流れる星の物語、あるいは危険な神器を捨てる旅の顛末   作:一星屋

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004 帰還

「また来たのか、ナシア」

 

 ミハシラを望む見張り場の突端で、五の長老・戦士衆のモディクは地を擦る足音にちらりと振り返った。モディクの筋肉質な肩の向こうで、長い黒髪の女が憔悴した目を半ば伏しながら落ち着きなく立っていた。昨日の昼から数えて、知る限り八度目の来訪である。

 

 しかたないことではあろう、とモディクも思う。とはいえ昼も夜もなく繰り返し訪われては、女の身に不安を覚えないではいられなかった。

 

 次男と長女が大きくなってはいるから、ほんの一時家を預けるくらいは確かに出来るだろう。だからその点について心配はない。

 

 気がかりはナシアの内面にある。ナシアが実の所、昔と然程は変わっていないことが透けて見えて、それがどうにも心配を煽ってならなかった。

 

 ウシェンと所帯を持ち、子も多く生まれて、長い時間が経った。落ち着いたかと安心していたのだが、過去はただ埋もれていただけなのだろう。そしてもしかすれば、埋もれたが為に人格の礎にもなってしまったのかもしれない。

 

「どうですか」

 

 ナシアはモディクの隣に立ち、言った。香草を用いた、冷たく甘い茶のような声だった。

 

 モディクは首を振って応えた。

 

「もうじきに来る。さっきも言っただろう」

 

「はい、ですが」

 

「わかってるよ。だからといって、だろ」

 

 モディクはナシアに聞こえないようため息をついた。

 

 神器捜索に出ている各部隊の健在が確かめられた時こそ喜びを見せたが、すっかり元の調子に戻っていた。

 

 その気持ちがわからないわけではない。

 

 心配するなと言われて、心配しなくなる人間がどれだけいるものか。

 

 ましてや、息子と夫がその気持の先である。到底落ち着いてなど居られるものではない。

 

 それでもナシアの振る舞いについて言えば、不安に体を乗っ取られているようにさえ見える。あるいはただ、ナシアがどこまでも正直に生きていると見るべきなのだろうか。

 

 後者であるなら良かったのだが。モディクの知る限りで言えば、これは前者である。今のナシアは不安の操り人形だ。そういう女なのだ。そうなってしまった。

 

 昔、ナシアが吐露した無限の不安の話をモディクは思い出した。

 

 ある不安がなくなった所で、次の不安が現れる。一の次に二があり、二の次に三があり、三の次に四があるように。それは限り無く繰り返しうる。いつもの自分が平気なのは、単に忘れているからに過ぎない。

 

 聞いたのは確か、小さい頃のレトウが風邪をひいた時だった。結局大したことにはならなかったし、その後も子供たちを次々に産んでいたから、昨今では立ち向かう強さを取り戻したのかとさえ思っていたものだが。まあ、本人の言う通り忘れていただけなのだろう。

 

 ナシアを弱い女とは言うまい。むしろ、根は強い女のはずなのだ。

 

 だがどうしても不安に囚われがちな性向はある。そして、その由来を知るだけに滅多な事は言えない。

 

 不安を拭ってやれるなら出来るだけのことはしてやりたかったが、人を宥めることに関する無骨はモディクも自認するところだった。

 

「これから」

 

 モディクは目を丸くして振り向いた。ナシアは麓を見下ろしたままだった。

 

 山が降ってきてからというもの、夫や息子を探し始めたナシアがこうして話しかけてくることはなかった。

 

 そこになにか、脇道にそらすだけの気がかりでもあったのだろうか。

 

「これから、世界はどうなって行くと思いますか?」

 

 正直に言って、モディクは要領を得なかった。ナシアはどうしてその様な事を聞いたのだろうか。

 

「なんだって、そんな事を聞くんだ?」

 

「心配ですから。川の流れが変わってしまったなら、これまで通りにはいかない。この村も……子供達も、きっと」

 

 あくまでも、家族につながることだったか。

 

 モディクも納得がいった。 

 

 世界情勢については、モディクも気にかけるところである。北の冠の変動は川の流れの変動へと即座に結びつき、村の近くでも西に新たな川が既に見つかっている。

 

 北極の民にとっては、大きな変化だ。しかし以南に住まう人々からすれば、相対的にささやかな変化に過ぎない。このささやかな変化から始まる無数の変化に、以南の人々は晒される事になる。そして、その影響が巡り巡って北極にまで及ぶ可能性は決して否定できない。

