていないので、俺は彼女の名前はおろか顔すら知らないとのこと。ただ、「すごく綺麗」といい笑顔で言っていたので、きっとすごくきれいなんだろうとおもう。
まあいい、告白が成功した暁には小躍りしながら教えてくれるだろうし、そうでなければ永遠の謎となるのだろう。想像したくはないが。
そんなこんなで俺はバイト終わりの沙織さんに呼び出しメッセージを送り、返信を今か今かと心待ちにしていた。これ以上小説の読み進まない状況は後にも先にも当分あるまい。
深見沙織さんは俺のバイト先(アイム堂なるハンバーグの店、店名の「アイム」は「ウマイ」をローマ字にして並べ替えたものらしい)の後輩だ。……名目上は一応後輩だが、勤め始めが俺の方が二日早かったというだけであり実質同期である。それに沙織さんの方がはるかに物覚えが良くシフトも多い。多分社会人なのだろうが、だからこそ、時折見せる年に似合わぬあどけない表情が彼女の魅力を引き立てるのだ。
前口上的経緯はこの辺にしておこうか。そんなわけで俺は落ち着かない夕食後を迎え、不吉な恋愛小説をたしなみつつスマートフォンを握り締めているのだった。
ヒーターの振動音が鳴っている。焼き芋を売り歩く中年男性の間延びした声が次第に遠ざかっていく。
見上げた白天井は低く俺を押しつぶそうとしているかのようだ。たまたま横じまの服を着ていたこともあってか俺は死刑執行を待つ囚人のような気分になる。
ベッドでやきもきごろごろ転がっているのにも疲れ、放心し無我の境地に至っていると、
通知音が鳴った。
見れば、俺が三十分かけて考えたシンプル極まりないメッセージに既読のマークがつき、それ以上にシンプルな返信が下に表示されていた。
「分かりました。待ってます」
商店街までは自転車で十分足らず。今が七時半だから二十分後に出れば間に合う計算だ。だからあと少しだけゆっくりするか……。
などとなるはずはなく、俺はすぐさま暮れ方の冷気の中へ飛び出した。
『見えないあなたの後ろ姿を追い、私は闇雲に走り出した』
章終わりのモノローグが脳裏を掠める。ここまでまるっきり小説の通りだ。あとは結末まで同じ道を辿らぬよう祈るのみ。
『凍てついた空気が頬を打つ。体が熱を持っている。立ち止まる気は、なかった』
もわりと吐く息が突風に流れた。扇風機を正面から浴びているような北風が絶え間なく吹き、小型風車が勢いよく回っている。
深藍に包まれた街を待ち合わせ場所へ駆けた。
シャッター街と化した商店街は遠目、しかも夜目には廃墟としか見えず、こんな場所に呼んでしまって大丈夫だったかと不安になる。
歩道の先に突如現れたまばゆいヘッドライトに慌てて急ブレーキを踏み、左右を確認しそろそろと横断歩道を渡った。駐輪場で自転車を降り(我ながら律儀なもんだ)さびれ果てたトンネルのような商店街を足早に抜ける。この暗闇の向こうに沙織さんがいる、もしくは来るのだ。
心臓が早鐘のごとく胸を打っている。体が火照って仕方がない。握り締めた手には汗が滲んでいる。
凍てついた木枯らしで大きく深呼吸。焦りを冷却する。心頭滅却すれば火もまた涼し。今は冬だけどな。
気持ちを落ち着け、満を持して出口の門をくぐった。緊張した瞳に映る視界は心なしかスローに動きそして、息を呑む。
街灯の下に佇む人影。ずきりと胸が痛む。思わず門の後ろに身を潜めた。
バイト先からそのままやってきたのだろうか。スマートフォンを耳に当てる彼女の背中に垂れる長髪が無機質な光を艶めかしく反射し、震えるように動いている。「うん、うん」と嬉しそうに相槌を打つ沙織さんは、
泣いているようだった。
時間にしてみれば十五分にも満たない会話は永遠にも思われた。
気づけば風は凪ぎ、門の裏、白い煙の立ち上る先には澄んだ藍空がどこまでも静かに広がっている。
家族か親類もしくは友人の訃報でも入ったか、沙織さんは延々と涙ながらの会話を継続している。それなら早く病院に向かえば良いのに。あなたを待っている人がいるでしょうに。
……。
いや、違う……。
…………。
来なければよかったな。
「――」
「うん。そうなんだ、私も、」
「――」
「私もずっと好きだった。」
「――」
「久しぶりに学校に行ったときに、初めてすれ違った時。そう」
「――」
「えっ、一緒? ………うぅ……ぅぐ……」
泣かせてんじゃねーよ電話相手の野郎。
「――ぁ、えと…ご、ごめん」
「ううん、大丈夫」
電話相手は相当動揺しているらしい。は、こりゃ初めて他人に告白する童貞か、はたまた相当のヘタレか、
……!
