24話
窓から日が差し込む静かな部屋。そこには大きめのベッドと、そこで眠る少女が一人。
窓の外を見渡せば、城壁と街が広がる。ここは帝都アンヴァル。その城の一室である。
「…おはよう。目は覚めた?」
真っ白な髪を揺らして、少女はベッドの上でもぞもぞと動く。
私の罪の…覚悟の証である少女、ハルス。
どうやら、まだ微睡みの中にいるようだ。目を覚ますのはもう少し後になるだろう。ベッドの端に座り、起きないように軽く頭を撫でる。
「んぅ… お姉ちゃ…」
…胸が締め付けられるような思いだ。もう暫くはここにいるつもりだったが、執務室へと戻ることにした。
当面の問題は、クロードによって介入を阻止されている同盟への侵攻だ。だが、戦力はこちらが圧倒的に有利。制圧は時間の問題だろう。王国は…もはや問題にはならないだろう。
あと少しで、このフォドラの大地の統一が成される。
「私の…悲願がっ…!」
多くのものを踏み躙って来た。私は、それに報いなければならない。
自然と手に力が入る。持っていたペンを折ってしまってから、冷静さを取り戻し、窓の外へ視線を向ける。
…そういえば今日は、本来であれば千年祭の日…か。
学級の皆と約束をした、再会の日。
「…………はぁ」
誰にも気づかれないように、外出の準備を進める。皇帝という立場上、自由に出歩くこともままならない。もっとも、護衛も無しに出歩く方がよっぽどおかしいのだが。
だが、余計な人間を連れて行く気にはならないため、一人で行くこととする。過去を後悔することは無い。それでも、振り向きたくなる時はある。
「…どこか、いくの?」
扉を少しだけ開いて、ハルスが覗き込んでいた。不安そうな表情で私を見つめる。
「…えぇ。少しね」
「私も、いく」
部屋に入り、私の腰へとしがみつく。上目遣いで、潤んだ瞳を私に向ける。…この子は、変わらない。五年前から、何も。種が違うからか、五年経った今でも変わらない容姿を保ち続けている。
「駄目よ。あなたは待っていなさい。すぐに帰ってくるから」
「…いや。お姉ちゃんと、一緒が…いい」
違う。私は、あなたの姉じゃ無い。そんな目で私を見ないで。
…ハルスは、壊れてしまった。先生の死を目の当たりにしたからだろう。今まで、全てを先生に委ねて来た。そんな光景と事実を受け止められる精神は、ハルスには備わっていなかった。
恐らくは精神を守るため、我が身を委ねる対象である《姉》を作り出してしまったのだ。
「良い子だから、待っていて。……お姉ちゃんの言うこと、聞いてくれるかしら」
「…う、うん。…早く帰って来て…ね?」
手を繋いで、寝室へと連れて行く。ハルスは不安げな表情をしながらも、我慢するように手を振って私を見送る。
「………っ!」
壁を拳で強く打ち付ける。
気持ち悪い。吐き気がする。私は、私は何をやっているんだ。私は彼女の姉じゃない。それは、先生にしか務まらない役目だ。ハルスが私を姉と言おうが、それだけは変わらない。それなのに、都合の良い時だけは姉を振る舞う。
ああ、本当に気持ち悪い。ハルスの大切なものを奪った私が逆に慕われるなんて。
「エーデルガルト様」
「…ヒューベルト?」
私の一番の忠臣が、馬車を用意して待っていた。私は何も言っていないのだが…どうやらお見通しだったようだ。
「最小限の護衛は付けさせていただきます。ハルス殿には人を付けておきました」
「…ありがとう」
まだ夜も明けぬ内に帝都を出る。修道院跡に着くのは明け方だろうか。
「…先生」
私は、どうしたら良いのだろう。
「会えるはずも無いのに、来てしまった…。あれから五年も経つのね…」
いざ来てみると、時の流れをより重く感じる。まやかしで終わる筈だった士官学校での生活。あの頃のような平穏が失われた事を、僅かながら哀しく思うとは…私は随分と気に入っていたようだ。あの日々を。
「………」
しかし、視界に広がるのは荒れ果てた修道院。あの日々は戻らない。私が壊した。
「誰っ…! え…?」
背後に気配を感じた。私を狙うどこかからのの刺客か。そう思い剣に手を添えるが…顔を見たら、すぐにその手を収めることになった。
「そん…な、先生っ…? 生きてっ…」
…五年前に崖の下へと落ちて行方知れずとなった先生が、私の前へと立っている。
夢では…無い。間違いなく現実だ。
「今まで何をっ……いや、そんなことはいいわ。私と、共に来る気は無いかしら」
「…それは、できない」
期待はしていなかったが、拒絶はやはり堪えるものがある。
「…そう。ならば…呑気に言葉を交わしている場合じゃない!」
「くっ…エーデルガルトっ…」
腰に携えた剣を抜き、斬りかかる。それに対して、先生は天帝の剣にて応戦。互いの剣が交わる。
「剣は容易く交わると言うのに、私たちの道は決して交わらない!」
静かな修道院に剣戟の音が響く。実力は殆ど拮抗している。双方とも、このままでは決めては無いだろう。
交差した剣での押し合い。暫く睨み合った後、振り払い距離を取る。
「また会いましょう、先生。次は…無いと良いわね」
ここで争うのは私の本意では無い。足早にその場を去る。これ以上言葉を交わしてしまえば、いらぬ情が湧きかねない。…もっとも、それが一番の理由とは言えないだろうが。
「…っ! 待って!」
先生が私を、声を荒げて呼び止める。お互いの距離は離れたままだ。
「ハルがどこにいるか、知ってる?」
それは、それだけは聞かれたくなかった。
「…さぁ、どこにいるのかしら。今となっては、私にもっ…わからないっ…!」
ハルスは、あの頃のハルスはもういない。私が殺した。今、帝都にいるのはハルスであって、そうじゃない。
言えるわけがないじゃない。先生に、ハルスが壊れてしまったなんて。それに、ハルスを渡す事も出来ない。ただでさえ不安定だったのに、また環境を急に変えるなんて、今のあの子が耐えられるとは思えない。
「ごめんなさいっ…ごめんなさいっ…!」
信頼のおけた先生を一人にし、大事にしたいと思った少女の道を狂わせた。あぁ、気持ち悪い。でも、止まるわけにはいかない。そう決めたのだから。このフォドラの大地を変えてみせると。
だから、後悔の涙なんて見せてはいけない。いや、流してなんかいない。前に、前に進まなければ。