「あ、ユウさん、これを持っていってもらっていい?新しい隊服なんだ」
「はい。どちらへ?」
「蝶屋敷」
「……」
「ん?どうかした?」
「……いえ」
鬼殺隊の縫製係である前田まさおに、隊服の入った包みを手渡されながら、結火は大きなため息をつきそうになるのを必死に堪えた。
全力で口説く、とカナエに宣言されてから数日経った。蝶屋敷に行くのはなんだか気まずく、足が重い。しかし、仕事だから行くしかない。包みをチラリと見てから、結火は口を開いた。
「……前田さん。念のため確認しますが、変な服じゃないですよね?普通の隊服ですよね?」
「当然」
「本当に本当ですね?変な服だったら、胡蝶様の妹様にまた燃やされますよ」
「いや、本当に普通の服……。それ、怪我をして今蝶屋敷に入院してる男性隊員の新しい隊服だから」
「ああ、なるほど」
結火は納得して頷いた。
この前田という縫製係の男は、女性隊員に対して独断でとんでもない隊服を作る悪癖があるため、つい疑り深くなってしまう。結火が剣士だった時に、一度彼から手渡された隊服も、信じられないほど大きく胸元が空いた、恐ろしい隊服だった。
仕事だから仕方ないけど、やっぱりあそこに行くのは気が進まないな……。
そう考えながらじっと包みを見つめる結火を見て、まだ疑われていると思ったのか前田が口を開いた。
「本当に普通の服だって……なんで信じてくれないんだ……」
「……いや、信じてますよ、本当に。………ちょっと行きにくいだけです」
「行きにくい?なんで?」
「いえ、なんでも。それよりも、信じてほしいなら、もうちょっと日頃の行いを改めてはいかがですか。あのような隊服、私でもゲスメガネごと燃やしたいな、と思いますよ」
「ちょっ、ゲスメガネって、俺、君の先輩なんだけど……」
「では、行って参ります」
「ちょっと、ユウさん!」
何か叫んでいる前田に構わず、結火は包みを抱え、蝶屋敷へと足を踏み出した。
「すみません。隊服をお届けに参りました」
蝶屋敷の玄関で呼び掛けると、すぐに屋敷で働く顔見知りの少女が顔を出した。
「あ、ありがとうございます!」
「入院している男性隊員様の新しい隊服です」
「はい。渡しておきますね」
「よろしくお願いいたします。それでは、私はこれで……」
カナエが現れないうちに早く帰ろうと思ったのに、少女に呼び止められた。
「あ、お待ちください!カナエ様が、あなたが来たら引き留めるようにと!」
「……」
なんとか断ろうと口を開きかけたが、そうしたらきっとこの少女はとても困るんだろうな、と思い結火は何も言えなかった。
「縁側の方でお待ちください。お茶をお入れしますね!」
「……」
結火は帰るのを諦めて、無言で縁側へと向かった。
「……いい天気」
お茶を一口飲んで、現実逃避をするように呟く。
カナエはどうやら怪我人の診察をしているらしく、もう少ししたらやって来るとのことだった。
「……」
会うのが気まずい。
やっぱりこのまま黙って帰ろうかな、と結火は思う。仕事が残ってるから、と言えば……。でも、立場的に今は
悶々と悩んでいたその時だった。
「何を考えているの?」
後ろから、抱きつかれた。
「……」
なんとか声は出さなかったが、身体は硬直した。振り向かなくても誰か分かる。胡蝶カナエだ。
あまりにも深く考えすぎており、彼女が来たことに気づかなかった。花のような甘い香りに背後から包まれる。自分の身体に細い腕が巻き付くように回された。
「……お疲れ様です。何を、なさっているんですか?」
「何って、決まってるでしょ」
誘惑、と耳元で囁かれた。
「……胡蝶様、まさかとは思いますが、こんな事をするために、私を引き留めたんですか?」
「ええ、もちろん。だって、私、言ったでしょう?あなたを全力で口説くって」
強い力で抱き締められて、蜜のように甘い声が囁く。言いようもないほどの居心地の悪さを感じた。
「ねえ、ユウさん。ドキドキする?」
「……」
「私は、ドキドキしてるわ。あなたが、私の腕の中にいるなんて、……本当に、嬉しい。夢みたい……」
「……」
「あなたは、どう?少しは意識してくれてる?」
そう尋ねられて、どう答えればいいのか分からず戸惑う。やっと出た言葉は、短かった。
「……離してください」
小さな声でそう言うと、少しの沈黙の後、カナエがまた結火の耳元で口を開いた。
「じゃあ、……離す前に、あなたの事を少しだけ教えて?」
「……は?」
「何か、一つでいいから。あなたの事を教えて。そうしたら、離すわ」
一瞬、頭巾の下でポカンと口を開けた。
何を仰ってるんだ、この方は―――、
「あの、胡蝶様――」
「一番知りたいのは名前だけど……、好きなものとか、苦手なものとかでもいいわ。あなたの事を、知りたいの」
「いや、それは――」
結火が戸惑いながら言葉を続けようとしたその時だった。
誰かが近づいてくる足音がした。
「姉さん、どこ?ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
カナエが後ろでハッとしたのが分かった。直後に腕を引っ張られる。
「……は?」
気がついたら、どこかの部屋に入っていた。畳の上に転がされ、上を見上げるとカナエが微笑みながら口元に人差し指を当てている。