 

 もし、人々が思い描いていた未来と、世界や神が用意した未来とのズレにナシアが不安を感じたと言うなら、モディクはむしろ安心さえ覚えられる。それは誰もが抱く不安であり、故に他の人々と手を取り合うことが出来る。多少なりとも、慰めの道筋は見えている。

 

「そうだな。まず、ラマドナスがどれくらい頑張ってくれるかってことになるが……今の皇帝は中々のもんだし、なんだかんだでラマドナスが持つ神器は多い。仮に分裂しても、結局はまとまるだろう。それに北極砦の姫さんが順当に次の皇帝になるってんなら、その後も安心してもいいんじゃねえかとは思う。あの若さであそこの守護を任されるってんなら、今の皇帝も信用を置いてんだろうしな」

 

 ナシアの不安がそうした、言ってはなんだがありふれたものであるとするなら、他者との協調も見込んでこうした月並みな意見を述べるのが適当だろう。他者と意見の一致を見れるというのは、ただそれだけでも安心材料に成りうる。

 

 それに結局、この村の気がかりが何処に行き着くかと言えば、やはりラマドナスということになるのだ。

 

 この村からまっすぐ南に下った所の大国、ラマドナス。長いこと消極的な協調体制をとって来たこの国がある限り、村は概ね平穏を保つことが出来る。

 

 村はミハシラから流れ来る神器を封じこそすれ、以南の国々が扱う神器を徒に奪い取るような真似はしない。そしてラマドナスは神器が民間へ下手に流出することを望まず、その点で言うなら村の行いは予防策として機能してくれる。

 

 村のものなら誰でも知っていることだ。そして誰でも知っているからこそ、考えとして飛びつきやすい。

 

 村の意思決定機関に列するモディクとしては、ナシアにもその辺りで落ち着いて欲しいところだった。

 

「……そうかも知れませんね。ですが、川の流れがこれ程に大きく変わるなんてことはずっと無かった。ラマドナスでも、方針を変えるなんてことは」

 

 良くない流れをモディクは敏く感じた。

 

 今のナシアはやはりというべきか、無限の不安の只中にいる。不安の操り人形であるという見立てに間違いはなく、自ら不安を求める状態にまで踏み込んでいる。恐らく、不安の無いことにまで不安を覚えるようになってしまったのだろう。

 

「そん時ゃ、そん時だ。俺たちも腹を括って、ご先祖様方に詫びを入れる。それまでよ。いかにラマドナスが大国でも、俺たちほど神器を持っているとは思えねえからな」

 

 こうなってはもう忘れさせるより他にない。だがどうすればナシアは不安を忘れることが出来るだろうか。

 

 まるで見当がつかなかった。とりあえず安心材料で押して見ることにはするが、相手は無限の不安である。一つ解決したところで、すぐに次の不安が立ち現れて来るのだ。

 

 最終的には無形の不安となるのだろうが、そうなるとまた厄介だ。それはつまり、ただただ不安、わけもなく不安であるということであり、もはや解決材料を投げてやることすらできなくなる。

 

「戦争になりますね」

 

「なっちまうってんなら、しょうがないのさ」

 

 ここから展開するとすれば、混乱に乗じて盗賊が増えたりするでしょうね、とかだろうか。あと、隣村に起こったことは具体的になんだと思いますとか、同じことがこの村に起こったりなんてことは、ということも在るだろうか。

 

 モディクが内心で頭を抱えた、その時だった。

 

「モディク長老!」

 

 走りきた戦士の呼びかけにモディクは振り向いた。真顔の中で、微笑みが隠しきれず尻尾を晒していた。

 

「どうした!」

 

「ウシェン隊が見えました! 全員健在! まもなく到着します!」

 

「よしきた! 良かったなナシ……」

 

 その背中はもう遠くなっていた。随分と疲れた様子に見えたのだが、見立てを誤っていたのだろうか。モディクも戦士として、人の体調は見てわかるようにしてきたつもりである。しかし如何に歳経てみても、学ばねばならぬ事は多いということだろう。

 

 モディクは肩をすくめて笑った。

 

「まあ、不安を忘れられたなら良いだろ……後で集会所に来るようウシェン達に言っといてくれ。少し休んでからでもいいってな」

 

「わかりました!」

 

