結火が蝶屋敷に来てから数日、ようやく新しい環境に慣れてきた。特に大きな失敗もなく仕事をこなし、カナエから任される仕事も増えてきている。
最近は蝶屋敷の少女達とも随分打ち解けて話せるようになってきた。ただし、しのぶの方は結火の事がとにかく気に入らないらしく、顔を合わせても仕事以外の会話をすることはない。また、しのぶの継子である栗花落カナヲはおとなしい性格らしく、そちらともほとんど話をしたことはなかった。
蝶屋敷にやってくる大半の隊員達は、結火の素性を知らない。結火の姿を目にして、「誰だろう?」と言うように首をかしげていた。数人の古株らしき隊員には結火の顔を知っている人間もいて、彼らは結火の姿を見てギョッとしていた。
結火は知らなかったが、鬼殺隊では静かにゆっくりと噂が広がりつつあった。元炎柱が生存しており、現在は蝶屋敷で働いている、という噂が。
ある日、結火が隊員の怪我の処置のために、蝶屋敷の病床へ向かうと、仕事で蝶屋敷に来たらしい後藤がそこにいた。
「あ」
「あ」
お互いに声を上げる。
後藤が驚愕して大声を出した。
「ゆ、結火様!?どうして――!?」
「後藤さん、声が大きいです。落ち着いてください」
結火が冷静に言葉を返していると、近くにいたカナエが寄ってきて、声をかけてきた。
「……あら、やっぱり後藤さんは結火さんのこと、ご存知だったのね」
その言葉に後藤が震え上がる。結火は頭を抱えて、ため息をつくと、後藤の隊服を掴んで引っ張った。
「後藤さん、少し、話を。――胡蝶様、すぐに戻りますので」
「ゆっくりでいいわよ~」
カナエに頭を下げながら、近くの部屋に後藤を引っ張っていった。
蝶屋敷で働くことになった経緯を手短に説明すると、後藤は呆然と、
「噂には聞いてましたが、まさか、本当にこちらで働いていらっしゃるとは……」
と呟く。最近、カナエが結火の事で自分を訪ねて来なくなった事を、安心すると同時に不思議に思っていた。とうとう結火の事は諦めてしまったのか、と悲しく思っていた。まさか本人が蝶屋敷にいたとは、考えもしなかった。
結火は腕を組ながら、ため息をついた。
「お館様のご意向、なので。まあ、ここでの仕事は、隠ほど体力は使いませんし……合っている、とは思います」
そんな結火を見つめながら、後藤はソワソワとしていた。そして、思いきったように尋ねる。
「あ、あのー、胡蝶様とは、どうなりましたか?」
「……」
結火は顔をしかめた。
「同じ屋敷で暮らしている、ということは、その……前よりも仲良くなったのでは……?」
「そんな事はありません」
キッパリと答える。後藤から目をそらし、言葉を続けた。
「私があの人を好きになることはありません」
そうだ。あの人の言葉が嬉しかっただけで、ちょっと喜んでしまっただけで、決して好きというわけではない。
絶対に。
そんなことを考える結火を見ながら、後藤は頭巾の下で残念そうな顔をした。
「そ、そうですか……」
「とにかく、後藤さん、今後は蝶屋敷の隊士として職務を続けさせていただきますので、何卒よろしくお願いいたします」
そう言って、結火は深く頭を下げた。
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
後藤も慌てて頭を下げた。
後藤と再会してから数日後、結火はカナエに頼まれて、包帯やらガーゼやらが入った荷物を運んでいた。早歩きで廊下を進む。その時、
「どうしようか」
「誰か呼んでこないと……」
誰かが話している声が聞こえて庭に視線を向ける。そこにはきよ、すみ、なほの三人娘がウロウロしている姿が見えた。三人娘の姿を見て足を止めた結火は、荷物を持ったままそちらへ駆け寄った。
「どうかされましたか?」
三人娘に声をかけると、彼女達は結火を見て少し驚いたような顔をする。そして、困ったような顔をして口を開いた。
「あれを見てください」
「……?」
