視点がコロコロ変わります。
竈門炭治郎が目を覚ましたその日、結火は屋敷の清掃を行っていた。箒を手に屋敷中を動き回っていたその時、後ろから声をかけられた。
「おっ、結火様ー」
廊下で声をかけられて振り向くと、そこには後藤が立っていた。
「後藤さん、お疲れ様です」
結火は頭を軽く下げる。後藤と会うのは久しぶりだ。
「お疲れ様です。どうですか、お体の方は……」
「最近は薬のおかげで、肺の調子も良くなって、随分楽になりました」
「それはよかった」
微笑む後藤の手には何故かカステラの乗った皿が握られていた。
「後藤さん、それは?」
「あ、見舞いのカステラです」
「見舞い?」
「竈門炭治郎ですよ。まだ目覚めてないでしょ?あいつ、鼻がいいらしいから、これを近くに持っていってやれば起きるんじゃないかと思って」
後藤の言葉に結火は軽く頷いた。
「それは、とてもいい考えだと思います。……傷の状態も良くなっているようですし、そろそろ目も覚めるでしょう」
後藤も微笑んで頷いた。
「それじゃあ、あいつの部屋に行ってきます」
「何かあったら呼んでください」
「はい」
後藤はカステラを手に炭治郎の部屋へと向かう。その後ろ姿を結火は無言で見つめた。
竈門炭治郎という少年を、結火は話したことがないため、直接は知らない。だが、話を聞く限り、きっと人柄のいい少年なのだろうな、と想像した。アオイやきよ、すみ、なほが心配そうな顔で看病をしているし、あまり人と関わりを持たないカナヲまでもが見舞いに訪れているのを見た。
早く回復すればいいのだが、と思いながら窓を拭いていたその時だった。
「きよちゃん、すみちゃん、なほちゃーん!アオイちゃーん!結火様ー!!炭治郎、意識戻ったぜえぇぇ!!」
後藤の大きな声が響いて、思わず布巾をポロリと落とす。慌てて炭治郎の部屋へと向かった。
結火が部屋に着いたのと同時に他の少女達も慌てたようにやってきた。そのままドタバタと部屋に入る。ベッドの上の炭治郎の瞳は確かに開いていた。そのそばでは、何故かカナヲがオロオロとしていた。
目覚めた炭治郎を見て、少女達が泣きながら騒ぎ出す。結火はホッと息をついて、ひっそりと部屋から出てカナエを呼ぶために診察室へ向かった。
竈門炭治郎が目覚めて、3日ほど経った。結火はまだ炭治郎と話していない。目覚めたばかりの少年から話を聞き出すのは、少し気が咎めたからだ。炭治郎の体の調子が戻ってから、改めて訪ねようと思っていた。
「……」
夢を見た。何度も見た夢だ。杏寿郎が隣で笑っている。結火が大好きな明るい笑顔。結火が覚えている杏寿郎は、まだ結火よりも背が低くて幼かったのに、いつの間にか結火よりもずっと背が高くなり、逞しい身体になっていた。炎柱の印でもある、炎のような羽織を身に付けている。
『姉上』
そう呼ばれて、結火も笑いながら答えた。
『なんだ?杏寿郎』
手を伸ばして、その頭を撫でると、杏寿郎の顔がまた嬉しそうに綻んだ。
『姉上、俺は――』
杏寿郎が何かを言いかける。
その瞬間、結火は目覚めた。
今の出来事が夢だった、というのを認識して、もう一度目を閉じた。しかし、すぐに目を開いてゆっくりと起き上がる。そっと、障子の方へ視線を向ける。まだ外は暗いようだ。フラフラと立ち上がる。そして、寝巻き姿のまま、上から着物を羽織ると静かに私室から出た。
早朝の縁側で、膝を抱え込むように座る。随分と早く起きてしまった。まだ蝶屋敷の住人達は誰も目覚めていない。
ひんやりとした空気が体を包む。朝の明るみが徐々に空に広がってきた。何一つ傷つく事のない一日が、また始まる。いつもの事だ。それなのに、今はそれがたまらなく悲しくて、胸が痛かった。大きく深呼吸をする。そしてゆっくりと瞳を閉じた。
「――おはよう」
突然優しい声が聞こえて、結火の瞳が開いた。声の方に顔を向けると、まだ寝衣姿のカナエが穏やかな顔でそこに立っていた。
「……おはようございます」
「随分と早いのね」
「……早く起きてしまいました」
小さな声で返事する。そんな結火の隣にカナエが腰を下ろした。そして、問いかける。
「結火さん、何を考えているの?」
「……」
「最近ね、なんだか暗い顔をしているから…、気になって……」
この人は本当に鋭いな、と思いながら結火は口を開いた。
「――怖くて」
「え?」
「……一歩を踏み出すのが怖い、です」
不明瞭な言葉しか出ない。カナエが困惑しているのが分かったが、結火はそれ以上何も言えず、うつむいた。
杏寿郎が結火にどんな言葉を残したのか。知りたい。しかし、同時に怖い。突然消えた姉に対して、どのような言葉を残したのか。もし恨み言だったら――、