 とんぼ返りに走り去る戦士を見送って、モディクは深呼吸する。

 

「どれ、先に行って爺様婆様方に戦士たちが揃ったって言わねえとな……」

 

 

 

 

 

 

 

「ウシェン!」

 

 駆けてくる母・ナシアの姿を見て、レトウは咄嗟に一歩ひいた。

 

 父は箱の神器を右の小脇に抱えたまま、左腕を広げて縋るような抱きつきを受け止める。

 

 嗚咽する頭一つ小さい母の背中を撫でて、しかし微笑みを浮かべるでもなし。

 

 いつもどおりの両親の姿に、レトウは己が身の脱力を感じた。まだ日は高かったが、ゆっくりと眠りたい気分だった。

 

 山降り、想定外の渡河、隣村の爆発、そして神獣。定例の神器捜索に過ぎなかったはずが、思いがけぬ冒険をするハメになって心身共についていけていない。

 

「レトウも、おかえりなさい」

 

 父を離れた母からレトウは抱擁を受ける。だが母はすぐに気付いて、離れて言った。

 

「……その娘は?」

 

 それにそう、この娘だ。

 

「道中で拾いました。もしかしたら、隣村の生き残りかもしれません」

 

 母は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに疲れから飲まれた様子だった。

 

「そう……」

 

 背に負ったカワビトの少女は、まだ目を覚まさずにいる。ここまでの山道を辿る中で、どれほど目を覚ましてはくれないかと思っただろう。思いがけず元気な呼吸に耳元をくすぐられたり、つるりとして弾力のある肌が膨縮する動きからはドギマギさせられたものだ。

 

「母上。彼女を診療所に連れて行ってくれませんか。事態が事態ですから、私達はこの後に集会所へ呼ばれるでしょう」

 

 この少女とて、集会所に招かれる身の上であるに違いない。とはいえそれも、目を覚ましていないことには話にならない。

 

 もし少女が隣村の者で間違いなかったら、聞かねばならない事は山ほどある。よって、是非とも目を覚まして貰う必要がある。そして、負っているかもしれない心の傷が癒える時間を、自分たちは待たねばならないだろう。診療所に詰められていれば、そのための名分は立つ。

 

「わかりました」

 

 母は力強く応えてくれた。重みと張りのある顔つきだった。

 

「その娘の事は任せておきなさい。二人は二人がするべきことに専念して、早く終わらせてしまうように。ご飯の用意をして、家で待っているからね」

 

 母はそれから呼びかけて女手を集めると、少女を皆で担いで診療所に連れて行った。 

 

 背中に残る温もりに、レトウは一抹の寂しさを禁じ得なかった。

 

 しかしあの少女に対する印象は正直、性に基づく感想以上に道中の労苦が勝る。気絶した人一人を担いでの山岳行は、苦労という点において想像を絶した。支えてくれた戦士たちには今後何らかの形で報いなければなるまい。それに、ニナイにも。

 

 腰に提げたニナイは、道中ダンマリを決め込んでいた。

 

 父の仕打ちに怒っていたところが大きそうだが、だからといって気遣いをやめるような奴ではないらしい。こっそりと珊檎樹液を拭ってからはカワビトの少女の重量をいくらかレトウに移し、山歩きの安定に寄与してくれたことをレトウは知っている。

 

 ニナイとの間に結んだ取引を、どうにか成就させなければならない。そう考えると未達の事項も随分と残っていることに気がついて、ますますもって疲れを意識しないでは居られなかった。

 

 後回しは次なる未達の発生に関わるが……しかし、疲れた心身でしてみても十分な成果を得ることも出来ないだろう。最低限、することをしたら家に帰って眠ろう。レトウはそう決めた。

 

「ウシェン隊長!」

 

 母と入れ替わりに一人の戦士が駆けてくる。

 

 ウシェンはすぐに振り向き、応えた。

 

「どうした」

 

「モディク長老が、このあと集会所に来るようにと。少し休憩をとってからで良いということでした」

 

「わかった。軽く食事をとってから行こう。お前は元の仕事に戻れ」

 

「はい! それでは」

 

 戦士が走り去る。ウシェンの小さなため息が聞こえて、レトウは顔色を伺った。きっと疲れのせいだろう。見るまでもないことだったが、ため息の意味を確かにしておきたかった。

 

「今の内に食って、飲んでおけ」

 

