流れる星の物語、あるいは危険な神器を捨てる旅の顛末   作:一星屋

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002 神獣

 深く息を吸った。空冷を試みても、虚しいばかりだった。

 

 活発な動きを助けるために血の巡りが早くなったのだとしても、レトウが今欲するのは冷静な思考だった。努めて己の肉体をなだめようとしても焼け石に水を掛けるが如くであり、余程の理由がなければ止まりはしないと思い知るのさえ並大抵のことではなかった。

 

 舌がしびれて、喉と口が乾いていた。水はそこにいくらでもあるから、ちょっと潤してしまおうかと思って、やめた。ぬるつく魚のように、取り留めない考えは手の内で留まらなかった。口の粘膜を熱い血が通っていくのは恍惚とするようなくすぐったさを伴っていて、目は瞳の置き場所を定めるのに迷っていた。

 

 いけない。

 

 レトウは振り払って、前を見た。長いこと呆けていたように思われたが、薄闇のほどは変わっていないように見えた。

 

 赤く罅走った黒い六角柱が、蛇の真円の目でレトウを見ている。敵意の有無さえも定かではない。言葉もなく、旋回する石塊の他は動く様子もなかった。

 

 夜明けの薄青に、神獣の黒と赤は浮いていた。レトウの倍は大きいだろうことは距離があっても明らかだったが、レトウには実際以上に大きく思われた。まだまだ、振り払わねばならないモノがあるらしかった。

 

 本当に水を飲んだ方が良いのかも知れない。

 

 だんだんとレトウにはそう思えてきた。

 

 あの清らかで冷えた水を飲めば、否応なく心も体も冷えてしまうだろう。今はそれが必要なのだから、これこそが最善ではないだろうか?

 

 唾を飲もうとして、むせ返りそうになる。喉も舌も上手く動いてはくれなかった。だがどうやら乾ききっているわけではないのだと、レトウは思い直すことが出来た。乾いているのは体ではなく、心なのだと考えねばならないらしかった。

 

 利き手は、右手はいつでも動かせるようにしておきながら、レトウは神獣を見据える。可能な限り目を合わせないようにしながら出方を見るつもりだった。

 

 神獣と一口に言ってみても、色々いるものだとレトウは聞いた事がある。意思疎通の可否についてもその中には含まれていた。この神獣が話の通じる相手なら、それで良し。話の起こる前に動いて台無しにするのは避けなければならなかった。

 

 だがそれは、機先を失したがための次善策に過ぎないのも確かだ。抱き締めた少女を下ろして臨戦の体勢を取っておけば、もう少し状況は違っていただろう。話が通じる相手であろうとなかろうと、武器の一つも手にしておければ主導権を握れていたはずである。

 

 だが、そうはならなかった。ならそれを言ったところで、今更のことであろう。睨み合いに陥っている理由を考える方が有意義であり、解決の方策を試してみるのが適当であるのは確かだった。

 

 まず、知らねばならない。

 

 レトウは苦心しながらも肺をいっぱいに膨らませて、息を止めた。吐き戻して息を整えると、ようやくもって心は落ち着きを見せた。

 

 意思疎通の可否について確かめるには当然、話しかけてみるのが手っ取り早い。人語を解する神獣であるなら、それで状況は動き出す。逆に、それによって起きる問題はあるだろうか。

 

 無い、はずだ。あちらが動かない理由はいくらか思いつくが、対話の試みはそのいずれにも悪影響を及ぼさない。仮に攻撃を加える隙を伺っているのだとしても、こちらは既に防御の準備を整えている。むしろ、話しかける事で相手の気を散らす可能性さえ見込める。

 

 ならば、話しかけるのみ。

 

「聞こえるか!」

 

 レトウは可能な限り大きく高く叫んだ。薄明にレトウの声が波打ち、山々は微かなこだまを返した。ミハシラは全てを吸い込み、沈黙を守っていた。

 

「聞こえるなら返事をしてくれ!」

 

 返事があった。

 

 石塊であった。

 

 レトウは肩に掛けた珊檎布を掴むと、手の平の紋様に呼びかけながら渾身の力を持って振り切った。

 

 珊檎布はレトウの意のまま、鳥の大群が描く艶めかしい飛行の如く蠢き、ついには収束して匙にも似た形へと変じた。匙の軌跡は飛来する石塊を過たず捉え、横合いから打ち据えると同時、レトウは少女を下ろして立ち上がった。

 

