甘露寺と話したことは、結果的に結火にとっていい関わりになった。たくさんの話をして、悲しみを共有することで、少しだけ心が軽くなった気がした。もちろん、悲しみから完全に立ち直れたとは言い難いが、自分の気持ちを抑え込んでいた時よりもずっと楽になった。
「――コホッ」
結火は何度か咳をして、その不快感に顔をしかめた。同時に背中に痛みを感じて、思わず呻きそうになる。
今夜の任務は少し大変だった。そこそこに強い鬼だったのと、一般人を巻き込んでしまったため、彼らの保護や避難誘導をしなければならなかったからだ。更に、一般人を抱えて走る際、運の悪いことに鬼がこちらへと襲いかかってきた。一般人を護ることはできたが、鬼の攻撃を避ける際、強く背中を打ってしまった。背中が熱い。骨は折れていないようだが、見なくてもかなり腫れていることが分かった。
「ユウさん、大丈夫か?」
顔見知りの隠が声をかけてきて、結火は頷いた。
「はい……、骨は折れていないようなので……」
「あとの処理は俺らがやるから。早く蝶屋敷に行きな」
「しかし……」
「大丈夫だから。怪我は放っておかない方がいいよ」
その言葉に感謝して、結火は頭を深く下げると、背中の痛みを堪えながら足早に蝶屋敷へと向かった。
「ごめんください」
蝶屋敷へ入り声をかけると、その声に反応したようにカナエが駆け寄ってきた。
「ユウさん、こんにちは」
「お疲れ様です。――胡蝶様、申し訳ありませんが、背中を診ていただけないでしょうか」
カナエは驚いたように目を見開く。
「どうかしたの?」
「先程の任務で、背中を打ってしまって……、恐らく骨は折れていないとは思うのてすが……」
「まあ、それじゃあ、こっちに来て。すぐに診るわ」
カナエは結火の手を取り、治療部屋へと引っ張っていった。
「それじゃあ、脱いで、ここに座って」
カナエの言葉に結火は頷き、隊服の釦を外す。背中の痛みをこらえながらゆっくりとそれを脱いだ。
「……」
カナエの強い視線を感じる。隊服の擦れる音が妙に冴えて聞こえるような気がした。隊服を全て剥ぎ取り、上半身はさらしのみを身につけた状態となる。カナエの視線を感じながら、背中を向ける。その場にあった椅子に背中を向けたまま座った。
「……さらしも、取ってくれる?腫れているところがよく見えないから」
その言葉に唇を噛む。なぜか強い抵抗感があった。仕方なく、さらしに手をかけ、解いていく。
「……」
なぜだろう。カナエの強い視線に、手が震えてくる。
これは治療のためだ。何も難しく考える必要はない。そう自分に言い聞かせ、さらしを全て解き、素肌を晒した。
「……これで、見えますか?」
後ろに声をかける。カナエが近づいてくるのを感じた。
「随分と腫れているわね……」
唇が耳たぶに触れるのではないかと思うほどの距離で囁かれる。その甘い声に、ゾクリと鳥肌が立った。
なんだろう。なんだか、変な空気だ。この空気は、前に足を痛めた時みたいな――、
「……ふ、」
グルグルと考え込んでいると、突然冷たいものを背中に感じて、結火の唇から声が漏れる。思わず頭巾の上から手で口元を抑えた。
「――ごめんなさい。しばらく冷やすわね」
カナエがなぜか楽しそうにそう言って、冷たい手拭いらしきものを背中に当ててくる。
「……」
「……」
少しの間、二人とも無言だった。結火はカナエに背を向けたまま、ゴクリと生唾を呑み込む。
本当になんだろう。この雰囲気は。なんだか、変な気分になる。
そう思っていると、カナエの方が口を開いた。
「……綺麗な、体ね」
結火は戸惑いながら返事をした。
「……は、はあ」
「鍛えているのね。筋肉がついていて、とても引き締まってる……本当に、綺麗」
カナエの手が、肩に触れてくる。スルリと撫でられて、また声が出そうになるのを必死に抑えた。
「……あの、胡蝶様……、そのように、触れられると……」
「うん?どうしたの?ユウさん」
「……」
「こんなふうに、触られるのは、嫌?」
またカナエが耳元で囁いてきて、何故かそれにクラクラした。どう答えればいいのか分からない。結火が迷ったように目を泳がせたその時だった。