………。
ふうー、と白く息を噴き上げて。
……。
帰るか。
と思ったが、なぜだか体が帰らせてくれない。しゃがんだまま動こうとしないのである。さらに寒い。路地を吹き抜けた弱風がこんなにも身に染みて寒いのは俺だけかい?
「――……下さい」
「……はい。私からも」
「私と、付き合ってください」
まったく、困っちゃうね。
さて、その後彼女らはしどもど時間をかけてLIMEのIDを教え合い、初めてのメッセージを送りふふと微笑むというお約束をし、また後で連絡する本当夢みたいだよと未来への希望を囁いていたが、俺にとってはまさしく地獄のような時間であった。
ピッ、と通話の切れる音がする。
路地に訪れた沈黙にはかすかに幸せの香りが漂っていた。
沙織さんはスマートフォンの画面をまじまじと見つめ、見上げた夜空に喜色満面の吐息をつき、「~~!!」としか形容できない音声を発しながら悶えていた。青春だねぇ。
彼女はふと気づいたように辺りを見回し、
「……先輩遅いな」
もう帰れよ。まだ俺と会う気でいたのか。
「……何の用だろ」
何一つ気づいていらっしゃらないご様子であった。そりゃそうか、俺まだ現れてもいないし。
そして俺は姿を現さない。このまま凍えたって出ないぞ。一歩も動かんぞ。
「……」
門の背後から顔をのぞかせ、肩に広がるロングヘアを一瞥する。
「……」
彼女はハーハー手に息を吹きかけこすり、北風に身を縮めて寒さを忍んでいた。
……健気なこった。
首を引っこめ、彼女の真似をして体を縮めた。
沙織さんは粘り強く俺を待ち、十分ほどが経過した。まずい、本当に凍えてしまうぞ。
「……来ないなぁ」
やがてぽつりと漏らし、地面を蹴る音がして。
さびれた商店街の門前を自転車が通り過ぎる。風に流れる黒髪はまるでスローモーションのように、思わず見送ったその横顔が、綺麗だなと、
ひときわ強く心臓が鳴る。
「先輩!」
軽くパニックになるのをどうにかなだめようと軽くため息をついた。
ブレーキを響かせ、こちらに駆け寄ってくる沙織さん。生き別れの兄を見つけた小鹿のように純真な笑顔をしている。
「もう、どうして隠れて」
距離が縮まる。
その足が拒絶するように止まった。「……たんです……か」
殊勝に笑おうとするが俺の唇は否が応にも卑屈に歪んでしまう。
「……」
二人を取り巻く冷気がかすかに揺れ、静寂が満ちる。
告白されたらどうしよう。
彼女はそういう表情をしていた。
不意にどこかで見た文章が脳裏を通り過ぎる。
『そうでなくてもこの暗闇で何かされたら。何かされたら』そこまでじゃない。
『別れた二人は他人の関係。かつて築いた愛情なんて、何もなかったのと同じ』
何も築いてなんかいないんだよ。小賢しい思考はシャットダウンだ。
「――いや。何も」
「そう……ですか。だったらなんで」
「うーん。そうだなぁ……。特に用は無いんだ。悪い、用もないのに呼び出して」
「でも、大事な話があるって」
「本当に何も用は無いんだ。この通り、謝るよ」
苦笑しながら頭を下げる。
「……」
「……?」
「なんか無理してません?」
「してないね。ほら、早く帰って連絡してやれ。あいつきっと待ちわびてるぞ」
しまった、言い過ぎた。
沙織さんはきょとんと俺を見つめ、「!」を頭の上に出したかと思うと、安堵を全身で表現しながら、
「……知り合いですか?」
「ま、ちょっと」
「そうだったんですかー」
頬を緩める彼女と適当に話をしようにも夜は想像以上に厳しく冷え込み、このままでは二人仲良くフランダースになりそうだったので、シャワー後の犬のように(主に俺が)震えながら帰途に就いた。
帰り道は車にもお目にかからず、静かなものだった。
「で? どうだった。告白はうまくいったのか?」
「そっちから聞かせろよ」
「してないが」
「この裏切り者!!」
「はっはっは騙されやがってwwwでwwそっちはどうだったんだww告白はちゃんとしたんだろうな」
「した。さらに。さらにだね」
「げ、まさか」