 弾かれた石塊を神獣の目が追いかける。かと思えば、石塊は折れ曲がる軌跡を描き、神獣を旋回する軌道へと帰っていった。神獣の目はレトウへと戻った。

 

 レトウは前に出た。少女を守りながら戦うことは出来そうになかった。気絶した少女を神獣が狙うかどうかの判断材料がない以上、自分に注意を向ける他ないように思われた。

 

 腰から抜いたナイフを穂先として、手の内の匙を槍へと変じる。

 

 珊檎布は石の樹である珊檎から成り、然るに石で出来た布である。柔軟にして強靭なる繊維は、石塊を払い退けてなお健在だった。

 

 だが、頼みにし続けられるかといえば否である。衝突部のほつれは目に見えてあり、払い退ける時にも若干のしなりを感じた。受け止め捉える匙の形は収束の度合いが低く、その為かとも思われたが実際はわからない。槍の形ともなれば相当に収束は強くなるが、穂先は金属でも所詮は石の槍である。過信はできなかった。

 

 戦意を漲らせ、槍を両手で持ちながらレトウは駆けた。今度こそ機先を制さなければならなかった。人の身である自分が、地力で神獣に勝るとは到底思えない。積極的に動いて主導権を握り続けなければ、自分と、少女の命とが危うくなる。

 

「うおおぉぉぁぁああっ!」

 

 あらん限りに叫び、注意を惹き付けんとする。六角柱の表面は石のように見えるが、しかし石としては柔げに見えた。殊に目は生物の目に過ぎず、金属の穂先なら貫くことは難しくなさそうだった。

 

 ここからはもう、賭けの領域だ。敵に期待をかける部分さえ出てくる。神獣自身も己の弱みをわかっていて、それを守らんとしてくれなければ、注意を惹き付けた意味は薄くなる。それにレトウ自身の見立てが合っていることも期待しなければならない。弱点に対する防御こそレトウの求めるものだ。

 

 目的は攻撃を掻い潜り、少女に攻撃を行わせないこと。今の時点ではそれが全てだった。自分一人で相手を倒せるかどうかについては期待していない。現状の戦力は自分の他になく、個として能力差があるために相手の手札を探るのも難しい以上、防御と回避に徹するのが最善だった。

 

 接近するレトウに対し、神獣は複数の石塊を差し向けた。計六つ、旋回軌道から滑らかに外れた大小様々の石塊が、時間差をつけて飛来する。まず一つ、次に二つ、そして三つ。

 

 まっすぐレトウへ向かってくる辺り、ひとまず賭けには勝ったようだった。小さな勝利だ。だがレトウにそれを喜ぶ余裕はなかった。

 

 一つ目の石は、人の頭程に大きな石だった。レトウの胴を正面から穿つべく、真っ直ぐに飛んでくる。

 

 もう次の賭けに挑まねばならなかった。避けるか、払い退けるか。

 

 受け止める選択は言うまでも無い。いかなる箇所であろうとも、軽傷以下で免れることはないだろう。

 

 右足で左へと踏み込みながら、石塊は左から右へと切り払う。体の動きのみで避けきれる確信がなかった。この石塊達が神獣の思うがままに動くとするなら、避けたと思ったところで方向を変えられるかも知れない。左へ避けた所で右腕をやられれば、右腕を温存した意味は失せる。ここは手札を多く切っても万全を期さねばならなかった。

 

 第一の石塊は首尾よく遠く失せていった。

 

 第二の攻撃が迫っていた。

 

 握り拳よりも大きく、頭より小さい程度の石が二つ、対となって飛来する。同じ中心を挟んで向かい合い、幼児の身長と近い直径を持つ同軌道の円周を辿って、左方に回転しながら風を捩っていた。

 

 レトウの左足は踏み込んだ先で、確と大地を噛む。

 

 振り切った腕はまだ戻すに至らない。

 

 第二の攻撃の道筋が僅かにずれるのを見た。間違いなく、レトウを追いかけてきている。

 

 レトウは笑った。熱い息が齒の隙間から溢れた。獲物を追う捕食者のようであり、怯え逃げる被食者のようでもあった。

 

 これならば、こちらの目的は十分に叶っていると見てもいいだろう。神獣はレトウを狙っている。

 

 そして推測が当たっている事も知れた。こうして放たれた攻撃はしかし、飛び道具というわけではない。神獣からしてみれば手を伸ばしているのと同じことでしか無いのだ。そしてこちらの動きに反応が間に合うなら、決して早い動きというわけでもないのだろう。

 

 賭けは続く。

 

