「……何やってるんですか?」
隠の仕事部屋へやって来た後藤は、結火に声をかけた。仕事が終わったため、他の隠は全員帰っている。ただ一人、残った結火は頭巾を取り外し、盃でのんびりと酒を呑んでいた。
「ああ、先輩、お疲れ様です」
後藤に顔を向け、頭を軽く下げる。酔ってるのか、その顔は少し赤い。後藤は呆れたように口を開いた。
「結火様、あなたという人は……。また嫌なことがあったんですか?」
「いいえ。今日は単に呑みたくなっただけです。最近あまり呑む機会がなかったもので……」
「そろそろ本格的に禁酒しましょうよ……健康に悪いですよ……」
「では明日から」
「それ絶対にやめないやつじゃないですか……」
後藤の困ったような声に、結火は思わずクスクス笑った。直後に、大きく咳き込む。
「――ゴホッ」
何度か咳をして、深呼吸を繰り返した。その姿を見ていた後藤が口を開く。
「結火様、診療所へ行ってください」
「――いえ、大丈夫です。ただ、疲れているだけで……」
「結火様」
後藤の厳しい声が響き、結火は口を閉じた。
「……体の調子がおかしいんですよね?最近どんどん動きも鈍くなっていますよ。気がついていましたか?」
「……」
その言葉に唇を噛む。後藤のいう通りだ。最近思うように力が出なくなったし、動くとすぐに息切れをする。鬼に襲われた時も避けるのが精一杯だった。結火は後藤の方へ視線を向けながら口を開く。
「でも、仕事が……」
「仕事のことなら大丈夫ですから。とにかく明日にでも診療所へ……」
その時だった。コンコンと音がした。仕事部屋の扉を誰かが叩いたようだ。
「誰か来たのか……?」
後藤が立ち上がって扉へと向かった。結火はうつ向いて盃の中の酒を見つめていたが、
「こ、胡蝶様!!」
後藤の声に瞬時に頭巾を手に取り、それを被った。
「こんにちは、後藤さん。ユウさんはいるかしら?」
「は、はい。います、けど……」
後藤が結火をチラリと見た。頭巾を被って顔を隠した結火は慌ててそちらへと向かった。
「胡蝶様、どうされましたか?」
扉の外に立っているカナエの様子がいつもと違うように感じて、結火は眉をひそめた。なんだろう。笑っているのに、目は全然笑っていない。妙な圧を感じた。
「ユウさん」
スッとカナエが部屋へ入ってきた。結火はビクリと肩を震わせて、思わず一歩下がる。
「あの、胡蝶様……?」
困惑したような結火に構わず、カナエは結火を見つめたまま後藤に呼びかけた。
「後藤さん」
「は、はい!」
後藤も何か変な空気を感じたのか怯えたように返事をする。
「――ユウさんと二人きりにしてくれる?」
「御意!お好きなだけどうぞ!!」
後藤はカナエの迫力に耐えきれなかったのか、その場から逃げ出した。
「ご、後藤さん……」
ちょっと待って、と結火が言いかけたその時、後藤がクルリと振り向き、口を開いた。
「あのー……」
「後藤さん。何か言いたいことでも?」
カナエに問いかけられ、後藤は早口で言った。
「えー、この部屋はしばらく誰も来ませんので、その、どれだけ声を出しても誰も聞いていません。それだけです!」
なんだそれ、とギョッとする結火をよそに、
「あら、それは素敵」
とカナエが笑った。
「それでは、頑張ってください!!」
と、言い捨て、後藤は信じられないほどの速さで逃げていった。
「……」
「……」
カナエと二人きりになり、結火は生唾を飲み込んだ。カナエの気迫に圧倒され、戸惑う。誤魔化すように自分から口を開いた。
「胡蝶様、本日はどうされ……」
「ユウさん」
突然カナエが結火に近づいてきた。それに驚いた結火は後退りする。そんな結火に構わず、カナエがどんどん近づいてきて、とうとう壁に追い詰められた。
「こ、胡蝶様、あの……?」
戸惑う結火に向かって、カナエが口を開く。
