「……」
その日後藤が見たのは昼間から日本酒を開けて、盃を手に一人でぼんやりとしている後輩だった。
「何、やってるんですか?」
「……ああ、後藤さん。お疲れ様です」
一瞬遅れて返事をした煉獄結火は、後藤に頭を下げると、日本酒の瓶を差し出す。
「仕事、終わったんですよね?もしよければ一緒にどうです?結構美味しいですよ」
「……これ、めちゃくちゃ高い酒じゃないですか。買ったんですか?」
「ええまあ。……私、無駄にお金は持ってるんですよ。なんせ、炎柱、でしたしね……」
「……」
「あの頃はお給金をいただいても、任務で忙しくて、使う時間がありませんでしたし……。まあ、忙しいのは今も同じなので、やはり使いませんが……」
そう言いながら、結火は頭巾を外した。それにギョッとした後藤が慌てて口を開く。
「ちょっ、いけませんよ!誰かに見られたら――」
「後藤さんと私以外の隠は出払ってます。しばらくは誰も帰ってきませんよ」
薄く微笑みながら、酒を飲む後輩を後藤は静かに見つめた。
煉獄結火は、元炎柱である。代々“炎の呼吸”を伝え継いできた剣士の名門・煉獄家の長女であり、生粋の鬼殺隊士だ。
いや、鬼殺隊士“だった”。
彼女が現役の炎柱だった頃、後藤は隠として、任務に同行したことがある。
豊かな剣技の才を持った彼女は、戦闘能力が非常に高く、柱の中でも飛び抜けて強い剣士だった。その才能を努力と修練で磨きあげてきたのは、誰が見ても明らかだった。
『―――案ずるには及ばない』
その凛とした声を、後藤は覚えている。
『私が、来たのだから。安心なさい』
刀を構え、鬼をまっすぐに見つめる眼差しは、闘志にあふれていた。その瞳は、彼女の炎柱という称号を表すかのように、燃えていた。
『ここにいる者は、誰も、傷つけさせはしない。―――私の誇りにかけて』
その煉獄結火が、現在はぼんやりと考え事をしながら、ひたすら日本酒を呑んでいる。その姿に、昔の面影はない。いや、その凛々しさは昔と変わらない。昔の彼女は激しく燃える炎のような剣士だった。今の彼女は炎というよりも、蝋燭の揺らめく小さな火のように儚げだった。その姿を見つめながら、後藤は、元とはいえ、柱が自分の隣でほろ酔いで酒を呑んでるなんて、人生って分からんものだな、と心の中でこっそり呟いた。
「何か、ありましたか?」
そう尋ねると、結火は再び薄く笑った。
「なぜ、そう思います?」
「……俺、これでも一応はあなたの先輩なので。……最近気づきました。あなたは、何か嫌なことがあると、酒に逃げる癖がありますよね」
「……」
後藤の言葉に、結火はなぜか一瞬複雑そうな表情をしたが、すぐにまた微笑んだ。
「ダメですね……。いけないとは、分かっているんですが……、でも、どうしようもなく呑みたくなるんですよ……。いろいろと、……考えてしまって……」
結火は日本酒を盃に注ぎながら、そうこぼした。後藤はしばらくそんな彼女を黙って見つめていたが、やがて口を開いた。
「……もしかして、先日の、告白の件、ですか?」
「……ああ、ありましたね、そんなこと」
後藤の言葉に、結火は今思い出したような顔をして小さく呟く。それを見た後藤は首をかしげた。どうやら、例の告白が飲酒の原因ではないらしい。
「てっきり、告白の件で悩んでいるのかと……」
後藤がそう言うと、結火はクスクスと笑った。
「酒に逃げるほど、色恋沙汰で悩むような女に見えます?この私が?」
「あ、すみません……」
思わず謝ってしまったが、結火は怒ったような様子ではなかった。小さく笑いながら、後藤に酒を差し出す。
「さあ、呑みましょう。今日はもうお互いに仕事はないでしょう?」
「いや、俺は……」
「たまには付き合ってくださいよ。先輩」
「先輩はやめてくださいよ……結火様」
困ったような顔をする後藤がおかしくて、結火はまたクスクスと笑った。しかし、
「もしかして、お父上や弟様方の事で、何かありました?」
その言葉に思わず笑い声を止めてしまった。結火はしまった、と思いつつ、なんとか顔の笑みは崩さずに、酒を喉に流し込む。しかし、後藤には悟られてしまったらしい。
「……あー、すみません。余計な事を言いました……」
「……いえ、いいんです。こちらこそ、申し訳ありません。先輩に気を使わせて」
「……」
「……今日、久しぶりに、弟の、声を聞いたんです」
結火が後藤から目をそらすようにして、外を眺めながら呟くように言葉を続けた。
「……相変わらず、大きくて元気な声でした。……姿は、見なかったけど……、頑張っている、ようでした」