 第一の攻撃はまさに、手札を切らせる狙いがあったのだろうと知らねばならなかった。

 

 正中を捉えた大きな攻撃は、こちらに過度の動きを強いるものだ。左足は草の間の地に食い込むほど力み、右腕はもはや振り切っている。この状態から第二の攻撃を凌がねばならない。

 

 そして第二の攻撃すら、恐らくは布石に過ぎない。人間は拳大の石が高速でぶつかれば、当たりどころによっては致命となる。急所でなくとも、体のどこかにぶつかれば能力の減退は確実なものになるだろう。

 

 この連続攻撃は始めから、第三の攻撃を命中させるのが狙いだったのだ。

 

 狡猾にして堅実な策である。

 

 だがそれでも、神獣の侮りをレトウは見て取った。

 

 こちらを排除しようとするのなら、周辺に漂う石塊を全てけしかければ事足りる。その物量と質量で圧倒すればレトウに出来ることはほとんどない。ただひたすらに逃げるのみが生存の道となる。

 

 あるいは、それが不可能な事情でもあるのかどうか。

 

 もしそうなら有り難いことである。だが有り難い故に、可能性は捨て置かねばならない。都合の良い想定を戦いに持ち込むべきではない。

 

 とにもかくにも、凌がねばならなかった。考える時間もほとんどない。

 

 右足で左に踏み込んだ力が、まだ体を動かしている。だが同時に、振り切った右腕が均衡を急速にもたらそうともしている。

 

 地を噛んだ左足で、右斜め前に肉体を押し込んだ。第二の攻撃の回転を追いかけ、攻撃そのものとはすれ違う道筋を辿る。自由になった右足が素早く膝を畳んで、右腕に掛かる力が反動へ転じるのを感じた。

 

 その瞬間、第二の攻撃の旋回が止まるのをレトウは見逃さなかった。神獣の石塊は上下の底で止まり、同時にレトウの右足は応えて全身を左へと滑らせた。

 

 石塊が一瞬右に回転する素振りを見せて、またすぐに止まった。レトウはすでに、第三の攻撃へと迫ろうとしていた。

 

 第三の攻撃は、第二の攻撃の石を拳大にして三つにしただけだった。だが、石塊の回転に焦りが見受けられた。

 

 第二の攻撃を凌いだレトウの動きに、侮りが揺らいだのかも知れなかった。

 

 だがそれも、あるいは罠なのかも知れない。

 

 見破る術はなかった。蛇の真円の眼は、一見して冷静さを保っているように見える。感情が現れないだけなのだと見ることも出来るが、織り込み済みなのだと見ることも出来た。

 

 今の自分は果たして、神獣を出し抜いたのか。それとも、自ら罠の中へと飛び込んでいったのか。

 

 わからない。だが、どうでもいいのでもあった。あとは結果を見るのみなのだ。

 

「あああああっ!」

 

 レトウは高く叫ぶ。

 

 反動を受け取った右腕に力を込めて振り切ると、珊檎布は穂先となったナイフの拘束を緩め、その赴くままに任せた。

 

 運動の力がもたらす必然に乗って、ナイフは第三の攻撃の中心をすり抜けていく。

 

 間際に、第三の攻撃はその動きの一切を止めた。今度こそ神獣も驚いたように思えた。ナイフを追いかけることもない。ただただその場に留まる。

 

 レトウは体の流れ行くままに左へと逃れ、勢いを殺しながら自身の反撃の行方を見守らんとした。

 

 ナイフは神獣の大きな眼へと迫り、当たったかと思われた刹那、石によって弾かれた。

 

 石?

 

 レトウには、神獣が石になったとしか思えなかった。神獣の表面が灰色の石となって、そうしてナイフを弾いたと見えた。

 

 しかしその表面は次の瞬間に地へと落ち、割れて幾つかの石塊へと有様を変えた。

 

 神獣はまだそこに居た。健在だった。石塊の旋回は速度を増して、自ずから起こす風を捩らせながら鳴いていた。

 

 あの石は、どのようにして生じたのだろう?