 レトウが答えを出すよりも早く、父は踵を返した。戦士たちにも伝えておかなければならなかった。

 

「もう一仕事すれば、休めるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 此処に立ち入るのは、確か戦士となる就任の儀式以来だったか。

 

 磨かれた木張りの階段を踏みながら、滲むような懐かしさが妙に可笑しくてレトウは我知らず微笑んだ。確かにここは、近くて遠い場所である。そうとなるのは、むべなるかな。

 

 集会所は村の中心に在る、村で最も大きな建物である。必然的に日常の中で目にし、極めて身近な場所であると同時に、その役割柄レトウたちのような役職なしには縁遠い施設でもある。

 

 子供の時分には大きさに誘われて探検を目論んでみたりはするものの、すぐにただ広い空間があるばかりと知れて幼い興味の枠から弾かれ、遊び場と見出しても大人達が汚れることを嫌い子供達を叱り遠ざける。

 

 結果として、あえて入るような理由は失われる。

 

 ここ二年ほどの事を思い出してみても、レトウが中に入った記憶へ行き当たることはなかった。そしてその二年前の記憶と、今の内装はほとんど変わりないように思える。飾られた花が違うくらいのものだろう。

 

 戸口を潜った先の広間、上座に座り待ち受ける五人の老人の正面、離れた位置でウシェンが正座すると、レトウもその斜め後ろで足を畳んだ。

 

 本来、レトウが座る位置はもっと後ろの戦士たちと同じ列である。だが今回は、ウシェンがそこに座るように言ったのだ。

 

 レトウを含め、戦士たちに否やはなかった。そうするだけの理由は、もはや誰もが心得ている。

 

「揃ったか」

 

 五人の老人の内、中央に座す一の長老が言った。

 

 背は曲がり、長い白髭も細く、皺寄って肉の失せた顔は柔げで、胡座から覗く足首は骨に皮の張り付くばかりと見紛うような、しかし目の色はくっきりとした長髪の翁である。

 

「はい」

 

「いや、待て。何故レトウがそこに座っている」

 

 左から二つ目に座る老爺、二の長老がウシェンの応答に口を挟んだ。

 

 細面に釣り目釣り眉の、老いてなお優男の風情を失わぬ男である。

 

「お前の息子だからといって、今は一介の戦士に過ぎん。出過ぎた真似をするな」

 

 予期された指摘を受け、レトウは横目に父を見た。ウシェンもまたレトウを見て、小さく頷くと二の長老の目を見ていった。

 

「二の長老、これには此度の出来事に関わる理由あってのことです。後程、それは詳らかにいたしますので、まずはご容赦を」

 

「ふむ……ならば、良いだろう。その理由とやら、とくと聞かせてもらおうか」

 

 二の長老はそれで矛を収めた。それから同じく並ぶ三と四、五の長老の顔を伺い、それから一の長老に言った。

 

「整ったようです」

 

「そうだな」

 

 一の長老が重々しく頷くと、二から五の長老は背筋を伸ばす。ウシェンにレトウ、戦士たちもこれまで以上に姿勢を正し、体の隅々まで息を入れた。広間そのものさえ、深く息を吸ったようだった。

 

 一の長老は続けた。

 

「では、始める。今回の聞き取りは山降りの及ぼした諸々の事象について、外に出ていた戦士たち全てに行っているものだが……ウシェン、お前の部隊はどうやら多くのものを見つける事になったようだな」

 

 ウシェンの膝の上に、レトウの腰に、行く時になかったものがあるのを長老たちは見逃さなかった。

 

 レトウたちも隠すつもりはなかった。箱の神器は珊檎布に包まれ、ニナイは目も口も閉ざしたままだったが、見える位置に携えていた。

 

「はい……長老衆の方々、予め気を強くお持ちになられるよう言っておかねばなりません」

 

「……危険な神器なのか」

 

「危険というだけでは収まりません。天に座す神はきっと、この神器を他の神器の上に置かれていたでしょう」

 

「それほどまでか」

 

 ざわめきは無かった。戦士たちは皆、帰りの道中にその力の程を聞いて知っていた。

 

 長老衆は互いに顔を見合わせたが、口の重みに勝るものでは無かった。

 

 ウシェンは続けて言った。

 

「直接、私が見たわけではありません。その力を見たのは息子のレトウです。レトウ」

 

「はいっ」

 

