実況パートは11日目から
深夜の一件から数時間。カーテンの向こうから朝陽が射し込んできた頃、慈は氷水で濡らしたタオルを絞り、アナスタシアの額に置く。
それから頬や首の汗を乾いたタオルで拭い、布団を首元まで上げて一息付いた。
「……っ、ふぅ……」
立ち上がろうとして──くらりと目眩が起きた。倒れそうになった体を咄嗟にくるみが支えて、そっとパイプ椅子に座らせる。
「めぐねえ、大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫よ」
「嘘つけよ……あれから五時間はぶっ通しで看病してるだろ、あたしらに任せて一旦寝た方がいいと思うぞ?」
「いえ、そういうわけには。薬は打ちましたが……万が一アナスタシアさんを通して誰かが感染してしまったら問題ですので……」
布団から出されたアナスタシアの左腕には、傷口を隠すように巻かれた包帯があった。その少し下に注射痕があり、机の救急箱の傍らには打ち終えた注射が転がっている。
「……だからあたしに看病させないようにしてたのか。その万が一がめぐねえだけで済むから」
「はい。ですので、今日1日、ここに近付かないように言っておいてくれませんか……?」
椅子に体重を預けてそっとまぶたを閉じた慈が、くるみの返事を聞く前に、器用にそのまま寝息を立て始める。仕方ないとばかりに髪を掻いて、ため息をついたくるみは慈の体に布団を掛けてから、袋に人数分の保存食を詰めて部屋を出た。
「──というわけで、アナスタシアさん感染しちゃったから部屋に近づくなよ」
「どういうわけ……?」
「はいこれ今日の分の飯」
「あ、うん。生徒会室、入れないものね……」
放送室に戻ったくるみはあっけらかんと言い放つ。圭の疑問をさらりと無視しつつ、彼女は悠里に袋に詰めた保存食を渡す。
「じゃ、夜中から五時間は看病しっぱなしで死ぬほど眠いのであたしは寝る」
「……あー、お休みくるみちゃん……」
目に隈を作って凄まじい形相をしたくるみは、有無を言わさず布団に潜り込むとものの数秒で寝息を立てた。悠里はとりあえずと朝食分を取り出して各々に配り、ブロックの栄養食とペットボトルの飲料水を開ける。
「……めぐねえたち、大丈夫かしら」
「どうでしょうね。薬の効果を信じるしかありませんし……というか、アナスタシアさんが助からなかったとして、私たちの中で戦えるのってもしかしてくるみ先輩だけだったりしません?」
「誰も言わないようにしてたのに美紀さぁ……」
すっと美紀の口から出た疑問に、圭は呆れたように返す。くつくつと小さく笑う悠里は、ハンカチでゆきの口周りに付いた保存食の欠片を拭う。それからイビキでも掻いていそうなくらい深く寝入っているくるみに視線を移して表情を歪めた。
──仮眠から一時間、微睡みから意識が浮上した慈はいつの間にか体に被せられていた布団が身じろぎした際床に落ちた音を耳にする。
「んっ……ふぁあ、ぁふ」
あくびを漏らして体を伸ばし、少し眠気も覚めてすっきりした頭でアナスタシアの看病を再開する。額のタオルを変え、布団をめくってから別のタオルで汗を拭いてゆく。
続けて腕の噛み傷を消毒し直して違うガーゼを当てて包帯を巻き、そっと布団に置いた。
「……アナスタシアさん」
眠ってはいるが、呼吸が荒く汗も掻いている。今この瞬間も、彼女は侵入したウイルスと戦っているのだろう。薬が効くことを祈るしかなく──祈ることしかできない自分に苛立つ。
「……貴女がこんな目に遭っているのに、私は……。自分を貶めるなって言われても、無理ですよ、アナスタシアさん……!」
みっともない。情けない。こんな事態にならないと何も出来ない自分が嫌になる。変わりたい。変わりたい──変わ
「──お借りしますね」
布団の傍らに座ると、アナスタシアの荷物からナックルと一体化しているナイフを取り出し、力強く握る。変わりたいなどと、甘えている自分が嫌になる。そして、その刃を自身に向けて。