 

 興味深い事象に目を細めながらも、レトウは一つの確信を得ていた。

 

 あれこそが、この神獣の力に違いない。

 

 転げながら三段攻撃の射線から逃れ、体勢が整うとレトウは跳ねるように距離をとって神獣の周りを横歩きに周った。

 

 今の石塊の速度は、無策に突っ込んでどうにかなるものではない。それにいよいよもって神獣がその力を見せたとなれば、少なくとも侮りの度合いが下がったのは確かだった。驚きに任せての事かもしれなかったが、どちらにせよ危険であることに変わりはない。先程やりすごした攻撃が追いかけて来る可能性も思うと、動かないわけには行かなかった。

 

 神獣の各面にある大きな眼が、レトウの姿を追いかけ続ける。

 

 唾液が酸いような気がして、飲み込んで始末をつけた。

 

 機を伺うように振る舞って牽制しているが、伺っているなら機先を失しているのである。

 

 レトウは時折、また水際へ近づくに合わせて立ち止まって、神獣の様子を見た。誘われた神獣が石塊を差し向けて、その度にレトウは真横へと走りやり過ごした。そして少しずつ、神獣との距離を縮めた。

 

 同時に、レトウは神獣の意図を測りかねた。

 

 石塊の飛来は直線的で、誘導も緩い。石塊の間は十分に開いていて、後発の石塊がレトウを追いかけるのも容易いように思われた。だが、神獣はそうしなかった。石塊は常にレトウの走り去った後へ着弾し、追い縋ることはなかった。走行の残心に見ていても、それらは大人しく神獣の周りへと戻っていった。

 

 良くない予感がした。一見して愚かにも見える行為は、しかし油断ならないものだという。何者とて常に最適な行動を出来るわけではないだろうが、かといって胡座をかけば足元を掬われるというものだ。

 

 どうするか。

 

 再び先の三段攻撃を差し向けられて、それをやり過ごせるかも怪しいものである。神獣も神獣で打開策を仕掛けてくると見るべきだし、自分が先程以上の動きを出せるとも過信するべきではない。

 

 ならば、この膠着状態を続けるべきだろうか?

 

 それは実のところ望ましい。しかし、状態の持続する期間が定められているわけではない。神獣の策にかかってしまう可能性も低くはないだろう。もしかしたら策など無いのかも知れないし、神獣の方でもこちらの無い策を勝手に警戒してくれているのかもしれない。

 

 神獣がその力を使わざるを得なくなったのだ。それなりの警戒をするようになったと見るならば、あるいは。

 

 後ろに物音を聞いたような気がして、レトウは横っ飛びにその場を離れた。今しがた立っていた場所を見てみれば、少し後ろに石塊が浮いていた。湿り気のある地面に穴があり、外へと土がめくれていて、石塊の土汚れを見るとそこから出てきたようだった。

 

 ちゃちな策である。だが、極めて有効な策だ。

 

 石塊達が神獣の周りに戻っていくのは見ていたが、それは全てで無かったということだろう。この緊張下できちんと数えられていたかと言えば、レトウとしても断言は出来ない。

 

 あるいは、神獣の本体が妨げとなって見えない部分から地中に忍ばせ、レトウの後ろで表出させたのか。直接に股間を狙わなかったのは、単純に狙いが外れただけだったのか。

 

 いずれにせよ、レトウは行動を強いられた形になる。今まさに立っている所が、隠れた攻撃の上でないとも限らない。

 

 レトウは駆け出した。

 

 策ならずして自棄を起こしたのか、それとも誘い込まれているのか。レトウの後を追うようにして、地中から石塊が飛び上がってくる。

 

 小さく、大きく。正確に、的外れに。高く、低く。

 

 ついには水際近くで目の前に飛び出し、レトウは半ば転げるように方向転換を強いられた。そして、そこまでだった。

 

 走り抜けてきた跡をなぞるようにして、避け続けてきた石塊が浮いたままになっている。レトウは、気づけばその環の内にあった。背後の水面を破る音が連続して、レトウを追い抜いていった石塊の飛び出しがついには神獣の向こうで一周を果たす。

 

 胃が縮む。

 

 罠だったのだ。

 

 やはり機先を失し、そして神獣の有様を見逃していた。

 

 浮遊する石塊も神獣の一部だということは、攻撃は同時に背後を取る事でもあったのだ。

 

 今や、追い立てた石塊の環はレトウよりも早く外側へと広がり、神獣を守っていた石塊たちも膨れるように間隔を広げていた。

 

 レトウは二つの歪な環の間にあった。

 

 そして、それぞれの環で各々の石塊が右に左に神獣を中心とした旋回を始め、奇怪にもその過ぎた後からガラガラと石片をこぼし始めた。石塊の旋回する軌跡から起こるこの落石は帳の如く内外の見通しを妨げ、降り積もり崩れながら環の間にある者を追い詰めていく。二つの環の間隔は次第に狭まり、レトウは石臼の中で進路も退路も失した事を悟った。

 