 声が上ずらなかったのを、自分で褒めてやりたいくらいだった。

 

 長老衆との会合に出るのも初めてであれば、そこで発言するのもまた初めてのことである。

 

 長老衆の人々も、知らない相手ではない。殊に五の長老、モディクに至っては父と年の離れた友人関係を築いていることもあって、幼い頃から世話になることが多かった。

 

 とはいえ、こうも畏まった状況で向き合えばやはり話は変わる。自分はまさに、二の長老が言ったような一介の戦士に過ぎない。そして長老衆は村の意思決定機関であり、レトウやその家族の今後に関わる事も難しいことでは無いのだ。

 

 その場で、これから箱の神器について話をする。そしてその話をするとなれば、ニナイの事は避けて通れまい。だが、ニナイが話をしてくれるかどうかは未知数だ。話してくれるにしても、何を話し出すものかレトウにはわからない。

 

 挑発はしても、挑戦的なことはしないだろう。そうした確信は抱けてしまうことが、緊張に輪をかける。人物像、というのも妙な話かも知れないが、内心はわからずとも深いところで性格を理解してしまったがために、穏やかには終わりそうにないという予想だけが先走る。

 

 だが腰のニナイを見ると、レトウは気を奮い立たせた。

 

 ここまでの流れで力を振るうような気配がないのだから、話し合いに参加する意思はあるはずである。そして話すような性格であるとわかる以上は、そこに関しては不安を抱く要素など無いのだ。

 

「こちらを」

 

 レトウはニナイを腰から外し、床に置いた。

 

 最も左に座る四の長老がぴくりと片目の眦を上げる。紅い樹形の紋様を全身に施した、丸くて優しげな媼である。

 

 四の長老が他の長老に先んじて言った。

 

「それが、その神器ですか?」

 

「いえ、アティカ長老。これは父の言う神器とは別の、しかし関わりある神器です。名は、荷内の神器」

 

「その名はレトウ、お前がつけたのですか?」

 

「いいや?」

 

 床に横たわるニナイが悪戯げに大きく目を開いて、じろりと四の長老を見ながら応えた。

 

 四の長老が小さな悲鳴を上げ、軽く飛び跳ねて後ずさる。

 

 他の長老も似たようなものだった。二の長老はたまらぬといった様子で立ち上がり、髪を黒く染めた三の長老は大げさに両手と一つ結びを振りながら後ろへと倒れ込んだ。

 

 一の長老と五の長老は動かなかったが、二人共に目を大きく見開いている事は他の長老と同じだった。

 

 長老たちの息遣いが部屋の中に反響する。荒い息である。老体に対して驚かせすぎたかも知れない。だがニナイを紹介するとなれば、避けては通れぬ道である。

 

「くくっ、くっくっくっ、いや、驚かせすぎたな。だがこれで、お前たちの覚えも随分と良くなるだろう? もちろん此処での覚えとは、私のことを忘れられなくなるという意味だ。まずはそこから始めてもらわなくてはな」

 

 いかにも愉快と言った風に、ニナイはカタカタと動いてみせる。金属質なニナイの体が木の床を傷つけまいかと心配になったが、今はそんな心配をしている場合でもない。

 

 それに古い建物である。傷ならば既にいくらもついているのだ。これ以上ついたところで、歴史の一部になるばかりであろう。

 

「これは件の神器の力を受け、半端に神獣となった神器です。名は本人から聞きました。以前、そう呼ばれていたそうです」

 

 長老衆が驚いた事もあってか、レトウはすっかり落ち着きを取り戻していた。会議の場にわだかまっていた騒々しさは全部持っていかれて、もうレトウの分前が残っていなかったという具合である。

 

「そういうわけだ。レトウはもっと縮めて、ニナイとか呼んでいるが……まあ、好きに呼んでくれていい。我々は長く顔を突き合わせるような関係にはならないだろうからな、そうだろう?」

 

 慌てふためいた長老たちは、やがて顔を見合わせるとめいめいの席に戻り息を整えた。興奮冷めやらずか、三の長老などは細かに体を揺らしている。

 

 レトウの知る限り、三の長老は気の強い女である。渉外衆の長老である彼女はその役にふさわしく、肝の座った人物であるように記憶していた。

 

 その三の長老がこのような様子を見せるとは、もしや体に不調をきたしてしまったのだろうか?

