バカが魔法少女になった話   作:わらしべいべー

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なんでこんなに遅れてしまったんだ…(困惑)
遅れてすんませんでしたぁー!
結構長くなったので二つに分けて投稿しまっしゅ。



百江なぎさ②

 

 

 

 冷蔵庫の中がすっからかんだということに気づいた二人は近所のスーパーに来ていた。

 スーパーの買い物カゴに色々な種類のチーズを放り込んでいくなぎさ。

 

「チーズばっかだな。好きなのやっぱり」

 

「好きなのはお母さんなのです。今度お見舞いに行くときに持っていこうと思ってるのです」

 

「にゃるほど。 あっ!これとか美味しそうじゃないか? 味付きチーズ!苺味だって!食べたい!」

 

「だいりはチーズが好きなのです?」

 

「ん? 俺っちは好きだぞ、チーズ。保存はきくし、いつ食べても美味しいからな! 昔はよくお世話になったわ〜」

 

「へー」

 

「なぎっちは嫌い?チーズ」

 

「…そういうわけじゃないのです。特別好きでも嫌いでもない。普通なのです」

 

「ふーん……いてっ!」

 

 なぎさはこっそりと買い物カゴへ向かう菓子を持った腕をはたき落とす。「ケチ…」となんか言ってるが無視だ。

 そういえば長く手料理というのもつくっていなかった。だいりが来る前はずっとインスタント食品で賄っていたから久しく自分で食事も作っていない。今思えば我ながらかなり不健康な生活を送っていたと自覚する。

 

 先日の出来事から二人の間のある隔たりは随分と無くなった。朝起きた時、なぎさは恥ずかしさで悶絶していたが、なんだかんだでだいりを信頼するようになった。だいりもだいりで先日のことを特別気にすることもなく、いつも通りだ。

 

 なぎさは買い物カゴが乗っているカートを引きながら自分の母親のことを少し考える。

 お母さんの病気を治す。なぎさはそう心で決めた。だがお母さん自身はどう思っているのかがわからない。治したところで元の優しいお母さんに戻る保証などどこにもないのだ。

 だからなぎさはお母さんに魔法少女の願いのことを告げることを決めた。なぎさが欲しいのは母親からの愛だ。だからなぎさがお母さんの病気を治したという事実を作り、その恩を着せる。そうすればきっとまたお母さんはなぎさに優しくしてくれる。

 願いのことを言えばきっとお母さんは変わってくれる。そう信じていた。

 

「ま、なぎっちが元気になって何よりだねー」

 

「わっ!」

 

 そうだいりはなぎさに背中から抱きつく。なぎさは驚いて思わず押していたカートを倒しそうになる。

 

「な、何するのです!?」

 

「いやー、なぎっちは可愛いなーって」

 

 そう言いながらだいりはなぎさの頬をうりうりと撫でくりまわす。

 

「うむむ〜」

 

 なぎさは少し照れた。先日のことといい、誰かとこんなに距離を近く接したのはずいぶん久しぶりだったからだ。しかしいつの間にかなぎさもだいりのこういった行動に対して特別嫌に思うことは無くなっていた。

 チラリとだいりの顔を見る。相変わらず顔は怖いし、普段はバカなことばかりしているが、悪い人間ではなかった。

 

 …いつかだいりも自分の側から離れていってしまうのだろうか。

 

 慌ててその考えを頭から振り払い、誤魔化すようにチーズを乱雑にカゴに入れ、そのまま会計を済ませるためにレジに向かった。

 

 

(…何を考えているのです。なぎさはお母さんが戻ってくればそれで良いのです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●●●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病室のベッドに1人の女性がいた。女性は上半身を起こし、病室の開いた窓の外の雨模様をじっと見ている。

 その顔は少しやつれており、心なしか瞳も虚ろだ。まるで一切の希望もなくしたかのようなその瞳はどこを見るわけでもなくただ虚空を見つめている。

 

 看護婦の人が声をかけてもあまり反応を示さず、感情の抜け落ちた必要最低限の会釈しかしない。幽霊などと言われても納得してしまう。

 担当の若い看護婦は病院食がのっているトレイを目の前に置くと、彼女を不気味に思ったのか足早に病室を出て行ってしまった。これが今の彼女の毎日である。

 ただ呆然と何かがあるわけでもない空を見つめながら、一人で消耗品のように過ごしていく毎日。病院内の人たちには不気味がられ、見舞いにくる人も自身の一人娘を除いて存在しない。

 

 かつて世間で栄光を輝かせた彼女は最早存在しない。ただこの病室で1日を無為に過ごすだけの乾いた人間になってしまった。

 

 目の前に用意された病院食を食べる気も起きず、そのまま捨ててしまおうかと思ったその時、コンコンと病室の扉がノックされる音が聞こえた。

 看護婦は基本的に不気味がって食事や掃除など、必要最低限の仕事以外はここに入ってこず、先程食事は用意したばかりだ。つまり看護婦ではなくお見舞い。そして彼女に来る見舞いの人物は一人しかいなかった。ガラリと扉が開く。

 

「お母さん!お見舞いに来たのです!」

 

 元気な声で病室に入ってきたのは彼女の一人娘、なぎさだ。今となっては彼女にこうしてお見舞いに来るのはなぎさだけだ。

 なぎさは母親である彼女に駆け寄って、持っている袋から何かを取り出す。

 

「はいっ!これチーズなのです!」

 

 手に持ったチーズを差し出す。よく袋を見てみると内容物は全てチーズであった。なぎさはこうして見舞いに来るたびに沢山のチーズを買ってくる。確かに彼女はチーズが好きだったし、病院側からも特に禁止されていないが、今の彼女はそんな気分ではなかった。

 

「…いらないわ。そんなに沢山食べられないもの…」

 

「大丈夫なのです。余った分はなぎさが食べるのです」

 

「いらないわ」

 