 落石の大きさはあくまでも石片、剥片程度のものでしか無い。珊檎布に身を包んで思い切って飛び込めば、もしかすると突破は可能なのかも知れない。

 

 だが、旋回する石塊にぶつかればその場で落着することになるだろう。そうなれば石片の山に埋もれる事となる。でなくとも、石塊を直接ぶつけることさえ出来るはずだ。

 

 石塊の動きを見極める事はできるだろうか? いや、目を凝らしても隙を見つけることは出来なかった。むしろ凝らせば凝らすほどに落石の波は視覚を惑わし、レトウの目を回して意識をかき乱した。

 

 そうか、これが、この神獣の力の正確な形だったのか。

 

 神獣が石になったかのようなあの瞬間を、レトウは光射すように思い出した。

 

 あれもまた、これらの石塊と同じだったのだ。神獣はあの一瞬に後退し、そこに石を生み出した。

 

 だが、ならば、あの石が神獣の表面を象っていたのも、何らかの意味があったのだろうか。ただナイフを防ぐだけなら、味気ない石の板でも良かっただろうに。

 

 レトウは、内外の壁として迫りくる落石の多重螺旋を見た。それぞれの石塊から落ちる石片はもしかすると、石塊の一部と同じ形なのではないだろうか?

 

 先の石片はそれ自体の大きさに由来する重さによって落下と同時に砕けたが、これらの石片はそれ自体が小さい故の軽さによって形を保てている。そしてどうにも、見る限りそれらの形は一定のように思えた。

 

 形を模した石を生み出す?

 

 もしそうなら、一部だけなのはなぜか。丸ごと同じものを生み出しても良さそうなものだ。

 

 神獣の力がそこまでしか出来ない?

 

 出力の限界と見るのは希望的観測が過ぎる。そこに何らかの必然があるものと見たほうが良い。神獣の力の限界とは、性質の限界であることが多い。

 

 過ぎた軌跡、さては、元あった場所? そこにのみ生み出しうるのは、性質なのか?

 

 断定はできない。だがそれ以外の出し方が出来るのなら、もっと他のやり方を用いる事もできるはずだ。それこそ圧倒的な物量を生み出して、それをぶつければ良い。そうせず、一定の出し方しかしないのなら、これはおそらく力の性質なのだ。

 

 少しずつ、神獣の力の正体が見えてきた気がした。

 

 まさに命を挽かれようとしているにも関わらず、レトウは神獣の力の事で頭がいっぱいだった。

 

 今の自分から見える、良い材料にすがっているのかも知れない。多分、そうなのだろう。それでも、しかし、そうではないとレトウは信ずる。この期に及んでさえ、突破口を切り開くことが出来るはずだと努めて強く思う。

 

 岩の雪崩が目を眩まし、石に石の降る衝突音が耳を均す。

 

 その中に、飛び越えていく幾筋の赤をレトウは見た。連続する小さな破砕音がやけに高く聞こえて、ぬめる水音が同時に尾を引いた。

 

 その瞬間、落石が止まる。

 

 石山の小さく崩れる音が名残となって、石塊たちは残すもの無く飛び交うばかりとなる。

 

 紅い飛沫にまみれた神獣の、その瞳孔が広がるのを確かに見てレトウは全力を持って駆け跳ねた。

 

 すり抜けて環の外に出るレトウを追いかけた石塊は、しかし掠める事もできなかった。

 

「レトウッ!」

 

 環の外で迎えたのは父だった。

 

 戦士たちも共に斜面を駆け下りて、神獣を半包囲する態勢を早くも整えつつある。それぞれの手に持つ投石紐はしまわれる中途に有り、しまうのとは逆の手で珊檎布が槍の形へと収束していく。

 

 レトウは、これを待っていたのだ。必ずや応えてくれるとレトウは思っていた。折々に上げていた高い叫びを、あるいはそのこだまを、見張りの戦士はもちろん眠る戦士でさえ聞きつけてくれると信じていたのだ。

 

 そして、そのとおりになった。

 

 すれ違った父の背後で三歩かけて着地すると、レトウは勢いに乗って振り返る。庇う父の背中越しに、包囲されつつある神獣が多重螺旋の石臼を畳んでいくのが見えた。

 

 戦士たちから逃れるように、旋回する石塊を盾にして神獣は水の中へ退いていく。最も清らなる水に紅が差し、やがて全体が没すると水は巻いて紅の帯を靄へと変えた。

 