 

 レトウは不安に駆られて言った。

 

「ソヴァル長老、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ。大事無い。大事無いが、これはまた……」

 

「面倒なモノを持ち込まれたな、といったところか? なに、遠慮はいらん。実際問題、私の存在はお前たちにとって厄介そのものといったところだろう。まあ楽にすると良い。その点について、私も自覚しているところだ。そしてその点については話し合いの余地がある、と私は考える。おい、チンピラ親父。早くその話を出来るよう、進めたらどうなんだ?」

 

 チンピラ親父と来たか。

 

 父をそのように言われてはレトウも顔をしかめずに居られなかったが、ニナイが受けた仕打ちや悔しさを思うと口に出して非難することは出来なかった。

 

 レトウとしても約束の履行が滞っている。父としての立場や、恐らく経験がそうさせたのではあろう。とはいえやはり、レトウのレトウたる部分が反故にはしたく無くて胸の奥がモヤついた。常温の油をそのまま飲んだような気分だった。

 

 肝心の父はどこ吹く風という様子で、ニナイの言葉も聞こえて居なかったように珊檎布へと手を差し入れている。

 

 長老たちはニナイの言い様に面食らって、目を点にしながらも父の行いの先を見ていた。

 

 父は先に、箱の神器をしっかりと掴むことにしたようだった。珊檎布を取る際に事故が起きないよう万全を期しているのだろう。思惑通り、白く煌めく箱は大過なく長老たちの目にかかることとなった。

 

 五の長老が苦笑していたのを除けば、戸惑っていた長老たちも本命の神器の登場に居住まいを正した。

 

 父が言った。

 

「これが、件の神器です」

 

 父がレトウを見た。

 

 レトウは頷いて引き継ぎ、言った。

 

「私は今朝、皆よりも早く起きて野営から水際へと降りていきました。水を汲もうと思ったのです。そこで、隣村の者と思しきカワビトの少女が気を失って打ち上げられているのを見つけました。彼女は今、診療所に預けています。目が覚めたらもっと詳しい話を聞けるかも知れませんが、今はご勘弁ください」

 

 見えるはずもないのに、レトウは診療所がある方角に顔を向けた。ここからではちょうど左前の方にある。重要な施設ということもあって、この集会所と同じく村の中央近くに建てることが許されていた。

 

 長老たちもつられて、レトウが見た方向へ顔を向ける。静寂がほんの少しの間訪れて、やがて示し合わせたようにレトウと長老たちは顔を向き合わせた。

 

「話を戻しましょう。この箱の神器は、その少女が抱えていたのです。私は彼女を助け起こし、しかし神器の存在に気づかず取り落しました。転げ落ちた神器は口を開けて光を放ち、このニナイとはまた別の神器へと浴びせて……浴びせられた神器は、神獣となったのです」

 

 呻き。

 

 唸り。

 

 苦悶。

 

 長老たちが顔を見合わせ、言葉にならぬ音を交わす。野性的な伝達はしかし不調和の兆しを見せず、三と四の長老は頭を抱えた。

 

「神器を神獣へと戻す神器、か」

 

 代表となったのは、当然というべきか一の長老だった。

 

「それも、ただ光を浴びせただけで為しうる。一度に一つならず、またこの神器の損なわれることもなし……四の長老」

 

「この神器を蔵に収めることは、恐ろしく思います。ただ蓋を開き、ただ光を浴びせるだけというのは、あまりにも容易い。些細な事故が村の滅びを招きうる……置いておく事は、賛成出来ません」

 

「この神器のための、専用の蔵を建てるのはどうか」

 

「その力の程が定かでない以上、それで安心は出来ません。神器の力は常の理屈で計りえぬもの、光が壁の妨げを貫くということも有り得るでしょう。それに蓋を開くのみにて為しうるなら所有者が要らず、珊檎樹液が意味をなさない可能性も高い」

 

「それでも、封じるが我ら北極の民の定め。そうではないか」

 

「そうであるからこそ、これは殊更に危険なのです。これが隣村を滅ぼしたのだとすれば、納得が行く。神器を多く持てるものこそ、この神器は脅威の度を増すのです」

 

 一の長老は腕を組み、頷いた。それから三の長老を見て、言った。

 

「三の長老、これはラマドナスに預けられまいな」

 

「それはあるいは、ラマドナスによる世界統一の契機となるかもしれません。ですが、掻き立てられた野心は必ずや圧政へと誘うでしょう。我々が標的とならぬ未来はなく、世界は前途を閉ざされうる」