結火は思わず大きく首を横に振った。いや、そんなわけはない。杏寿郎はそんな言葉を言うわけはない。そんなことは、結火が一番よく分かっている。
だけど―――、
「……っ」
息が苦しくなって、また目を閉じた。胸元を強く掴む。その時、
「……そうね。一歩進むこと、それは……とても怖いわよね」
カナエの声が聞こえた。
「……分かるわ。とても、よく分かる。私も、怖かったもの」
その言葉に、目を開いて、カナエを見る。カナエは何かを深く考えるような顔をしていた。そんな彼女に、今度は結火が問いかけた。
「……何が、怖かったのですか?」
「……そうね。今まで、たくさんの怖いこと、あったけど……、最近、怖かったのは、あなたに告白する時ね」
「――ご冗談を」
「あら、本気よ。本当に怖かったわ。あなたに拒絶されるんじゃないかと思って…」
その言葉に、カナエが告白した時の様子を思い出した。あの時のカナエは表情が固くて、自分の手を強く握りしめていた。
「本当に怖かったんだから。あなたがもう口をきいてくれなくなるんじゃないかと思って……」
「はあ……」
「でもね……、このまま変わらないこと、進まないことの方が嫌だったの。逃げていては、ずっと変わらないままだわ」
「……」
結火は黙ったまま唇を噛んだ。そんな結火の姿を見つめたカナエが、何かを思い出したように再び口を開いた。
「そうだわ!結火さん、いいものがあるの」
「はい?」
突然カナエが立ち上がる。そのまま手を掴まれて、引っ張られた。
「胡蝶様?」
「シーっ。静かに、ね?こっちに来て」
連れていかれたのはカナエの私室だった。カナエに押し込むように部屋に入らされる。この部屋に入るのは初めてだ。結火が困惑していると、カナエがクスクスと笑いながら、何かを差し出してきた。
「結火さん。はい、これ」
「……?」
それは髪紐だった。夕日のように鮮やかな、赤い紐だ。
「これは……」
「私からあなたへ、贈り物よ。御守りの、代わり。あなたがやろうとしていることが、上手くいきますように」
カナエはそう言いながら、結火の後ろへと回る。そのまま、少し伸びてきた結火の髪を後ろで結ってくれた。結火が戸惑っているうちに、カナエは結い終わった。
「うん、これでいいわ。結火さん、とっても似合ってる」
カナエが鏡で髪を見せてくれた。綺麗に結われた髪には、先程の赤い髪紐が可愛らしく揺れていた。
「……」
「可愛いでしょう?」
「……」
「本当にとっても似合ってるわ。御守りの代わりに身に付けておいて。ね?」
「御守りって……」
結火が困惑しながらカナエの方へ顔を向けると、カナエが微笑みながら、結火の手を握った。
「ここで、待ってるわ」
「はい?」
「忘れないで。どんなに辛くても悲しくても、……あなたには帰る場所があるわ。私は、あなたを待ってる。ずっと、ずっと待ってる。この御守りは、その証よ」
「……」
「だから、大丈夫。勇気を出して」
カナエがそう言って、結火の頬に触れる。結火は静かに目を伏せた。
廊下で瞳を閉じて、深呼吸をする。情けないことに手が震えていた。ゆっくりと手を頭の方へ持っていき、そっと赤い髪紐に触れる。
「……」
髪紐を撫でながら、目を開ける。そして頭から手を離し、大きく一歩踏み出した。
部屋の前で立ち止まり、大きく扉を叩く。
「はい、どうぞ!」
元気な声が聞こえて、安心した。そのまま勢いよく扉を開ける。
部屋に入ると、ベッドの上に座る竈門炭治郎とすぐに目が合った。炭治郎が大きく目を見開く。
「あ、あなたは……」
結火は炭治郎を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
「初めまして。私は――」
自己紹介をする前に、炭治郎が先に口を開いた。
「――煉獄さんの、お姉さん、ですよね?」
その言葉に、今度は結火が驚きで目を見開いた。
「……なぜ」
「俺、鼻がいいんです。その、あなたの匂いが、煉獄さんとそっくりで――」
結火は下を向いて、思わず大きく息を吐いた。
「よもやよもや。――顔は似ていないのに、妙なところが似てしまったものだ」
そして、顔を上げると、困惑している炭治郎に再び声をかけた。
「――そうだ。私の名前は、煉獄結火。杏寿郎の姉だ。……弟が世話になった」
「い、いえ……」
「ずっと、君と話したかった。弟の最期を看取ってくれた君と――」
「お、俺もです!」
炭治郎が大きな声を出した。
「ずっと、話したいと思っていました!どうしても、煉獄さんの言葉を伝えたくて……」