 水際に半円の外を向ける陣形へ移ろいながら、戦士たちは下がっていく。槍を構えて油断はなかった。退けば良し。退かぬなら、応ずるまで。

 

 水の静寂がにわかに返り。

 

 間もなくして、紅を洗い流した神獣が陣形の左側遠くからその本体を見せた。泡を立てて清らなる水を分けるその姿に、石塊は無かった。

 

「石が来る!」

 

 レトウは叫んだ。ほんの僅かとは言え、レトウは戦いを通じてこの神獣のやり方を掴んでいた。

 

 戦士たちが神獣の出現に気を取られたその刹那、本体を離れた石塊の群が陣形正面から水中より飛びかかる。軌跡からの落石が連続した着水音をたて、その飛来を予告しながら戦士たちを威圧する。

 

 戦士たちは避けた。予告のある攻撃なのだ、わけもない。だがそれは神獣にとって何ら問題のない結果だ。真っ直ぐに前から飛んできた以上、避けるには横の動きが主となる。ならば、石塊たちは必ずや戦士たちの背後を取るのだから。

 

 真っ直ぐだった石塊たちの動きは、戦士たちを大きく取り囲むような円運動へと移ろいつつある。先にレトウが仕掛けられた多重螺旋の石臼を、神獣は再び作り出そうとしている。

 

「珊檎樹液、投げ!」

 

 ウシェンが叫び、レトウに紅い液体の詰まった薄瓶と投石紐を突き出した。戦士たちもまた投石紐を取り出し、薄瓶を紐に預けて素早く回し始める。

 

 レトウも合わせた。今度は自分が彼らを助ける番だった。神獣の力を抑え込むことなしにこの事態を打破することは難しい。ウシェンと共に駆け出し、神獣の本体へ狙いを定める。

 

 神獣が動いた。成りつつあった多重螺旋の石臼を解いて、本体もろともに再び水中へと隠れていく。

 

 既に何人かが珊檎樹液の薄瓶を投げていたが、多くの戦士たちは投石紐の回転を止めた。こうなっては珊檎樹液をまともに浴びせかけることはできないし、持ち出しは一人あたり二瓶である。レトウを助ける為に使った以上、数は限られている。無駄遣いはできない。

 

「散開しろ! 珊檎樹液の余っているものは、なくなったやつに分けてやれ!」

 

 レトウも珊檎樹液の薄瓶をしまい込んだ。次いでもう一瓶がウシェンから差し出され、それも同じく腰へと収める。どうやらウシェンの持ち出しを分けたのではなく、レトウの分を持ってきてくれたらしかった。

 

 神獣の動きはない。戦士たちが散開するのを見ているのか、いないのか。水の中に隠れられてはそれを知る術もない。

 

 このまま退いてくれるのなら、当座のところはそれが一番だ。いずれは対策を考える必要があるとはいえ、今の自分達で仕留められるかは怪しいと言わざるを得ない。この神獣が持つ、推定『元あった所に石を生ずる力』は防御の手段として極めて強い。珊檎樹液を当てて力を抑え込むにしても、学ばれた以上は力を用いて防がれる可能性がある。なにしろ、ちょっと後ずさるだけで体と同じ大きさの盾が生じるのだから。

 

 そしてそれを考えると、再び襲いかかってくる可能性がどうしても大きく見える。会話を試みてまず石塊を差し向けてきた辺り、よくわからない対象でも排除して済ませる傾向があるのだろう。その上ここまでの戦いで見た限り、神獣の方が圧倒的に有利だ。なら力を頼みに積極的な排除をして、それで事態を済ませる選択をしそうなものである。

 

 それだけに、動きがないのは不気味だった。何か慎重になるだけの材料を、神獣は得たということなのか?

 

 心当たりは、ある。

 

 珊檎樹液に塗れた神獣の、あの瞳孔を大きくした眼がレトウの記憶に強く焼き付いている。

 

 さっき、そう、さっき。神獣は何故退いたのだろう。石臼の中に囚われた戦士たちを助けるべく、レトウやウシェン、戦士たちも珊檎樹液を投げる準備を整えたあの時、石塊で防ぐことだって出来たはずだ。

 

 いや、違う! おそらく防ぐことは出来なかった。やはり石塊も神獣の体の一部なのだ! たとえ力まで用いてまで防いでみても、細かな飛沫の全てまで世話する事はきっと出来ない。そして体の一部であるからには、石塊に珊檎樹液が付着すればその力は抑えられてしまう。神獣はそれを嫌がった。

 