 先程よりも強く言われたことでなぎさは引き下がってしまう。以前来た時よりも顔から生気が失せ、声もどこか弱々しくなってしまっている。以前よりも弱ってしまっているのは明らかだった。

 

「でも何か食べないといけないのです!病院の食事も食べてないのです!」

 

「それよりも、あの人は帰ってきた?」

 

 あの人。出て行ったなぎさの父親のことだ。彼女はなぎさが見舞いにくるたびにこのことを聞いてくる。当然、帰ってきてなどいない。だが、

 

「お、お父さんは……まだ…出かけているのです。で、でもすごく心配してたのです!本当なのです!」

 

「嘘ばっかり」

 

「っ」

 

「嘘つきよ。あなたも、あの人も、周りのみんなも」

 

「ずっと一緒にいるとか言っておきながら、私を捨てて、それで私が病気になったら周りも寄ってたかって私を責め立てるの。みんな私が悪いとか、あいつは悪女だとか、そんな奴だと思ってたとか。ざまぁみろって」

 

「そんなことないのです!お母さんは、お母さんは…!」

 

「何?なぎさ。貴方も私が悪いって言うの?そうよね、こんな酷いことするような母親。別の人が母親になった方がマシだったでしょ」

 

「違うのです!なぎさは本当にお母さんがお母さんでよかったと思っているのです。だってなぎさにとってお母さんは大切な家族だからなのです」

 

 家族。そんな言葉が、娘の盲目的な純真さが頭を掻き乱す。

 

「そんなこと言っても貴方は私の母親になれないのよ!なりたくないのよ!これ以上私を責めないでよ!!」

 

 そう叫んで机の上の病院食を床にぶちまける。びくりとなぎさの肩が跳ねて、真っ白な床が色鮮やかな食材に彩られる。

 

「貴方を産んでよかったですって言わなきゃいけないの!?よかったフリをしないのいけないの!?もう嫌なのよ!貴方まで私を責めるの!?」

 

「な、なぎさは…、」

 

 なぎさは元のお母さんに戻って欲しいだけなのです。優しくて、一緒に寝てくれて、笑顔で頭を撫でてくれるあの頃のお母さんに。

 だがなぎさはそれは言えなかった。それでは今のお母さんがダメだと言っているようなものである。それを言ってしまえばなぎさはもっとお母さんに嫌われてしまう。それは嫌だった。

 

 

「……ほら、わかったらさっさと行きなさいよ。もうお見舞いにも来なくていいわ」

 

 そう見捨てるように言ったお母さんはまた窓の方に顔を戻してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お母さんは、なぎさがどんな願いを叶えられるって言ったら、どうするのです?」

 

 

 

 

 

 

 なぎさの突拍子のない発言に思わず顔をなぎさの方に向ける。なぎさは少し迷いを見せながらも真っ直ぐこちらを見ている。

 

「なぎさは、ずっと前から変な生き物に付き纏われてるのです。そいつはどんな願いでも叶えてくれるって言うのです」

 

「これならお母さんの病気もきっと治るのです!そしたらきっと元気になるのです!そしたらまたきっt」

 

 

 

 

「だったら殺して」

 

 

 

 

「え?」

 

 

「殺してって言ってるの。私を馬鹿にした奴らも、私を捨てたあの人も、みんなみんな殺してよ」

 

「え、ぁ…び、病気は…」

 

「病気なんてどうでも良いの!こんなの治ったからってどうするっていうのよ!あの人が帰ってくるの!?周りの奴らが優しくなるの!?」

 

「だ、だったら…!」

 

「そもそも貴方が産まれたから!貴方さえ産まれてこなかったら!こんなことにならなかったのよ!もう何もかも手遅れなのよ!貴方のせいで!」

 

 

「どうしたの?願いを叶えてくれるんでしょ?叶えてよ!殺してよ!!皆んな殺してよ!!」

 

 

「やらないなら出ていけ!! 二度とここに来るな!!お前なんか私の子供じゃない!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●●●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人になった病室で静かに息をつく。

 今まであの子とは何度か喧嘩はしてきた。その度に煩わしさを感じていたけれど、もう私はあの子との縁を切った。これで私はあの子の親でも何でもない。

 最後に変なことを言っていたけれど、これでもうあの子は私に会いにくることはないはずだ。清々したわ。

 ふとあの子の持ってきた市販のチーズに目が行く。わざわざ毎回私のために買ってくるなんて、本当に馬鹿な子だ。こんな物を持ってきたところで私の気が良くなるわけでもないのに。

 そう思うと私は再び窓に顔を向ける。相変わらず外はひどい雨だ。雨水に当てられて大きな音と共に草木が激しく揺れている。

 

 そんな時にふとさっきのあの子の顔を思い出す。生意気にも私のことを本気で心配する顔を。私に必死にしがみつこうとするあの子の顔を。

 

 ーーっ

 

 急に腹が立ってきた。

 あの子に私の気持ちの何がわかるっていうのよ。ただ生まれてきただけのあなたは何もわからないくせに。そんな顔で縋るんじゃないわよ。

 

 私は昔から一度たった気はなかなか収まらない。このままイライラしっぱなしは嫌なので何か気を紛らわせようと考える。ふと、あの子が持ってきたチーズがあったのを思い出す。あの子が持ってきた物を食べるのは正直癪だが、今はこのイライラを何とかして紛らわせたかった。

 

 私はチーズのある棚に手を伸ばそうと体を反対側に向けてチーズを手に取ろうとする。

 しかしそこに目的のチーズはなかった。

 

 

「チーズうまー」

 

「……は?」

 

 

 ふと声のする方を見てみると、変な赤い顔マスクをかぶっている不審者がチーズを貪り食っていた。

 いや誰よ!?