結火は黙って頷くと、ベッドのそばにあった椅子に腰を下ろした。
「宇髄から聞いた。ずいぶん、私を探していたようだな」
「はい!でも、どうしても、見つからなくて……」
「――わけあって、長い間隠れて暮らしていたんだ。すまなかった」
軽く頭を下げると、炭治郎は居心地が悪そうにソワソワした。そんな炭治郎へ再び言葉をかける。
「ありがとう」
「え?」
「弟と共に戦ってくれたこと。最期を見届けてくれたこと。心から感謝する」
今度は深々と頭を下げた。
「あ、あの!」
「ん?」
炭治郎が大きな声を出して、結火は顔を上げた。
「聞いてほしいんです。煉獄さんの最後の話を」
結火は大きく頷いた。
「ああ」
炭治郎は話し始めた。
煉獄杏寿郎から託された、最後の言葉を。
◇◇◇
「こっちにおいで。少し話をしよう」
煉獄杏寿郎は少しだけ微笑みながら、竈門炭治郎に声をかけた。
身体中が血だらけだ。片目も潰れている。もう痛みも感じない。
それでも言葉を残したいと思った。自分のために鬼に向かって叫んでくれたこの少年に。
不思議なことに、死を間近に感じているのに、心は晴れ晴れとしていた。穏やかに、ゆっくりと、炭治郎に向けて言葉を紡ぐ。
「俺の生家、煉獄家に行ってみるといい。歴代の炎柱が残した手記があるはずだ。父や姉がそれをよく読んでいたが……、俺は読まなかったから内容はよく分からない……。君が言っていた“ヒノカミ神楽”について、何か記されているかもしれない……」
炭治郎が泣きそうな顔でオロオロと口を開く。
「れ、煉獄さん、もういいですから……呼吸で止血してください。傷を塞ぐ方法はないんですか?」
「無い」
杏寿郎はキッパリと言葉を吐いた。
「俺はもうすぐに死ぬ。喋れるうちに喋ってしまうから聞いてくれ」
口からまた血が流れるのを感じた。頭の中に浮かんだのは、誰よりも大切な家族の顔だった。
自分を見送ってくれた幼い弟の顔を思いながら、言葉を続けた。
「弟の千寿郎には、自分の心のまま、正しいと思う道を進むよう伝えてほしい」
今度は、父の姿を思い出す。最後に見たのが、酒を飲み続ける後ろ姿だったのが、少し悲しかった。
「父には、体を大切にしてほしい、と」
静かに息を吐く。
「それから――、」
少年に語りかける前に、思い出した。まだ言葉を伝えなければならない人がいる。
「――もし、も。君が、俺の、姉に会うことがあれば」
杏寿郎はそう言った後、口を閉ざした。
『杏寿郎』
なぜか、自分の名前を呼ぶ姉の声が聞こえたような気がした。その場に、姉がいるわけないのに。
ああ、悔しいな、と思う。結局姉を見つけることはできなかった。
俺はなれたのだろうか。心を燃やして、誰かのために戦い続ける、姉上のような剣士に。
再びゆっくりと口を開く。
「姉に、伝えて、ほしい――」
たくさん、話したいことがあった。伝えたい言葉があった。
ご武運をお祈りします、とか。ご多幸を願っている、とか。あるいは、どうか父や弟の元に帰ってきてほしい、とか。
なのに、口から勝手にこぼれ出たのは、思いもよらない言葉だった。
「――姉上、会いたい」
その時、竈門炭治郎は戸惑った。
その時の杏寿郎の顔。
それまでの凛々しい表情が消えていた。どこかで見た顔だ、と一瞬思い、そしてすぐに気づく。
その時の杏寿郎の顔は、自分の弟と似ていた。迷子になった時の、幼い弟の顔にそっくりだった。
「れ、煉獄さん……」
目の前で炭治郎が戸惑っているのが分かったが、杏寿郎もまた自分の言葉に驚愕していた。
自分がこんな言葉を言ってしまうとは。
よもやよもや。
泣き言を言ってしまった自分が情けなくて、思わず下を向いてしまった。
それでも、口から出てしまった言葉は、もう取り消せない。
「会いたい。会いたいんです。姉上……」
うつむいて、呟くように、囁くように、杏寿郎は声を絞り出す。本当に情けない。こんな事を言ってしまうとは。きっと、竈門少年はさぞ困惑しているだろう。柱として面目ない。
そう感じながらも。
たくさんの想いが、脳内を駆け巡った。
姉上
あなたがいてくれたから、俺は戦うことができた。
『杏寿郎』
あなたが道を示してくれたから、俺は責務を全うできた
『心に赤き炎を燃やせ』
どんなに苦しくても辛くても、あなたが俺を信じてくれたから
『お前は、煉獄家の長男――、いつか、この姉を越える強い剣士になる男だ』
俺が心を燃やし続けられたのは、姉上がいてくれたから
『もう泣くな、杏寿郎』
いいえ、泣いていません、姉上
俺は泣いたりなどしない
姉上、ご存じですか?