 だがそれにしたって、牽制の一つや二つ仕掛けて来ても良さそうなものだ。神獣は有利な状況にある。水中にこもったまま石塊を適当に飛ばしてくれば、こちらは消耗を強いられるだろう。落石を起こしながら頭上を通過するようにすれば、それだけで回避しか出来ることはなくなる。しかし、それすらもない。それは何故だ。

 

 そうだ、そういえば、あの時に神獣はどうしてあの様なことをした。戦士たちに水中から石塊をけしかけた時、その姿を見せて視線を誘導しておきながら、軌跡から落石させていたが為に台無しにしてしまっている。

 

 この神獣が見せてきた狡猾さと、出現に落石を絡めた行いがどうしても噛み合わない。神獣が何らかの不覚をした可能性はもちろんあるが、必然だとすればどの様な理由でそうなったのか。

 

「……視覚頼みなのか?」

 

「何っ?」

 

「父上。神獣が何も仕掛けてこないのは、奴が目に頼っているからかも知れません。さっき姿を見せたのはおそらく、視線誘導のためではなくて見なければいけなかったのです。今は反射やゆらぎで、水中からこちらを伺えずにいるのかも」

 

「……お前は、奴の賢さを高く見ているんだな?」

 

「狡猾です。ですが、なまじ賢いがために臆病にも囚われやすいのかと」

 

「ありもしないこちらの打開策を想定しているわけか。よし……退くぞ!」

 

 号令一つ。散開していた戦士達は水際に踵を返し、駆け足で斜面を登り始めた。神獣の攻撃がどれほどの射程を持っているかはまだ知れない。それでも距離を取ることは無意味でないはずだ。目の性能を測り、手の届く範囲を測り、そして動く速さの程度をより詳しく測れる。

 

 レトウや戦士たちを石で包囲した時、あくまでも磨り潰すやり方にこだわったのにも理由の存在を考えうる。予断こそ許されないが、そこで速さに関する出力の限界を疑う余地は大きい。レトウが三段攻撃を見切ったのを踏まえ、躱す余地のない手段を選んだ可能性は高いと言えるだろう。

 

 ここで神獣が追撃を判断し、石塊を差し向けてくるなら可能な限りの速さを出すだろう。つまり、こちらの判断材料も増える。

 

 もしかすると、仕掛けてこない理由の一端には力を封じる危険物に対して態度を決めかねている部分もあるかも知れない。

 

 ここでレトウたちを排除した所で、珊檎樹液の全てを排除できるわけではないと結論して退いてくれるなら有り難いことだ。しかし短期的な危険の排除や、念入りな安全確保を志向するのであれば、こちらもいよいよもって覚悟を決めなければいけないだろう。

 

 その前に、やらねばならないことがあった。

 

「待て、レトウ! どこへ行く!」

 

「拾わねばならないものがあるのです!」

 

 戦士たちとすれ違い、レトウは水際へと駆けた。これまで戦っていたのは、彼女のためでもあったのだ。

 

 カワビトの少女は変わりなかった。目を覚ます様子はなく、怪我をしていることもない。息をして、温もりがある。

 

 レトウは彼女を抱き起こそうとして、傍らに転がる箱を思い出し珊檎布で厳重に包んだ。それから彼女を起こし、肩に担ぎ立ち上がった。追いかけて来たウシェンが目を丸くして、その動きを助けてくれた。

 

「この娘……まさか、隣村の者なのか」

 

「そうなのかも知れません。水を汲もうと山を降り、見つけました。父上、これを」

 

 レトウは珊檎布に包んだ箱をウシェンに差し出す。ウシェンは黙って受け取り、脇に抱えて言った。

 

「これは何だ」

 

「神器です。この娘が胸に抱いていて……助け起こした拍子に転げ落ちました。蓋が開いて、迸った光を浴びた神器があの神獣となったのです」

 

 父の顔に、石の鋭さが宿った。磨き研がれた鋭さではない。打ち欠いて作り出された鋭さである。首の一振りにそれは投げ飛ばされ、父の顔に守刀の頼もしさが戻った。火の煌めきを宿した瞳が、レトウを見据えた。

 

「わかった、村に着くまで命に代えても守り通そう」

 

 親子は頷き合い、水際に背を向ける。

 

 破裂する水音が、その背後で起こった。

 

 二人は引き込まれるように振り返る。石塊を引き連れて、神獣が飛沫と共に高く飛び上がっていた。追従する石塊が多重螺旋の塔を描き、見る者の意識を惹きつける。

 

 自身の喉が反るのを感じて、レトウは思う。

 