「――どうして」
「はい?」
「どうして私じゃないの……」
カナエの言葉の意味が分からず、困惑して首をかしげる。そんな結火の肩をカナエが掴んだ。強い力に驚いて、目を見開く。
「胡蝶様……一体、どうされ……」
「ずっと、ずっと、好きだったのに……!」
結火の言葉は遮るように、カナエが言った。
「ユウさん、私は、あなたのことをずっと見ていた……!ずっと、ずっとよ!あなたに振り向いてほしくて……、私だけを見てほしくて……、ずっと、それだけを願ってたのに……!」
カナエが怒ったような顔で大きな声を出す。初めて見たカナエの表情に結火はポカンとした。そしてカナエは、今度は泣きそうな顔をして、言い放った。
「こんなにも、私が想っているのに、……他の人なんて見ないで……!!」
呆然としていた結火は、その言葉にじりじりと胸の奥に食い込むような感情が沸き立ち、拳を握る。あまり抱くことのない感情だった。それが怒りであることに気づかず、結火は鋭い瞳で目の前の彼女を見据える。
「……あなたが、それを言いますか」
ボソリと小さな声でそう言うと、カナエが訝しげな表情をした。
「え?」
「私の、事を、好いている割には、……他の男性と、随分と仲がよろしい、ようで……」
今度はカナエがポカンと口を開ける。酒を呑んだことで、やや心のタガが外れた結火は、大きな声を出した。
「風柱様や水柱様と、とても楽しそうに話をされていましたよね!別にいいですけど……、私には関係ありませんけど……!でも、お言葉ですが……、私の事を、好きだとかいうくせに、……他の方との距離があまりにも近すぎるのではないでしょうか!!」
酒のせいか、全身がバラバラになりそうなほど気分が高まり、痺れた。頭がクラクラする。
「……えっと」
呆然としていたカナエが震えながら声を出した。
「ユ、ユウさん……」
名前を呼ばれたが、返事もせずにカナエから顔を背けた。しかし、
「あの、ユウさん、……もしかして、その……ヤキモチ、焼いてるの?」
カナエの言葉にバッとそちらへ顔を向ける。
「……」
しばらくカナエを無言で見つめ、そして、
「――そのようなこと、あるわけないでしょう!」
と怒鳴った。
「馬鹿馬鹿しい……!私が、そんなこと――」
「えっと、で、でも、ユウさん……」
困惑したようなカナエをよそに、結火は顔を伏せてブツブツと呟いた。
「ヤキモチ……?そんな馬鹿な。私が?ヤキモチ?なんだ、それは……、そんなわけない、そんなわけ……」
何度も自分に言い聞かせるようにそう呟く結火の手を、カナエがそっと握った。
「……ユウさん。顔を上げて」
そう言われて、言われた通り顔を上げると、赤い顔をしたカナエが真剣な目をしていた。
「ねえ、ユウさん」
名前を呼ばれて、渋々返事をする。
「……はい」
カナエが優しい声で問いかけてきた。
「――正直に答えて。私が他の男性と話しているのを見て、どう思ったの?」
そう問いかけられて、結火の目が泳ぐ。言いたくなかったが、カナエが静かに真っ直ぐこちらを見つめてきたため、拗ねたように小さな声で答えた。
「――少し、胸が、……チクチク、しました」
カナエの顔が、花が咲いたように綻ぶ。
「……そう。そうなの」
結火はカナエの顔を見ていられず、うつむく。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。やがて、カナエが口を開いた。
「――それじゃあ、あの、蜜璃ちゃんは……」
「はい?」
なぜここで甘露寺の名前が出てきたのか、意味が分からず、顔を上げて眉をひそめる。カナエが不安そうな声を出した。
「蜜璃ちゃんの事は……?」
「……?甘露寺様がどうされました?」
「あなたと、蜜璃ちゃんが……特別な関係だと聞いたわ」
「……?」
なんだそれは?