あなたの弟は、あなたの後を継いで、柱になるまで、
強くなったのです
あなたの教えを守り、煉獄家の長男として、心を燃やし続けました
最後まで戦いました
あなたの想いを、繋ぎました
だから、お願いです
手を握ってください
そうしないと前に進めない
頭を撫でてください
そうしたら、きっと俺は、また頑張れるから
まだまだ、戦うことができるから
だから、どうか、お願いです
ひとりにしないで
帰ってきて
会いたい
会いたい会いたい会いたい
もう一度、会いたいんです
姉が消えてしまった後、何度も何度も心の中で叫んだ。
平気なふりをして、強がっていた。そうしないと、きっと千寿郎が不安に思うから。
必死に虚勢を張っていた。そうしないと、姉がいない現実に、心が崩れ落ちそうだったから。
だけど。
だけど、姉上。
俺、本当は悲しくて、辛くて、苦しくて、
寂しかったんです。
こんな状況下で、自分の本心を再認識して、思わず笑う。
もしや、死んだら姉上に会えるだろうか。
いや、ちがう。姉上は死んではいない。
必ずどこかで生きている。
どこかで、戦っているはずだ。
俺は知っている。
俺の姉は、そういう人だ。
なぜなら、煉獄家の長女なのだから。
煉獄家の燃ゆる心を持っている人だから。
そうでしょう、姉上
『私の心はお前と共にある』
俺もまた、俺の責務を全うできました
『杏寿郎』
あなたと同じように心を燃やし続けました
『前を向きなさい』
はい、姉上
煉獄杏寿郎は、顔を上げて、炭治郎を真っ直ぐに見つめた。息を吸って、言葉を続ける。
「すまない。――少し、混乱していた」
「れ、煉獄さん……」
「伝えてくれ。俺の姉上に」
「あなたの弟として生まれたことが、俺の最大の幸福であり、誉れだった、と。ありがとう、と」
そして、杏寿郎は微笑んだ。
「どうか、頼む。竈門少年」
◇◇◇
「……」
結火は、炭治郎の話を静かに聞き終わり、深々と頭を下げた。
「――ありがとう。弟の言葉を、最期を、教えてくれて。……本当に、感謝する」
そうして顔を上げた結火の顔は、無表情で何を考えているのか分からず、炭治郎は困惑した。
「あ、あの、れん――」
「病み上がりなのに、長居をしてしまい、申し訳ない」
そう言いながら、結火は立ち上がった。
「一日も早い回復を、心から願っている。どうもありがとう。それでは、失礼する」
「あ、待ってください!――」
そうして炭治郎の引き留める言葉に構わず、結火はその場から逃げるように去っていった。
残された炭治郎は呆然としながらも、首をかしげる。
「――今、煉獄さんのお姉さん、とても複雑な匂いだった、な。大丈夫かな……」
ポツリと呟いた。
炭治郎の部屋から出た結火は、大きく足を踏み出して、真っ直ぐに診察室へと向かった。
なぜ診察室へ向かっているのか、自分でも分からない。とにかく、早足で廊下を進む。
診察室には、カナエとしのぶがいて、何かを話していた。
「あら、結火さん――」
部屋に入ってきた結火にカナエが声をかける。結火は真っ直ぐにカナエの方へ進み、その手を掴んだ。カナエが驚いたように目を見開く。
「――少し、話が」
結火はそう言葉をかけて、カナエの手を握った。
「あら、どうしたの?」
カナエの問いかけに何も答えずに、手を強く引く。そんな結火の様子に、しのぶが怒って口を開いた。
「ちょっと!姉さんはまだ仕事が――」
しのぶの言葉を遮るように、結火が声を出した。
「――少しだけですから!」
声は相変わらず掠れていたが、かなり強い口調で、結火はそう言い放つ。その切羽詰まったような声に、しのぶがポカンと口を開いた。カナエもまた驚いたような顔をしていたが、
