「お疲れ様です」
「……どうも」
悲鳴嶼と会ってから数日後、結火が仕事で蝶屋敷に行くと、珍しく出迎えてくれたのは仏頂面の蟲柱・胡蝶しのぶだった。
「怪我人をお連れしました」
「あちらの部屋へ運んでください」
指示通り、怪我をした隊員を治療室らしき部屋へ運ぶ。ベッドへ隊員を下ろし、一息ついた所で、しのぶが結火に声をかけてきた。
「今日は姉さんはいないので、とっととお帰りください」
「……いらっしゃらないんですか」
思わず聞き返すと、しのぶは仏頂面のまま答えた。
「今日は風柱の不死川さんとお買い物に行っていますので。ですから、お帰りください」
「……」
しのぶの話を聞いて、また奇妙な感覚がした。
また、あの感じだ。胸がチクチクして、なんか嫌だ。
なんだろう、これは。
その感覚に首をかしげていると、しのぶが鋭い視線を向けてきたので、結火は慌てて頭を下げ、その場から立ち去った。
蝶屋敷から帰った後は、仕事部屋にていつものように報告書を書いた。隣では後藤が任務へ行く準備をしている。
「……」
なんだろう。何故か、あの奇妙な感覚が消えない。胸が変な感じだ。どこか悪いのだろうか。
「ゆ、結火様?どうしたんですか?」
後藤に呼びかけられて、そちらへ顔を向けた。
「……?どうしたとは?」
「あの、書類が……」
「……?」
書類を指され、それを見ると、報告書の文字が凄まじく汚かった。自分で書いたその文字に、大きく目を見開く。元々結火は達筆で、美しい文字や文章を書くのが得意だ。それが、今は見る影もないほど、文字が歪んでいた。
「……申し訳ありません。考え事をしていました」
書類を書き直すため、すぐにそれを捨てる。
「だ、大丈夫ですか?」
「問題ありま――コホッ、」
また咳が出た。結火は喉を抑える。不快な違和感に顔をしかめた。
「結火様、本当に大丈夫ですか?」
後藤の言葉に頷く。
「はい。――それよりも、後藤さん。明日は……」
「ああ、はい。大丈夫ですよ。一日くらい」
後藤は大きく頷いた。
悩んだ末、結局結火は恋柱・甘露寺蜜璃の屋敷へ行くことにした。今更、という思いはあったが、弟の話を聞きたい気持ちが日に日に強くなっていた。
失礼を承知で甘露寺宛に手紙を出した。自分が杏寿郎の姉であること、杏寿郎の話を聞きたい、と書いた手紙を送ると、その翌日に返事が届いた。返事には、ぜひ、と記されていて、結火はホッとした。
後藤に一日だけ休日が欲しいと話すと、すぐに頷いてくれた。
「結火様は働きすぎですよ。少しぐらい休んでも全然大丈夫ですから」
微笑みながらそう言った後藤に感謝し、結火は頭を下げた。
◇◇◇
「えっ、ユウさんが来たの?」
「昼間に、仕事でね」
同じ頃、蝶屋敷にて、胡蝶カナエは妹のしのぶの話を聞いて、落胆していた。
「え~、会いたかった……」
残念そうにそうこぼすカナエをしのぶがムスッとしたような顔で見つめる。そんなしのぶに構わず、カナエは自室に戻った。
椅子に座ると、机に頬杖をつき、窓際に視線を向ける。そこには先日、彼女がくれた風鈴が飾ってあった。
緩やかな風が吹く。その風に誘われるように、桜の風鈴が揺れた。
―――チリン
可愛らしい音が鳴る。
「……うふふ」
カナエはその風鈴を見つめ、一人で笑った。
「次はいつここに来るのかしら。早く会いたいなぁ……」
◇◇◇
次の日、結火は隠の隊服のまま甘露寺の屋敷へと向かった。
恋柱・甘露寺蜜璃と関わるのはこれが初めてではない。何度か甘露寺の任務に同行し事後処理を担当したことがある。その時は、とても明るくて華やかな女性だな、と思った覚えがある。彼女が杏寿郎の継子だった、というのは前にも聞いたことはあった。杏寿郎はどんな師範だったんだろうな、と考えながら歩き続け、やがて屋敷にたどり着いた。
「ごめんください」
結火がやや緊張しながら、門戸を開けると、バタバタと甘露寺が出迎えてくれた。
「あ、隠の人?ごめんなさい、今日はお仕事には行けないの!大事なお客様が来ることになってて――」
結火の姿を見て、任務だと勘違いしたらしい甘露寺が慌てた様子を見せる。そんな彼女に対して、結火は頭を下げた。
「――先日、手紙を送った者です」
「えっ?」
