「……あのー、大丈夫ですか?」
「……」
後藤は疲れたような顔をしている結火に声をかける。結火は無言で頷いた。
胡蝶カナエとお互いに謝罪をした翌日、結火は後藤と共に任務地へと向かっていた。今日は少し離れた森での任務だ。後藤が結火の顔を覗き込むようにして口を開く。
「結火様、顔色が悪いですよ。本当に大丈夫ですか?」
「……昨日あまり眠れなくて」
結火はぼそぼそと答えた。
「また寝酒しましたか」
「違います。……いろいろ、悩んでて」
結火が頭を抱えながらそう答えた。そんな結火の様子を見つめながら、後藤が恐る恐る声をかける。
「……胡蝶様との事ですか?」
「……」
結火は何も答えない。しかし、
「昨日、告白の返事をしたんですか?」
後藤のその言葉に目を見開いた。ゆっくりと後藤の方に顔を向ける。
「……ご存知だったんですね」
「あ、あー、えーと、まあ、その……ちょっとしたきっかけで知ってしまって……」
後藤が言いにくそうにモゴモゴと答える。
「あの、後藤さん、この事は……」
「あ、大丈夫です!誰にも言いませんから!」
慌てたように後藤がそう言って、結火は安心して胸をなで下ろした。
「……えーと、それで、気になるわけじゃないんですけど、そのー、告白の方は……」
「……」
結火は沈黙した。後藤は更に質問を重ねる。
「……結火様は、胡蝶様の事を、その、好き、なんですか?」
「……」
気になるわけじゃないとか言ってるくせに、相当気になってるじゃないですか、と言いたかったが、その言葉を飲み込み、結火は渋々口を開いた。
「……好き、ではありません」
「あ、そ、そーですか」
後藤がなぜか残念そうな表情をした。結火は少し迷いながら再び口を開く。
「――ただ、」
「ただ?」
結火は考えながら、慎重に言葉を続けた。
「――あの方に、好き、だとか、言われたら……変な、気持ちになります」
「はあ」
「あのように、他人から、好意を示されたことが、ないので……、あんなにも、真っ直ぐに気持ちをぶつけられると……、私は、私という人間が、まだ、誰かにとって、大切な人に成りえる存在なんだって、……思って……」
「……」
「そんな、事を思ってしまって、……自分でもよく分からない、おかしな気持ちに、なって……」
後藤は結火の言葉を考えるように首をかしげて、やがて口を開いた。
「―――嬉しかったんですね?好きだ、と言われたことが」
「……」
結火が再び無言になった。後藤が顔を綻ばせて、
「結火様にとっては、もう胡蝶様が十分“特別”なのでは?」
と言うと、結火は顔をしかめて、
「……まさか。違います」
と否定する。それきり、結火は任務地へ到着するまで一言も話さなかった。
◇◇◇
「うふふ、ユウさん、はい、あーん」
「……」
その二日後、蝶屋敷を訪問した結火は、困惑していた。目の前の胡蝶カナエは、結火に向かって一切れのようかんを差し出してきている。
久しぶりに仕事で蝶屋敷を訪れたところ、予想通りカナエに庭に招かれた。既に縁側にはお茶とようかんを用意していた。
カナエは嬉しくて仕方がない、といったような様子で結火と共に縁側に座り、ようかんを差し出しながら微笑む。
「このようかんね、すごく美味しいのよ。ほら、あーん」
「……自分で食べます」
「そんな遠慮しないで。さあ、口を開けて」
「結構です」
カナエの手からようかんを奪うように取ると、顔が見えないように慎重に頭巾の下から口に入れる。上品な甘さが口の中に広がった。自然と口元が緩みそうになる。一方カナエの方は不満そうにしていた。
「私が食べさせたいのに……」
「……」
この人は、本当に何がしたいんだろう。
やっぱりよく分からない。
「……胡蝶様、ここでこんなことしていていいんですか?」
「こんなこと?」
「……胡蝶様にもお仕事があるのでは」
結火がそう言うと、カナエがまたフワリと笑った。
「それは、そうだけど、……でも、あなたと一緒に過ごす時間の方も大切にしたいから」
「……」
「少しでいいから、あなたとお話したいの。私ね、本当に楽しみにしていたのよ。あなたが来ることを。……ねえ、もう少ししたらね、あっちのお花が咲くのよ。とても綺麗なお花。あなたに見せたいわ。一緒に見ましょうね。あ、そういえばね、新しい和菓子のお店が開店するんですって。ようかんがないか探してみるわね。それから……」
微笑みながらそう話し続けるカナエの声をぼんやりと聞きながら、結火はうつむいた。先日の後藤の言葉が心に引っ掛かり、モヤモヤが消えない。
『結火様にとっては、もう胡蝶様が十分“特別”なのでは?』
「……」
思わずため息を吐きそうになる。馬鹿馬鹿しい。
そんなことあるわけない、と心の中で呟いたその時だった。
「ユウさん」
突然手を握られた。一気にそちらへと引き寄せられる。
「……?」
カナエが手を強く握りながら、もう片方の手で、頭巾に包まれた結火の顔を上げさせる。驚くほど近くに美しい顔が見えて、心臓が跳ね上がった。突然の行動に驚いて身体が硬直する。カナエは少しだけ不満そうな顔をして口を開いた。
「私とお話ししている時は、私を見て」
「……は?」
「今、何か、違うことを考えていたでしょう?」
「……」
ぼんやりしていた事がバレていたらしい。
カナエが拗ねたように言葉を紡ぐ。
「ひどいわ。久しぶりにあなたがここに来て、本当に嬉しかったのに」
「……はあ」
「私と一緒にいるのに、違うことを考えているなんて」
「……」
あなたの事を考えていました、とはとても言えなかったので、無言を押し通す。
「……あなたは、私の事なんて、なんとも思ってないって、分かっているけれど、……せめて、私と一緒にいる時は、私だけを、見てほしいの」
「……」
「こっちを見て。その瞳に、私を映して。他の物は見ないで」
「……な、」
――なんだ、これは
戸惑いで、思わず声が出る。その甘い囁きに、胸の中を何かが駆け巡る。直後に、不可解な感情があふれ出す。じわじわと、何か、そう、不思議な感情が。
分からない。何もかもが、分からない。自分の事が分からない。
『嬉しかったんですね?』
後藤の言葉が脳裏に響く。
まさか、そんな事、あるわけない。
自分が、この人の言葉一つで、そんな感情を――、
「……っ」
その感情を認めたくなくて、頭巾の裏で唇を噛む。カナエはそんな結火の手を強く握りしめたまま、瞳を見つめていた。
◇◇◇
「……な、なに、あれ――?」
物陰で、胡蝶しのぶは、縁側に座り見つめ合う姉と隠を見つめる。カナエが隠の手を握り、熱のこもった瞳で見つめていた。どう見てもただごとではない雰囲気だ。カナエのあの顔は、どう見ても―――、
「――嘘、でしょう。姉さん」
その光景が信じられなくて、呆然と呟いた。
次回はしのぶさん視点書きます。