上を指差されて、そちらへ顔を向ける。庭にある大きな木の上に白いシーツがひっかかっていた。
「洗濯物が風に飛ばされてしまったんです。あんなに高い所にひっかかってしまって……」
きよがそう説明してくれた。結火はなるほど、と頷き、
「こちらをお願いします」
と、持っていた荷物をすみに手渡す。そして、木の枝へ手をかけてスルスルと登り始めた。
「ゆ、結火様!大丈夫ですか!?」
三人娘の慌てたような声が聞こえたが、構わずにそのまま登り続ける。そして、シーツを掴むとすぐに木から下った。軽やかに地面に着地する。
「……どうぞ」
結火がシーツを差し出すと、三人娘は笑顔で
「ありがとうございます!」
と言った。結火は無言で頷いて、再び荷物を手に取ると、診察室へと向かっていった。
「結火様、親切だね」
「最初は怖いと思ってたけど、優しいよね」
「あとでおやつに誘ってみよう!」
残った三人娘は楽しそうにそう言葉を交わした。
「胡蝶様、言われた物をお持ちしました」
結火が診察室に入ると、突然、
「キャー!ユウさん!」
そう言って誰かが抱きついてきた。驚いて思わず身体が硬直する。
結火に抱きついてきたのは甘露寺蜜璃だった。ギュっと抱き締められて、困惑する。診察室の椅子にはカナエが座っていて、結火に抱きつく甘露寺を見て複雑そうな顔をしていた。
そんなカナエの様子に気づかず、甘露寺は結火から体を離して嬉しそうな様子で、
「こちらで働き始めたってお聞きして、会いたくて来てしまいました!」
と話す。結火は困惑しながらも、
「……お久しぶり、です。甘露寺様」
と挨拶をした。
「私、ユウさんとお話したくて……!でも任務でなかなか時間がなくて……、やっと今日ここに来れたんです!」
「……はい」
甘露寺があまりにも楽しそうに話すため、どう反応していいか分からず、戸惑いながら短く返事をする。その時、
「蜜璃ちゃん、本当に申し訳ないのだけど……、結火さんもまだお仕事が残っているだろうから……」
と、カナエが口を挟んだ。それを聞いた甘露寺が残念そうな顔をしながらも頷く。
「そうですよね。ごめんなさい、突然来てしまって……、それじゃあ、これをどうぞ!!」
そう言って何か大きな風呂敷包みを結火に差し出してきた。
「……?こちらは……?」
「お土産のパンケーキです!ユウさん、前回食べた時、とても気に入ったみたいだったので、たっくさん焼いてきました!!」
甘露寺の話を聞きながら、結火は包みを受け取った。思ったよりも重い。
「……ありがとう、ございます」
「ぜひ皆さんで召し上がってくださいね!」
結火は少しだけ目を細めて、頷く。そんな結火を見つめながら、甘露寺が笑顔で口を開いた。
「ユウさん、今度は、是非うちに遊びに来てくださいね!また、一緒にお菓子を食べましょう!私、もっともっと、結火さんとお話しして、仲良くなりたいって思ってるんです!!」
「……はい。私も、です」
結火がそう返事をすると、カナエの顔が青くなった。
「それじゃあ、楽しみにしてますね~!」
そう言って、甘露寺はニコニコと笑いながら何度も手を振ってその場から去っていった。
「……蜜璃ちゃんと、仲良し、なのね」
甘露寺が出ていった後、ポツリとカナエが尋ねてくる。その顔はまだ青白く真顔だったが、結火は包みを見つめていたため、気づかないまま答えた。
「……あの方は、弟の継子だったので……、私の知らない、弟の話を、たくさん教えていただきました」
「……そう」
カナエが小さく呟く。結火は包みを見つめたまま、
「胡蝶様、せっかくなので、ぱんけーきを皆でいただきませんか?たくさんあるみたいですし」
と言うと、カナエは無理やり笑顔を作って、
「……ええ。じゃあ、食堂で食べましょうか」
と言った。結火は頷いて、包みを持って食堂へ向かった。
蝶屋敷の少女達を集めて、包みを開ける。蜂蜜たっぷりのパンケーキを見て、少女達は、
「わあー!」
「おいしそー!」