 

「だ、誰よあなた!」

 

「あ、お邪魔してチーズ頂いてまーす」

 

「そんなの見たらわかるわよ! あなたは誰って聞いてるの!」

 

「地獄からの使者、スッパイダーマッ!!」

 

「答えになってないわ!!」

 

 何なのよこいつは!私はこいつを追い出そうと、慌ててナースコールを探す。しかしどこにも見当たらない。…そういえば前に私が壊してしまったんだった。この時間は看護婦もほとんど来ないので誰かに頼ってこいつを追い出すことはできないだろう。

 と、とにかく何が目的なのかを聞かないと…。当然私にこんな変な知り合いなんていないし、病室を間違えたという可能性もまだ無いこともない。もしかしたら私のお金目当ての親戚という可能性もある。入院した当初は私の資金目当てに親戚を名乗る奴らが何人か来た。その時は怒って無理矢理追い返して、以来来なくなったが、まさかまたそういう手の奴か?

 

「な、何が目的なの? お金なら渡さないわよ…!」

 

「何でお金? まぁいいや。 俺っちは雪野だいり。なぎっちのマブダチだ」

 

「なぎっち…? もしかしてなぎさのこと?」

 

 まさかこいつはあの子の知り合いなのだろうか。前から学校のことはあまり話さなかったけど、まさかこんな年上の人と弛んでいたなんて。

 

「そうそう、なぎっちから母親の話を何回か聞いたからさ、どんな人かなーって思ってこうして来たってわけ」

 

「……そう、なら帰って。あなたと話すことなんて無いわよ」

 

「いーじゃん、ちょっとお話ししよーぜ。ほらっ、レアチーズケーキ買って来たしさー。チーズ大好きなんでしょ?」

 

 そう言ってだいりと名乗る少女はポリ袋の中から箱を取り出し、それを開くと中からレアチーズケーキが現れた。見るに有名スイーツ店の見滝原支店の限定品だろう。

 

「…いらないわ」

 

「目、泳いでるけど」

 

 くっ、こんな姑息な手で…! 行きつけのチーズケーキならまだ耐えれたのに!大体こいつの態度は何なの!?目上の人を敬う態度がまるでなってないわ!なんであの子はこんな奴と…。

 

「……ぷふっ」

 

「…! あ、あなた今笑ったわね!私のことを笑ったわね!」

 

「い、いやあんまりにもおばさんがなぎっちに似てるから……ぶふふっ」

 

「笑うなぁ!!あと私はおばさんじゃない!!」

 

 

 

 

 

 

「いやー、楽しかった」

 

「………」

 

 覆面を脱いだだいりは良い物を見たとでも言わんばかりに良い顔をしている。

 こっちは全然楽しくなかったわ。こいつのせいでさっきまでの憂いな気持ちが台無しになってしまった。それに、こいつのやり切った感のある顔を見ると無性に腹が立つ。というか目つき悪いわねこいつ。

 

「レアチーズケーキは美味しいでしゅかー?」

 

「うるさい、それ以上言ったら何も話さないわよ」

 

「さーせん」

 

 結局こいつから貰ったレアチーズケーキをプラスチックのフォークで口に運んでいる。………悪く無いわね。

 

「で、何を話に来たのよ貴方」

 

「さっきも言った通りおばさんがどんな人かなーって気になっただけだ。まぁさっきのやり取りで悪い人じゃ無いってことは分かったけど」

 

「はぁ?何でよ」

 

「勘」

 

 …やっぱりふざけているわねこいつ。そんなチーズ片手に人の善悪を見極められたら苦労はしない。私に説教でも垂れて欲しいのかしら。

 

「それよりさおばさん! 気にならない?例えば今なぎっちがどんな生活してるとかさ〜」

 

「どうでも良いわね」

 

「実はさ、昨日なぎっちがなー」

 

 人の話を聞かないわねこいつ!さっきから私の気に触ることばっかりして!わざとなんじゃ無いの!?

 

「あ、そうそう。今俺っちなぎっちの家に住んでるんだよねー」

 

「は?」

 

 今こいつなんて言った?住んでいる?こいつが?私の家に?

 

「路頭に迷ってるとこをなぎっちに拾われてな。なぎっち公認で暮らさせてもらってるってわけ」

 

「…勝手なことを」

 

 何か変だと思ったらこんな奴を家に招き入れてたなんて。あの子には後でキツく言っておく必要が………いえ、何を考えているの。もう行かない家も、もう会わない娘のこともどうでも良いわ。

 

「それでさそれでさ、話の続きなんだけどーー」

 

「だからいいって言ってるでしょ!?」

 

 私が怒鳴ってもこいつは話を止めようとしない。あの子なら今ので萎縮して大人しく帰るのに…。

 私はこれ以上の抵抗は体力の無駄と決めた。なので甚だ不本意だが、仕方なしにこいつが飽きるまで話を聞くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

「でさでさ、なぎっちがさー」

 

 

 …話が全く終わらない!!

 軽く一時間は経っているのに全く話が終わらない!しかもすっごい嬉しそうに話すし!!修学旅行の夜に恋バナに熱中する小学生かお前は!!よくもまぁそんなに話題がつかないわね!!

 

 

「…ちょっと」

 

「そこで俺っちがさー」

 

「ちょっと!」

 

「ドカンと一発……え、何?おばさん」

 

「……もういいわ。聞き疲れた」

 

「えぇー、ここからが面白いことろなのに」

 

「面白いところなのにー、じゃ無いでしょ!もう日が暮れてるじゃない!いつまで話し続けるつもりなのよ!!」

 

「……閉院まで?」

 

「私が持たないわ!」

 

 こいつ本気で閉院まで話し続けるつもりだったようだ。恐ろしい奴だ。正直もうこいつの声を聞きたくない。

 

「うーん、じゃあさ、次はおばさんがなんか話してよ。聞いてばっかりじゃつまんなかったろうし」

 

「…いや、そういうことじゃ」

 

「質問とかでもいいよ!知りたいことなんでも答えてしんぜよう!ほらおばさん、はーやーくー!」

 

 コイツ本当に人の話を聞かないわね!