「姉さん?もう、どこに行ったのかしら……」
部屋の外から怒っているような声が聞こえ、やがてその場から去っていった。
「……なんで隠れたんです?」
足音が聞こえなくなって、すぐに結火が口を開くと、カナエは苦笑しながら答えた。
「とっさに隠れちゃったわ、……さすがに妹に見られるのは少し恥ずかしくて……」
「なら、最初からしなければよろしいのでは……」
結火が呆れながらそう言ったのを無視するように、カナエは今度は嬉しそうに笑った。結火の腕に手を伸ばしながら口を開く。
「うふふ、でも結果的には満足だわ」
「……はい?」
「いい眺め……」
その言葉で、自分がカナエに押し倒されている事に気づいた。
あれ、これは、かなり良からぬ体勢では………、どうする。思ったよりも、この人、力が強い。どうすればいい。思い切り突き飛ばすのは簡単だけど――、いや、でもさすがにそれは―――、
動揺して抵抗どころか何も反応できない結火を楽しそうに見つめながら、カナエが言葉を続ける。
「やっぱり、綺麗ね……」
「はい?」
「あなたの、瞳……。好きだわ。本当に、好き……」
「胡蝶、様……」
カナエの手が、結火の目の周囲を撫でる。戸惑う結火にカナエが微笑みながら、今度はとんでもない事を口にした。
「ね、教えるのが、嫌なら、お顔が見たいわ」
「……は?」
意味が分からず、呆然とする。
「あなたの、お顔。見たいの。この、頭巾を取ってもいいかしら……?」
カナエの手が頭巾に触れる。まずい。顔を見られるのは本当にダメだ。結火はカナエの行動に動揺し、慌てて口を開いた。
「く、くり……」
「うん?」
カナエが手を止めて、きょとんとした。結火はそんなカナエに向かって言葉を重ねた。
「栗の、入ったようかんが、好きです。……普通のようかんも好きですが……」
「……」
カナエが無言になる。結火がどうしようか迷っていると、カナエが今度は笑い出した。
「……ふふふ。そう。そう、なの。あなたの、好きなもの、……なのね。うふふ」
「……嬉しそうですね」
「嬉しいわ、もちろん。やっと、一つは知ることができたんですもの」
そう言いながら、カナエが結火の腕から手を離した。結火はホッと息をつきながら身体を起こす。
「……今度、ようかんを用意しておくわね」
「いえ、結構です……お気持ちだけで……」
「そんなこと言わないで。一緒に食べましょうね。美味しいお店を探さなくちゃ……」
楽しそうに笑っているカナエに思わずため息をつきそうになるのを堪えながら、結火はポツリと呟いた。
「……分からない」
「うん?」
小さく呟いたつもりが、カナエには聞こえていたらしい。
「分からないって、何が?」
「……あなたが、なぜ、そのように、……私を想ってくださるのか、……分かりません」
「……」
「私は……、想われるような、人間では……」
「ユウさん、好きよ」
結火の言葉を遮るようにして、カナエが言った。
「あなたが好き。あなたじゃなきゃ、ダメなの。こんな風に、愛しいと思うのは、……あなただけ」
「……」
「何度でも言うわ。あなたが、好き」
「……」
「もっと、知りたい……触れ合って、繋がって……、私だけに、あなたを見せてほしいの……、あなたを私だけのものに……」
直接的な言葉を囁かれ、顔が上げられない。無言で下を向いていると、カナエが立ち上がった。
「ごめんなさい。付き合わせちゃって……そろそろ、戻る時間ね」
「……はい」
「しばらく休んでいくといいわ。帰る時には、お見送りを……」
「いえ、結構です。失礼しました」
結火はカナエと目を合わせないようにしながら立ち上がり、部屋から出ていった。
「………」
その後ろ姿を、カナエは静かに見つめた。
仕事部屋へと帰ってきた結火を見て、後藤は戸惑った。
「ただいま、戻りました」
ものすごく声が小さい。その後は何も言わずに机へ向かい、書類を引っ張り出したが、何故か落ち着かない様子でソワソワしていた。
「……はあ」
「結火様、どうかしました?」
「いえ、なんでも」
なんでもない、という様子ではない。
「蝶屋敷に行ってたんですよね?」
「……はい」
「あ。そういえば、胡蝶様と何かあったんですか?俺、この間、胡蝶様にあなたの事をいろいろ尋ねられて――」
「うぅ」
珍しく結火が言葉に詰まったように呻く。その様子を見て、後藤は首をかしげた。
「……ちょっと、頭を冷やしてきます」
そのまま素早く立ち上がり、また出ていってしまった。その姿を後藤は不思議そうな顔で見つめていた。
「……はあ」
結火は部屋の外でうずくまる。顔が熱い。顔が隠れる隊服で本当によかった。
モヤモヤが止まらない。なんだ、この感覚は。
こんな風に、なるなんて。
「いや、ちがう。ちがうちがう。絶対に、ちがう」
ボソボソと呟く。
「……酒」
そうだ。一杯呑もう。きっと、モヤモヤもどこかに行くはず……。
そう思ったその時、胸から喉へと不快な物が突き上げた。
「――コホッ」
何度か小さな咳をする。
「……」
何度か落ち着かせるように大きく深呼吸した。
やがて、体も落ち着いた。ほんの少し微笑む。
酒は諦めた方がよさそうだ。
「……帰ろう」
小さく呟いて、立ち上がると歩き出した。
やっぱり緩くない……。
次回はカナエさん視点書きます。