「……」
「……下の弟も……、きっと、大きくなったんだろうな……、背も伸びているんだろうし、……多分、父に、そっくりに育って……」
結火の表情は一切変わらない。相変わらずその凛とした顔は薄い笑みを浮かべていたが、その声は寂しげで、打ち沈んだような声だった。
「……」
後藤は静かに立ち上がり、結火の肩をポンポンと軽く叩くと、その場を去っていった。
結火は後藤が出ていくと、すぐに笑みを消し、また酒をあおった。
後藤は部屋から出ると、大きくため息をついて歩きだした。彼女の事情はよく知らないが、かなり複雑なのだろう、という事は察していた。あまり踏み込まない方がいい。
「……あ、」
そうだ、と後藤は思い出す。結火に聞きたい事があったのを、忘れていた。先日、胡蝶カナエに会った時、なぜか結火の事をまるで取り調べを受けるように根掘り葉掘り詮索された。まさか、正体がバレたのか、と後藤は焦って、必死に誤魔化し、なんとかその場から逃げ出したのだった。
「……結火様、胡蝶様と何があったんだ?」
まあ、いいか。今度会った時にでも聞こう。
後藤は独り言を呟きながらその場から立ち去った。
数日後、結火が仕事のため、蝶屋敷を訪問したところ、予想通り胡蝶カナエに呼び止められた。
「ねえ、もしよければ、この後お食事でも、どうかしら?」
「……」
結火は返答に困り、少し考えた後、口を開く。
「……この後、任務がありますので」
その言葉にカナエは不満そうに膨れっ面をした。
「もう、いつもそればかり」
「そう言われましても……。仕事ですので」
「少しくらい、いいじゃない。ね?」
「……」
「うちで食べていったらいいわ。それとも、二人でどこかに……」
「申し訳ありません」
カナエの言葉を遮るように結火は声を出した。
「お誘いいただき光栄ですが……、お気持ちだけ頂戴いたします」
「……」
キッパリとそう言うと、カナエが黙り込んだ。その沈黙に苦痛を感じて結火は思わずカナエから目をそらした。
「……失礼致します」
深く頭を下げ、立ち去ろうとする。その時、カナエが腕を掴んできた。華奢な身体に似合わず、強い力で、結火は戸惑う。
「……ユウさん。私の事、嫌い?」
「……胡蝶様?」
結火の腕を掴むカナエは今にも泣き出しそうな、悲痛な顔をしていた。その顔が、下を向いて、小さく言葉を紡ぐ。
「ご、ごめんなさい……あなたは、私の事、嫌いかもしれない、けど、……それでも、私は、諦めたくない、の……」
「……」
「とても、好きだから……初めは、遠くから見ていられれば、それでいいって、思ってた。でも、いつからか、……近づきたいって、思ってしまって……、近づいたら、もっとそばにいたいって、思って……、」
「……」
「う、受け入れてもらえないことは、分かってるわ。迷惑だってことも……。それでも、……好きで、いさせて、ほしいの。お願いだから……」
「……嫌いだとは思っておりません。迷惑だとも……」
結火がそう囁くように言うと、カナエは勢いよく顔を上げた。
「――本当?私の事、好き?」
「……そこまでは」
「でも、少なくとも、少しは、……可能性、あるってことよね?」
「……」
どう答えればいいのか分からず、黙っていると、カナエは顔を輝かせながら結火の方へ顔を近づけてきた。
「だったら……、頑張るわ。あなたが私を好きになってくれるように、努力する」
「……」
「ねえ、私ね、……これから、あなたを全力で口説くわ。誰にも渡さない。絶対に。あなたを、私のものにするの――――――必ず」
だから、逃げちゃダメよ
そう囁いた彼女から、結火はしばらく目が離せなかった。
◇◇◇
夢を見た。
懐かしい夢だ。
『杏寿郎』
上品で、凛とした、母の声だ。
『なぜ自分が人よりも強く生まれたのか分かりますか』
病に冒されながらも、強き者の使命を説いた母の言葉だ。
『弱き人を助けるためです』
そう。
それが、己の責務だ。
生きている限り、戦わなくてはならない。
弱き者を救うために。
心を、燃やせ。
心を―――、
『杏寿郎』
突然母上の顔が悲しみに染まった。
いや、違う。
これは、母上じゃない。
母上と同じ顔をした、この人は―――、
『私はね、誰よりも……お前が、心配だよ。……杏寿郎』
そして煉獄杏寿郎は覚醒した。目を開けると同時に勢いよく起き上がる。
今のが夢だと認識し、大きく息をついた。そして、
「姉上……」
再び目を閉じてポツリと呟いた。
あれ……?緩めの百合を書いていたはずですが……。これ、もしかして、緩くない……?