 目の前の女は既に謎の期待の眼差しをこちらに向けている。こんなとこに伏せるだけの病人に一体何を期待しているというのか。

 私は大きなため息を一つ落とす。

 

「…じゃあ一つだけ」

 

「どうぞどうぞ」

 

「…貴方はなんであの子と関わるの? 何故あの子を気にかけるの?」

 

「え?そりゃ、なぎっちが友達だからだけど」

 

「普通の友達はそこまで真摯に尽くさないわよ。ましてや一緒に住んでまで寄り添うなんて、殆ど家族じゃない」

 

 さっきの話を聞いてコイツがあの子のことをとても心配しているということは分かった。しかしコイツの話を聞く限り、行動や生活も家族のそれだ。側から見ればさぞかし仲の良い姉妹のように見えたことだろう。

 あまりにもお人好しすぎる。そんなもの人生においては一文の徳にもならないというのに。勿体ない。

 それにそもそもコイツ自体に謎が多すぎる。何故記憶がないのか、何故露頭に迷っていたのか。私はこの雪野だいりの優しさに得体の知れない不気味さを感じていた。

 

 

「うーーん、そうかな?その辺りは分かんないや」

 

「…まぁ、私なんかよりも貴方と家族でいてくれた方がよっぽどあの子は幸せなのでしょうね」

 

 例えコイツがどれだけ得体の知れない奴だとしても、親代わりとしてあの子の面倒を見てくれるというのならば、私よりかはマシな人間である。

 私と一緒にいるよりも、コイツがあの子と一緒にいた方がきっとあの子は幸せなのだ。

 

 

「それは絶対に違う」

 

 

 だいりは私を真っ直ぐと見つめて断言した。

 

「………何故?」

 

「決まってる。なぎっちの母親は世界でおばさん一人だけだからだ」

 

「私は大切な家族とでも?」

 

「少なくともなぎっちはそう思っている」

 

 …でしょうね。じゃなかったら毎回お見舞いになんて来ない。

 

「なぎっちはまたおばさんと一緒に暮らせる日を夢見てる。ずっと帰ってくるのを待っている」

 

「……なんで」

 

「子供が親と一緒に暮らしたいって思うのに理由なんてある?子供が親の温もりを求めるのに理由なんている?」

 

「……」

 

「おばさんがなぎっちのことをどう思ってるかは分かんないけどさ、少なくともなぎっちはおばさんのことを愛してる。きっと今からでも間に合うんじゃないのかな?なぎっちはいつでも受け入れられる準備はできてるからさ!」

 

「………」

 

 ……確かに、彼女の言っていることは正しい。あの子はまだ歳半ばもいかない子供だ。ああして甘えを求めてくるのは自然だ。むしろあの子は私に受け入れてもらおうと努力していた。私がどれだけ冷たくあしらおうと、次に来る時はいつも通りの明るさで病室の扉を開いた。

 あの子は自分で強く生きて、変わろうとしていたのかも知れない。

 

「…くだらないわね」

 

「そう思ってるのはおばさんだけだよ」

 

「それにもう無理よ。私はさっきあの子の全てを否定して、縁を切ったの。私はもうあの子の親では無いわ」

 

「そんなものいくらでも作り直せば良い。生きてる限り関係はやり直せる」

 

「だから私にはもうこの話は関係ないわ」

 

「いや、関係ある」

 

 

「ーーー貴方に何がッ!!」

 

 

 ガシャン!!と空になったケーキ皿が落ちて割れる音が響く。それを聞いた私は急に頭に上った血が引く。

 

 

「私は……」

 

 

「おばさん」

 

「なにぎゅっ!?」

 

 急に口の中に何か入れられた!何!?……チーズ?

 コイツチーズを口に入れてきた!?

 

「美味しい?」

 

「むぐ…………美味しい、けど」

 

「美味しよねー、最近のチーズ。俺っちが昔食べてたやつは固いし不味いしで食えたもんじゃなかったんだけど、今のチーズは美味しくてありがたい」

 

「…何なのよいきなり」

 

「美味しいものを食べたらハッピーな気分になるでしょ?だから今は何も考えずに食べよーぜってこと!」

 

 

「……やっぱり生意気よ貴方」

 

「俺っちはまだ子供だから生意気で良いのです」

 

「あっそ…」

 

 口に入れられた苺味のチーズを食べながら思う。きっといつもの私ならここまで身の内をさらさら話さなかっただろう。普通に無理くりにでも怒鳴り散らかして追い出していたかもしれない。

 何故かはわからないがコイツは不思議と心を許せる感じがする。母性とも違う隣にいても鬱陶しくない、むしろ落ち着くまである。

 

 

 …そういうところがほんの少しだけかつてのあの人に似ている気がする。

 

 

「そういえばさ、さっきなぎっちと縁切ったとか言ってたけどなんかあったの?」

 

「…喧嘩よ。唯の」

 

「…そっか、大丈夫かな なぎっち」

 

「…さぁ、怒鳴った後どこかに行っちゃったから家にでも帰ったんじゃない?」

 

「だといいんだけど」

 

「…そういえばあの子最後に変なことを言ってたわね」

 

「変なこと?」

 

「何でも願いが叶えられるとか何とか。流石に冗談だと思うけど」

 

 

 

「…んぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●●●

 

 

 

 

 

 

 

 拒絶された。拒絶されてしまった。

 

 僅かしかなかった足場が崩れていく感覚を覚えながらなぎさは病院内を当てもなく歩いている。

 かれこれ一時間はこうして何も考えられずに足だけを進めていた。否、考えたくなかった。

 今までに無いくらいの明確な拒絶。そしてなぎさに対する感情。それを聞いてなぎさは本当にお母さんは自分のことが嫌いなのだと認識してしまった。

 それを認めるのがなぎさはどうしても嫌だった。

 

 ふと、病院の屋上に繋がる階段を見つける。その先にある扉は何故か開いていた。この時間は基本的に屋上への立ち入りは禁止されており、鍵もかかっているのだが、今は何故か開いている。

