久しぶりのカナエさん回または後藤さん災難回
ずっと好き
最近の俺は運が悪い。
鬼殺隊・事後処理部隊隊員、後藤は切実にそう思う。
いろいろ考えることが多すぎて寝不足だし、蜘蛛のような鬼のいる山での仕事はかなりきつかったし、鬼になった妹を連れた隊員のせいで本部では怒られるし、そして、極めつけは――
「後藤さん」
右には元炎柱、煉獄結火。
「後藤さん?」
左には元花柱、胡蝶カナエ。
二人とも視線をこちらに向けている。別に睨まれているわけではないのに、凄まじい気迫に圧倒される。流石は元柱、というべきか。
え、なにこれ、なにこの状況。
もしかして、俺、今ここで死ぬの?嘘。
なぜ、なぜ、こんなことに――?
後藤は冷や汗が流れるのを感じて、ゴクリと息を呑んだ。
ああ、本当に俺は運が悪い――。
そう考えながら、後藤は1時間ほど前の出来事を思い出していた。
◇◇◇
今日、後藤は任務のために蝶屋敷を訪れた。任務で怪我をした隊員を蝶屋敷の少女達に引き渡し、
「それじゃあ、失礼します」
と挨拶をする。今日の仕事はもう終わったし、すぐに自宅に帰れる。そのはずだった。
「ねえ、後藤さん」
そう後ろから話しかけられて、硬直する。
この声は――、
振り向くと思った通り、胡蝶カナエがそこにいた。
「は、はい。なんでしょうか……?」
カナエは穏やかで優しい女性だが、一対一で話すとなるとやはり緊張してしまう。カナエは少し首をかしげながら、口を開いた。
「あのね、ユウさんは、ここにはこないのかしら……?」
「はい?」
「話したいことがあるのに、あの方を全然見かけないの。まさか、辞めた、なんてことはないわよね……?」
「え、いや、辞めてはいませんが……」
そう言うと、カナエはホッとした表情を浮かべた。
「ああ、よかった。この間ね、私がとても失礼なことをしてしまって……、それから全然ここに来なくなっちゃったから、心配していたの」
「は、はあ…」
そう言えば、と後藤は思い出す。何日か前、足を痛めたらしい結火が憂鬱そうな顔で帰ってきた。蝶屋敷で足を診てもらったのか、と尋ねると曖昧な返事しかせず、その日からずっと暗い顔をしている。足を痛めたことを理由に、最近は書類業務や簡単な事後処理を中心に働いていた。
「……あの人でしたら、今日は書類業務をしています」
「あら、そうなの……」
少し考えるような顔をしたカナエは、後藤にグッと顔を近づけてきた。突然のカナエの行動に驚いて、後藤は思わず後ずさりしそうになる。
「ねえ、後藤さん。お願いがあるの」
「は、なんでしょうか……?」
「この後、お時間はあるかしら?」
「え?はあ。仕事も終わったので、帰るところですが……」
そう答えると、カナエはニッコリ笑った。その笑みを見た後藤は、なぜか嫌な予感がして、ブルッと震えた。
◇◇◇
煉獄結火は仕事部屋で淡々と報告書を書いていた。今日は他の隠は、もう仕事を終えて先に帰ってしまった。一人きりでの仕事は集中できていい。一段落したので、筆を下ろし、思い切り伸びをする。
腹が減った。何か食べようか。甘いものが欲しいな。ようかんとか……。
そう考えながら、書類をまとめていたその時だった。
「ユ、ユウさーん、ちょっと、いいか?」
後藤の声が聞こえた。結火は首をかしげる。なぜか後藤の声は微かに震えていた。声も小さい。立ち上がって扉を開ける。
「後藤さん、どうし――」
「こんにちは」
扉の向こうにいたのは、今最も会いたくない人だった。胡蝶カナエが笑顔でそこに立っている。
反射的に扉を閉めようとする。それをカナエが足で阻止した。結火は唇を引きつらせながら、声を出した。
「――なんで」
「あなたと、どうしてもお話しがしたくて」
カナエがそう答え、結火は思わず大きなため息をつきそうになった。カナエの隣では、後藤が戸惑ったようにオロオロしている。
