姉妹百合も大好きです。
胡蝶しのぶが、その女を初めて意識したのは、蟲柱に就任してしばらく経ってからだった。
任務で怪我をした隊員を運んできた隠達の中に、女はいた。
姉の胡蝶カナエがチラチラと隠を見ているのに気づいて、しのぶは声をかけた。
「どうしたの?姉さん」
「あ、しのぶ……」
姉は小さな声で問いかけてきた。
「あの人、なんだけど……」
「ん?」
姉がこっそりと示したのが、隠の女性だった。次々と隊員達の治療の介助を行っている。
「あの隠の人がどうかしたの?」
しのぶが姉にそう聞くと、カナエは首をかしげながら口を開いた。
「――あの人、どこかで会ったことない?」
「え?」
「なんだか、見覚えがあるんだけど……」
しのぶは女の顔を見た。隠である彼女は、頭巾で顔を覆われていて、よく分からない。しかし、
「うーん、私は見覚えない、と思うわ」
「……そう」
「姉さんと一緒に働いたことがあるんじゃない?前に、姉さんの任務に同行して事後処理をしてくれたとか」
かつて花柱として、鬼狩りをしていたカナエに同行していた可能性は十分ある。しかし、カナエは、
「どこだったかしら……?絶対に知ってる、と思うんだけど……」
などと言いながら、なんとなくスッキリしない様子で眉をひそめていた。
隠として働くその女は蝶屋敷に怪我人を運んできたり、隊服などの必要物品を持ってきてくれることが多い。そのため、しのぶは自然と女から業務の報告を受けることが多かった。
近くで見ると、女性としては高身長で、スラリとした体型だ。いつも背筋を真っ直ぐに伸ばしており、立ち姿勢が美しい。業務報告をするその声は、細く掠れたような不思議な声だった。
仕事はできるようで、いつもてきぱきと働いているが、無愛想であまり感情を表に出さない女だった。ぶっきらぼうでいつも淡々としている。
なんとなく、冷たい女だな、としのぶは思った。
なのに、カナエはそんな彼女の事が大のお気に入りらしい。仕事で蝶屋敷に来る度にソワソワと女を見ていた。やがて、
「ユウさん、こんにちは」
カナエの方から話しかけるようになり、仕事以外の会話もするようになった。そして、
「ねえ、お茶を飲んでいかない?とても美味しいお茶があるのよ」
女が仕事で来ると、庭へと誘い、縁側で共にお茶を飲むようにまでなった。
「……」
しのぶは縁側に並んで座り、お茶を飲む二人を遠くから見つめる。女の様子は相変わらず素っ気ないし、ほとんど喋らないようだったが、カナエは楽しそうにしていた。
「姉さん、最近、あの人と仲がいいのね」
しのぶがそう言うと、カナエは嬉しそうに頷いた。
「ええ!最近ね、よくおしゃべりしてくれるようになったのよ。とってもいい方なの!」
「……そう」
しのぶはさざ波のような不快感を感じた。
気に入らない。
なんで、あの女なんかを――。
カナエが女に近づくのが嫌だった。でもそれを言うと、カナエはきっと悲しい顔をする。だから、何も言わない。
大丈夫。姉さんは新しい友達が出来て、きっと嬉しいだけだ。
そう、自分に言い聞かせた。
だけど、カナエのあの女への接し方は、友人に対してのそれとは、なんだか違う気がする、と感じていた。ある時は、カナエは女をもてなすために、店を開くのかと思うほどようかんを買い込んできた。
「姉さん、この大量のようかんは、何?」
「うふふ。ユウさんがね、ようかんが好きなんですって。今度二人で食べようと思って」
カナエはようかんを前にして、楽しそうに笑っていた。
またある時は、風鈴を買ってきた。蝶屋敷に飾るのか、と思ったが、違うらしい。
「ユウさんにね、贈ろうと思って。約束したの」
と、生き生きとした様子でカナエが言った。しのぶは任務でその場にはいなかったが、買い物に付き添っていたらしいアオイが、
「店で何時間もかけて選んでました……」
と呆れたような顔をしていた。
しのぶは胸がざわつくのを感じた。
姉さん、どうして、あの女にそこまで――。