 だが今はそんなことはどうでも良かった。この憂鬱とした気持ちを少しでも風に当たって晴らしたかったなぎさはそのまま屋上への扉に向けて足を運んでいく。

 

 屋上には誰もいなかった。雨もいつの間にか止んでおり、屋上も何も干されていない洗濯棒と大きな貯水タンクがあるくらいの殺風景なものだ。

 なぎさは屋上の柵に前のめりに体を預けた。

 

 …願いを叶えられることを言えば心を変えてくれると信じていた。

  自分のことを見てくれると信じていた。

 

 けど違った。お母さんは最初から自分を見てなんかいなかった。百江なぎさを自分の娘として見てなんかいなかった。もう手遅れだったのだ。

 

 なぎさは最後に放たれた明確な拒絶の言葉こそが家族の禊を切った証だと理解していた。

 

 だがなぎさはまだ諦められなかった。諦められるわけがなかった。なぎさにはもう母親しかいないのだ。母親だけがなぎさの希望なのだ。

 

 

「やぁ、なぎさ。願いは決まったかい?」

 

 無機質な声が響く。ふと、後ろを向くとそこには薄暗いこの場所には不釣り合いな白い毛並みの小動物がいた。普段なら鬱陶しいと一蹴していたそれは今のなぎさにとっては僥倖の産物だった。

 

「……うん、決まったのです」

 

 キュウベェを見たなぎさは決めた。

 何としてでもお母さんを振り向かせて見せる。最早手段は選んでいられない。行き場を無くしてしまったこの願いを無理矢理にでも繋げて見せる。恩を着せて後悔させてやる。

 

 その為に願いを使うのならば何も悔いはない。

 

「そうかい、それはよかった。なら願いを言うんだ。なぎさ」

 

 なぎさは考えた。最も自分を蔑ろにした母親を後悔させるにはどうすれば良いのかを。

 脳裏に浮かぶのは母親が大好きだったチーズで作られたケーキ。

 

「……チーズケーキ。この世で一番美味しいチーズケーキが欲しいのです」

 

「チーズケーキ…そんなもので良いのかい?」

 

 良い。自分の存在意義を認められるならば何でも。

 

 

「お母さんにとって一番美味しいと感じるチーズケーキが欲しいのです!」

 

「わかったよ。君のその願いを叶えよう。おめでとう百江なぎさ。君の願いはエンドロピーを凌駕した」

 

 

 瞬間、なぎさの体から光が溢れた。その光は少しずつ体の中心に収束していき、そしてなぎさの手に収められた。

 光が収まるとポンッという煙と音と共にホールケーキサイズのチーズケーキが現れた。濃密な甘さを感じされる香ばしい匂いがなぎさの鼻腔をつく。

 なぎさが現れたチーズケーキをまじまじと見ていると、自身の指に指輪が一つ嵌められていることに気がついた。

 

「それはソウルジェムだ。魔法少女はそのソウルジェムを使うことで魔法を使ったり、魔法少女の姿に変身することができる。それが無いと魔女と戦うことができない。できるだけ肌身離さず持っておくと良い」

 

 キュウベェはなぎさにソウルジェムの重要性を説く。しかし今のなぎさにとってそんなことはどうでも良かった。このチーズケーキを食べさせて母親に自分を認めさせる。そして自分を無碍にしたことを後悔させる。それしか頭になかった。

 なぎさは急いで母親のところに行こうと屋上の扉に向かう。

 

 しかしその瞬間、なぎさは突然奇妙な浮遊感に支配される。なぎさはこの感覚に覚えがあった。

 

 

「不味い!なぎさ、魔女だ!」

 

 

 キュウベェにそう言われてふと周りを見ると、そこは絵の具をぶちまけたかのような奇怪な空間が広がっていた。使い魔らしきものも何匹か見える。

 なぎさは思わず身を震え上がらせる。以前自分に襲いかかってきたものとはまた別の魔女。魔法少女になったとは言え、果たして今の自分がどこまで戦えるのだろうか。

 

 だがそれ以前になぎさには別の心配があった。

 

「逃げるんだなぎさ!この魔女はかなり強力だ!今の君じゃ勝てる見込みは無い!」

 

「じ、じゃあここの病室は…」

 

「恐らくこの魔女の結界に飲まれているだろう。残念だけどこの病院からは沢山の犠牲者が出るだろうね」

 

「それは…」

 

 それはダメだ。それではお母さんが魔女に殺されてしまう!

 なぎさが自分の願いを母親に証明できなければ願いを叶えた意味がないのだ。

 なぎさは焦った。どうすればお母さんを魔女から助けられるか。だが考えられる手段は一つしかなかった。

 

「…やるしかないのです!」

 

 なぎさは魔法少女の姿に変身する。変身するのは初めてだったが、不思議とどうしたら変身できるかは感覚で分かった。

 それと同時に巨大な犬のような魔女がなぎさの前に現れる。その頭部は超量の髪で覆われていて、顔すら確認できない。形容するに難しい不気味な見た目だった。

 

「なぎさ!」

 

「五月蝿いのです!なぎさは、なぎさはコイツを倒してお母さんのところに行かなきゃいけないのです!」

 

 仮にここに別の魔法少女がいてもこの勝負はあまりにも無謀と言えるべきものだった。

 魔法少女になって間もない少女がここまで強大な力を持つ魔女に一人で立ち向かうなど、無謀と勇敢をはき違えているようなものだ。

 

「だからなぎさは絶対に逃げたりなんかしないのです!!」

 

 なぎさがそう言うと同時に魔女の色に蠢いた髪が目の前にまで来る。

 なぎさはまだ戦い方もままならない状態だ。さっきまで唯の小学五年生だった少女がこの豪速とも言える攻撃をかわせるだろうか。

 

 

 死

 

 

 なぎさの脳裏にその一文字が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 ズガン!!