 

「今の皇帝も、次の皇帝と見込まれるものも、弁えているように見える。それでもか」

 

「今の皇帝が弁え、次の皇帝も弁えても、その次、次の次となれば、志は途絶えます。その頃には今の時代を直接に知る者は無くなり、その者が浴する栄華のさらなる発展を求めるようになるかと。この神器がその時手元にあれば、使う理由はあっても使わぬ理由はありません」

 

「……五の長老」

 

「一の長老、俺たち戦士衆に何をお求めかはわかりますが、流石に酷ですな。万端に準備を整えても、神獣相手に十分ってことはまずない。ご先祖様方に砂かけて、神器を使い放題ってなら話は別ですがね。それに準備万端の状態ってのは、長く続けられないもんです」

 

「やはり、そうか。二の長老は、何かあるか」

 

「内計衆から申せる事は、ほとんどありません。巫子衆を支持するくらいでしょう。我々北極の民もまた人、それぞれに思惑を持ちますれば置いておくことは出来ません。これを用いて北極の民を統べる、そうした野望の端緒にも成りうるかと」

 

 一の長老の深い溜め息が、他の者の言葉を吹き払っていく。

 

 腕組みを解いて膝に手を置き、唇を真っ直ぐに引き結んで瞑目すると、後には皺の一つさえ動く様子を見せなかった。

 

 ニナイも口を挟むことはしなかった。目を細めて、一の長老の様子をうかがっていた。

 

 己の心音を煩わしく思えば、そのために心音は殊更に煩わしくなる。緊張は、宥めようとすればするほどその力を増す。

 

 レトウはただ息を吸い、心身が空気に冷えるのを待った。

 

 一の長老は、冷え切る前に言った。

 

「我ら北極の民を排さんとするようなその力、悪戯なる神の御意志を感じずにはいられぬ。この神器を、神意の神器と名付けよう。これは、村に置いておけぬ。さりとて、他の国々に渡すこともまかりならぬ。即ち、この世に置いておくことさえ出来ん。ならば、取れる道は一つしか無い」

 

 薄っすらと開かれた一の長老の目に、忌々しげな、恨みがましげな揺らぎを見て、レトウは微かに身震いした。一の長老と関わる機会は普段なく、その人柄を詳しく知っているわけではない。それでも知る限りにおいて言えば、その目は見慣れぬものだと言えた。一の長老から得られる印象からは乖離していた。

 

 一の長老は、北を見た。レトウからすれば右後ろである。そのまま天井越しに高く仰いで、それからうなだれて言った。

 

「天より来るモノは、天へと返すのが良い。伝承の語る所によれば、天より注ぐ北のミハシラと対をなす、天へと注ぐ南のミハシラがあるという。この神器は捨てるより他にない。誰かが南極まで赴き、南のミハシラへと流さねばならぬ」

 

 ニナイの細めた目が、ニヤリと歪むのをレトウは見た。

 

 そして、はたと気がついた。己の周りをうろつく、運命の尾を掴んだような、そんな気分だった。

 

 この半器半獣に対して、何処まで義理を貫くべきなのだろう。

 

 いや、その是非を諮る段階ではもはやない。己の内に潜む全ての自分が、そうなるならば従おうと既に決めている。

 

 己の弱気と強気、過去や、未来への不安も、今や迷ってはいなかった。

 

 それは短慮なのかも知れない。

 

 だとしても、自分の在り方に背くなどレトウには出来なかった。ただ、胸を張って生きたかった。

 

「相応しきものを選ばねばなるまい」

 

 一の長老がそう言った、その時だ。

 

 にわかに集会所の外が騒がしくなり、見れば女達が入り口に屯しようとしているところだった。

 

「何事か! 今は大事な話をしているのだぞ!」

 

 二の長老が叱責する。

 

 応えはなく。代わりに、女達の中から一人の少女が支えられて進み出てきた。銀色の長い髪に、末端へ行くにつれて濃くなる薄青の肌。

 

 レトウは目を瞠った。

 

 あのカワビトの少女だった。

 

 少女は言った。甘酸い果樹の枝を焚べた時の芳香をレトウは思い出した。

 

「そのお役目」

 

 少女は苦しげに深く息を吸う。だが、言葉は止まらなかった。

 

「私にお与えくださいませんか」

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