蝶結び   作:春川レイ

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繋がれた手

 

音柱・宇髄天元は引退することになった。その知らせを聞いた結火は軽く頷き、呟いた。

「そうか」

予想していた事なので特に驚かない。左目と腕をも失ったのだから、それも仕方ないだろう。

「なんだ、悲しんじゃあくれないのか」

結火の反応を見た宇髄がそう言って、結火は首をかしげながらゆっくりと口を開いた。

「――悲しい、というよりも……、こんな事、言ったら、怒るかもしれないが――、羨ましい、と思う」

「あ?」

宇髄が訝しげな顔をした。

「なんだ、それ?」

「……私も、お前のように、鬼殺隊の役に立ってから、……引退したかった。鬼を滅するためならば、死ぬことなんて少しも惜しくはなかった。せめて、最後まで責務を果たしたかった……」

自分には役目があった。果たさねばならぬ責務があったというのに。

それを為すことができぬまま、結火は生き残り、ここに存在している。

 

 

――病のために辞めるのではなく、鬼と最後まで戦い、死んでいたら、どれほど幸福だっただろうか。

 

 

そんな事を考える結火の肩を宇髄が軽く叩いた。

「それでも、お前は生きろ、煉獄」

「……」

「生きて生きて、生き抜け。そして、鬼舞辻との戦いを最後まで見届けるんだ。お前の弟だって、……きっと、それを望んでる」

その言葉に結火はうつむいた。そして口を開く。

「――よもや、宇髄、……お前に、そんなことを言われるとはな」

「お前があまりにも辛気臭え顔してるからだ」

宇髄はそう言って笑う。そして、また結火の肩を軽く叩くと、その場から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊郭の戦いから数週間経った。結火は竈門炭治郎が目覚めるのを待っていた。弟の残した言葉を早く聞きたかった。しかし、重体で意識不明の炭治郎はまだ目覚めない。

結火はフラリと炭治郎の部屋に立ち寄った。ベッドに横たわる少年は、全身包帯だらけで点滴もしていた。しばらく黙ってその姿を見つめていたが、炭治郎が覚醒する様子はなかった。

「……」

早く目覚めますように、と願いながら、結火は静かにその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらを、いただけませんか」

「はい?」

胡蝶しのぶは眉をひそめて結火に視線を向けた。

普段はほとんど自分に近づかない結火が、珍しく薬の調合室へと訪ねてきた。その事に驚きを隠せないしのぶに対して、結火は更に不可解な事を言う。

「少しでいいので、こちらをいただきたいのです」

結火が手で示したのは、薬の材料にもなる花だった。白い花びらと黄色い花托が特徴的な可愛らしい花だ。

「なんでそれを欲しいんですか?」

「……少し、いろいろありまして。もし、無理でしたら、諦めます」

珍しく結火が口を濁す。しのぶは少し迷うような表情をしたが、

「まあ、いいです。でも少しですよ。薬に使う分は残しておいてください」

そう言うと、結火は深く頭を下げた。

「ありがたく存じます」

そして小さな花を少しだけ手に取ると、調合室から出ていった。

「カァー!」

外で待っていた鎹鴉に近づくと、鴉が大きく鳴いた。

「……これを、頼む」

小さくそう言って、花を鴉に差し出す。それを受け取った鴉は勢いよく飛んでいった。

「……」

その姿を見えなくなるまで見つめる。その時、後ろから声をかけられた。

「何をしていたの?」

振り向くとカナエがそこに立っていた。結火は少し目を伏せて、口を開く。

「お館様に、お花を送りました」

「お花を?」

無言で頷く結火に、カナエが首をかしげながら問いかけてきた。

「何のお花?」

「……カモミール」

「え?」

「カミツレ、です。薬の材料にもなる、花です。蟲柱様に分けていただきました」

カナエがますます不思議そうな顔をした。

「どうしてそのお花なの?庭のお花でもよかったんじゃあ……」

「最初は、そうしようと思いました。でも……」

「でも?」

結火はカナエから目をそらして、言葉を続けた。

「――文献で知ったカミツレの花言葉が、とてもよかったので」

「花言葉?」

「諸説あるようですが、カミツレの花言葉は『友情』『あなたを癒す』そして、」

 

 

「『苦難の中の力』」

 

 