 

 

 

 

 

 妙な金属音と共に、魔女に何かがぶつかる。ーー消化器だ。

 同時に消化器の中身が爆発するように溢れ出る。なぎさが消化器の中の薬品に飲まれる中、誰かに腰を掴まれそのまま抱えられる。

 

「え、えっ!?」

 

「撤退!」

 

 そして抱えられたままなぎさは結界の外に出る。そしてなぎさは病院から見て隣のビルの屋上に着地する。

 

「はぁ〜、ギリセーフ…」

 

「だ、だいり!?」

 

 なぎさを助けたのはだいりだった。だがその姿は普段着ではない。黒を基調としたフードとダメージジーンズを着ていた。

 

「な、何なのですその格好。コスプレなのです?」

 

「それ言うならなぎっちもだろ。何だその格好!実はヘソだしが趣味なのか?風邪ひくぞ」

 

「な!?し、失礼なのです!だいりだってそんな大胆に脇を出してる格好ははしたないのです!」

 

「うっせー!好きでこんな格好になってないわ!」

 

「……もしかしてだいりは魔法少女だったのですか?」

 

「おう。ってそれはこっちの台詞。俺っちもなぎっちが魔法少女だったなんて知らなかったぞ」

 

 なぎさは今まで自分と同居していた自物があの恐ろしい魔女と戦う魔法少女だったことに驚きを隠さないでいる。なにせ今まで自分が悩んでいた事柄の答えを知りうるかもしれない人物がすぐそばにいたのだから。

 …彼女がまともな人格を持った魔法少女かは置いといて。

 

「…なぎさはさっき魔法少女になったのです」

 

「そっか。…え、そうなの!?今さっき!? えー!?何お願いしたの!?」

 

「なぎさはこのチーズケーキを…、あっ!チーズケーキ!」

 

 願いで手に入れたチーズケーキを持ったまま魔女との遭遇、消化器に見舞われ、そしてビルのに飛び移ったのだ。この時点でチーズケーキ程度ぐちゃぐちゃになってもおかしくはなかった。

 だが幸運にもチーズケーキは無傷でしっかりと形を保っていた。特別消化器の薬品がかかっているように見えない。

 

「はぁ…、良かったのです」

 

「そのチーズケーキを頼んだの?」

 

「…うん。これをお母さんにあげるのです」

 

「お母さんにか!良いじゃん!絶対喜ぶぞ!見るからに美味しそうだし」

 

「…………」

 

 言えなかった。なぎさは自分の私利私欲のために、母親への承認欲求のために願いを使ったことを。この笑顔を浮かべている同居人には言えなかった。

 

「…となると、まずはあの魔女を何とかしないとな」

 

「さっきキュウベェがあの病院丸ごと結界に入ってるって言ってたのです」

 

「ゲェー、マジか。じゃあ早めにやらないとな!じゃあちょっと行ってくる!なぎっちはここで待ってろよ!」

 

「あっ!だいり!」

 

 だいりは魔女の結界と思われる場所まで跳んでいってしまった。

 だいりからは魔力らしきものがあまり感じられなかったので、思わず呼び止めそうになったが、今自分がついていっても、あの魔女相手に何かができると考えるほどなぎさに自信はついていなかった。

 

「なぎさは…」

 

 …なぎさとしては母親のところに今すぐ向かいたい。母親が死んでしまえば元も子もない。

 

 そしてなぎさの脳裏にある人物がよぎる。自分の母親の命を狙うあの魔法少女のことを。

 魔法少女は魔女の気配を感知することができる。仮にこの近くにユゥがいたとすればあの魔女の気配を感知してここに来る可能性が高い。それにこの病院にはユゥの殺害ターゲットであるなぎさの母親がいるのだ。何かの拍子で母親の存在を知られれば即殺されるだろう。何だったら既に居場所を割られている可能性だってある。

 

 

 その考えに至った時には、なぎさは既に病棟に向かって走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 

 なぎさは必死に病棟の中を走る。

 

 病院内はいまだ不気味な景色に壁や床が埋められている。使い魔もウロウロと蔓延っている。それらを何とかあしらいながら母親の病室に向けて足を動かし続ける。

 すると突然病院内を包んでいた魔女の結界が消え去る。なぎさは走りながらも驚いたが、きっとだいりが上手くやってくれたのだと察する。

 あとは母親が無事かどうかを確認するだけだ。なぎさは祈りながら更にその足を早めた。

 

 そして母親の病室前にたどりつき、勢いよくドアを開ける。

 

「お母さんっ!!」

 

「!? …なぎさ?」

 

 母親は無傷だった。

 幸運にも使い魔とも遭遇していなかったようで、どこにも傷といった傷は無かった。寧ろ心なしか顔色が少し良くなっている気もしたが、それを気にもとめず、なぎさは急いで母親に駆け寄る。

 

「お母さん無事なのです!?どこも怪我してないのです!?」

 

「え、えぇ、特に何も無いけど…。さっきの景色と何か関係あるの?それにその格好は…」

 

 なぎさの母親は何が起こっているのかがまるで理解ができていなかった。

 なぎさのことをだいりに話したかと思えば、いきなり血相を変えて出ていくわ、そしたらいきなり周りの景色は気味の悪いものに変わるわ、かと思えば急に元に戻って変な格好をしたなぎさが慌てて入ってくるわで、訳がわからず状況を整理できていないでいた。

 

「今は説明してる暇は無いのです!とりあえずこの部屋からーー」

 

 

「あれー? なぎさちゃんじゃん。どうしたの?こんなところで」

 

 

 不気味なほどに陽気な声が響く。

 

 

 なぎさから嫌な汗が噴き出る。ゆっくりと声の方に振り向くと、そこには魔法少女姿のユゥがいた。

 やはりこの近くにいた。なぎさの予想は当たってしまっていた。そして殺しにきたのだ。自分の母親を。

 

 手に握られた刃物を見てそれを察したなぎさは母親の前に庇うように出る。

 