「そのまさかだよ」
「玉砕したのかドンマイドンマイ」
「成功しましたぁぁあああイェエエエエエイ!!!」
「まあそう肩を落とすな。女なんて星の数ほどいるぞ、星には手が届かないが」
「付き合うことになったんだよぅ!」
「許せん。粛清の対象とする」
「ホントにうれしい、今泣いてる」
「良かったな」
「おう!」
「それはそれとして、直接会って伝えたんだろうな」
「…………えっとね」
「まさか電話じゃあるまいな」
「なぜわかった」
「今日から貴様をヘタレの修介と呼びならわす」
「やめて」
「この小心者め」
「ぐぬぬ……ふふん聞こえぬなあ。告白を成功させた俺はもうお前と同じ世界の住人ではないのだ」
「殺す!」
「でもお前、バイト先のコに告白しなかったじゃん」
「始めから望みはなかったんだよ」
「んなこと言ったら俺なんて」
「いや、本当になかった」
「そうかー?」
帰宅後、念願叶って想い人と付き合うことが決定した修介と俺は某メッセージアプリでやり取りしていた。長年の恋を実らせた修介のメッセージには文面にも文体にもリアルな充実感があふれていて、本当に奴が俺の住むこことは違う異世界へと旅立ったのだと実感した。なにそれ俺も行きたい。
ベッドにぐでっと寝そべり、半分だけカーテンの閉じられた窓際を見渡す。部屋の家具の配置は行く前と全く同じだ。そりゃそうか。
そうだ、奴に一つ聞いておくことがあったのだ。
「お前の彼女となってしまった方のお名前を教えろ」
「えへへー」
「はよ」
「沙織さんっていうんだ」
そうだろうと思ったよ。はーやれやれ、
……。
……永遠と思われた片思いが実は熱烈両思いだったとはね。ありきたりなネット小説的空想紛いの非現実と長年決めつけていたがまさか実在していたとは。どこまでも幸福な野郎だ。切ない恋愛もたまには成就するんだな。運命の神様はちゃんと人間を見てる。おかげでこっちは文字通り永遠の片思いだぞボケ。
「そうか」
皮肉の一つでも打ってやろうかとああでもないこうでもないと思案した結果、俺はストレートな暴言を飛ばす。
「このボケナス」
「何だ急に」
「なぜか罵りたくなった」
「ええ……」
「幸せにしろよ」
「なんだそのヒロインに選ばれなかった恋のライバルが主人公を励ますようなセリフは」
「ふっ、……鋭い」
「もしかしてお前も沙織さんのことが」
「不正解」
「何だよー」
「バイト先の後輩」
「何ィ⁉」
……。
まあいいか嬉しそうだし。友人の片思いは両想いとなって終わった。全て終わったんだ。こちらの片思いにけりをつけるのを後押ししてくれたようなものだ。かつて哀れだった友人にようやく訪れた春を祝福してやらんならまだしもみすみす汚すような真似はしたくない。
ふふ、唇の端から笑いが漏れる。
温かいコーヒーを淹れた。こぽぽ、と熱湯がドリップバッグに流れこむのを珍しくじっくり観察していた。苦かった。砂糖を追加だ。
キュルキュルと音を鳴らし窓を開け、ベランダに出た。他人事みたいに冷たい空気が俺の手に、頬に、首にまとわりつく。
マグカップを抱えるように持ち、手すりに体重を預ける。
空は瞑目したくなるような平穏な静寂を保ったまま、ごうごうと耳元で夜風が雄叫びを上げる。街灯が点滅している。すっかり真夜中の風景だった。
『ぽっかりと心に穴が開いた』
『気づけばあなたのことばかり考える』
『いつしか私は――』
口笛を吹いた。悲しい音色が白く尾を引いて、広がり、かき消される。
その中にどうしても払拭できないわだかまりを感じ取り、
「……寂しいな」
一人ごちる自分がいた。
悲恋は嫌だと言われたらァ!
答えてあげるが世の情け!
作者のメンタルの破壊を防ぐため!
作者のメンタルの平和を守るため!
愛と真実の創作を貫く!
ラブリーチャーミーな敵役ゥ!
「斬新なアイデア」!
「十分な時間」!
天下をかけるこの小説を読んでくれた人にはァ!
ラブリーライフ、充実した明日が待ってるぜ!
にゃぁぁんてにゃあ!
ソォォォォシャルディスタンスッ!