 しまった、と。

 

 塔の下で水が弾ける音をレトウは聞いた。石塊に粘りついた風が、絹の擦れるような声を上げる。

 

 音は複数、二段組に並列している。攻撃範囲はさほど広くない。明らかに三人だけを狙っている。水中からでも垣間見える瞬間があったのだろう。そして、各個撃破に切り替えたのかも知れない。レトウを、ウシェンを、そして少女をも巻き込む軌道が、すり抜けられぬ幅でもって同時に迫った。

 

 石塊を伴う本体の出現が、今度こそ視線誘導の罠だったと落石のない突撃は示している。磨り潰す攻撃の連発さえ、あるいは意識の誘導だったのか? 速度はこれまでと大きく変わるものではない。出力の限界説が真実味を帯びる一方、この面制圧攻撃を躱すには荷物があまりにも大きすぎた。

 

 父の背が、レトウの視界を遮る。

 

「父上!」

 

 ウシェンは振り返らなかった。上衣の珊檎布をも解いて匙の形にし、両の手に一つずつ構える。必殺の壁を前にしながら肌に震えはない。膂力の限りをもって、命中軌道の石塊を弾き飛ばすつもりである。

 

 縦一列を弾けば、あるいは半身になることで避ける事も可能だろうか。だが、よしんば避けた所で背後を取られることになる。そうなれば同じことの繰り返しだ。珊檎樹液の数にも限りがあるし、神獣がそれに気づいている可能性も無くはない。仮に消耗戦を挑まれれば必ずや負ける。石片を作り出す力に物量の限界があるとは思えなかった。

 

 父は犠牲にならんとしている。指を咥えて見ていることなど出来なかった。だがどうすれば攻撃を捌きうる? 珊檎樹液をちらつかせても、この攻撃は落石の関わらない攻撃だ。それで止まるとは思えなかった。いや、それでも躱したあとに続く攻撃を思いとどまらせることは出来るだろうか?

 

 石塊はこうしている間にも迫りくる。使う機があるとすれば、まさに今だ。可能性に過ぎないとは言え、可能性があるのなら試してみる価値はある。

 

 レトウは薄瓶に手を伸ばした。狙うは父の背の外側、弾きうる範囲から外れた場所だ。神獣の本体が高く昇っているとはいえ、父と少女の陰に隠れた腰回りは神獣から見えないはずである。

 

 だが、まだ遠い。もう少し近づいてくれなければ、瓶を石塊に当てることは出来ないだろう。それに要する時間は僅かだが、感覚が引き伸ばされてじれったいほどだ。

 

 その中で、レトウは見た。

 

 石塊たちの軌道が、てんでんばらばらに歪んでいくのを。見えざるものから押しのけられるように、散逸して天に登り、あるいは水中に没するのを。

 

 父の戸惑いが、背中にも現れていた。

 

 空に昇った神獣の眼が大きく瞳孔を開いている。神獣の意図したものでは、どうやら無いらしかった。

 

 石塊は未だ飛び回り、しかし軌道は確かならず、嫌々と駄々をこねて逃げる子供のようにフラフラと中空を彷徨っている。

 

「これで、貸し一つだな?」

 

 疑問するよりも早く、声が挟まれた。これまで聞いたことのあるいずれの声でもなかった。

 

「ここだ。聞こえているだろう」

 

 金物と石が、軽くぶつかり合う音がする。

 

 水に半ば浸かって、一振りの剣が揺れていた。水流の加減によるのではなく、自ずから揺れていているようだった。

 

 鍔と同じ幅の刀身を持つ、長方形で灰色の剣である。刃先の片側が嘴に似た鉤状になっており、鍔と刀身を跨ぐように猛禽の目が開かれていた。目は間違いなく、レトウを見ていた。

 

 目を見開いて、少女を担いだままレトウは駆け寄る。

 

 剣の傍らに膝をつき、真上から剣と目を合わせて言った。

 

「一つだけでは、なかったのか」

 

「そういう事だ。私もあの時、ほんの僅かだがあの光を浴びた。どうやら、ある程度の量を浴びる必要があるらしいな」

 

「あれは、お前が?」

 

「そうとも。お前たちには必要だったろう。そういうわけで、その貸しの分だけお前たちは私に便宜を図る義務がある。そうじゃないか?」

 

「……何を求める」

 

「そんなこと、わかっているだろう? だがそうだな、今の所は……」

 

 剣は目を細めた。笑みの形だった。

 

「もう少し、お前たちに恩を売ってやってもいい」

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