と嬉しそうに声をあげた。
アオイが取り分けてくれたパンケーキを頬張る。甘い蜂蜜が口いっぱいに広がって、結火の顔が思わず緩んだ。それを見ていたらしいきよが話しかけてきた。
「結火様、甘い物がお好きなんですね」
その問いかけにパンケーキを味わいつつ、コクリと頷く。飲み込んだあと、小さく呟いた。
「……甘露寺様のぱんけーきは、本当に美味しくて、好きです」
その言葉を聞いたカナエの顔が大きく強張ったが、誰もその事に気づかなかった。
パンケーキを食べた後、診察室へと戻り、カナエに指示された仕事を再開する。一人で備品の確認と点検をしていると、不意に後ろから誰かの気配を感じて振り返った。
そこにいたのはカナエだった。
「胡蝶様?」
結火は不思議そうに首をかしげた。カナエはいつものフワリとした笑顔ではなく、何か言いたげな顔をしていた。
「どうかされましたか?何か仕事がありますか?」
そう尋ねると、カナエが迷ったような様子を見せてから、ようやく口を開いた。
「わ、私も、パンケーキは作れるわ」
その言葉の意味が分からず、眉をひそめる。
「……はい?」
「……これでも、料理は、できるの。アオイに任せることが多いけど、でも、パンケーキなら、……作り方は、よく知らないけど、きっと調理法が分かれば、作れる、と思うの」
「……はあ」
「きっと、あなたが絶対に気に入るようなパンケーキを作るから……だから、ね……その……」
カナエが何を言いたいのか分からない。
結火は眉をひそめながら口を開いた。
「……あの、何を仰りたいのでしょうか?」
カナエが一瞬固まって、すぐに震える声を出した。
「……み、蜜璃ちゃんのおうちに、一人で遊びに行くの?」
その問いかけに、結火は頷いた。
「……お誘いいただいたので、近いうちに行くと思います」
「ふ、二人で、パンケーキを食べるんでしょ……?」
結火は呆れたような顔をした。
「別に、パンケーキを食べるだけの目的で行くわけではありませんよ。いろいろと、あの方からお話を聞きたいので」
「……あ、あのね、結火さん」
カナエが不安そうな顔をして、言葉を重ねた。
「……勝手な思いだって、分かってるけど……あまり、蜜璃ちゃんと、その……親しくなるのは……」
カナエがとても言いにくそうな顔をして、言い淀む。その様子に、結火はようやくカナエが何を言いたいのかピンと来た。
「私の行動を、胡蝶様が制限する権利はないと思われます」
ぶっきらぼうにそう言って、備品の確認表に視線を戻す。カナエが泣きそうな顔になってうつむいた。結火はそれをチラリと見てから、ため息をつく。そして、仕方なく言葉を続けた。
「――ですが……私は」
「……?」
カナエが顔を上げて、首をかしげた。
「―――」
結火が何事か小さく呟いたが、カナエの耳には届かなかった。
「結火さん?なんて言ったの……?」
「……」
結火が顔をしかめて、確認表に文字を書きなぐりながら、再び口を開いた。
「――私は、確かにぱんけーきが好きですが、……どちらかというと、あなたとようかんを食べる方が好ましく思います」
出来るだけ早口でそう答えた。
その言葉にカナエがパッと顔を輝かせた。結火はカナエと視線を合わせる事ができず、確認表を見つめ続ける。今更、羞恥心が湧いてきた。
なんでそんな事を言ったんだ。この馬鹿!
心の中で自分を罵倒していると、不意に自分以外の体温を感じて、ビクリと震える。カナエが結火の身体を後ろから抱き締めていた。そのぬくもりに動揺しながらも、冷静に口を開いた。
「……胡蝶様、仕事ができません」
「うふふ。だって嬉しくて」
カナエが笑いながら、言葉を続けた。
「もう少しだけ、このままでいさせてね」
「……」
結火は何も答えなかったが、特に拒否もしなかった。
そのまま、長い間、カナエは幸せそうな表情で結火を抱き締め続けた。
蝶屋敷編になったら、後藤さんの出番が激減しつつあります。悲しい……。