「…………ああ、少し、勿体ない」
ざくりと──慈は背中に纏めていた髪を一思いにバッサリと切り落とした。
「……っ、ぅ、あ……メグ、ミ……?」
そこでちょうど、気だるい感覚と体の重さに苦労しながら目を覚ましたアナスタシアが慈を視界に捉える。首元まで髪を切った慈の姿に、起きて早々彼女は疑問符を頭に浮かべていた。
「──???」
「……おはようございます。体の具合はいかがですか? とりあえずお水を」
「……髪、なんで……?」
「これは、その──決意表明、です」
ナイフを枕元に置き、髪の束を汚れたガーゼと包帯ごとゴミ袋に捨てながらそんな事を言う。
布団の上に座って水を飲むアナスタシアは、ショートヘアーになった慈を珍しい物を見るように観察する。水を飲み干したコップを受け取り机に置くと、慈は彼女に向けて口を開く。
「貴女だけに戦わせない、貴女に守られてばかりの弱い人間にはならない。そんな……弱っちい女の、しょうもない決意表明です」
アナスタシアの座る布団に上がり、慈は彼女の前に座り、おもむろに顔を近づけ──アナスタシアの唇をついばむようなキスをした。
「──んっ、んぅ、ちゅぅ」
「────っ!!」
──人から人へと噛まれて感染するのなら、すなわち、粘膜接触でも感染しかねない。
それを察したアナスタシアは、突き飛ばすように慈を自分から引き剥がした。
「っ、バカ──なにを、考えている……!?」
「…………ふふ、これで、私も感染したかもしれませんね。お揃いですよ」
肩を掴むアナスタシアの手が震え、慈の行動に怒りを露にする。
「どうしてこんな……、自分がなにをしたのか分かっているのか──!!」
「分かってます!」
「っ……!」
だめ押しとばかりに慈は再度口付けを交わす。歯が当たるくらいの勢いで飛び付き、いつぞやとは逆に彼女がアナスタシアを押し倒す。
「──貴女がどこから来た、どんな人間なのか知りたかった! 私たちとは違う存在なんだろうなって、薄々分かっていました!」
聞いたこともない慈の怒声。
アナスタシアは疲れきった体で抵抗できず、逆に肩を掴まれたまま彼女の言葉を聞く。
「そんな貴女を好きになってしまって、傍に居てくれるだけで良かった。言いたくないなら何も言わなくても良かった。
でも、こんなことになって──貴女だけが感染して、私たちがなんともないなんて、それこそ貴女が独りになってしまう。そんなの、救われないじゃないですか……!」
ぽたぽたと涙が頬を伝い、アナスタシアの頬に落ちる。抵抗できないまま、慈が覆い被さる動きに何も言えず──次のキスも受け入れた。
「……いっそ何処までも、一緒に地獄に堕ちるのって──素敵だと思いませんか?」
「──もう既に
──欲張りだな。と、アナスタシアは薄く笑って慈の背中に腕を回した。熱い吐息が顔に当たり、二人が完全にその気になった瞬間。
ぐう、とアナスタシアの腹の虫が鳴いた。
「……む、む」
「……ふふっ」
──まずはご飯ですね。
残念そうに、少しホッとしたように、慈はそう言った。そして地下室から回収した保存食から、レトルトのお粥を取り出して温める。
「──メグミ」
「はい?」
台所に立つ慈に声を掛け、振り返った彼女にアナスタシアはあっけらかんと言った。
「
「……すみません、ロシア語はちょっと」
頭に疑問符を浮かべた慈はアナスタシアの言葉を理解できずに首を傾げる。
聞き取れないことを分かっている前提でそう言ったアナスタシアは、満足気に笑みを浮かべて、なんでもないとかぶりを振っていた。
──それから食事を済ませて更に数時間、慈の体調に変化が起きないことから、彼女は感染していないのかもしれないと判断した。
そして生徒会室の扉を開けて廊下に出ると、ずっと待っていたのだろう生徒たちと
「めぐねえ────失恋した?」
「違いますけど……!?」
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