不思議だ。本当に謎だ。
姉さんは、あの女の何をそんなに気に入ってるのだろう。
しのぶは女がどういう人物なのか知りたくて、他の隠に声をかけ、探った。
「ああ、ユウさんですか?いい人ですよ」
「ちょっと真面目すぎるところもありますけどね、とても仕事熱心ですし……」
「話してみたら意外と話しやすいし、優しくて親切な人ですよ」
など、他の隠からの評判は悪くない。というか、いい。しかし、
「え、ユウさんの本名?さあ……?そういえば知らないですね」
「出自とか聞いたこともないです」
「隠になる前に何をしていたか?分かりません。ユウさん、自分の事はあまり話さないので……」
個人的な事は全く情報がなかった。他の隠達は、仕事場以外の彼女の姿を一切知らないらしい。どういう人物なのか全然分からない。出自どころか名前さえも不明なのだ。
「ユウさんの上司の後藤なら何か知ってるかもしれません。後藤はユウさんが新人の時、指導もしていましたし……」
と、ある隠が言ったため、ある任務でたまたま同行していた後藤という隠にしのぶは話しかけた。しかし、
「はあ、えーと、いやあ、……その、俺も、よく存じ上げませんので……」
後藤は何故か顔を真っ青にしてそれ以上は何も答えなかった。なんとなく、何かを知っているような気もしたが、無理矢理聞き出す前に、逃げられてしまった。
「変な人。不気味だわ……」
そんな怪しい人間が、カナエと仲良くなるなんて、ますます気に入らない。
しかし、それからしばらく経ったある日、カナエが酷く落ち込んで机に突っ伏していた。
「何があったのよ?」
しのぶが何度尋ねても、何も言わなかったが、諦めずに声をかけ続けたところ、カナエはようやく顔を上げた。
「ユ、ユウさんを、怒らせちゃったの……、私が、調子にのって、……失礼なことしたから……」
カナエは今にも泣きそうな表情をしていた。
「……」
しのぶはこれで姉と女の縁が切れれば万々歳だ、と一瞬考えたが、
「……それじゃあ、誠心誠意、心を込めて謝罪しなきゃ。きっと、彼女なら許してくれるわよ」
カナエが悲しんでいるのは放っておけない。心の中では苦々しく思いながら、そう慰める。
「本当に許してくれるかしら……?」
「それは、分からないけど……。とにかく謝るのが一番でしょ。ちなみに、失礼な事って何をしたの?」
そう尋ねると、カナエはほんの少し気まずそうな顔をして、
「――ちょっと、いろいろ、ね」
と、誤魔化した。しのぶはその答えに首をかしげた。
その後、カナエは彼女にきちんと謝罪をし、彼女は謝罪を受け入れたらしい。カナエが心から安心したような顔で、
「よかった。もう会ってくれない、なんてことになったら、どうしようかと思ったわ。しのぶもありがとうね、いろいろ助言してくれて……」
と言い、しのぶは複雑な気持ちになった。
その後、カナエは元気と明るさを取り戻し、楽しそうに女のために茶やようかんを用意していた。
どうして、あの女がそんなに気に入ってるのだろう。また、疑問が心に浮かぶ。
きっと、姉さんは優しいから。あの隠を友達のように思い、親切にしているだけだ。そうに決まってる。もう、姉さんたら。そんな事していたら、あの女に勘違いさせるじゃない。
そう、自分に言い聞かせた。
なのに、
「――嘘、でしょう。姉さん」
呆然と呟く。
縁側に座り見つめ合う姉とあの女。カナエが隠の手を握る。頬が、薔薇色に染まっている。その瞳は、熱のこもったその瞳には、明らかな、
―――恋情が浮かんでいた。
しのぶは、姉の幸せを願っている。
いつか、姉も恋をするのだろう、と分かっていた。
どこかの男が、しのぶから姉を奪っていくのだろう。恋をして、愛を囁き合い、そして、一生を共にする者が現れるのだろう、と分かっていた。
寂しいが、それは姉の幸せに繋がることだから、と無理やり自分を納得させていた。
なのに、姉が好きになったのは、あの冷たい女だった。
