――チリン
風鈴が鳴る。その音に反応して、カナエは顔を上げた。桜の風鈴が、風に誘われて揺れる。そして、また可愛らしい音を鳴らす。
――チリン
カナエは風鈴を見つめる。最近風鈴を眺めるのがすっかり日課になってしまった。
「……ユウさん、今度はいつ来るかしら?」
彼女が来るのが待ち遠しくて、呟く。
ふと、数日前の彼女の姿を思い出す。何も身にまとっていない上半身を晒した姿が綺麗で、思わず見とれてしまった。無駄な肉のない、美しい姿だった。引き締まっている精悍な体つきを見て、我慢できなくなり、つい触れてしまった。困ったような彼女を思い出して、カナエは一人で笑う。
ゆっくりと少しずつ、彼女との距離が近づいているのを感じていた。以前は、透明なぶ厚い壁のような物が自分と彼女の間にあったが、今は失くなっている。
「怪我の具合を確認しないと……」
カナエはそう呟きながら、紙と筆を取り出した。
◇◇◇
「ハァっ、ハッ……っ」
任務終了後、結火は息切れが止まらなくなり、心臓が締め付けられるような苦しさを感じた。そして、大きく咳き込む。
「コホッ、コホッ」
最近身体の調子がおかしい。少し激しく動いただけで息切れをする。何よりも咳が止まらない。
必死に大きく深呼吸をする。ようやく身体の状態が落ち着いてきた。ポツリと呟く。
「……嫌だな」
診療所へ行くべきだ、と分かっているが、行きたくなかった。自分の体調の変化を認めたくない。
少し調子が悪いだけだ。弟の件で、精神的に不安定になっているだけ。
そう自分に言い聞かせる。そして、次の現場へ向かうために足を踏み出したところで、
「カァーっ!」
鎹鴉の声が聞こえて空を見上げた。結火の方へ向かって真っ直ぐに鴉が飛んでくる。
「……?」
見覚えのない鎹鴉だった。足には手紙を携えている。その手紙を受け取り、開く。手紙を読み、そして、
「……ああ、そうか。行かなきゃ、な」
と小さく呟いた。
◇◇◇
結火に手紙を送ってきたのはカナエだった。背中の傷の経過を心配しており、できれば近いうちに蝶屋敷を訪れるように、と記されていた。そのため、まだ仕事は終わっていなかったが、任務の合間に少し時間ができたので、この時間を利用して蝶屋敷へ向かうことにした。
「お疲れ様です」
蝶屋敷に着くと、すっかり顔見知りになった少女が出迎えてくれた。
「お疲れ様です!すみません。カナエ様は今ちょっと他の方とお話をされていて…」
「あ、じゃあ、出直して……」
「いえ、多分もう少しで来ると思うので、治療部屋でお待ちください!」
少女にそう言われて、結火は大人しく治療部屋へ向かった。
廊下を歩いている途中、ある部屋からカナエの声が聞こえた。
「もう、冨岡くん、あなたは本当に――」
部屋の扉がほんの少し開いている。いけない、と分かっているのに、結火はその隙間から部屋の中を覗いた。
そこにはいつものように穏やかな微笑みを浮かべるカナエと、無表情の水柱・冨岡義勇がいた。カナエはクスクスと笑うと、冨岡の肩を優しくポンポンと叩く。
「……」
結火は静かにその光景から目を背けた。足早にその場から立ち去り、治療部屋へ向かう。
何故か拳を強く握っていて、そんな自分に首をかしげた。
「ユウさん、ごめんなさいね。すっかりお待たせしちゃって……」
結火が治療部屋に入って数分でカナエはやって来た。申し訳なさそうな顔で結火の前に座る。
「……」
結火は何も返事をせずにカナエを見つめる。そんな結火の様子にカナエが不思議そうな顔をした。
「ユウさん?どうしたの?何かあった?」
「……いえ」
結火は首を横に振って、口を開いた。
「……何でもありません。胡蝶様、傷を診ていただけないでしょうか」
「ええ、それじゃあ、脱いで」
「はい」
素早く隊服を脱ぎ、さらしも解いて、カナエに背中を向けた。
「ああ、よかった。随分よくなったわね」
「はい」
「痛みはどう?」
「今はほとんど……」
そう答えている時、突然カナエが背中に触れてきた。背中を撫でるように、手が這う。
「……胡蝶様?」
「ふふ、綺麗ね。本当に」
「あの、……本当にやめていただけませんか?くすぐったいので……」
結火がそう言ったその時、肩に柔らかい物が触れた。
「――あ」
一瞬の後、それがカナエの唇だと気づく。カナエが結火の腰に手を回して、後ろから抱き締めてきた。
「こ、胡蝶様……、」
「こんなふうに、触れられるのも嫌?」
囁かれて、息を呑む。顔が熱い。カナエがまた肩に唇を押し当て、言葉を続けた。
「ユウさん、好きよ」
結火は小さな声でそれに応えた。
「……存じて、おります」
腰に回された腕の力が強まる。
「ずっと、こうしていたいわ」
「……」
「このまま時間が止まればいいのに……」
顔が熱くなるのを感じた。変な気分になり、思わずギュッと目を閉じる。
その時、治療部屋の扉を誰かがノックした。結火はビクリとする。部屋の外から声が聞こえた。
「カナエ様、いらっしゃいますか?薬のことで、確認したいことがあるんですが……」
後ろのカナエが小さくため息をついた。そして、
「……分かったわ。もう少ししたら行くから、待ってて」
少し大きな声で返事をする。
「では、診察室でお待ちしております」