 

「あっ、なぎさちゃん魔法少女になったんだ!やったね!これでなぎさちゃんも私と同じだ!」

 

 

 ユゥはなぎさの後ろにいる母親への殺意を隠す様子もなく、いつも通りの様子でなぎさに話しかける。その足は少しずつなぎさに近づいている。それに合わせてなぎさの緊張は高まっていく。

 

「は、刃物…?あ、あなた誰よ!?」

 

「え?今から死ぬ人にそんなこと言っても仕方ないでしょ?ほら、ちょっとなぎさちゃんどいて。その人殺さないからさ」

 

 突然現れた刃物を持った人物になぎさの母親は動揺を隠さないでいる。怒鳴り声を上げるが、ユゥはそんなもの知ったことかと言わんばかりにづかづかと距離を縮めていく。

 

「はいはい、ちょっと痛いだけだからね」

 

「い、いや! やめて!!」

 

 あと数歩で刃物が届く位置に来たところでユゥは刃物を持った手を振り上げる。そして勢いよく振り下ろした。

 だが、振り下ろされたその腕は当たる直前に止められた。その腕はなぎさによってがっちりと掴まれている。

 

「…どうしたの? なぎさちy」

 

 言葉を最後まで言うことなくユゥは吹っ飛ぶ。なぎさがユゥの土手っ腹に思いっきり蹴りを入れたからだ。ユゥは派手な音を立てながら病室の扉に激突する。

 

「お前なんかにお母さんは殺させないのです。大人しく帰れなのですっ!」

 

 

「あー…、そっかー。その人なぎさちゃんのお母さんだったんだね。そっかー、ごめんね。でも、リストに載ってる人はみんな悪い人だから殺さないといけないんだよね」

 

 ひしゃげた扉を退かしながらゆっくりとユゥが立ち上がる。

 

 そしてなぎさの蹴りに堪える様子もなく再びゆっくりと距離を詰めてくるユゥ。

 なぎさは再び身構える。戦い方はさっき使い魔と戦ったことで大体要領は理解した。しかし相手もまた魔法少女。それだけで目の前の殺人鬼に勝てると思えるほどなぎさは驕っていなかった。

 どうにかして間を見つけて母親を連れて逃げなければいけない。なぎさは目の前の敵に集中する。

 

「どうしてもどく気はないんだね。じゃあ仕方ないなー。さっきの蹴りも地味に痛かったし…」

 

 

 すると突然ユゥがなぎさの視界から消える。

 

 

「お"ぇ"!?」

 

「これでおあいこね」

 

 

 次の瞬間にはユゥの膝蹴りがなぎさの腹に入っていた。

 

「あッ……がぁッ!!」

 

 そのままの勢いでユゥはなぎさを病室の壁にぶつける。

 なぎさは床に落ち、腹を抑えて、空気を求める魚のように地をもがいている。

 そんななぎさを横切って刃物を器用に回しながら歩を進める。

 

「じゃあ終わるまで大人しくしててねー」

 

「まっ……ッ……がッ……!!」

 

 なぎさの母親の方に向いたユゥは持っている刃物を突き刺そうと腕を引く。

 

「じゃあ、さよならー」

 

「ひっ…!」

 

 

 

「ーーーー ああぁぁあああぁああぁぁぁ!!」

 

 

 

 痛みに悶えながらもなぎさは足にありったけの魔力を込めて、ユゥに体当たりを仕掛けた。踏み込んだ床が壊れるほどの轟速の威力となったそれは見事にユゥに当たり、ユゥは壁を壊して隣の部屋まで吹っ飛んだ。

 

「はぁー…っ!はぁー…っ!」

 

 なぎさは辛うじて殺害を防いだが、その顔には脂汗が大量に滴っている。今のなぎさは気力だけで立っている状態だった。

 実は先程のユゥの蹴りには内側から爆発するように衝撃が伝わるように魔力を流していた。言うならば蹴った部分の内側に爆弾を起爆させるようなものだ。それが見た目以上の破壊力を生んでおり、そのダメージがなぎさの体力を大きく削っていた。

 現に今のなぎさの腹部は内側で爆発でも起きたかのような今まで感じたことのない酷い痛みに襲われている。

 

 すると、隣の部屋に積もっている瓦礫が飛び、下からユゥが出てくる。

 なぎさの決死の攻撃でさえも、ユゥにはまるで効いていなかった。

 

「はぁー、びっくりした。まさか動けるなんて。大概の人はアレで立つこともできないんだけどなぁ…」

 

 ユゥは自分のリストに載ってる人以外は基本的に殺さないようにしている。だがユゥは自分のしている事柄こうして邪魔されることは多い。なので自分のターゲットを別の人に邪魔されることはユゥとしてはとても困るのだ。あの攻撃方法はそういった邪魔者を無力化するためにユゥが編み出したものだった。

 あの方法で蹴られた人間はたとえ魔法少女でも内側から焼けるような痛みによって、そう簡単には立ち上がれない。

 だからこそ今こうしてなぎさが立って反撃してきたことに対して素直に驚いていた。

 

「でも、なぎさちゃんもきついんじゃないの?さっきと比べて魔力が凄く減っちゃってるよ」

 

「……っ!!」

 

 ついに痛みに耐えきれず、なぎさは膝から崩れ落ちる。

 いくら戦えるようになったからといっても少し前までなぎさは普通の女の子だったのだ。いくら魔法少女の特性によって痛みが軽減されているとはいえ、そんな子供にこんな痛みに耐えろと言うのは土台無理な話だった。

 なぎさはそのまま床に倒れ伏せる。

 

「ほらー、無理しちゃいけないよ」

 

 なんとかして立ち上がろうとするが、足に全く力が入らない。なぎさは苦悶の表情に歪めながらガリガリと床に跡が残るほどに爪を立てる。その跡には僅かに血が滲んでいる。

 ユゥは再び歩を進めようとするが、がくりとそれを何かに止められる。足元を見るとなぎさがユゥの足首を掴んでいた。ユゥから見ても強いと感じるほどの握力で握られていて、足を動かすことができない。