それを聞いたカナエが微笑んだ。

「それはとても素敵ね」

結火は小さく頷く。

「きっとお館様もお喜びになるわ」

「……はい」

結火は小さく返事をすると、カナエに視線を向けた。

「それでは胡蝶様、私は買い出しに行って参ります」

「買い出し?」

「はい。神崎さんに頼まれたので、包帯や食材などの買い出しに……」

「私も行く!」

突然のカナエの言葉に、結火は面食らった。

「……はい?」

「準備してくるわね。ちょっと待ってて」

「あ、胡蝶様、」

結火が止める暇もなくカナエは素早く屋敷の中に入った。数分後、買い物の準備をしてきたカナエが楽しそうに屋敷から出てきた。

「さあ、行きましょう!」

「あの、一人で行きます。胡蝶様は、お仕事が――」

「今は落ち着いてるし、しのぶもいるから大丈夫」

そして、微笑みながら結火の手を握って引っ張る。

「さあ、結火さん!お買い物に行きましょう!」

結火は諦めたように小さくため息をついて、足を踏み出した。

その時、

「――カナエ姉さん」

小さな声が聞こえた。結火とカナエが同時に振り向く。栗花落カナヲがこちらに向かって走ってきた。

「あら……ちょっと待っててね、結火さん」

カナエがそう言って、結火から手を離し、カナヲの方へ向かう。二人はそのまま何事かを話していた。

「……」

結火は静かにその姿を見つめた。やがて、話は終わったらしく、カナヲは屋敷へと戻り、カナエも再び結火の元へ駆け寄ってきた。

「お待たせ。それじゃあ、行きましょう」

結火は無言で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アオイから頼まれた食材や、医療用具を購入する。淡々と買い物をする結火の隣で、カナエは楽しそうに笑っていた。

「――なんでそんなに笑ってるんです?」

結火の問いかけに、カナエは微笑みながら答えた。

「だって、あなたとこうして町を歩けるのがうれしくて……、逢瀬みたいだと思わない?」

「ただの買い物です」

結火の呆れたようにそう言い返すが、カナエはずっと笑っていた。

アオイに頼まれた物は全て購入できた。買い物が終わったため、屋敷に戻ろうとしたその時だった。

「あっ、ねえ、結火さん。ちょっと寄っていきましょう!」

「はい?」

カナエが結火の手を引っ張り、何かの店の前に立つ。そこは、美しい着物を売る呉服屋だった。

「胡蝶様、このような買い物をする予定は――」

「ちょっとだけ!ちょっとだけだから!」

カナエの言葉に思わずため息をつきそうになる。仕方なくカナエと共に店に足を踏み入れた。

ゆっくりと店内を見渡す。数々の色鮮やかな着物を売っているようだ。カナエは楽しそうな様子でそれを見回った。

「綺麗ね~。あ、この着物とかしのぶに似合いそうだわ」

などと言っている。結火も静かに美しい着物を見つめた。このように多くの着物を見るのは久しぶりだ。昔の結火はたくさんの美しい着物を所有していた。自分で選んで買った物もあるが、ほとんどは父から買い与えられた物だった。父は結火に着物を贈るのが好きだったらしく、よく自ら呉服屋に足を運び、着物を購入していた。結火がそれを身につけると、似合う似合うと嬉しそうに何度も頷いていた。

「……」

ふと、あのたくさんの着物はどうなったのだろう、と考える。家を出る時、全て実家に置いてきてしまった。現在実家に残っているかどうか、分からない。恐らく処分されているだろうな、と結火は思った。

「ねえ、結火さんはどう思う?」

「はい?」

カナエの突然の質問に結火は視線をそちらに向けた。

「こっちとあっちの着物、どれがいいと思う?」

カナエが華やかな着物を指差して尋ねてくる。

「……どちらも、綺麗です」

「もう、ちゃんと答えて。どちらが好き?」

また尋ねられて、仕方なく結火は答えた。

「では、こちらが」

「じゃあ、あっちと、この着物なら?」

「……」

何度もカナエから問いかけられ、結火は適当に答え続ける。やがて、カナエが確信したように頷いた。

「結火さん、赤色が好きなのね」

「……は?」

「結火さんが選ぶ着物、ほとんどが赤に近い色だわ」

そう言われて、結火は頭を抱えそうになった。完全に無意識だった。

「……刀が」

「え?」

「……私の、日輪刀が、赤なので。……恐らく、無意識に惹かれて……」

ボソボソと言い訳のようにそう言うと、カナエが納得したように、何度か頷いた。

「……そうなの。赤色、なのね」

「……」

それ以上は何も言わずに顔を逸らすと、カナエが優しく言葉を続けた。

「……買いたい物があるから、お会計してくるわね。外で待っててくれる?」

その言葉に頷き、結火は静かに外へと向かった。

ほどなくして荷物を持ったカナエが店から出てきた。

「何を買ったのですか?」

「うふふ。いろいろね。しのぶやカナヲの服とか、あとは――」

そう言葉を交わしていたその時だった。少し離れた場所で、幼い少年が足を滑らせたように転んだのが見えた。

「あ、……」

「あら」

結火とカナエが同時に声をあげる。二人が近づこうとしたが、それよりも前に、少年よりも少し年上らしい少女が駆け寄ってきた。

「大丈夫?」

「お姉ちゃん……っ」

少年の姉らしいその少女が優しく声をかける。少年が泣きそうな表情で何事か言っていた。やがて、姉が弟の手を取り、立ち上がらせる。そして、その小さな姉弟は手を繋ぎ、二人並んで歩いていった。それを見たカナエがホッとしたように呟いた。

「よかった……お姉ちゃんが一緒なら安心ね……」

「……」

「結火さん?」

何も答えず無言の結火をカナエが不思議そうに見てきた。結火はカナエに構わず、小さな姉弟を瞬きもせず見つめる。その繋がれた手を、食い入るように見つめ続けた。

離さないで欲しい、と思った。いつか、必ず別れる時は来る。それでも、今は、今だけは、

 

