髪を切ろう。
結火は唐突に思った。早速、鋏を手に取り、鏡の前に立つ。鏡を見ながら慎重に鋏を動かした。チョキン、チョキン、と音が響いた。
「――うん。これでいい」
鏡の中の自分を見ながら軽く頷く。癖のない黒髪を顎先までの長さにまで切った。これでもう仕事前に結う必要もないだろう。
「……黒い、な」
自分の髪を見つめながら呟く。生まれた時から、鏡の前で何度も呟いた言葉だ。
「……」
大きくため息をつくと、鏡から目をそらし、頭巾を装着した。
早く仕事へ行こう。
その日の仕事は順調に終わった。しかし、少し気温が高く、暑い日だった。仕事終わりに後藤と二人きりになった事を確認し、頭巾を脱ぐ。汗で気持ち悪い。
「あれ?結火様、髪を切ったんですね」
頭巾を脱いだ結火を見て、後藤が声をかけてきた。
「はい。……先輩、よく分かりましたね。少し切っただけなのに」
「ええ、まあ……、とてもお似合いですよ」
「ありがとうございます」
後藤が荷物を運びながら、ふと思い出したように声を出した。
「そういえば、結火様、昔は凄く髪が長かったですよね。あの髪型も、お似合いだと思いましたよ」
そう言った時、結火が微かに気まずそうな顔をした。
あ、ヤベ。今のは言っちゃいけなかったか?
後藤は少し顔を青くする。しかし、結火は、ぼそりとそれに答えた。
「――父が」
「はい?」
「父が、好きだったんです。長い髪が。私に似合うから、伸ばすように、と」
「あ、あー……」
「でも隠になる時に、切りました」
「……えーと、どうしてですか?」
聞いちゃいけないかな、とは思いつつ後藤は問いかける。
「――もう、私が、父に認められることは、一生不可能になったので。剣士だった時は、いつかは、認めてくれるかなと思っていたんですけどね。もう、それも病で全てダメになりました。長い髪を見ていると……、父の顔を思い出しそうになるから。あの時の、父の笑顔を……」
「……」
「すみません。つまらない話をして」
結火が後藤に謝罪すると、後藤は首を振った。
「いえ。俺も、すみません。こんなこと聞いて。……ですが、結火様」
「……はい?」
「どちらの髪型でも、本当にお似合いだと思いますよ。短くても長くても」
「……ありがとうございます」
後藤の言葉に、ほんの少し慰められて、結火は口元を緩めた。
◇◇◇
「ユウさん、いらっしゃい。お仕事、お疲れ様」
「お疲れ様です」
仕事で蝶屋敷を訪れると、相変わらず華やかな微笑みでカナエが迎えてくれた。
「――今日は、」
「うん?」
「今日は、蟲柱様は……」
「えっ、しのぶ?」
カナエが戸惑ったような声を出した。
「しのぶなら、任務に出ているけど……」
「そうですか。失礼しました」
こっそりと胸を撫で下ろした。
蟲柱、胡蝶しのぶにカナエとの関係を詰られたのはつい先日の事だ。最後は尾行までされた上に、蝶屋敷には来るなとまで言われた。
「……」
あの時は、結火も少し怒っていたので、悪い事をしたな、と思う。結火には仕事しかない。私情で仕事を邪魔されるのは絶対に嫌だった。
なんだか会うのが気まずかったので、蟲柱が不在なのは安心した。
「――どうして、あなたがしのぶを気にするの?」
気がついたら、カナエがすぐそばにまで来て、結火の顔を見つめていた。
「しのぶと、会いたかったの?私ではなくて、しのぶと?」
「…誰もそんなこと言っていません」
カナエが悲しそうな顔をしたので、結火は言い訳をするように言葉を続けた。
「仕事のことで、話があっただけです。報告があったので。仕事の」
仕事、という言葉を強調すると、カナエが安心したような顔をした。
「そうなの?もしよければ伝言を聞いておきましょうか?」
「いえ、急ぎではないので……」
慌てて首を振った。
「じゃあ、こっちに来て。今日のお茶は特別に美味しいお茶なのよ。もちろんようかんも」
「――はい」
断ってもどうせ押しきられるのが分かっているため素直にそれに従った。
縁側に向かう途中で、少年と会った。左額に痣のある、髪と瞳の赤い少年だ。
ああ、そうか。彼が――、
結火はそっと顔を伏せた。
そんな結火の様子に気づかず、カナエが少年に声をかけた。
「あら、炭治郎くん、鍛練?頑張ってね」
「はい!頑張ります!」
元気よく返事をする少年にニッコリ微笑むと、カナエは縁側に向かう。それに結火が続いた。少年と結火がすれ違う。
「――ん?」
少年は鼻をピクリと動かした。カナエと結火の姿が見えなくなった後、独り言を呟く。
「今のカナエさんと一緒にいた人、不思議な匂いだったなぁ……どこかで嗅いだような……」
思い出すように首をかしげて、
「あ、ああ、そうだ。柱の人達に近い匂いなんだ」
小さく呟き、眉をひそめた。
「でも、なんでそんな匂いがするんだろう……?」
「ねえ、今日のようかんはどうかしら?栗は入っていないけど、美味しいでしょう?」
「……はい」
「あのね、特別な小豆を使ってるんですって。お店の人によるとね……」
相変わらず、カナエは結火と話せるのが楽しくて仕方ない、と言った様子だった。結火はようかんを咀嚼しながら、いつものように聞き役に徹する。
ようかんを食べ終える頃、カナエがなぜかモジモジし始めた。そして、