 なぎさの目はユゥを睨んで離さなかった。なぎさは執念だけでユゥに齧り付いていた。

 

「ぜっ…、絶対に、行かせ、ないのです…ッ!お母さんだけは…!お母さんだけは絶対に殺させないのですッ!!」

 

「うーん……そこまでなぎさちゃんがお母さんを大事に思ってるなら仕方ないかー…」

 

 おもむろにユゥはなぎさの首を掴んで持ち上げる。苦悶の声を上げるが、そんなものお構いなしとユゥはなぎさを自分と同じ目線にまで持ってくる。

 

 ふと、なぎさとユゥはお互いの視線が合う。

 

「だったら、なぎさちゃんもお母さんと一緒のところに行った方が良いよね!独りは寂しいからね!うん、その方が絶対良いよ!」

 

「…ひっ」

 

 なぎさにはユゥのその瞳が幾多もの歪んだ円が重なり描かれているように見えた。

 直感でなぎさは理解した。これこそが人殺しの目だと。平気で何人も殺してきた奴の瞳だと。

 

 

 

 なぎさの胸元にまで刃物が迫る。狙いは心の臓だ。

 

 

 

 

 

 

「じゃあね、なぎさちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぎさぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 突然なぎさは誰かに突き飛ばされたかのような衝撃に襲われ、同時に目の前が鮮血に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 

 訳がわからなかった。

 

 私は目の前に起こっている現実を私は直視できずにいた。突然刃物を持った奴が入ってきたと思ったら、私を殺すって言って、そしたらあの子がそいつを蹴り飛ばして、そしたらあの子が蹴り返されて……床が、壁がまるで脆いガラスのようにあっさりと役目を放棄して壊れていく。

 あまりにも非現実的だった。まったく状況が飲み込めなかった。すべてが私の理解を超えていた。

 

 だけど一つだけわかったことがあった。

 

「はぁー…っ!はぁー…っ!」

 

 それは、あの子が…なぎさが今必死に私を守ろうとしているということだ。

 

 どういうことかなぎさはその体を張って私を守っている。さっさと逃げた方が絶対に良いというのに。本当に馬鹿な子だ。

 蹴られた腹を抑えながら私を守ろうと必死に目の前の悪魔に喰らい付いている。

 

 …今なら逃げられる。

 

 幸運にもここは一階だ。窓から飛び降りればここから避難することはできる。確か近くに交番もあったはずだ。そこに駆け込めば助かる可能性は十分にある。

 するとなぎさは膝を折って倒れた。そして刃物を持った悪魔がそんななぎさをじっと見ている。

 よし、奴の興味がなぎさに逸れている。今ならいける。

 私はバレないように窓の鍵を外し、静かに窓を開ける。そして窓の縁に足をかける。

 

 

 

 

 

「ぜっ…、絶対に、行かせ、ないのです…ッ!お母さんだけは絶対に殺させないのですッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 何で、何なんだ、何なんだあいつは。

 何であれだけ言ったのに、あの子は私を捨てないんだ。何でわざわざ私なんかに拘るんだ。そんなもの向けられても鬱陶しいだけだというのに。

 

 

 

 (決まってる。なぎっちの母親は世界でおばさん一人だけだからだ)

 

 

 

 ……………………クソッ!!

 

 

 

 ふと、振り返ると、なぎさは首を掴まれていた。そしてあの恐ろしいピエロのような悪魔はなぎさに持っていた刃物の切先を向けた。

 

 私は理解した。

 あぁ、あの子は今から殺されるんだと。

 その小さな体から鮮血が飛び散ってそのまま失意の中で死ぬのだと。そしてあの子を殺したら次は確実に私だ。

 

 いますぐにでも逃げるべきだ。捨てるのは簡単だ。今までだって散々捨てられてきた。今ここであの子を捨てたところで何が悪いのだ!!早く逃げろ!!

 

 私は外に視線を戻して、窓枠を掴んでいる手に力を入れる。

 

 

 ついになぎさにその凶刃が振り下ろされる。

 

 

 

 

 そして私はーーー、

 

 

 

 

 

 

 気がつけばあの子の元に駆けていた。

 

 

 

 

 

「なぎさぁ!!」

 

 

 

 なぎさを勢いよく突き飛ばし入れ替わるように刃物の軌道の先に私が入る。あの子の唖然とした顔が目に映る。私はそこで何故か小さく笑ってしまった。

 そして振り下ろされた刃物は私の胸を容易く裂き、肋骨を断ち、中の臓器に到達して、体を貫通する。差し口から血が溢れる。

 

 

 

 

 

 いたいなぁ

 

 

 

 

 

 口から鮮血が溢れ、私はそのまま仰向けに倒れる。

 背中にまで刃物が突き出ている感覚がよくわかる。胸が温かく、そして同時に命を運ぶ大切なものが流れ出ているのがよくわかる。

 視界がぼやけてきた。手足も言うことを聞かない。これは本当に不味いやつかもしれない。

 

 

 

 

 ……本当は分かっていた。私が全部悪いのだと。

 

 変わるべきなのは私なのだと心の何処かで理解していた。私がいつまでも昔を引きずっているから、捨てられた自分が情けなくて、だからあの子の優しさが余計に自分に刺さった。

 あの子を見ると、私を裏切った奴らの顔が浮かんで我慢ならなかった。そしてそんな自分が嫌いでならなかった。本当はあの子は何も悪くないと心のどこかで分かっていたのに。

 

 …なんてことだ。あいつのせいで気づかなくても良いことにまで気がついてしまった。…こんな今更に。

 

 

 

 ーーこれも全部あのバカのせいにしてしまおう。

 

 

 

 ひどく崩した顔で駆け寄るなぎさを見ながら、もう碌に動かない頭でそんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 

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