「あら?この傷は?」
カナエがそう言って今度は腰のあたりに触れてきた。そこには古い傷痕がある。結火が鬼殺隊に入る前、育手の元で修行している時に、刀で傷つけたものだ。カナエがその傷を撫でながら尋ねてくる。
「随分と古い傷のようだけど……どうしたの?」
「それは、刀の修行をしている時に……」
思わず正直に答えてしまう。しまった、と思い、口元を抑えた。
「え?刀?」
カナエは驚いたような声を出した。
「ユウさん、刀の修行をしていたの?」
「……昔、少しだけ」
誤魔化すようにそう答える。しかし、カナエの質問は止まらなかった。
「もしかして……ユウさん、元々は剣士だったの?」
「……」
「え、本当にそうなの?隠になる前?」
「……」
「どれくらい前の話?何の呼吸を使っていたの?あ、刀の色はどんな……」
その言葉を遮るように結火は立ち上がった。そして振り向く。
「――答えたく、ありません」
カナエを鋭い目で見据える。その視線に、カナエが驚いたように目を見開き、直後に頭を下げた。
「……ごめんなさい。少し、踏み込み過ぎたわ」
その言葉に我に返り、結火は目を伏せて再び腰を下ろした。
「……申し訳ありません。あまり、昔のことは、話したくないので」
「……そう」
その後、カナエは何も言わず背中の処置をしてくれた。
「はい。これで大丈夫。でも、激しい動きは避けてね」
「……ありがとう、ございます」
結火はホッと息をついて、立ち上がった。素早くさらしを巻いて、隊服を身に纏う。その間も、カナエは強い視線を結火に向けていた。身なりを整えると、正面からカナエに向き合う。そして頭を下げた。
「……胡蝶様。ありがとうございました」
「……ええ。気をつけて帰ってね。お大事に」
カナエは目を伏せながらそう答える。結火はそんな彼女を見て、
「……」
何度か迷うように口を開けては閉じた。一瞬だけ、目を閉じる。すぐに開いて、囁くように声を出した。
「――今日、は」
「ん?」
カナエが不思議そうに首をかしげる。
「あの、今日……」
結火がモゴモゴと言いにくそうに言葉を続ける。カナエが戸惑いながら問いかけてきた。
「ユウさん?どうかしたの?」
結火は唇を強く噛むと、カナエから目をそらした。そして、しばらく経ってようやく口を開いた。
「――今日は、お茶に誘って下さらないのですか」
見なくても、カナエがポカンとしたのが分かった。結火は声が震えるのを感じながら言葉を続ける。
「い、いつも、誘って下さるのに……、今日は、これで終わり、ですか?」
カナエから誘われるのがいつもの流れだ。結火が自分からそう言い出すのは初めてだった。
ポカンとしていたカナエの顔が徐々に綻んでいく。そして、輝くように微笑んだ。
「ユウさん」
名前を呼ばれて、顔をそちらに向ける。カナエの微笑みを見て、胸が早鐘を打った。
二人で見つめ合う。やがて、カナエがゆっくりと口を開いた。
「――よかった。また、あなたを怒らせたのかと思って、すごく怖かったの。ごめんなさいね」
「……」
「本当はね、今日ももちろん、お茶を用意しているの」
「……はい」
「いい香りのお茶なの。きっと気に入ると思うわ」
「はい」
「ようかんも、あるの。一緒に食べてくれる?」
「はい」
カナエが花が咲いたように、甘く微笑む。結火はその笑顔から目を離さず、静かに見つめ続けた。
二人で並んで縁側に座る。雲がちらちらと浮かんでいる空は、澄みきったような美しい青色だった。柔らかい日差しの中、庭ではいつものようにヒラヒラと蝶が舞っている。
カナエが入れてくれたお茶を一口飲む。カナエの言った通り、いい香りのお茶だった。
湯呑みを置いてから、隣に視線を向けると、カナエがこちらを見ていた。結火と目が合うと、幸せそうに微笑む。カナエは、そのまま何も言わずに、手を伸ばしてきた。結火の手が、それを待っていたように受け止める。細い指が、そっと包み込むように結火の手を握る。
その優しい温かさに、また、何かよく分からない感情がじわりとあふれる。そして、ゆっくりと、カナエの手を握り返した。