と、返事が聞こえて、誰かが立ち去る音がした。カナエは、ゆっくりと結火から身体を離した。
「今日はここまでね」
カナエが残念そうにそう言った。結火は慌ててさらしを手に取る。その時、
「――コホッ、コホッ」
結火は大きく咳き込んだ。カナエがその姿を見て、声をかけてくる。
「ユウさん、風邪をひいたの?」
「……いえ、少し喉の調子が悪いだけです。お気になさらず」
結火はそう答えながら、さらしを巻いて隊服を身につけた。カナエはまだ心配そうにこちらを見てくる。
「大丈夫なの?お薬を出しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。本当に」
結火はキッパリと断り、立ち上がった。そしてカナエの方を向いて、深く頭を下げる。
「今日はこの後任務がありますので、失礼します」
「……そう。残念だわ。この後もできれば一緒に過ごしたかったのだけれど……」
カナエがそう呟きながら立ち上がる。
「それじゃあ、せめてお見送りはさせてね」
「……」
結火は静かに頷いた。
二人並んで廊下を歩く。
「ユウさん。無理はしないようにね。何かあったらすぐにここに来て。いつでもいいから」
「はい。ありがとうございます」
言葉を交わしながら歩いていたその時、廊下の向こうから見覚えのある人物が現れた。結火は目を見開く。
「あ……」
歩いてきたのは、胡蝶しのぶと甘露寺蜜璃だった。二人並んで歩いており、何事か楽しそうに話していた。二人がほぼ同時にこちらへ顔を向ける。
「あら、しのぶに蜜璃ちゃん……」
カナエが声をかけたその時、結火と甘露寺の視線が合った。その瞬間、甘露寺の顔が輝いた。
「ユウさん!」
甘露寺が結火に向かって駆け寄ってきた。カナエとしのぶが驚いたような顔をする。甘露寺は嬉しそうに口を開く。
「こんにちは!こんなところで会えるなんて!今日はお仕事ですか?」
結火は小さな声で答えた。
「……ご無沙汰しております。今日はここに少し用事があって。甘露寺様はなぜここに?」
「私はね、しのぶちゃんにお薬をもらいにきたの。ユウさんに会えて嬉しいです!!」
甘露寺はにこやかに笑いながら、結火の手を両手でギュッと握ってきた。カナエがその様子を見て顔を強張らせる。その様子に気づかず、甘露寺と結火は会話を続けた。
「もしよければこの後うちに来ませんか?私、もっとユウさんとお話したいな、と思ってて……」
「申し訳ありません……あいにく、まだ仕事が残っていまして……」
甘露寺が残念そうな顔をした。そんな彼女に、結火は頭を下げる。
「せっかくお誘いいただいたのにも関わらず、大変申し訳ございません。また別の機会にご一緒させていただければと存じます……」
「それじゃあ、また手紙送りますね!」
「……はい」
結火はその場で深く頭を下げた。
「――それでは、私は仕事に戻りますので。胡蝶様、ありがとうございました」
「え、ええ……」
カナエの声が微かに震えていたが、結火は気づかなかった。
「失礼いたします」
と、結火は挨拶をしてその場から立ち去った。
「――甘露寺さん、あの人と知り合いだったんですね」
結火が立ち去った後、しのぶが口を開いた。甘露寺が大きく頷く。
「ええ!最近仲良くなったの!」
その言葉にまたカナエの顔が固まる。
「うちに遊びに来てくれてね、いっぱいお話しして、それで一緒にすいーとぽてとやパンケーキを食べたのよ!ユウさん、すっごく喜んでくれてね、私も嬉しくて――」
「え、あの人が喜んだんですか?」
しのぶが驚いたように聞き返す。
「そうなの!甘いものがお好きみたい。パンケーキを食べた時のね、笑顔が本当に可愛らしくて、私、思わずキュンとしちゃって……」
カナエの顔が真っ青になっていく。そして、甘露寺に向かって震えながら声をかけた。
「あ、あの、蜜璃ちゃん……」
「はい?なんですか、カナエさん?」
「あの、蜜璃ちゃんとユウさんって、……その、どんな関係……?」
そう問いかけられて、甘露寺はどう答えればいいか一瞬迷った。
えっと、なんて言えばいいのかしら。ユウさんの事は誰にも言わないって約束したし。お友達?いえ、それはちょっと違うわよね。元炎柱で、私の師範のお姉様なんだから。あまりにも失礼だわ。ええっと、なんて言えばいいのかしら。あ!そうだわ!――
甘露寺は満面の笑みで大きく答えた。
「とっても特別な関係なんです!!」
カナエが雷に撃たれたような顔をした。
しのぶの顔が大きく引きつった。
そんな姉妹の様子に気づかず、甘露寺は、
「あ、私もそろそろ帰らなくちゃ。それじゃあ、カナエさん、しのぶちゃん、またねー」
と、自分が爆弾を放りこんだことに気づかないまま、その場から立ち去っていった。
数分後、アオイとカナヲが廊下を歩いていると、奇妙な光景が視界に飛び込んできた。
「特別、とくべつ、……え、ちょっと待って……トッテモ、トクベツ……?」
廊下のど真ん中でカナエが頭を抱えながらそう呟き、この世の終わりのような顔をしている。
「あの女……!姉さんだけじゃ飽きたらず、甘露寺さんにまで……!」
カナエの隣では、しのぶが怒ったようにブツブツ何かを言っている。
アオイとカナヲはきょとんとしてお互いに顔を見合わせた。