甘露寺がキョトンとする。結火は頭を上げると、頭巾を外した。
「……初めまして。煉獄杏寿郎の姉、煉獄結火と申します。今日は、お忙しい中、お時間を割いていただき、ありがとうございます」
もう一度頭を下げる。甘露寺はポカンと固まっていた。
客間らしき部屋に案内される。お茶を出され、結火はそれを手に取った。目の前に座った甘露寺がソワソワしている。
「――改めまして、煉獄結火と申します。弟がお世話になりました」
と、また頭を下げると、甘露寺がアワアワと、
「いっ、いえ、煉獄さんには、私の方が本当にお世話になって…!」
と首を振る。そして、恐る恐る結火に問いかけてきた。
「あ、あの、本当に、煉獄さんの、お姉様、なんですよね?」
その言葉に結火は眉をひそめた。
「……?はい」
「あっ、す、すみません!その、とても綺麗でびっくりしちゃって!てっきり、その、煉獄さんそっくりな方が来るのだろうと思ってたから…!」
結火は少しだけ目を伏せて、答えた。
「弟は……父親似なんです。私は、母に似ていて……」
「あ、そ、そういえば、千寿郎くんも、お父様そっくりで……!」
「ああ、父や下の弟もご存知なんですね……」
結火の言葉に、甘露寺が大きく頷いた。
「私、煉獄さんのおうちでずっと稽古をつけてもらって……、この羽織も、煉獄さんにもらったものなんです!」
自分の着ている白い羽織を、結火に見せるように大きく広げた。
「鬼殺隊に入った時に、お祝いだって……、仕立ててもらって……」
そう話していた甘露寺が言葉に詰まる。そして、うつむいた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「……申し訳ありません。辛いお話を……」
「い、いいえ!お辛いのは、お姉さんもなのに……!ごめんなさい……っ」
震えながらそう話す甘露寺に近づき、結火はその肩を安心させるように軽く叩いた。それに驚いたように甘露寺が息を呑む。
「おんなじ……」
「はい?」
「師範も、今みたいに、よく、肩を……叩いてくれたんです」
そして、結火へ向かって微笑んだ。
「嬉しい、です……。とても……」
「……」
結火はどうしたらいいか分からずその場に座り込んだ。正座をして、小さく声を出した。
「……教えて、ほしくて」
「え?」
「弟は、どんな剣士でしたか?どんな柱でしたか?」
その言葉に甘露寺がまた微笑んで口を開いた。
たくさんの話を聞いた。鬼殺隊で杏寿郎がどのように戦ってきたか、柱になった時の話、甘露寺が弟子になった時の話――、
「これ、食べてもらおうと、思って……。煉獄さんが気に入っていたんです」
と言って甘露寺が差し出してきたのは、今まで見たことのない奇妙な形の食べ物だった。
「これは?」
「“すいーとぽてと”っていうんです。薩摩芋を使ったお菓子で……」
ああ、と結火の顔がほんの少し綻んだ。
「あの子は、……芋が好きだったから……」
「作り方を千寿郎くんに教えて……、修行の合間によく食べたんです。煉獄さん、とても気に入ってくれて……『わっしょい!』って大きな声で叫んで……」
また甘露寺が声を詰まらせる。結火はそっとそのお菓子を楊枝で持ち上げ、口に含んだ。
「甘い、ですね。とても、美味しい」
結火がそう言うと、甘露寺はパッと顔を輝かせた。
「よかった~。お姉様にも気に入って、いただけて……!」
「……お姉様」
「あっ!し、失礼しました!煉獄さんのお姉様だからつい……!えっと、なんて呼べばいいのかしら?結火様?」
その言葉に結火は首を横に振った。
「私に、……“様”をつける必要はありません」
「えっ、で、でも……、煉獄さんのお姉様だし、……それに、それに、……あの……、炎柱だったんですよね……?」
結火はうつむいて口を開いた。
「今の私は、隠ですから……。甘露寺様よりも立場は下になります。もしよければ、ユウ、と呼んでください。鬼殺隊の人からは、そう呼ばれているので……」
「……」
甘露寺は目をパチクリとさせた後、恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……、どうして、柱を辞めてしまったんですか?」
「……」