「ユウさん、もし、よければ、なんだけど……、」
「はい?」
「あ、あのね。一緒にお散歩でも、どうかしら?」
その誘いに、何の返事もできず無言になる。
「……」
「食事とかはしなくていいから!その、できれば、一緒に歩きたいなぁって……」
カナエが頬を染めながら、そう言って、チラリと結火の顔を見てきた。
「ど、どうかしら。少しの時間でもいいから……」
「……」
少し考える。
この人は、いつもようかんを用意して、来るか分からない結火のことを、待ってくれている。
これくらいは応えるべきか。
「……今日は無理ですが、今度、……短時間でしたら」
と結火が頷くと、カナエの顔が歓喜で輝いた。
「ほ、本当に?」
「はい」
「本当の本当に?」
「はい」
何度も問いかけられ、短く答えると、カナエの目がキラキラと輝いた。
「嬉しい……!いつがいいかしら?楽しみにしておくわね」
そんな表情を見て、結火は少しだけ下を向くと、再びカナエの顔を見て、話しかけた。
「胡蝶様」
「ん?なあに?」
「――私は、胡蝶様に、こうしてお茶に誘っていただけることを、光栄に思っております」
突然結火がそう話し始めたため、カナエはきょとんとした。
「え?どうしたの、突然」
「……あなたに気持ちを告げられるまでは、おこがましい事ですが、私は、その、……あなたの友人のような存在になれたのではないか、と思っていました」
「……」
「このままでは駄目なのですか?」
「え?」
結火の言葉に、意味が分からないとでも言いたげにカナエがポカンとする。
「どういうこと?」
「……こうやって、お茶をしたり話したりして一緒に過ごす関係、―――友人のままで十分なのでは?」
「……」
「よく分かりませんが、私と特別な関係になりたい、と仰っていましたが、……別に、そんな関係にならずとも、普通に友人として――」
「嫌」
カナエが短く答える。その声がいつもと違うような気がして、結火は驚いた。カナエが珍しく怒ったような顔をしていた。
「それは、嫌」
「……胡蝶様」
「私は、ユウさん、私はね――」
「あなたが欲しい」
その一言に、また奇妙な感覚になる。胸がざわついて、不思議な感情があふれ出る。
絶対に認めたくない感情が。
「――あなたに、触れたい。手を繋ぎたい。抱きしめたい。それ以上の事だって……」
カナエの言葉に、なぜかクラクラした。
「あなたを独り占め、したいの。他の人に渡したくない。それは、お友達じゃないわ。そうでしょう?」
「……」
「絶対に、諦めないから。誰がなんと言おうとも、絶対に」
「……胡蝶様」
結火はそれ以上、何も答えられず、顔を伏せる。カナエはまだ怒ったような表情で、結火を見つめていた。
◇◇◇
「――ほう、そのような事が」
その次の日、昼間の仕事部屋で後藤に蝶屋敷でのことを話す。
「はい。胡蝶様は、友人としては、無理だそうで……」
「……なるほど」
「後藤さん、なんか楽しそうですね」
「い、いえ!そんな滅相もない!!」
結火がジロリと少し睨むと、後藤は慌てて否定した。
「結火様の勘違いですよ!」
「……そうですか」
結火は大きくため息をついた。
「……なんでこんなことに。はあ」
「いいじゃないですか。本当に愛されていて……」
また後藤を睨む。後藤はまた慌てながら、誤魔化すかのように口を開いた。
「そ、そういえば、炎柱様の事を今日聞きましたよ!」
「……弟の、こと?後藤さん、会ったんですか?」
現炎柱であり、弟の杏寿郎の事は、会えなくてもいつも気にしていた。後藤は何度も頷く。
「い、いえ!でも、噂によると、なんでも、今度は列車の任務に行かれるとか!」
「――そうですか」
結火は短くそう呟く。そして、思い出したように口を開いた。
「そういえば、私も会いました。例の、少年と」
「え?誰です?」
「後藤さんが前に話していた、あの、鬼になった妹を連れているという――」
「あー、あいつですか」
後藤が嫌なことを思い出した、とでも言いたげな表情をした。
「会った、といっても蝶屋敷ですれ違っただけですが」
「ああ、なんでも、蝶屋敷で機能回復の訓練をしているらしいですからね」
後藤がそう言って、結火も頷いた。
「はい。鍛練をする、と言っていました。……元気で素直そうな少年ですね」
「まあ……、悪いやつではないんですけどね……」
後藤が複雑そうな顔をする。結火は少し考えながら言葉を続けた。
「本当に、前代未聞、ですね。鬼になった妹を連れていて、お館様が、それを許している、なんて」
「……なんかいろいろ事情があるそうです」
「へえ。私が柱だったら、問答無用でその場で兄妹の首を斬っていますけど」
「……ひぇ」
「まあ、お館様が認めているのであれば、問題ないのでしょう」
結火は肩をすくめて、立ち上がった。そして、仕事部屋の扉を開ける。
「後藤さん、風が吹いてきました。――そろそろ、現場へ向かいましょう」
不思議と、ゾワリと心に波がたつ。なぜだろう。なんだか、嫌な予感がする。そんな不穏な空気を感じながら、それを無視するように、結火は後藤と共に任務へ向かった。
意外とスラスラ書けたので、2日連続投稿しました。重いカナエさん書くのが、本当に楽しいです。