結火は首をかしげながら、カナエの言葉に答えた。
「……甘露寺様には、確かに、いろいろとお世話にはなりましたが」
「あ、あの、恋人とかでは……?」
「そんなわけないでしょう」
結火が呆れたように言うと、カナエが安心したように大きく息をついた。
「……よかった」
そのまま抱き寄せられて、結火は目を見開く。全身を包み込まれるように抱き締められて、抵抗もできず身体が固まった。
「……本当に、よかった」
「――あの、胡蝶様?」
結火が呼びかけると、カナエがようやく身体を離す。そして、また泣きそうな表情をした。
「あなたが、離れていくかと、思って……怖かったの」
「……」
「ユウさん」
カナエがまた名前を呼んで、結火の手を握った。その手に唇を押し当ててくる。その柔らかい感触に、結火は身体を震わせた。
「あなただけよ」
そっと囁かれて、またクラクラした。カナエが今度は耳に唇を寄せてくる。
「何度でも言うわ。私には、あなただけ。他の人は、いらない。あなただけが、欲しいの」
その囁きに思わずギュッと目を閉じる。そして――、
「――う、ゴホッ、ゴホッ」
突然胸に痛みを感じて、激しく咳き込んだ。呼吸が苦しくなり、身体を二つ折りにして、胸を抑える。
「ユウさん!?」
カナエが慌てたように呼びかけてくる。結火は必死に深呼吸を繰り返した。
「ユウさん、大丈夫?どうしたの?」
カナエが声をかけながら、背中を擦ってくれた。胸の苦しさに必死に耐えていると、カナエが再び口を開いた。
「蝶屋敷に行きましょう。診察と検査をするわ。歩けるかしら?いえ、やっぱり、私が抱えて行くから――」
「――結構です」
結火は声を絞り出した。カナエが驚いたような顔をする。
「結構って……ユウさん、」
「――昔から、世話になっている、診療所が、あります」
ようやく胸の痛みが治まってきた。必死に声を出す。
「そこに、行きますので。ですから、大丈夫です」
「そんな……だったら、せめて、送っていくから――」
「いりません」
荒い息遣いを繰り返しながら、カナエを真っ直ぐに見た。
「一人で、行きます」
「だけど――」
「大丈夫ですから」
結火がキッパリとそう言って、部屋の扉へ近づき、それを開けた。
「あ……」
部屋の外に、なぜか後藤が立っていた。びっくりしたような顔でこちらを見てくる。後藤と目が合った結火は一瞬ギョッとしたが、
「ユウさん、待って、一人じゃ危険よ!」
とカナエが言いながら後を追ってきたため、とっさに目の前の後藤の腕を強く掴んだ。カナエに向かって口を開く。
「後藤さんが送ってくれます」
「ほへ!?」
後藤が奇妙な悲鳴を上げた。
「後藤さんが、付き添ってくれますので」
カナエが近寄ってきて強い視線を向けてきたため、後藤はガタガタと震え出した。
「いや、あの……付き添うって……」
モゴモゴと何かを言う後藤を無視して、結火はカナエに向かって、
「胡蝶様はお仕事がありますよね?後藤さんがいるので、私は大丈夫です。失礼します」
早口でそう言うと、アワアワとしている後藤を引っ張るように歩き出した。
「……ユウさん」
後には、呆然とするカナエが残された。
仕事部屋から離れた結火は、また呼吸が苦しくなり胸を抑えた。後藤が慌てたように声をかけてくる。
「結火様、大丈夫ですか?」
「……すみません。突然、胸が、痛くなって……呼吸も、苦しくなって……」
後藤が心配そうに言葉を続けた。
「とにかく、診療所へ行きましょう。前に入院していた所ですよね?」
後藤が早く乗れというように、しゃがみこむ。
「……すみません、後藤さん」
結火は素直に後藤の背中に身体を預けた。
後藤は任せろと言うように大きく頷き、結火を背負うと、その場から駆け出す。後藤に感謝しながら、結火は背中から問いかけた。
「ところで後藤さん、なんで部屋の外にいたんです?」
「……」
「……いつから聞いてました?」
「結火様、もう喋らないでください。もっと苦しくなりますよ」
「……先輩、後からじっくりお話を聞かせてくださいね」
結火がゾッとするような怖い声を出し、後藤は走りながら鳥肌を立てた。
◇◇◇
診療所に到着して、すぐに診察と検査を受けた。
「――肺の機能が、低下しています」
医師から、そんな言葉が出てきて、結火は無表情でそれを聞いた。
「恐らく、数年前の病の影響です。長い年月をかけて、少しずつ低下してきたのでしょう」
医師は冷静な口調で結火に説明した。
「激しい運動や作業は避けてください。呼吸が苦しくならないように生活を見直して――」
「仕事は、続けられますか?」
結火が質問をすると、医師は首を横に振った。
「適度な運動は必要です。……しかし、激しい動きを必要とする仕事はお辞めになってください。肺の機能低下は、心臓の病気にも繋がる恐れがあります」
「……」
その後も医師は何かいろいろと話していたが、何も覚えていない。気がつくと、自宅に帰ってきており、畳の上に横たわっていた。
何も考えられない。何も感じない。心の中で何かがバラバラに崩れていくような、不思議な感覚になった。
大きくため息をついて、瞳を閉じる。自分に言い聞かせるように、口を開く。
「まだ……、まだ、燃やせる。まだ、消えない。燃やせ、燃やせ……」
そして、
「……ごめん」
小さな声で謝る。
「不甲斐ない姉で、……本当に、ごめんね、……杏寿郎」
そっと、囁いた。
※大正コソコソ噂話
結火が家族以外で一番信頼しているのは後藤さん。からかい半分、信頼の証として時々「先輩」と呼ぶ。そう呼ぶと後藤さんがちょっと困ったようにソワソワする姿を見るのが楽しい。
次回、急展開を迎えます。