そんな後藤に、結火は声をかけた。
「後藤さん、これは一体どういう事でしょうか」
冷静にならなければ、と思っているのに、後藤を問い詰めるような聞き方になってしまった。後藤がビクリと震えて、こちらを向く。
「あっ、あっ、……いや、あの、えっとですね、……これには海より深い事情というものがございまして――」
動揺のあまり、カナエの前だというのに、結火に対して敬語になっている。後藤に代わって、カナエが答えた。
「どうしてもあなたとお話したくて、……後藤さんにお願いして、ここに連れてきてもらったの」
「……」
無言で後藤に視線を向けると、後藤が結火から視線をそらして、ダラダラと冷や汗を流していた。そんな様子に構わず、カナエが言葉を続けた。
「――お話、できないかしら。できれば、二人きりで……」
結火は思わず頭を抱えそうになった。この人と二人きりになりたくないし、あまり話もしたくない。その時、後藤が震えながら口を開いた。
「そ、それでは、俺はこの辺で……。あとは、お二人で、ごゆっくり――」
などと言いながら、逃げようとしたため、結火はその隊服を引っ張って止めた。
「後藤さん、書類仕事が残っていますよね?まだ帰らないでください」
仕事など残っていなかったが、二人きりになりたくなさすぎて、結火はそう言って後藤が帰るのを阻止した。
それを見たカナエが頬に手を当てて、後藤に声をかける。
「あら、もうお仕事は終わった、と言ってなかったかしら?ね、後藤さん?」
二人に挟まれた後藤の顔色が青くなっていく。
「後藤さん」
結火が視線で助けを求めるように名前を呼んだ。
「後藤さん?」
カナエの方は、察して、と言わんばかりの視線を向けている。
俺にどうしろと言うんだ――!
後藤はその場で叫びそうになった。
しばらく後藤を間に挟んでの攻防が続いたが、やがて結火の方が諦めたようにため息をついた。後藤の隊服から手を離す。そして、
「――どうぞ、胡蝶様」
とカナエに声をかけて、部屋に招いた。カナエの顔がパッと輝く。
逃げてはダメだ、と本当は分かっている。結火の個人的な理由でカナエを避け続けていては仕事ができない。気は重いが、この辺で、きちんとけじめをつけるべきなのだろう。結火は後藤に深く頭を下げた。
「後藤さん、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「え、えーと、大丈夫、なんですよね?」
散々振り回されたというのに、この人は結火を心配そうに見ている。先輩、本当に優しいなあ、と思いながら、結火は頷いた。
「はい」
短く答えると、後藤は心配そうな顔をしながらも、ペコリとカナエと結火に頭を下げて帰っていった。
「どうぞ」
「ありがとう」
仕事部屋で向かい合って座る。お茶を出すと、カナエは静かにそれを飲んだ。
「……」
「……」
沈黙が続いた。カナエは緊張したような固い表情をしている。結火もピタリと口を閉ざし、自分の入れた茶を見つめた。
気まずい沈黙が続いた後、ようやくカナエが口を開く。
「足は、大丈夫かしら?」
その問いかけに、結火は頷いた。
「はい。腫れもひいて、随分よくなりました。痛みも、ほとんどありません。」
「そう、それは、よかった……」
カナエは言い淀むような顔をした後、ゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……」
カナエの突然の行動に、結火は何も反応できなかった。カナエが頭を下げたまま、言葉を続ける。
「――あなたに、嫌な思いをさせてしまって、本当に、ごめんなさい。私が、調子にのって、あんなことをして、あなたに不快な事を――」
「ちがいます」
結火はカナエの言葉を遮るようにそう呟く。その言葉に、カナエが頭を上げて、結火の方を見てきた。