「今なら仕事も一段落しているから、大丈夫。ちょっとだけ行ってくるわね」
しのぶにそう言って、結火と共に診察室から出ていってしまった。
残されたしのぶは、しばらく呆然としていたが、やがて大きなため息をついて頭を抱えた。
診察室から出た結火はカナエの手を引っ張って、私室へと向かう。
「結火さん、大丈夫?」
カナエがそう話しかけてくるが、何も答えない。
ようやく私室に到着して、障子を開けて部屋に入った。カナエが入ったのを確認し、障子を閉める。
「結火さん、どうし――」
カナエの言葉が終わる前に、強く引っ張られた。結火がカナエの身体に飛び付くように抱きついた。
「ゆ、ユウさん……っ?」
カナエが驚愕しているのが分かったが、それに構わず結火はカナエの身体に腕を回し、その胸に顔を埋める。全身が震える。もう自分の足で立っているのも精一杯だ。カナエにすがりつくように、その腕に力を込めた。
やがて、カナエもまた結火を抱き締める。何も言わずに、結火の身体の震えを鎮めるように、抱擁する。
その温もりに安心して、結火の全身の力が抜けた。
いつの間にかカナエは畳の上に座り込み、結火もまたカナエに身体を預けるように、腕の中に収まっていた。
カナエが何も言わずに、ゆっくりと結火の髪を撫でる。
その優しさと温もりに安心するように、カナエの腕の中で結火は息を吐いて、目を閉じた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「杏寿郎に会いたい」
「……結火さん」
「今さら、こんなこと言う資格はないのは、分かってる。それでも、会いたい……」
「うん」
「きちんと話せばよかった。伝えるべきだった……」
「うん」
「会いたい。会いたくて、たまらない……」
「そうね、会いたい、わよね」
「守りたかった。守って戦って、そうして死にたかった……」
もうそれしか考えられない。
やり場のない後悔が胸に穴を開ける。痛い。痛くて痛くて、心が砕けそうだった。
しのぶの言った通りだ。結火は思い知る。あまりにも強がりすぎて、何も見えなくなっていた。杏寿郎の気持ちを、分かったつもりで何も分かっていなかった。
馬鹿だ、私は。本当に。
杏寿郎
「ごめん……こんな姉で、本当にごめん」
「……結火さん」
「ごめん。ごめんね。ごめん……杏寿郎、ごめん」
何度も何度も、この世にいない弟に向かって謝り続ける。苦しくて、悲しくて、目の前が真っ暗だ。
「杏寿郎……杏寿郎……」
最愛の弟の名前を、何度も呼ぶ。もう何も考えられない。
「結火さん」
その時、カナエが優しく名前を呼んだ。結火を抱き締める腕に力を込めたのが分かった。
その温かさに感謝しながら、今になって結火は理解した。
炭治郎の話を聞いて、真っ直ぐに診察室へ向かったのは、カナエに抱き締めてほしかったからだ。
温もりと優しさに触れたかった。
寄り添ってほしかった。
そうしないと、あまりにも悲しくて、寂しくて、
全身が崩壊しそうだったからだ。
そうなる前に、カナエに助けてほしかった。
だって、結火は知ってる。この人が教えてくれた。
カナエは結火の気持ちを、何も言わずにまるごと包んでくれる。抱き締めてくれる。
だって、カナエはそういう人だ。
そして、願っていた通り、彼女は結火を受け止めてくれた。
ほろり、ほろり、と儚く涙が流れる。
心の中で雨が降っているような感覚になった。
呼吸が上手くできない。冷たい。寒い。
温もりを求めるように、結火は泣きながらカナエの羽織を掴む。
全てを元通りにする力が、奇跡が、ほしい、と思った。
静かに声を出さずに泣く結火を、カナエは何も言わずに抱き締め続けた。