「……なんで」
友人、ならば納得できる。納得したくないが、納得できる。しかし、カナエのあの様子は、確実にあの女に恋をしていた。だが、なぜカナエはあの女を好きになったのか。
分からない。
姉が分からない。
本当に、分からない。
「蟲柱様、怪我人をお連れしました」
「……ああ、どうも」
今日も、あの女は蝶屋敷に来た。怪我人を連れてきたらしく、しのぶに報告してくる。診察室には、しのぶと女の二人だけだ。
「……それでは、失礼します」
相変わらず素っ気ない挨拶をして、部屋から出ていこうとする女を、思わず止めた。
「――ちょっと、待ってください」
女は足を止めて、しのぶに顔を向ける。
「はい。なんでしょうか」
その瞳からは、何の感情も見い出せない。
しのぶの口から勝手に言葉が出てきた。
「姉と仲がよろしいですよね」
そう尋ねると、女は落ち着いた様子で、
「胡蝶様には、大変お世話になっております」
と答えた。その声があまりにも冷静だったので、しのぶは苛立ちを感じた。
「――姉を、振り回すのは、やめていただけませんか」
そう伝えても、やはり女はなんの感情も見せない。
「振り回しては、いませんが……。蟲柱様が不快に感じたのであれば、申し訳ありません。以後、気をつけます」
と深く頭を下げた。
気に入らない。
気に入らない気に入らない気に入らない。
姉さん、どうして――、
「……その気も、ないのに、姉の気持ちを、玩ばないでください。迷惑です」
そう吐き捨てるように言うと、女は顔を上げた。一瞬だけ、女としのぶの視線が交差する。しのぶは思わず女を睨んだ。そして、女は、
「――申し訳ありませんでした」
と、膝をついて謝罪した。その姿を見ても、しのぶは苛立ちが治まらない。それどころか、ますます怒りが溢れてくる。
「――もう、結構です。引き留めてしまって、ごめんなさい」
その怒りを隠すように、そう言った。そして、椅子から立ち上がり、
「お引き取りください。お疲れさまでした」
と呟き、その場から立ち去る。
女はしのぶが部屋から出ていき、扉を閉めるまで頭を上げなかった。
◇◇◇
尾けられてるな、と結火は思った。
蝶屋敷からの帰り道、誰かに尾行されているのは早々と気づいていた。うまい尾行だ、と結火は感心する。近すぎず、見失うほど遠くまで離れていない。ほどよい距離だ。呼吸の調子から察するに、恐らく女性。ああ、なるほど、この気配は――、
気づいたことを相手に悟られないように、後ろは絶対に振り向かない。こっそりと、歩行の調整を行う。最初は足早に、時々遅く。そして、スルリと曲がり角に入った。
◇◇◇
「――え、なんで……」
胡蝶しのぶは戸惑って声をあげた。隠の女を尾行していたのに、いつの間にか見失ってしまった。角に入った途端、姿が見えなくなった。
悔しさに拳を握る。あの女が、どんな人物か調べて、そしてカナエに教えようと思ったのに。きっと、人には言えない事情を抱えた人間だ。その正体さえ分かれば、きっとカナエの目も覚めるにちがいない――、
「こちらですよ、蟲柱様」
声をかけられて、ハッと振り向く。そこにはあの女が立っていた。
「……っ、いつから、気づいて」
「少し前からですね。それよりも、尾行はやめていただけませんか」
女はやはり冷静に声を出した。しのぶは女を睨みつけた。
「あなた、なんなんですか。なんで、姉さんは、あなたなんかに――!」
「それは、存じ上げません。胡蝶様にご自身でお確かめください」
怒りで顔が赤くなるのを感じた。しのぶは思わず大声を出した。
「もう、うちには来ないでください!本当に迷惑なんです!!姉さんはいつもユウさん、ユウさんって!本当に忌々しい!!仕事でも、もう来ないで!!」
その言葉に、女は目を見開く。そして、
「――それはできません。療養所へ、隊員の方を運ぶのは、私の仕事ですから」
「それが、迷惑だと言っているんです!」
「蟲柱様は私情で、隠である私の仕事を制限されるんですか」
