使用者のいなくなった団長室。その中に先生がいる。ただ立ち尽くして、過去に思いを馳せているようだ。
「先生…あなたは今、ここで何をしているの。一度立ち止まっているだけ?それとも、蹲って動けなくなってしまっているの?」
先生の目元には涙の痕がある。この人も泣く事があるのだと、失礼ながらそう思う。
「別に、どっちでもいい」
どっちでもいい、か。先生らしからぬ答えだ。先生は今、失意の底にいる。家族を失った悲しみ…想像はできるが、私のそれとはまた違うものだろう。
「人の悲しみは、その人にしかわからない。私も同情する事はできる。でもそれ以上はできない。実験と称して非道な行いを続けていた謎の組織…騎士団が大規模な調査を行っていて、じきに発見できるでしょう」
「……!」
先生は拳を強く握り締める。目にも光が戻りつつある。やはり、先生はそうでなくては。
でも、ひとつだけ懸念しなければならない事がある。先生には進み続けては欲しいが…道を間違えてほしくは無い。
「先生、貴方の怒りや悲しみは正当なものよ。復讐や仇討ちを望むのも自然な事。でも…貴方が今、一番やらなければならない事。明日までには済ませておくことね」
先生は手に持った本を机の中に入れ、無言で外に出て行った。
……その場に残った私は、その本の中を見る。
騎士団長、ジェラルトの日記だった。多少の罪悪感に苛まれながらも、ページをパラパラと覗き見る。
「ハルスが拾われた日……この日ね。やはり…女神の眷属との関わりは無い…?それならば、あの力は一体どこから…」
どれだけページを捲っても満足しきれる答えは書いたなかった。団長も完全に理解している訳では無かった、ということだろうか。
「答えは出せない…と言うことかしら」
静かに本を閉じ、元あった場所にしまう。
「今のことを考えるべき…ね。わかってるわよね、先生」
先生の憔悴ぶりも目に余ったが、ハルスはそれ以上だ。
部屋に閉じ籠り、食事もまともにとっていない。扉の前に立てば、啜り泣く声が聞こえる。
部屋に入ろうにも開けてくれず、どうしようもない状況だった。
任せたわよ、先生。
「せーんせ、ちょっとだけお話し、良いですか?」
「ヒルダ、後にしてもらっても良いかな」
ベレスが団長室を出て直ぐに、ヒルダから声をかけられた。でも、今の優先事項は…
「…それなら良かったです。私達じゃ、駄目でしたから」
ヒルダは悲しげな表情で俯いた。いつもの天真爛漫といった一面からは少し想像ができないが、彼女は思った以上に周りのことを見ている。頼りになるお姉さん、といったところか。
「ありがとうね、ヒルダ。……ハルの事、気にかけてくれて。部屋にいるよね」
「はい、元気になった姿、私も見たいので。よろしくお願いしますねー!」
いつも通りの笑顔に戻り、私を送り出してくれた。
急がなければならない。軽く小走りでハルスの部屋に向かう。
「あ…先生……」
ハルスの部屋の前にベルナデッタがいた。いつもなら自室に引きこもっているものなのだが。
「その…ハルスちゃんのこと…よろしくお願いします。私も部屋に入れてくれないから…先生なら、大丈夫だと思うので…はい」
彼女も…妹の良い友達になってくれた。
「ベルナデッタも、ありがとう」
「い、いえ…こんな事しか出来ませんから…」
ここからは、私の出番だ。
「ハル、いる?」
扉を軽く叩いてから声をかけるが、反応は無い。
「……入るよ」
扉に手をかけたが、鍵がかかっている。
「…ハル、開けてくれる?」
それでも反応は無い。こうなったら…
私は力一杯扉を蹴り飛ばした。大きな音を立てて、両開きの扉は壊れた。
中には、部屋の隅で蹲っているハルスがいた。生気の無い瞳でこちらを見ている。
「……こないで」
すぐに視線を逸らして、そう言った。
「ハル…」
私はハルスに近づいて、手を伸ばす。
「や、やめて…近寄らないで!」
怯えた様な視線に変わり、私の手を払い除ける。
「あぅ…ご、ごめん、なさい…ごめんなさい…!」
急に私に向かって謝り始めた。頭の中がごちゃごちゃなのだろう。
「ハル…大丈夫だよ、大丈夫」
ハルスの小さな身体を、私が力一杯抱き締める。
「…あ、あぁ…うぅぅ…!」
「大丈夫だから…ハル。私は、ここにいるよ」
私の胸の中で泣き始めた。一杯泣いて、落ち着いてもらおう。今の状態では、話すことも話せない。
時折、頭を撫でたり、背中をさすったりして落ち着かせる。
「わ、私…お父さんに、酷いこと…!私が…!」
きっと、薄らと記憶が残っているのだろう。暴れ回り、最後には父さんにも襲いかかった事で、気に病んでいるのだろう。
「私が、私なんていなければ…!」
「…それは違う!」
抱きしめていた手を肩に置き、顔を上げる様にして目と目を合わせる様に向かい合う。
私が声を荒げたために、ハルは震えてこちらを見る。
「ハル…違うよ。ハルは私の妹で、父さんの娘。その関係は絶対に変わらない。だから父さんは、ハルのために戦ったの。だから…そんなこと言わないで」
もう、ハルスがいない生活なんて考えられない。
ハルスが自分のことで悩んでいるのは知っていた。私達のことを名前で呼ぶ様になったのは、反抗期や成長につれてでは無く、自分が本当の家族じゃ無いと知ってからすぐの事だったからだ。
「お、おねえ…ちゃん…怖い…。私、自分が…怖いの…!また…いつああなるか…わからないから…!」
声を震わせながら、私にそう告白する。
私は…ただ、抱き締める。もう…そんな事は起きない様に、強く抱き締める。
「わ、私…もう…戦いたくない…!」
「ハル……そう、私が…守るから、大丈夫。絶対に…絶対に…!」
私がもっと頑張れば良いだけの話だ。ハルスだけは…絶対に守って見せる。もう、離さない。