「――ち、がうんです」
結火は小さな声を出した。言葉がつっかえる。そして、カナエに向かって、結火も頭を下げた。
「胡蝶様は悪くありません。私の方こそ、無礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」
そう謝罪したあと、そのまま頭を上げずに言葉を絞り出す。
「――胡蝶様に、その……、私の、隠している部分を見たい、と言われて、――隠されたところも全て好きになる、と言われて……、そんなわけないのに、と思ってしまい、あのような失礼な態度をとってしまいました。本当に、申し訳ありませんでした」
随分昔の話なのに、と結火は心の中で自分の不甲斐なさを笑った。隠していた事を父に話した時、父は烈火のごとく怒り、最後には勘当された。最後まで、結火の事を認めてくれなかった。思い出したくない、嫌な思い出だ。
隠し事を、自分以外の人間に曝け出すのは、もうウンザリだ。
そう考えていると、カナエが声を出した。
「……え、あの、じゃ、じゃあ――」
戸惑ったようなその声に、結火は思わず顔を上げた。カナエが一気に近づいてきた。結火は動揺して、身体を硬直させる。
「わ、私が、ああいうことをしたことに対しては、――怒ってないの?」
「……はい?」
「ほら、あなたの足に……」
その言葉に、結火は思い出す。そうだ。そういえば、この人に、足を撫でられて、唇を押し付けられて――、
昔の事を思い出し、憂鬱になっていたので、カナエにされたことはすっかり忘れていた。
「……」
「ユウさん」
無言になった結火の手を、カナエが突然握ってきた。名前を呼ばれて、結火は返事ができず、黙ったまま彼女を見つめる。
カナエの両手が、結火の手を包み込むように握った。
「――正直に答えて。あの時、私にああいう事をされたのは怒っていないの?嫌じゃなかった?」
「……」
「今みたいに、私に触れられるのは、嫌い?」
カナエの手が、結火の手をギュッと握った。結火は数秒間目を泳がせると、口を開いた。
「――嫌では、ありません……」
その答えに、カナエの顔が輝いた。結火の顔に、自分の顔を近づけてくる。
「そう、そうなの、嫌じゃないのね!好きなのね!」
「……いや、好きとは――」
結火がモゴモゴとそう答えるのに構わず、カナエは嬉しそうに結火へ向かって微笑む。
「よかった。あなたに、嫌われてしまったと思って、本当に怖かったの……」
「……」
「ねえ、またうちに来て。あなたのためにようかんを用意しているの。あなたの大好きな、栗の入ったようかんよ。一緒に食べましょう!」
「……仕事の後であれば」
結火の答えに、カナエが何度も頷いた。
「……物好きですね」
そんな様子を見て、思わずそんな言葉が口を突く。結火の言葉にキョトンとカナエが首をかしげた。
「え?」
「――こんなにも、面倒くさくて、愚かで馬鹿な女を、まだ好いているんですか」
結火がそう言うと、カナエがまた笑って頷いた。
「もちろんよ」
「……」
「言ったでしょう。あなたの全てを好きになるって。あなたの全てが欲しいの」
「……」
「あなたが、何を隠しているのか、それは分からないけど……、一つだけ、信じて欲しいの。私があなたを嫌いになるなんて、絶対にないわ。絶対に。」
「……」
「私の気持ちを形にできればいいのに……。あなたが、信じられないのならば、伝え続けるわ。ユウさん、好きよ。ずっと、ずーっと、好き。あなたの事が、好き」
紅潮した美しい顔、重なる指先が熱い。じわり、とカナエの言葉が心に染み込んでいくような感覚がする。
その時、一瞬結火の瞳が揺らめいたような気がして、カナエはそれを真っ直ぐに見つめる。
涙は見えないのに。
なぜか、彼女が泣いているような気がした。