「そ、それに、煉獄さん、ずっと、ずっと、あなたを探していて……、私も、行方不明だと思っていたから、手紙をもらった時はびっくりして……」
どう答えるべきか迷ったが、病のことや隠になった経緯をかいつまんで話した。
話を聞いた甘露寺が囁くように口を開いた。
「……病気で……、だから……ずっと……」
「もう、治ってはいるんです。……まあ、だからこそ、まだこうして鬼殺隊で働けているのですが――」
「……どうして」
結火の言葉を遮るように、甘露寺が声を出した。
「……どうして、煉獄さんと会ってあげなかったんですか!?」
「……」
「煉獄さん、本当にずっと、ずっと、お姉さんを探していて……!絶対に生きているって、最後まで信じていたのに……!」
結火は拳をギュッと握る。唇から震える声が出た。
「――杏寿郎に、言われたから……姉上のようになりたい、と……」
「……でも、だからって……」
「私の、意地でもありました。……私は、弟の中では強い姉として、残りたかった……。弱った姿を、絶対に見られたくなかった……」
それを聞いた甘露寺がうつむいた。しばらく沈黙が続く。結火はその空気に耐えきれなくなり、口を開いた。
「――甘露寺様、……申し訳ありませんでした。あなたに、不快な思いをさせたようですね……」
そう言って立ち上がる。そして、深々と頭を下げた。
「お忙しい中、ありがとうございました。もう二度と、このようなことは――」
そう言った瞬間、突然甘露寺が手を握ってきた。結火は驚いて顔を上げる。
「……あの?」
甘露寺が結火の顔を真っ直ぐに見てきた。
「私の方こそ、申し訳ありません。あなたにも、事情があるのに……」
「……いえ」
「でも、もっとお話をしたいです」
結火は目を見開いた。
「え?」
「師範のこと、もっと話したい、です。煉獄さんのやり遂げたこと、たくさん、たくさん、お話したい!それに、私も、私の知らない煉獄さんのお話を聞きたい!う、うまく言えないんですけど……、そうやって話をすることで、きっと、繋がっていく、と思うんです。生きた証が、大好きだった心が!」
「……」
「だから、話しましょう!もっと、もっと!」
甘露寺が必死にそう話し、結火は一瞬ポカンとした。そして、そっと微笑む。やがてゆっくりと言葉を紡いだ。
「……私も、話したいです。杏寿郎の、生まれたときのこと……、小さい頃の話」
甘露寺の顔がパッと輝いた。
夕方になるまで、甘露寺とたくさんの言葉を交わした。普段の自分からは考えられないほどたくさん喋ったため、流石に少し疲れてしまった。
途中で甘露寺がパンケーキという食べ物を持ってきてくれた。不思議そうな顔をする結火に、甘露寺がパンケーキを勧める。結火は恐る恐る蜂蜜がたっぷりかかったそれを口に含み、直後に大きく目を見開いた。
「……」
「あ、お気に召しませんでした?」
結火は無言でブンブンと首を横に振った。フワフワとしたパンケーキは、信じられないくらい美味しかった。
少しだけ顔を綻ばせてパンケーキを食べる結火に甘露寺が嬉しそうに、
「おかわりもあるのでたくさん食べてくださいね!」
と言った。
甘露寺から夕食や、更には泊まっていかないかとまで誘われたが、これ以上迷惑をかけるのは申し訳ないので丁重に固辞した。
「甘露寺様、本日はありがとうございました」
「私の方こそ、ありがとうございました!」
「あの、甘露寺様、私が、隠として働いていることは、その――」
結火が口ごもるようにそう言うと、甘露寺は大きく頷いてくれた。
「はい。大丈夫です!誰にも言いませんから!」
その言葉に胸を撫で下ろす。そんな結火の手を甘露寺がギュッと握った。信じられないくらい強い力に結火は少し驚く。
「今度また来てください、ユウさん。またお話したいです。すいーとぽてとを用意しておきますから。もちろん、パンケーキも!」
その言葉に、結火は大きく頷いた。
何度も頭を下げ、帰路につく。甘露寺は結火の姿が見えなくなるまで手を大きく振っていた。
結火は帰り道でそっと微笑む。
弟の事を、彼女と話せてよかった。
心からそう思った。
この日の甘露寺との出会いが、後に波乱を呼び込むことになるとは、結火は想像もしていなかった。