 

君達は、その手を離すな、と願った。

 

 

「結火さん?」

カナエに名前を呼ばれて、ようやく結火は姉弟から目を離し、そちらへ顔を向けた。

「……失礼しました。とても、仲がいい姉弟だ、と思って」

「本当ねぇ」

カナエが微笑む。

「きっと、とても仲良しなのね。私もよく妹と手を繋いであんな風に町を歩いたのを思い出したわ」

「……私も、です」

「え?」

「私も、弟達と、手を繋いで、あのように町を歩きました」

結火は歩きながら、そう呟く。

「とても、幸せでした」

「……そう」

カナエが短く答える。それ以上は言葉が続かない。

結火は気まずさを誤魔化すように口を開いた。

「……姉と言えば」

「うん?」

「胡蝶様は、栗花落さんからも、“姉さん”と呼ばれているのですね」

カナエは笑いながら頷いた。

「ええ。私、蝶屋敷にいる子達のお姉さんだもの!」

ああ、確かにそうだな、と結火はぼんやりと考えた。血は繋がってなくても、カナエは蝶屋敷の主人であると同時に、全員の『姉』だ。優しくて、温かくて、頼りになる、皆の『姉』なのだ。

「私が最年長だもの。お姉さんとして頑張らなくちゃ」

「……そうですね」

「あ、でも今は違うわね」

「はい?」

「今は結火さんが一番年上だわ」

「ああ」

結火は頷いた。確かに、結火はカナエよりも三つほど上だ。現在は結火が最年長になる。

「それじゃあ、私はこう呼ばなくちゃ」

「え?」

突然、カナエが結火の耳に唇を寄せてきた。そして、囁くように言葉を紡いだ。

「結火姉さん」

カナエがそう呼んだのは冗談のつもりだった。ちょっとした戯れだったのだ。しかし――、

「……っ」

「えっ」

カナエが思わず声をあげる。普段はほとんど感情を表に出さない結火の顔が、紅潮していた。狼狽したような様子で、顔が首の付け根まで朱を注いだように真っ赤だ。カナエは驚きでまた声を出した。

「えっ、えっ、何、その顔……」

「……っ」

結火はバッと腕で顔を隠した。体に羞恥心が走る。顔が燃えるように熱い。なんだこれは、と結火は考える。こそばゆくて、たまらない。カナエに、姉さんと呼ばれただけなのに、なぜかくすぐったくて、ムズムズした。顔を隠した結火にカナエが声をかける。

「あっ、隠さないで、結火さん、今の顔、ちょっと見せて」

「……お断りです」

「そんな事言わないで。今の、すごく可愛かった。だから、もう一回見せて」

「拒否します」

「ねえ、お願い。結火姉さん」

「やめてください!!」

カナエの言葉に結火が大声をあげる。そのまま蝶屋敷に到着するまで結火は顔を隠すように歩き、カナエは顔を見せるよう迫り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竈門炭治郎と共に重体で蝶屋敷に運ばれてきた我妻善逸と嘴平伊之助が目を覚ました。

「猪突猛進!猪突猛進!」

「飲みたくない!!この薬苦い!本っ当に、苦いんだから!!」

蝶屋敷は賑やかになったが、炭治郎はまだ目を覚まさない。

「つべこべ言わずに、早く飲んでください」

苦い苦いと泣き言を言う善逸に、結火は運んできた薬湯を渡す。

「いや、でもこれ、本当に飲めないほど苦くて……」

「……」

「……」

「……」

「……飲みますぅ」

結火が無言で見つめると、善逸は泣きそうな顔でそう言った。結火は静かに頷くと部屋から出ていった。残された善逸はアオイに大きく声をかける。

「ちょっと、あの怖い人は誰!?前はいなかったけど、蝶屋敷の新人さん!?めっちゃ美人だけど、めっちゃ怖い!!目力が半端なく強い!!誰なのあれ!?」

「うるさいですよ!あの方は、最近ここで働き始めた煉獄結火様です」

「れ、煉獄?」

「炎柱のお姉様です」

「えっ、うそぉ!!煉獄さんのお姉さんなの!?全っ然似てない!!」

「だから、静かにしてください!」

アオイの怒ったような声が病室に響いた。

結火は廊下を歩きながら考える。きっと竈門炭治郎ももうすぐ目を覚ますはずだ。弟の話を聞きたい。できれば、弟の最期の事も――、

結火は唇を噛んだ。正直に言うと、杏寿郎が結火にどんな言葉を残したのか、知るのがとても怖い。考えるだけで、体が震えそうだ。それでも、

「……否。私は、必ず……」

受け止めなければ。

どんな言葉でも、どんな想いでも。

杏寿郎の言葉を受け止める。

結火にはその義務がある。

「杏寿郎」

そっと弟の名前を呼ぶ。それだけで、勇気が出てきたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後、竈門炭治郎が目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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