と、女がそう言ったため、しのぶが言葉に詰まった。
「……もう尾行はお止めください。蟲柱様は、尾行よりも、もっと大切な仕事があるのでは?鬼殺隊の、柱なのですから」
女は頭を下げると、背中を向けた。
「それでは、失礼いたします」
そう言ってその場を去ろうとする。
「待ってください!話はまだ――」
叫びながら、しのぶは女の肩を掴んだ。
「――離していただけますか」
女が、硬く低い声を出した。その威圧感に、しのぶは息を呑む。凄まじい気迫、その圧に鳥肌が立った。
なんだ、これは。そう考えるのと同時に、戦きが足先まで伝わってくるのを感じた。
肩から手を離すのと同時に、女がしのぶの方を向く。
「失礼いたします」
また頭を下げる。その声は、やはり冷たかった。
女は足早にその場から立ち去っていった。
「なん、なのよ、あの人――」
しのぶは呟く。その声がみっともなく震えているのを感じた。
自分は、鬼殺隊の柱なのに。最も位の高い、最強と呼ばれる剣士の一人なのに――、
あんな、一介の隠に、怯えてしまったなんて。
「なんなのよ、あの女――」
また呟く。声はもう震えていなかった。
とぼとぼと蝶屋敷へ戻る。まっすぐに姉の部屋へ向かった。姉は机で書物を読んでいた。しのぶが部屋に入ってくると、微笑みながら迎えてくれる。
「姉さん」
「なあに、しのぶ」
「姉さん、姉さん、姉さん……」
「あらあら、どうしたの」
姉に抱きつく。情けない。小さな子どもみたいに、こんな事をして。蝶屋敷の他の子達には絶対に見られたくない。
姉の胸の中でしばらくその温もりを感じた。そして、身体を離し、決心したように口を開く。
「あの人が、ユウさんが、好きなの?」
その言葉にカナエが大きく目を見開く。口を開いて、何かを言いかけたが、
「……」
迷うように何も言わずに口を閉じて、下を向いた。
「……好きよ。いいお友達、だもの」
「そうじゃないでしょう。もう隠さないで。姉さんは、……あの人を、友達として見ていないじゃない」
しのぶがそう言うと、カナエは顔を上げた。その顔は、赤くなっている。
「気づいて、いたのね」
カナエは恥ずかしそうにまたうつむいた。
「わ、私、そんなに分かりやすかった?」
「……いや、多分、私以外は気づいてない、と思うけど」
カナエはホッとしたように息を吐く。
「そう。それなら、よかった――」
そんなカナエの様子を見て、しのぶは口を開いた。
「――どうして」
「え?」
「どうして、あの人なの?」
ダメだ、と分かっているのに。つい大声をあげてしまう。
「もっと、いい人はいるわ。優しくて強くて、姉さんを支えてくれる人はきっといる。どうして、あの人なの。あんな、あんなに冷たくて怪しい人……」
「――ユウさんがいいの」
しのぶの言葉を遮って、カナエが口を開いた。ゆっくりと顔を上げる。
「あの人じゃなきゃ、ダメ」
「なに、それ……」
「分からないわ。自分でも、分からない。だけど、ユウさんが好きなの」
カナエが囁くように声を出す。
しのぶはカナエの顔を見て、心臓が凍ったような感覚になった。カナエは今まで見たことのない表情をしていた。
「ユウさんだけよ。こんな気持ちになるのは。ずっと、ずっと、そばにいたい、と思うの。あの人とずっと一緒に……」
あの女は、気づいているのだろうか。いや、きっと気づいていない。
「想う気持ちが、もう、自分でも、止められないの」
カナエの、この執着とも言える強い恋情に、あの女はきっと気づいていない。
「ユウさんを、私だけのものにしたいの。あの人にも、私だけを見てほしい……」
カナエはそっと微笑むと、しのぶの頭を撫でた。
「他の人には、秘密ね?」
しのぶは何も答えられなかった。
カナエさんがいてもいなくても、しのぶさんなら強い毒を開発して柱になってるだろうな、と思い、原作のまま蟲柱の設定にしました。
そろそろあらすじの『緩め』の言葉、消そうか迷っています。